第7話 裸の付き合い
「おぉー! 立派な風呂じゃねぇか!」
龍鬼の眼前には、大人が十数人は余裕で入れるほどの石造りの風呂が、もくもくと湯気を立てている。
風呂の湯は乳白色で、底が見えない。そろりと足を入れようとすると、バンに腕を掴まれる。
「あんちゃん、風呂の前に体を洗うぞ」
「お、そうだな」
「おいらが背中流してやるよ」
龍鬼は鏡の前にある風呂椅子に腰掛ける。バンは近くに溜めてある、体を洗う用の湯を桶に汲んで勢いよく龍鬼に浴びせかけた。
「お、おう……もうちょっと優しく……」
「ん? 何か言った?」
「いや、いい……」
これが当たり前なのだ、と言わんばかりに慣れた手つきでその後数回にわたって湯を浴びせると、次は布状のたわしのようなものに、石鹸を揉み込む。
「良い香りだろ? これも、アモネの実を練り込んであるんだ。これで体を擦るとつるっつるになるんだぜ!」
甘酸っぱい香りが辺りを包み込む。
「確かに良い香りだ。よし、やってくれ」
バンは、布たわしを龍鬼の背中に宛てがい、力いっぱい擦りあげる。
「あだだだだ」
やっぱりか、と龍鬼は痛みに顔を歪めるが、バンは楽しそうにゴシゴシと腕を動かした。
「いっ、痛っ、もういい、ありがとう」
「お? そうか? じゃあ次はおいらの背中を頼む!」
バンは背中を龍鬼に向けた。
そこには、小さな背中を左右に両断するような、深く大きな傷跡があった。
まるで鋭利な刃物で切り裂かれたかのような、しかしおよそ人工物ではなし得ないような傷跡で、その部分だけ肉が抉り取られているようだった。
「――あっ、悪ぃ、あんちゃんに見せたこと無かったな」
恥ずかしそうに背中を隠すバンに、龍鬼は静かに問いかける。
「龍人にやられたのか」
「……うん。おいらはよくその時のことを覚えていないんだけど、七年前アズマに攻め込んできた龍人のうちの一人にやられたらしい。おいらの場合は駆けつけた守護者様が助けてくれたけど、死んだやつは多かったみたい」
「……そうか」
龍鬼は石鹸を手に取り泡立てると、優しく撫でるようにバンの背中を洗う。
「くすぐったいよ、あんちゃん」
無言で背中を洗う龍鬼の顔がどんな表情なのか、バンは振り返ることはしなかった。
「コレを食らった時、あんまり覚えてないんだけど、ひとつだけしっかり覚えてることがあるんだ。おいらはまだ赤ん坊だったアキを守ろうとして、自分から受けに行ったんだ。だからさ、これはおいらがアキを守ったんだっていう、勲章みたいなもんなんだぜ」
「……そうだな」
だから、憐れまないでくれ。そういう言葉が喉まで出かかっているように龍鬼には思えた。
二人はお互いを洗い合うと、ようやく湯船へとむかう。
肩まで浸かると、例えようのない幸福感が押し寄せてきた。
「ずっと思ってたんだけどよ、この国って俺の故郷とそっくりなんだよな」
「あんちゃんの故郷?」
「ああ。この宿の畳とか、家の造りとか。着物だってそうだ。他の国では見かけないから、ここで目が覚めた時はあの頃に戻ったのかと寝ぼけちまったくらいだ」
「驚いた、あんちゃん、畳のこと知ってるんだな。この宿が出来た当初はもっと、よその国みたいな作りだったらしいけど、三代目――おいらのじいちゃんがさ、ここよりうんと遠くの国から仕入れたものらしいんだ。
でもな、ここ最近色んなところがボロくなってきちまってな。交換しようにも、あれはイグサって植物を編み込んで作ってるんだろう? この国にはない植物だから、交換したくてもできねぇのよ」
もしかしたらあんちゃんの故郷から仕入れたのかも知れねぇなぁ、とバンは遠くを見つめる。
「あぁ、そうだな」
龍鬼は穏やかに笑った。
「なぁなぁ、おいら、砂漠に出たことはあっても超えたことはねぇんだ! もっと旅の話を聞かせてくれよ! あんちゃんの家族の話も聞きてぇな!」
「……家族か」
家族、という言葉に、龍鬼の表情が少しだけ翳る。
「もうだいぶ前に死んじまったよ。みんな、な」
「――あ、っと、すまねぇ」
バンがしゅん、と肩を落とすと、その頭をわしゃわしゃと撫でる。
「気にすんな。この世の中、珍しいことじゃねぇからな」
「うん」
バンは、寂しそうに笑う龍鬼に、心がぎゅーっと苦しくなった。
「兄さんーそろそろご飯!」
遠くからアキの呼ぶ声がして、二人は湯船を後にする。
その際、バンは改めて思う。
「あんちゃん、何食えばそんなにでかくなるんだい?」
「……どこを見て言ってやがる」