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羊の群れの横を通り抜けて三人は突き進んで行くが狼には未だ辿り着かない。
「どれだけ離れているんだ。族長ん家からもうだいぶ離れているぞ」
とイズチは苦言を口にした。それに応じる様に
「本当に技術とやらでここまで遠くの狼を探ることができるのか?」
と、ジャックも言う。
バッシブの特技を何度も見ているイズチはともかく、ジャックは
(本当はさっき言っていた技能などというものは無くて、草原を真っ直ぐ進んでいればいずれ狼の群れに遭遇するだろうという事ではなかろうか)
と少し疑い始めている。
が、バッシブの遊牧民としての能力が本物であることも事実だった。
先程から、バッシブが彼らの話に混ざってこない理由は、ひとえに彼があまりにも先行しているからであった。ジャックとイズチも馬の扱いには長けているが、そんな彼らを遥か後方に置いて行く程に族長は馬の扱いに長けているのである。
そのバッシブが突然馬を停止させた。
数分後に二人がようやく彼に追いつくと、そこから少し離れたところに狼の群れが見えた。
先程彼が言っていた通り七頭の群れである。
(本当にいたのか、しかもこの場所は確かに羊達に気づいて襲うか襲わないかのギリギリの位置だ)
と思ったのも束の間、バッシブは
「子狼二匹は殺すなよ、行くぞ」
と行って馬を走らせて行き、そのスピードを維持した状態で狼へと矢を放った。
矢は正確に狼の頭部を射抜き、一撃で死に至らしめた。
ジャックとイズチも騎射は出来たが、射る際にはやや速度を落とさなければ命中しない。さらに、仕留めるまでには数発を要した。
結果、バッシブが四頭、ジャックとイズチが協力して一頭を倒した。
「何で全て倒さなかったんだ?」
と、終わった後にジャックはバッシブに尋ねた。
「サカノの伝統だから、と言えばそれまでだが害を為す狼にもそれなりの役割があるからだろうな。もし、狼が絶滅すれば羊や山羊や馬などが爆発的に増える。これは俺たちにとって一見いい事の様に思えるが、そうなった場合増えた家畜が草を食べ尽くす事になるから、草原はかなり砂漠化が進行するだろうな。砂漠化した牧草地を元に戻す事は難しいから最終的には遊牧民も不利益を被る事になる。それを避けるためにこの伝統が出来たんだろう」
と、弓を馬腹の袋へとしまいながらバッシブは答え、重ねて、
「何か用事があって来たのだろう。戻って話を聞こう」
と、言って馬首を自分の集落の方へと向けた。
再びジャックとイズチはバッシブの後を追う形でついて行くがとうとう追いつく事は出来なかった。
集落へと戻ると、イズチはそのまま
「サリスへ行く」
と言って別れたので、ジャックはバッシブと二人きりになった。
二人はイズチと別れた後、幕舎へと入って行く。
入ってすぐ、バッシブは
「せっかく来たんだから何か作ってやろう」
と、言って牛肉を焼いて少し塩を振った物をジャックに出した。
それは、彼がたまに食べている牛肉とは違い、味が薄い代わりに独特の風味があった。食べている感じはどちらかと言えば牛肉というよりも羊肉に近いだろう。
「食感は牛肉だが、味が羊肉の様だな」
と、ジャックが素直な感想を述べると
「餌にしている物で肉の風味は結構変わるものだぞ。お前の国では牛の飼料は干し草かもしれないが、サカノでは草原に生えている草を与えている。それが風味が違う要因の一つだろう」
と、バッシブは懇切丁寧に説明した。
が、これは本題ではない。
「ところで、今回はどんな要件でここに来たんだ?」
と、バッシブは話を切り出した。
ジャックは早速、
「ラヴィスヴィーパ国王レックス・ノスアーティクルを倒す。その支援をサカノの族長の一人であるあんたに頼みに来たんだ。報酬はアトモ・フィリオの富裕層が持っている金銀財宝でどうだ」
と言ったが、
「無理だ。確かにあの国は全盛期と比べると見る影もない程落ちぶれてはいるし今なら勝てない事もないのだろうが、俺たちの先祖は何度もあの国に負けている。積年の恨みが消えたわけではないが、戦う気がしないんだ。そもそも、アトモ・フィリオは元々防御に徹した町だったはずだ。外から攻撃してそう簡単に落ちるものじゃない」
と即答された。
「当時と今とでは状況が違う。建物のデザインこそ当時とそれほど変わらないが、今は平和ボケした連中が自主的に町を要塞から商業施設へと造り変えている。それに、今仲間に頼んで奴隷が反乱を起こしやすい土壌を作って貰っている最中だ。まぁ、懸念と言えばレックスとその騎士団、あとは奴が住んでいる城塞だが、城の方は修繕されていない箇所も多いらしい」
すると、確実に勝つあてが少しはあると知ってバッシブは
「城はともかく、王は本当に懸念材料なのか? ラヴィスヴィーパでは稀代の無能と噂になっているんだろう?」
と、少し意欲を見せるような発言をしたが、逆にジャックは少し返しに困った。
レックスが無能であるという風潮はラヴィスヴィーパの商人が、国は奴隷を助けてくれないという意識を奴隷達に植え付けるために流しているデマであり、実際のところはなかなかの人物であるという事を彼は知っている。
その事は比較的情報に通じたバッシブも当然知っていると思って、それ相応の返しを考えていたのだが、どうも彼は知らないらしい。
しかし、その事について教えてしまった場合、せっかく出し始めたやる気が消えてしまう可能性があったため、
「確かに危惧するほどではないかもな」
と、ジャックは言った。
が、まだバッシブは完全には乗り気にならない。
「他に協力者は?」
「サヴルム王国からは協力を得ることができそうだ。その事について認められた書簡も得ている。それと、俺と同じ程の魔法を使える者が仲間にいる」
そう聞いて、バッシブには光明が見え始めた。
彼もジャックの魔法を知っており、あれ程のものを使える仲間がもう一人いるのであれば、国の一つや二つを落とせてもおかしくはないと考え始めたのである。
「そういうことなら協力する事を今度の族長同士の会合で提案してみる。ただ、それが通るかどうかは分からない。結果はイズチを通じて伝えるがあまり期待はしないでくれ」
そう言うと棚にあった葡萄酒を取り出して、二つの器へと注いだ。
その内片方をジャックに渡す。
二人は乾杯すると、一気にそれを飲み干した。
その後、ジャックはサヴルム王国で貰った書簡に書いてあった事を別の紙に模写してバッシブに渡すと、馬に乗ってサリスへと戻っていった。
さらに彼は帰路の途中、偶然アトモ・フィリオから帰る途中のアイラと会い、彼女から
「武器は大方ばら撒き終わったよ、ただ、騎士団には同行を把握されているかもしれない」
という報告を受けた。
(騎士団か、人数が少ない上に城から中々離れられないから少し侮っていたが、もう少し警戒する必要があるかもしれんな)
ジャックは対策を考えつつ、アイラとは別々にインスラへと戻って行く。




