そのろく。
「アタシ、この俳優すきなのよ」
新田さんの言葉につられ、私はテレビ画面を見た。画面に映っているのは、最近映画の番宣によく出る俳優だ。芝居からバラエティまでこなすマルチな人である。新田さんは乙女な瞳で画面を見つめ、
「なんせ北海道出身だし。一生懸命でかわいいわよね〜」
「新田さんの好みですか」
天パが好きなのだろうか。
「好みってないのよね、アタシ。割とストライクゾーン広いから」
「元カレと似てるとか?」
「いや、まるで似てないわね」
私は、新田さんと出会うまで異性と付き合ったことがない。新田さんは、何人か恋人がいたみたいだ。ちなみに、男の。
「なにを言っとるか、嫁さんの前で」
新聞紙越しに、権三さんの声が飛んできた。新田さんが反論する。
「まだ嫁じゃないわよ。式もしてないし」
そうだった。私たちはテレビを見ていたわけではなく、結婚式について話し合っていたんだった。ここは新田家の居間。現在、家族団欒の最中だ。
いや、私はまだ家族じゃないけど。
季節は十二月、しばれる寒さ。私、小城妙子は、オネエにして元同僚の新田一馬さんと、二ヵ月後に結婚します。
★
「そろそろこっちに来ない?」
新田さんからその電話が来たのは、二週間前だった。私は勤めていた会社を退職し、引っ越しの手配などの事後処理などをしていた。新田ファームの跡継ぎである彼と結婚するには、やはり会社を辞めて北海道に行かざるを得ないのだ。
「はい。新田さんと会えないの、寂しいし」
私はそう答え、ひとりで赤くなった。甘い雰囲気が漂うかと思いきや、新田さんは辛い球を投げてきた。
「またお菓子をバカぐいしてるわけ?」
「バカぐいなんかしてません」
「アンタ、あんまり食べてばっかりいるとドレス着れなくなるわよ」
新田さんがそうくさした。私はむっとする。乙女心を雑に扱われたので機嫌を損ねたのだ。新田さんはオネエだが、やっぱり男のひとなのだなとこういう時に思う。
「いいです。カーテンとか巻きつけますし」
「カーテン?」
「少女漫画とかでよくあるじゃないですか。ライバルに衣装を破られて、カーテンをぐるぐる巻きつけるんです」
「えらくレトロね。いつの少女漫画よ」
「ガラスの仮面とか……」
「ないわよそんなシーン」
なかったっけ。ありそうだけど。
「とにかく早く来て。親がうるさいのよ、アンタが嫌気さして逃げたんじゃないかとかさ」
「新田さんが寂しいとかじゃなく?」
「アタシはべつに寂しくないわよ。牛がいっぱいいるから」
私はまたまたむっとした。こういう時は嘘でも寂しいって言うものではなかろうか。それに、牛と比べるなんてひどい。
「……」
「はいはいさみしいわよ!」
新田さんは苦い口調で、
「アンタ面倒ね。記念日とか気にするタイプでしょ」
「はい、わりと」
「はあ……頼むわよ」
「新田さん、最後にすきって言っ」
通話が切れる。私はスマホを見て、唇を尖らせた。
そんなわけで、私は何度目かの新田家訪問を果たしたのである。いや、暮らしているのだから訪問ではないか。新田父母はニコニコ顔で私を出迎えてくれた。その夜の夕飯はきたあかりを使ったコロッケ(べらぼうに美味しい)だった。
「妙子さんは一馬と同じ部屋でいいわよねえ?」
新田母──正美さんが、にこやかに問いかける。
「え、あ……」
新田さんをちらりと伺うと、
「別にいいけど。妙子もプライベート欲しいでしょ」
彼は無関心に答えた。
「わ、私は、べつに」
「とりあえず、お風呂入って」
私は正美さんのススメに従い、浴室へ向かう。頭を拭きつつ、ドキドキしながら部屋に入った。新田さんと最後までしたことはない。もしかしたら、今日は……。べつに、期待しているわけじゃない。新田さんに、無理させたくないし。
新田さんは、布団の中で本をめくっている。
「何読んでるんですか?」
「藤沢周平」
新田さんはそう答え、ちらりとこちらを見た。手を伸ばして、私を抱き寄せる。
「わ」
「べったべたじゃない。アンタどんだけ女子力低いのよ。ちゃんと拭きなさいよ」
頭をわしわし拭かれ、私は抵抗した。
「自分でやりますよ。藤沢周平読んでください」
「やれてないでしょうが。風邪ひくわよ」
背中や、頭に新田さんの体温を感じ、私は胸を高鳴らせた。触れ合うのも、久しぶりだ。もっと、触りたい。私の頭を拭き終え、新田さんはタオルを下ろす。
「はい、ふけたわよ」
私は、新田さんの寝間着を掴んだ。
「なに」
ぎゅっと抱きついたら、新田さんがふ、と笑う。
「なんで笑うんですか」
