そのいち。
やっぱりくっつけたかった。
昔読んだシンデレラの絵本には、かぼちゃの馬車が描かれていた。それを見て思ったものだ。こんなにでっかいかぼちゃが、あるわけないよね、って。
「アンタほんと、夢のない女ね」
新田さんが言う。
「そんなことないと思いますが」
私はそう答えた。だって現実的に、でかいかぼちゃに乗りたいかどうか考えてほしい。私は乗りたくない。絶対乗り心地が悪い。大体、ガラスの靴って歩きにくそうだし、ものすごく靴ずれしそうだ。
隣に立つ新田さんは、雑誌から抜け出て来たモデルのような佇まいである。彼はサングラスを外して、目を細めた。雑誌の裏によく載っている、焼酎の広告みたいだ。
「あんなもんですよね、あったとしても」
私はそう言って、目の前のかぼちゃ畑を指差した。北海道の地中から全て養分を吸い取ったような大きいかぼちゃが、でん、と植わっている。
「あんまりでっかいと、中身がスカスカになんのよ」
「さすがですね」
「何がさすがよ。考えりゃわかるでしょ。馬鹿なの?」
この口の悪い男は、私の元同僚にして、現在は酪農家の新田一馬だ。女のように喋っているが、れっきとした男である。新田さんは第三の性──いわゆるオネエであった。
時は10月21日。私は、新田さんの故郷にして、食糧自給率200パーセントの北海道に来ていた。
なんでかというと、彼の実家──新田ファームにお呼ばれしたのである。
それは、一週間ほど前のことだった。
「アンタ、10月28日ヒマ?」
その問いに、私は目を瞬いた。ちょうど、自宅アパートで篠田丼を食べているときに、新田さんから電話がかかってきたのだ。私はスケジュール帳を開き、空白を確認した。
「はい、なにもないですよ」
そう答えたら、なぜか馬鹿にされる。
「土日なのに? ハア~、悲しいわねえ」
ムッとしていたら、
「じゃあ、ウチ来ない?」
「ウチ、って」
「北海道。飛行機代出すから」
そこまでして実家に来いとは。なんだろう。私は篠田丼を咀嚼して、ハッと目を見開いた。
まさか……ご両親に挨拶、とか。いや、まさか。私がぐるぐる考えていたら、新田さんが不審げに問うた。
「ねえ、ちょっと聞いてんの」
「は、はい、聞いてます。行きます!」
私は慌てて返事をした。そんなわけで、新田さんのおごりで、北の大地へと旅立つこととなったのである。
私は、新田さんに一度振られている。それなのに呼ばれたらホイホイ行くのは、まだ未練があるからにほかならない。ほんのちょっと可能性があるのでは、という思いが根底にあるのだ。新田さんに言ったら、「そんなもんはない」と一刀両断されそうだが。
名古屋から北海道までは、飛行機で三時間ほどかかる。旅行鞄を持って、帯広に降り立った私は、JRに乗り幕別町へ向かった。ホームに降りたち、新田さんに電話をかける。
「ああ、ついたの。迎えに行くから待ってて」
「ありがとうございます」
私は通話を終え、構内にある待合室にて新田さんの到着を待った。構内には、地元球団に入団して久しい、大型新人のパネルが飾られている。
彼は日本に収まる器ではないから、じきに海外へ行ってしまうことだろう。広く羽ばたいてほしいものだ、と私は思った。
持ってきた文庫本でも読もうと、鞄を探る。本屋で見かけて、買ったはいいが、読みそびれていた本を取り出した。本に没頭すること数十分、視界がふっ、と暗くなる。
「久しぶり」
その声に、顔をあげる。長身のイケメンが目の前に立っていた。サングラスをかけている。一瞬誰かと思った。
「あ、新田さん」
「あ、ってなんなのよ」
数ヶ月ぶりなので、全然変わっていない。相変わらず男前だ。
新田さんはサングラス越しにジロジロ私を見て、
「アンタ、相変わらず肌荒れてるわね。アタシがあげたビタミン剤、ちゃんと飲んでんの」
「飲んでますよ」
「どうだか。ま、いいわ。行きましょ」
新田さんは、私の旅行鞄を奪い取る。
「あ、自分で持ちます」
「いいから」
さっさと歩いて行く新田さんに、私は急いでついていった。
新田さんのご実家は、かの有名な十勝平野にある幕別町というところだ。幕別町にある50農家のうちひとつが、新田ファームなのであった。なんでも、近所の酪農家とは、自動車で二時間くらい離れているらしい。
どうやら近所の概念が、名古屋とは違うようだ。同じ地球、それも同じ国だと言うのに、北海道の空はなぜこんなに澄んでいるのだろう。やはり空気が綺麗だからだろうか。
私がぼんやり窓の外を眺めていたら、運転席の新田さんが口を開いた。
「ちょっと休憩していい?」
