第8話 酒の匂いと用心棒の男
首から手ぬぐいをさげながら、二人は酒場へと戻る。香草と鶏肉の良い香りと、少々の酒の匂いが、龍鬼とバンを迎え入れる。
「やぁ、先に始めてるよ」
そこには、見覚えのない一人の男が、既に顔を真っ赤にしながらも、さらに酒を煽っていた。
「ロアさんっ!」
バンは顔をパァっと輝かせて、彼の元へと駆け寄る。
「バン、最近顔を見せられなくてすまないね。アキちゃんから聞いたよ。また殴られたんだって?」
ロアと呼ばれたその男は、太い眉と整えられた口髭が特徴的な、齢およそ四十前半ほどの大男だった。見た目とは裏腹に口調は優しく、目尻に深く刻まれた笑い皺が、彼の人となりを表している。
「あぁ、でもあんちゃんが助けてくれたから、今回は大怪我せずに済んだんだぜ」
紹介するよ、とバンは龍鬼の方を振り返る。
「あぁ、君が。 話には聞いているよ。バンが世話になったね。えーと……」
「龍鬼だ」
「龍鬼さん。バンとアキちゃんは、私の家族みたいなものなんだ。感謝する」
彼はぎゅっ、と龍鬼の手を握りしめる。
「いや、こっちは一宿一飯の恩があるからな。どちらかというと世話になってるのは俺の方だ」
「そうよ、ロアさん。お世話してるのは私たちのほう」
アキは厨房から顔だけ出して抗議する。
「ははは、アキちゃんは相変わらずだなぁ。あぁ、すまない。自己紹介が遅れたね。私はイルド・ロア。この国でしがない用心棒をしている者だ。よろしくね」
「……よろしく」
龍鬼は、ロアの顔に見覚えが無かったが、その名前だけはどこかで聞いたことのあるような気がして、悶々とした。しかし、目の前にある食欲を駆り立てる料理たちのおかげで、モヤモヤとした気分は直ぐにどこかへ追いやられた。
「この店が潰れないで、私と母さんと兄さんがご飯を食べられているのも、全部ロアさんが援助してくれているからなの。この料理だってロアさんが調達してきてくれた食材で作ってるのよ。感謝しなさいよね」
アキは、ロアの手にする升に、追加の酒を注ぎながら龍鬼を睨みつける。ありがとう、とロアが言うと、アキは嬉しそうに顔を赤らめる。
「俺だって金払ったじゃねぇか」
「迷惑料よ」
「こらこら、お客さんにそんなこと言わないの」
「はぁい」
アキが厨房に引っ込むのを確認してから、龍鬼は小声でバンに話しかける。
「おい、あいつ何だか様子おかしくねぇ? あのおっさんに対して」
「おっさんじゃなくてロアさんな。アキはロアさんが来るといつもああなんだ。アキにとって、ロアさんが父ちゃんみてぇなもんだからよく懐いてる」
「ほんとうにそれだけか……?」
「なにを話してるのかな? 私の話かい?」
ロアが、ひょっこりと二人の間顔を出す。
「あ、いや……そういえば、バンがあんたのことすげぇ強いって自慢してたなぁ〜って……な!」
「え、そんな今そんな話してなーー」
そう応えそうになるバンの耳を、龍鬼は話を合わせろと言わんばかりに引っ張った。
「そうそう! おいらが砂漠でロアさんには何回も助けて貰ってるんだって話をしてたところさ!」
「なんだ、そんなことか。いいんだよ、私がやりたくてやってることなんだから。それに、私は強くない。偉大な守護者様に比べたらね」
そんなことない、と口を膨らませるバンを、宥めるようにロアは笑う。
「ところで、ロアさん今日は飯だけ食いに来たのか? あ、母ちゃんの薬持ってきてくれたの?」
「あぁ、その事なんだけどね。もちろんミヨさんの薬も持ってきたんだけど、もう一つ用事があって来たんだ。バン、君にね」
「おいらに?」
「あぁ」
ロアはそれまでの穏やかな表情から一変、真面目な顔でバンを見つめる。
「君のお父さん――ジルの身につけていた認識票と共に、彼のものと思われる遺書が、砂漠で発見された」