にったさん。
アタシが男を好きだと気付いたのは、中学生の時だった。友達と公園でだべっていたときに、ベンチに置かれていたやらしい雑誌を見つけたのだ。
友達は、雑誌に載った半裸姿の女を見て興奮していた。だけどアタシは、どうも食指が動かなかった。
その時は、まだ自分の気持ちがはっきりとは分からなかった。たんに、好みじゃなかったからだと思っていたのだ。
プールや着替えが恥ずかしいと思うのは、自分が神経質だからだ、と。
はっきりしたのは、クラスの女の子に告白された時だろう。
アタシは彼女からの告白をオッケーした。だってその子は、クラスいち可愛い子で──断るような奴は頭がどうかしているからだ。
そしてアタシは、校舎裏でその子とキスをした。キスはできたのだ。だが、その先は無理だった。なぜだろう。キスとそれ以上。その二つは、大きく違うのだ。
そんなアタシだけど、なぜか女と結婚することになった。まあ、男とは結婚できないわけだけど。
アタシの婚約者は、元同僚の小城妙子だ。妙子は、当世の女にしては垢抜けないというか、キャピキャピ感がない。可愛くないわけではないが、地味で女子感が少ない。一人で焼肉とか行きそうなタイプだ。
「新田さん、結婚式はなしにしましょう」
くだんの小城妙子が、こちらを見つめて言う。アタシは彼女を見返して、
「なんで」
「色々大変ですし、最近結婚式をしない夫婦も多いそうです」
まあ、不景気だしね。
「アンタ、呼ぶ友達がいないんでしょ。だから結婚式したくないのね?」
そう言ったら、妙子がムッとした。
「そんなんじゃないです」
「じゃあなんでですか?」
口調を真似したら、ますますムッとする。わっかりやすい。
「新田さんこそ、友達いるんですか?」
「地方民なめないでよ。親戚一同呼んだら、友達なんざ呼ぶ余裕ないわよ」
アタシはそう言って、妙子を眺めた。ヘアバンドをしているせいで、白いおでこが出ている。またニキビできてるし。
妙子が北海道に行く金がないとか嘆くから、アタシが会いに来てあげたのだ。
数時間前、飛行機に乗ること三時間。アタシはセントレアから名鉄に乗り、名古屋駅へ降り立った。行きたくない街一位の名古屋。まあ、確かに見渡す限りビルしかない。
ただ名古屋は政令指定都市だし、某自動車会社もあるから、観光地化する必要なんか全然ないと思うけど。
名古屋がいいって言ってるわけじゃない。ゴミゴミしてて、やたら車が多いし。道路は馬鹿みたいに混んでるし。
なんだかんだいってアタシは、地元のほうがずっと好きだ。
アタシはタクシーに乗り込み、すぐさま小城妙子の住むアパートへと向かった。
すっぴんの妙子は、玄関に立つアタシを見てぽかんとした。アタシは、てろてろの寝巻きを身にまとった彼女を眺め、ふん、と鼻を鳴らした。
「日曜だからってたるんでるわねえ」
そう言ったら、妙子が真っ赤になって部屋に引っ込んだ。アタシはドアをどんどん鳴らし、
「ちょっと、寒いんだけど?」
「ま、待ってください」
物音がした後、妙子が再び出てくる。彼女は、暖かそうな部屋着に着替えていた。
「あら、着替えたの。別にあんたが裸だろうが、気にしないけど」
「いいから、入ってください」
妙子は恥ずかしそうに言い、アタシを中に促した。
「あー、さむ」
アタシは手を擦り合わせながら、部屋の中に入る。初めてきた妙子の部屋を見回し、
「アンタ、さみしー部屋に住んでるわねえ」
「文句言ってないで、座ってくださいよ」
妙子はそう言って、コーヒーを入れた。アタシは、コーヒーを受け取り一口飲む。