「あんた、コアラみたいね」
「コアラじゃないです」
「可愛いじゃない、コアラ」
新田さんが、私のお腹に手をはわした。
「ん、なんで、いつもお腹触るんですか」
「弱いから」
「ん」
新田さんの唇が、私の唇に触れる。キスされて、お腹を触られてるだけなのに、身体がじん、と熱くなった。
「新田、さん……」
「なに」
「もっと、触って」
彼が目を細める。
「やらしい」
新田さんの手が、上の方へ動く。私は、彼の手をぎゅっと握りしめた。足を動かすと、シーツのシワが寄る。皮膚の上を、新田さんの手が滑る。耳元で低い声が響いた。
「声押さえて。父さんたちがいるから」
唇を噛んで、漏れそうな声を飲み込んでいたら、新田さんの唇が降ってきた。
こうやって、触れ合うことはある。それだけでいいって、思っていた。そばにいるだけでいいって、そういう関係もあるんだって、私はちゃんと納得したんだから。
新田さんは、女の子としたいとは思わないだろうから。だから私も、もっとって言えない。もっと新田さんがほしいって、言えないのだ。
★
青空に、三角の屋根が突き出している。古そうな鐘楼が見えるけど、あれは飾りだろうか。
「人生で一番、ありえない場所に来てるわ」
新田さんは、教会を見上げてつぶやいた。
私と新田さんは、結婚式場の下見に来ていた。入り口にポスターが掲げられていて、新田さんがじっとそれをみている。
「新田さん、ドレス着たいんですか?」
「べつに着たかないわよ。こういうの、オトコが写ってた試しがないのはどうしてなのかしら」
「男女差別ですかね。男性でもドレスを着て写る世の中になるといいですね」
「いや、ドレス云々じゃなくてよ……でも、ポスターになるポイントはドレスかしら、やっぱり」
「新田さんがドレスを着るなら、私はタキシードでもいいです」
「だから着ないっつーの。アタシがドレス着たら親が失神するわよ」
「似合うと思いますが」
「アンタ、アタシをどうしたいわけ」
「女物の服、着たいと思ったことないんですか?」
「なくはないけど。綺麗なものは好きだしね」
俄然、ドレスを着た新田さんを見たくなってきた。チャイナドレスとか似合いそう……。ドレス違いか。なんか、やらしい。もやもやと想像していたら、新田さんが私の肩を叩いた。
「ちょっと、黄昏んじゃないわよ」
「あ、すいません」
つい妄想に浸ってしまった。
「さっさと行きましょ」
新田さんが私の手を握る。私は赤くなって、新田さんと一緒に歩きだした。ウインドウに、手をつないでいる2人が映る。私たち、お似合いじゃない?
途中、何人かのカップルとすれ違った。男の人がどれだけいても、新田さんはやっぱり、どんな人よりかっこいい。
二人してフロントで待っていたら、スーツ姿の男性がこちらにやってきた。
「新田さま、お待たせいたしました……」
彼は新田さんを見るなり、目を見開いた。
「一馬?」
新田さんも呆気にとられている。
「……アンタ、何してんの?」
「なにって、ここで働いてる」
彼は爽やかに笑った。私は二人を見比べる。
「あの……」
「大学の同級生だった、橋本純也」
新田さんは、男性をそう紹介した。特別目立つ容姿ではないが、すらっとしていてモテそうなタイプだ。
「アンタ、なんで北海道にいるのよ。東京で資産家の娘と結婚したんじゃなかった?」
新田さんの問いに、純也さんが答える。
「別れてバツイチ」
「そんな奴が式場に勤めてていいわけ?」
この二人、絶対ただの同級生じゃない。私はそう確信していた。だって新田さん、さっきから全然、純也さんと目を合わさない。それに、新田さんは親しいひとにほど辛辣になるのだ。
「まさか一馬と式場で会うとはね」
純也さんは笑う。
「名前で呼ばないでくださいます? こっちは客よ」
新田さんはそっけなく返す。
「失礼いたしました」
彼は丁寧に頭をさげ、私に微笑みかけた。
「可愛らしい彼女さんですね」
「アラ、羨ましい?」
「ええ。なにせバツイチですから」
それを聞いて、新田さんの瞳がふっ、と暗くなった気がした。気を取られていたら、純也さんがパンフレットを差し出してきた。
「式のご予算はどれくらいを考えてらっしゃいますか?」
新田さんが問う。
「一般的にはどれくらいなの?」
「そうですね……こちらでしょうか」
純也さんが値段を指差す。
「うわ、たかっ」
新田さんと純也さんは、何事もなかったかのように会話しだす。
なんだか、二人を覆う見えないベールに、阻まれているような気がした。