「あ、はい」
新田さんは、広い道の傍らに車を止め、降りる。やはり名古屋に比べると寒い。私は身体にストールを巻きつけ、目の前に広がる大地を見渡した。土の上、オレンジ色のコンバインが駆動している。カレンダーにしたい雄大さだ。
「見渡す限り平らですね」
「北海道の面積、愛知の16倍らしいわよ」
「マジですか」
さすがはでっかいどう。
「道内でも飛行機で移動したほうが早かったりするしね」
「買い物とかどうしてるんですか?」
「まとめ買い。まあ、食料には困らないし」
なるほど。
そしてぶらぶら歩いていた私は、かぼちゃ畑を発見し、冒頭に戻るのだった。
かぼちゃ談義をしたのち、のどかな道中を車で行くこと三十分、新田ファームに到着した。首にタオルを巻いたおじさんが、一輪車で藁を運んでいる。車から降りて来た私と新田さんは、おじさんに近づいていく。
「ただいま、父さん」
おじさんは私たちを見比べ、ぽかんと口を開けた。
「一馬、おまえ……」
新田さんは気だるそうな口調で言う。
「あー、勘違いしないで。ただの元後輩よ」
キスしたけど。私は心中で付け加える。考えてみたら、新田さんのあの行動って結構ひどい気がする。実際、あのキスのおかげで、私は未練がましく新田さんに片思いを続けているんだし。きっぱり振られたのに、99パーセント叶わない恋をしているのだ。
「はじめまして、小城妙子です」
私が頭をさげると、おじさんが帽子を脱いだ。
「ああ、新田耕三です。一馬の父です」
この人が新田さんのお父さん──。日焼けした肌に、無精髭。背も低いし、一見あんまり似ていない。目元あたりは、結構近い雰囲気かも。
「女の子が来るなんて聞いとらんぞ」
耕三さんは困惑気味に言う。
「別にいいじゃない、どっちでも。この子、暇らしいから連れてきたの。こき使っていいから」
新田さんは、私の頭にぽん、と手を置いた。親御さんにもこの口調なんだ。私はそう思う。耕三さんは私を見て、
「……そのかっこじゃな。着替え貸すから、こっちに」
歩き出した。私は慌てて耕三さんについていく。足が速いところは息子とよく似ている。
耕三さんは私を室内に誘い、この部屋は鍵がかかるから、と着替えを渡してくれた。渡されたのは、クリーム色のつなぎだった。
つなぎに着替え、耕三さんのところへ戻る。耕三さんは私を見てうんうん頷き、
「いいべさ」
なにがだろうか。
「妙子さんは、いくつですか」
「24です」
「若いな。一馬のその……」
「元後輩です。ちなみに、振られた後輩です」
耕三さんは、心なしか残念そうな表情になった。
「そうか……一馬が女の子を連れてきたのは、初めてだったから」
なんだか、申し訳ない気分になった。牛舎に向かうと、同じくつなぎ姿の新田さんがいる。同じつなぎなのに、彼が着るとなぜかおしゃれに見えた。新田さんはジロジロ私を見て、
「アンタ、やけに似合うわね」
なんだろう、あんまり嬉しくない。
「何をすればいいんでしょうか」
そう尋ねると、
「決まってるでしょう。デントコーンの収穫よ」
新田さんはキリッと答えた。はい、決まってますよね……なんですか、デントコーンって。
★
デントコーンとは。牛の餌にするための、大きいトウモロコシのことである。なんでも、このトウモロコシの収穫を、たった一週間で行うそうなのだ。
「サイレージって聞いたことない?」
「ああ、なんかあるような」
新田さんは、コンクリートに穴を開けたものを指差し、
「あれはバンカーサイロ。デントコーンを発酵させて、あそこに入れとくの」
耕三さんは、青い農業車に乗り、デントコーンを収穫している。
「でっかい車ですね」
何トンするのだろう、耕三さんは大きな車を華麗に乗りこなしている。かっこいい。
「とにかく早く収穫しなきゃなんないから、台風が来そうなときは人海戦術なの」
つまり、私はトウモロコシを刈るために駆り出されたのだ。虚しくなんかない。私は、日本の食卓を支える役割を担うのだ。
「役割分担でやるから。アタシがデントコーンを集める。アンタ、それを踏み固めて」
「ハイ」
全く門外漢の私は、新田さんに言われるままに動く。ひたすらトウモロコシを踏む瞬間がやってくるとは、数時間まえはまるで思わなかった。私は足を動かしながら、ちらっと新田さんを見る。
つなぎから覗く二の腕。あらわになった首筋。かっこいい……。新田さんが黙々と何かをやっている姿は、えらく素敵だ。見とれていたら、じろりとにらまれた。
「何見てんのよ。働きなさい」
「すいません」