指が触れ合うと、妙子の目尻が赤らんだ。なんかこっちまで恥ずかしいんだけど。
コーヒーを飲みながら、だらだら話す。妙子はアタシがお土産に持ってきたキャラメルを食べて、顔をほころばせた。
妙子といると落ち着く。なんでだろう。まあ、好きってことなんだろうけど。未だに妙子に妬いたってのが信じられない。他の奴に取られたくない、なんて。
だってアタシは、生まれてこのかた女に欲情したことがない。本来神崎くんに好かれた妙子を羨む側だ。
じゃあなんで結婚する気になったか? アタシもよくわからない。
子供じゃないんだから、プラトニックな恋愛なんてありえない。アタシだってそんなことわかってる。妙子だって、経験がないなりに理解してるはずだ。だから、せいぜいキス止まりのアタシたちの関係は、相当おかしいのだろうと思う。
「新田さん、今日泊まりますか」
「そうね。布団ある?」
「はい。干しときますね」
妙子は布団をベランダに干し、布団たたきで叩いた。なんなの、この所帯感。
「夜、新田さんが好きなもの作りますね」
「できんの? あんた料理下手じゃない」
「はい。なんでも言ってください」
得意げな顔を見ていたら、いじわるしたくなった。
「ビーフストロガノフ」
「……」
妙子が真顔になる。
「ジョーダンよ。親子丼」
そう言ったら、彼女がホッと息を吐いた。
「それならできます」
台所に向かった妙子を見送り、アタシはスマホをチェックする。ふと、雑誌に挟まれるようにして、文庫本があるのに気づく。何気なく手に取りめくると、漫画みたいなイラストが載っていた。しかも、やらしい感じの。内容もなんかやらしい。
「……」
アタシは素早く本を元に戻した。まあ、妙子だって一応大人の女だ。色々あるのだろう。見なかったことにしよう。
にしたって。妙子もやっぱりしたいのだろうか。そういうことには淡白に見える。なんせ処女だし。
中学のとき、付き合っていた女の子と途中までした。
それを思い出す限り、残念だが期待には答えられそうになかった。
男と女の違いはなんだろう。昔、何人かの男と、付き合ったことがある。男と寝るのは容易くはないが、精神的にはずっと満たされる。
しかし、彼らとも結局別れた。同性愛者は、誰かと別れたら、次の出会いがなかなか無いから、一人と長く一緒にいることが多い。誰だって、寂しいのは嫌だから。
それでも結局、いつかは破綻してしまうのはなぜだろう。
カムフラージュで女と結婚する。かつて、そう言った男がいた。 本当に好きなのは一馬だけだ。彼は、そう言った。ふざけている。結婚相手にも同じことが言えるの? アタシはそう尋ねた。彼は何も答えなかった。
世間体や、親の期待。出世のための結婚。打算が働くのも仕方ない。大人なのだ。ただ好きというだけでは動けない。
結局身体を重ねるかどうかは、長く関係を続けることと、あまり関わりがないのかもしれない。性別という壁も。
「新田さん?」
声をかけられ、アタシは顔をあげた。ちょうど、夕飯の親子丼を食べていた。
「美味しく無いですか?」
不安そうな顔。
「普通」
そう言ったら、唇を尖らせた。
「うそよ。美味しい美味しい」
「なんか、適当です」
妙子は不服げだ。この子は、ただアタシが好きだという気持ちだけでぶつかってきた。それが眩しくて、痛々しかった。遠ざけるべきだと思って、だけど離れられなかった。ちょっとだけ、そのまっすぐさが憎らしくもあった。
今は、愛おしい。それはかつて感じた恋心に比べたら、随分穏やかな感情だった。
おかわり、と言ったら、彼女は嬉しそうな顔でごはんをよそった。
★
