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2/16

むじるし。2

 ★


 ギリシア神話に、パンドラっていう美女が出てくる。パンドラは、綺麗だけど記憶力にイマイチ難があったらしく、開けちゃだめだと言われた箱を開けてしまう。それで、世の中悪いことだらけになってしまったらしい。


 私はまさしく、箱を開けたパンドラの気分で会社へ向かっていた。パンドラは美人だったし、箱には希望が残ったらしいから、まだいい。


 私は美人じゃないし、女に興味がない同僚に告白するという愚行を犯した。希望はゼロ。

 つまりは最悪だ。


 ノロノロした仕草でエレベーターの前まで行き、昇降ボタンを押すと、誰かが隣にすっ、と並んだ。それが新田さんだとわかり、私は身体をこわばらせる。


「っお、はよう、ございます」

「おはよう」


 新田さんと目が合わせられず、エレベーターよ早く来い、と祈る。どやどや乗ってきた社員に押され、私と新田さんは壁際に押しやられた。新田さんは壁に手をついて、ごめん、と言った。私はカラカラの声で、いえ、と答える。


 ドクン、ドクン。


 自分の心臓が痛いほど鳴っているのがわかり、私は鞄の持ち手をぎゅっと握りしめた。新田さんの腕やシャツと、自分の身体が触れ合うたび、こめかみのあたりが熱くなって、逃げ出したくなる。

 早くフロアについて──私はそう祈った。


 ポーン、と到着を告げる音がして、みんながドヤドヤ降りていった。新田さんの身体がふっ、と離れる。私は真っ赤な顔を伏せ、息を吐いた。



 昼休み、弁当を取り出していたら、肩を叩かれた。振り向くと、新田さんが立っていた。彼はくい、と出口を指し示す。

「ちょっと来て」

 さっさと歩き出した新田さんに、私は慌ててついていった。


 新田さんが私を連れて行ったのは、会社の屋上だった。風がつよくて、髪がなぶられる。

「ん」

 新田さんが、袋を差し出した。私が受け取るのをためらっていると、さっさと受け取れ、とばかりに顎をしゃくる。


「お土産よ。生キャラメル」

 覚えててくれたんだ。私はありがとうございます、と言い、袋を受け取った。しばらく、沈黙が落ちる。口火を切ったのは、私だった。


「あ、あの、昨日は変な電話してすいません」

「別にいいけど」

 新田さんはいつもより低い声で言った。それに、テンションも低い。もしかしたら、これが新田さんの素なのかもしれない。


 ふっ、と視線がこちらを向いた。


 ──どうしよう、足が震える。聞かなくても、何を言われるかわかっていた。逃げ出してしまいたいのに、新田さんの視線がそれを許さない。


 彼は私をまっすぐ見て、

「ちゃんと言ったことはなかったけど、私は男が好きなの。あんた流に言えば、多分生まれつきでね」

 それはどうしようもないことだ、と新田さんは言った。

「だから、あんたがどんなにいい子でも、恋愛感情は持てないのよ」


 私は、小さな声ではい、と言った。

 新田さんは、悲しそうな目でこちらを見た。

「あんたが嫌いなわけじゃないの。でも、無理なのよ」

「わかってます」

「ごめんね」


 そんなの、わかってる。胸がヒリヒリして、喉がひどく痛い。なんだろう、これ。風邪でも引いたみたいに、辛い。でも平気なふりをして、尋ねた。


「また、飲みに行ってくれますか?」

「ええ」

「あっ、私今日、お茶当番でした。すいません」

 私は頭をさげ、踵を返した。とにかく、その場から逃げたくて仕方がなかった。



 給湯室でお湯が沸く間、湯のみの準備をする。ぼうっとしていたせいか、つるっ、と滑り落ちた湯のみが、音を立てて割れた。


「あーあ」

 私はしゃがみこみ、湯のみのかけらを拾い集めた。指先が震えて、床にポタリと水滴が落ちる。

 多分、もう新田さんとは、今までのようにはできないだろう。私が壊してしまったのだ。新田さんとの関係を。


 なんで泣いてるんだろう。泣いたって仕方ないじゃないか。もう元には戻らないんだから。


 私は涙をぬぐい、立ち上がって、掃除機を取りに向かった。



 それ以来、私は新田さんと飲みに行かなくなった。



 ★


 お土産の生キャラメルは、甘くて、でもちょっとほろにがくて、舌の上ですうっと溶けた。これを全部食べ終えたら、生キャラメル、美味しかったです、って言おう。そうして、新田さんと普通に話せるようになるんだ。

 だって新田さんと私は、これからも同僚なんだから。


 私は、生キャラメルを毎日ひとつずつ食べた。そうして、箱の中身があと一つになったころ。


 名古屋に、大雪が降った。



 しんしんと、雪が降っている。お昼休み、私はコーヒーを片手に、窓の外を見ていた。朝から雪がちらついていたが、昼になって、積雪量は大幅に増えた。こんなに降るのも珍しいな。


 つもったら、帰れなくなってしまう。今からホテルの予約をしたほうがいいだろうか。そんなことを考えていたら、隣に人が立った。それが誰かわかり、私は少しだけ身じろぎする。