慌てて作業を再開する。傍で、牛がモーモー鳴いていた。
昼が来て、私は新田家で昼食をご馳走になった。
「一馬の母です。まあまあ、こんな田舎に綺麗なお嬢さんが来てくれて」
綺麗と言われ、私ははにかむ。新田さんは鼻を鳴らし、
「おべっか使わなくていいわよ、母さん。ただの元後輩だから」
「そうなの?」
新田母はションボリ顔になった。また申し訳ない気持ちになる。
「やっと一馬に嫁さんが来てくれたと思ったのに」
「だから、アタシに嫁はこないって言ってんじゃない」
「一人で酪農やる気か。歳食ったらどうする」
新田父がボソリと言う。
「べつに、血縁に譲る必要はないでしょう」
「おまえ、まだ男が好きだなんて言う気か。いい加減その病気なおせ」
「なおせませんー。生まれつきですう」
「はんかくさい(馬鹿馬鹿しい)」
遠慮ない父子のやり取りに、私はハラハラした。
「気にしないで。いつものことだから」
新田母はそう言って、漬け物を差し出してくる。
「ありがとうございます」
私が漬け物をかじる間にも、父子のバトルは止まらない。
「そんなに孫が欲しいなら、代理出産って手もあるわよ」
「何言うんだ。そんな、命を冒涜しとる」
「ふっるーい。今頃珍しくもないわよ」
「子供は自然に産むもんだ」
「現代に自然なんてものはないのよ、父さん」
「しゃらくさい」
肩身の狭い思いをしていたら、新田さんが肩を抱き寄せてきた。
「!」
「いい? アタシは女を抱けないの。どこ触ってもムラムラしないの。おわかり?」
新田さんにほおを撫でられて、全身がかあっと熱くなる。
「何言っとる、ばかもん」
新田父が立ち上がる。
「じゃあおまえは男じゃないわ!」
新田さんは私の肩から手を離し、
「ああそうかもね。アナタみたいなのが「男」なら、一生なりたくないわ」
ごちそうさまでした、と立ち上がる。
「さあ、さっさと作業の続きしましょう」
そのまま居間を出て行く。残された私は、かなり気まずい思いをした。
「……昔っから、小憎らしいことばっか言いよって」
耕三さんは、苦い口調でつぶやく。
「親に向かってアナタとはなんだ。気色の悪い言葉使うな」
彼は私の存在を思い出したのか、はっとした。小さくなって頭を下げる。
「申し訳ない、みっともないとこ見せて」
「いえ」
「……妙子さんは、あれのどこがいいんだ?」
「口は悪いけど優しいところ、です」
それで、とつぶやく。
「お酒に酔って、告白してしまいました」
言ってしまった後、私は真っ赤になった。耕三さんは、ボソリと言う。
「あれは、普通と違う。都会ならまだいい。だが田舎では、普通と違うもんは排除される」
「あの子は、昔から頭がよくて」
新田母が、懐かしむように目を細めた。
「勉強も、スポーツもできて、要領もいい。つまずくことなく生きてきて、私たちには自慢の子だった」
彼女は湯呑みにお茶をそそぎ、
「だけど、ずっと嘘ついてたって、就職するときに言って……孫は諦めてくれ、って」
耕三さんが、頭に手をやった。
「なんでだか、わからん。なんで一馬が、ああなったんだか」
私は、差し出された湯呑みを見つめていた。
「新田さんは、ずっと、新田さんだったんだと思います」
そう言って、この家には新田さんがたくさんいたことを思い出す。
「一馬さんは優しいから、ご両親がショックを受けるからと黙ってたんじゃないでしょうか。でも、嘘もつけなかった」
嘘をつき続けても、結局は傷つけることになるって、新田さんはわかっていたんだ。
「普通と違うから、だから、一馬さんは優しいんだと思います」
新田さんは、女性的でもあり、男性でもある。だから両方の視点を持っているのだと思う。新田母は、まじまじと私を見た。
「よく、知ってるんですね」
「え?」
「一馬のこと」
「いえ、そんなには……」
「妙子さんなら、一馬もその気になるんじゃないか」
新田父・母両名が、目を輝かせて迫ってくる。
「あ、えーと、私、作業してきますっ」
私は慌てて部屋から退散した。廊下にでたら、新田さんが柱にもたれて立っていた。
「あ」
彼は私に流し目を送り、
「何を余計なこと言ってんの、アンタ」
「すいません、いて」
デコピンを見舞う。
「私はアンタが思うような人間じゃないわよ、勝手に美化しないで」
「ハイ」
変なところが気難しいんだから。
「ハイじゃないわよ。まったく」
私はおでこをさすり、
「でも、新田さんがただの口が悪いオネエだったら、好きになりませんでした」
新田さんは目を瞬く。むず痒そうな顔をしたあと、ばか、と呟いて、再びデコピンを食らわしてきた。