第4話 アズマの国
まず龍鬼の目に飛び込んできたのは、空をびっしりと埋め尽くす木の枝。所々隙間はあるものの、覆い尽くさんばかりに伸び、絡まりあっているそれらはどこまでも続いているようだった。
枝を目で追っていくと、どんどんと太くなるにつれてあるものにたどり着く。
それは、彼が今までに見てきたどんな大木も苗木に見えるくらい巨大な――そんな言葉では表せないほどの、しかしそれ以外その巨木を表す言葉が出ないほど強烈な存在感を放つ巨木がそこにはあった。
その木に葉はなく、代わりに、赤い枝にぶら下がる真紅の実が、きらきらと妖艶な光を放っていた。
龍鬼が夕日の光だと思っていたものは、どうやらその実から発せられる光が見せていたものらしく、その証拠に、枝の隙間から伺える空の色は既に真っ暗になっていた。
「ははっ、何度見てもその顔は飽きねーな!」
その美しいとも感じる光景に、龍鬼のぽかんと口を開けた間抜けな顔を見て、バンはケラケラと笑う。
「商人も旅人も、初めてこの国にやってきた奴らはそろってそんな顔をするんだ。この国の連中はその顔見たさに、入国する際目隠しをさせるやつも居るくらいだぜ」
「……悪趣味だな」
「ま、この『アモネの木』だけを目的にあの砂漠を超えてくるもの好きもいるくらいだからな。お互い様さ。
さ、大門はこっちだぜ」
龍鬼の着物の袖を引っ張り、バンはグイグイと歩く。
引かれるまま歩いている中、龍鬼は周りをキョロキョロと見渡す。
通りは屋台が軒を連ね、それらに列を作る人々で賑わっていた。様々な肌の色、髪の色、装いもまるで統一感が無かった。中には馬車を引き荷台には多くの荷物を抱える商人もちらほらと見える。
「だいぶ賑やかだな。祭りでもやってるのか?」
「いーや、ここは年中この調子さ。砂漠を超えた南にある『水の都ミストシア』、東にある『ルファラミア国』、北にある『ケルターニャ大陸』に向かう旅人や商人たちは物資の補給を兼ねた休息を取るために必ずアズマに立ち寄るからな。
ただ、西の帝国アレストロからの入国は原則受け付けていないんだ。話したろ? 七年前のあの戦争……あれは、アレストロが仕掛けてきた侵略戦争なんだ。あれ以来、入国にはかなり厳しい検査がされるようになった」
「ん? 俺はそれ受けてないぞ」
「もちろん例外もあるさ。病人やけが人なんかが運ばれてくるのはこの国にとっては日常茶飯事だからな。あんちゃんももれなくそれに当てはまった。ただの行き倒れだけどな。砂漠には鱗人が歩き回っているし、持病を抱える者達がアモネの実を求めてやって来ることもある。ほらあれ、見えるだろ? あの枝に生ってる赤い珠。あれはアモネの実と言って、多くの病を治す薬にもなるんだ」
それをお前の母親に使わないのか、という言葉が喉まで出かかったが、恐らく「薬が効かない」というのは、アモネの実でさえその病を癒すことは出来なかったということだろう、と龍鬼は察した。
「そういえば、この国は過ごしやすいな。暑くもなく、寒くもない。砂漠で夜を迎えたときゃ、凍え死ぬかと思ったくらいだぜ」
「それもアモネの木の恩恵のひとつだぜ。昼間は太陽から枝が守ってくれて、その時に吸収した熱を、夜はアモネの実が放出して温度を一定に保っている……って、昔父ちゃんが言ってた」
「ほぉ、万能だな」
「しかも、アモネの実を熟成させて絞った果汁は美味い酒になるんだ。それを与えて育てられた家畜の肉は絶品だぜ」
そうやって、龍鬼は少しずつこの国についての知識をつけて行った。
「そら、見えてきたぜ」
バンが指を指すその先には、アモネの木程では無いにしろ、大きな鉄製と思われる門が構えていた。そして、そこから横へ横へと背の高い壁が続いており、木の枝はそこで伸びるのをやめているようだった。
「大門のそばにある小屋で、両替が出来るぜ。おっと、最低でも十万モネ(一モネあたり一円)は持っとけよ。あんちゃんにはきっちり食ったもんの金を払ってもらわねえとな!」
わかってる、何度も言うな、と龍鬼は懐の財布を取り出す。そしてそれをバンに手渡した。
「好きなだけ両替してこい」
「あんちゃん……!」
バンは感動したように龍鬼を見上げる。だが、そのあと表情を曇らせ、財布を彼に返した。
「ありがとう、あんちゃん。でもすまねぇ、おいら、あそこには行けねぇんだ」
「なんだ、訳ありか?」
「おいら、嫌われてるんだ。詳しくは言いたくねぇけど、この国中からおいらたち家族は除け者扱いされてんだ」
言われてみれば、と龍鬼は周囲からたまに浴びせられる視線と、こそこそと口を隠しながらこちらを見て何かを話している人々を見かけたことを思い出す。
「てっきり、俺の眼帯と見なりに対してかと思ってたが……そうか、お前嫌われ者なのか」
龍鬼はにっこりと笑うとバンの頬を軽く抓った。
「なんで嬉しそうなんだよっ」
バンはその手を払いのけ、ふてくされる。
「俺も似たようなもんさ」
「え……」
ここで待ってろ、行ってくる。と、龍鬼は右手をひらひらとバンに振りながら、両替屋へと歩いていく。その背中を、バンは、じんわりと胸の奥が温かくなるような不思議な感覚を覚えながら見送った。