その夜、アタシと妙子は、布団を並べて眠りについた。まどろんでいたら、妙子が遠慮がちに、新田さん、と声をかけてくる。
「そっちに行ってもいいですか」
「……いいけど」
妙子はこっちにやってきて、ごそごそ布団に潜り込む。そうして、アタシにぎゅっと抱きついた。やわらかくて、暖かい身体。髪から香る、シャンプーの匂い。なんだかむずがゆい。
「ねえ、アンタ、したくないの?」
「……わかんないです」
新田さんとくっついていたいけど、それ以上をしたいかはわからない。妙子はそう漏らした。
「いや、結婚式の話なんだけど」
アタシがそう言ったら、妙子がかあ、と赤くなる。ちょっとぞくっとした。
「なんだと思ったの? 欲求不満なのね、アンタ」
「ちが、います」
アタシは妙子の背中をゆっくりなぞる。
「ん」
パジャマの下に手を潜り込ませたら、彼女が小さくふるえ、アタシの袖口を掴む。
「新田、さ……」
「なによ」
「手、だめ」
「なにが?」
意地悪く囁いて、妙子のパジャマを引っ張る。あらわになった鎖骨に、唇を押し当てた。
「ん」
パジャマをめくりあげたら、白い腹があらわになる。暗闇に、妙子の潤んだ瞳が光った。
「なんか、あんたやらしいわね」
「新田、さんのほうが」
「アタシは清らかよ」
妙子の腹を撫でたら、彼女が恥ずかしそうに目を伏せた。
「や……」
「お腹、相変わらず弱いわね」
妙子が息を吐き、こちらを見上げる。アタシは、妙子の唇を食んだ。
「ん」
「かわいい」
唇を離し、囁いたら、妙子の目が潤む。
「新田、さ」
彼女は途切れるように言い、アタシにしがみついてくる。アタシは、手を下におろし、少しだけ妙子の熱に触れた。
妙子は身体を震わせて、シーツをぎゅっとつかむ。余裕をなくした妙子に、アタシは問いかける。
「結婚式、したい?」
「ん、で、も……」
新田さん、したくないんじゃないかって。妙子は小さな声で言う。アタシはいい。妙子がどうしたいかが問題だ。
「したい、って言って」
妙子は、震える声で言う。
「し、たい、して……」
アタシは妙子に欲情はしない。だけど妙子の熱さは、アタシにも伝染した。唇を重ねて、舌を絡める。妙子はアタシにしがみついて、くぐもった声を漏らす。
やがて、妙子の身体がびくんと震えた。妙子は息を吐きながら、潤んだ瞳でアタシをみつめる。
「新田さん、は」
アタシはいい。そう答えた。そっと、服を治してやる。
「おやすみ、妙子」
唇をまぶたに当てたら、妙子が緩やかに目を閉じた。
「おはよう、ございます」
翌朝、アタシが洗面所で顔を洗っていたら、妙子が、まるで処女を捧げたみたいな顔で近づいてきた。やめなさいよ、その顔。
「鳥の巣頭」
揶揄したら、彼女がばっ、と頭を押さえる。
「こ、これは……ムースつければ、治ります」
「暴れるからそうなるのよ」
「だって新田さんが」
「アタシが?」
横目で見たら、妙子が真っ赤になる。アタシはくす、と笑い、妙子の髪を撫で付けてやった。
「アンタ、またニキビできてる」
「だって、新田さんがいないと、寂しくて、つい甘いもの食べちゃって」
かわいいこと言うわね。アタシはこういうところに、ほだされてしまったんだ。
「じゃあ甘いもの、いっぱいあげるわ」
唇が合わさると、妙子がきゅっと袖を掴んでくる。
アタシは妙子としたいとは思わない。女を抱きたいと思ったことはない。
だけどもし妙子が望むなら、いつかその壁を越えるのかもしれない。性別がどうとかいうことを越えて、妙子と愛し合うのかもしれない。
ゆっくり進めばいい。今はまだ、アタシたちは夫婦未満なのだから。
とりあえず完。あと夫婦編を書きたい。