「二十年に一度の大雪ですって」

「そうですか、どうりで」


 声が上擦らないよう気をつけながら、私は返事をした。平気なふりをしても、心臓がばくばく鳴っている。その時、ふっ、と部屋が暗くなった。ブース内がざわつく。新田さんは様子を見てくる、と言い、ブースの外へ向かった。戻ってきた彼は、

「雪のせいで停電らしいわ」


 課長がやってきて、復旧まで時間がかかるから、自宅へ帰るよう指示をした。私はスマホで、電車が動いているかどうかを調べる。


「電車、動いてる?」

 新田さんの問いに首を振る。

「いえ……」

 全線ストップだ。しばらく会社で待機しようか。


「動くまで、うちくる?」

 その言葉に、私は戸惑った。以前なら、はいお邪魔します、って言えただろうに。

「でも、ご迷惑じゃ」

「そりゃ、ご迷惑よ。私は他人を家に入れない主義だし」

 だけど仕方ないじゃない。

「電車が動いたら帰りなさいよ」

 新田さんはそう言って、さっさと歩き出す。私は首にマフラーを巻きつけ、彼の後を追った。



 外に出ると、びゅうびゅう横風が吹き付けてきた。私と新田さんは、寒風に耐えながら進み、やっとのことで彼の自宅にたどりついた。その頃には、氷漬けにされたみたいに全身が冷たかった。


「あー寒ッ、冬将軍はまじで人類を滅ぼしに来てるわね」

 新田さんは文句を言いながらマフラーを外し、部屋に上がった。私はお邪魔します、と言いながら彼に続く。


 私は、部屋の中央にあるものを見て、目を輝かせた。

「わ、こたつだ」

「あんたんち、こたつないの?」

「はい。いいですね」

 私はこたつに足を入れ、はー、と息を吐いた。

「ばーさんか、あんたは」


 新田さんはココアを淹れてくれた。カップを手で包み、じんわりとした暖かさに浸っていたら、急に現実感が戻ってくる。ここ、新田さんの部屋なんだ。新田さんは、いつもここで寝て起きて、ごはん食べてるんだ。


「ちょっと、ジロジロ見るんじゃないわよ」

「すいません。男の人の部屋、初めて入ったから」

 意外というか、殺風景だった。というより、不自然に物がない。よく見たら、部屋の隅にダンボールが積まれていた。


「新田さん、引っ越しするんですか?」

 新田さんは、ああ、とつぶやいた。

「もうちょっとしたら話そうと思ってたんだけど……アタシ、会社やめるの」


 私は目を見開いた。

「そう、なんだ……」

 どこへ? と問うと、北海道、と帰ってきた。

「えらく、遠いですね」

「まあね」

 新田さんはそう言って、

「こないだ、有休とったでしょ? あれね、親が倒れたの」


 新田さんの父親は、北海道でファームを営んでいるらしい。

「あんたにあげたあの生キャラメル、ファームで作ってるのよ」

 もう歳だし、後継者もいない。だからもうファームを閉じるべきだ。新田さんはそう言ったのだそうだ。

「でも、聞かなくって。アタシの父親、すっごい頑固なのよ」

 もう、大ゲンカ。新田さんはそう言いつつもふ、と笑う。それから、表情を翳らせた。

「アタシが同性愛者だって、全然認められないし。アタシが結婚して、孫連れて帰ってくるの、待ってんの」

 でも、それはできないから。新田さんはそう言った。

「だから、せめて、ファームを守るくらいしか、アタシにはできないから」


 私は、唇を噛んだ。新田さんには、もっと自由でいてほしい。そう思った。なににもとらわれない新田さんが、私はすきなのだ。だけどそれは、私のエゴだ。勝手な思いだ。


 彼はカップに目をやり、

「あら、カラね」

 そう言って、空になったカップを手に、台所へ向かった。


 新田さんが、遠くに行ってしまう。手の届かないところへ、行ってしまう。


 頭がぐらぐらして、心臓が痛いくらいに鳴っている。私はたちあがり、新田さんのそばに行った。


「焼いたマシュマロ入れると美味しいけど、ないのよね」

 新田さんが、ココアの粉をすくう。長い指先。すらりとした背中。もう会えなくなる。嫌だ。そんなの、嫌だ──。


 私は、腕を伸ばし、新田さんにぎゅっとしがみついた。新田さんが身じろぎする。

「いかないでください」

 くぐもった声が漏れる。

「……それは無理よ。もう手続き済んでるし」

「じゃあ、私もついていきます」

 無理よ。そう言われ、無理じゃありません、と返した。

「アンタ、うざいわね。っていうか重いわ」


 離しなさい。そう言われて、私はびくりと震えた。腕を引くと、新田さんの手が頭に触れた。彼は、今まで見たことのない、優しい顔をしていた。私の髪を撫でながら、新田さんは言う。


「あんたのこと、すきよ。女の中では、一番好きよ」

 それは優しいけど、残酷な言葉だった。


「……全人類で、一番がいいです」

「ワガママね」

 新田さんは私の頰を引っ張った。

「変な顔」


 彼は笑いながら、

「早く結婚しなさい」

 そう言った。その言葉は、本気だった。新田さんのことは忘れろって言ってるのだ。私は震える声で、はい、と答えた。



 そうして、新田さんは、二ヶ月後、会社を退職し、北海道へと旅立った。



 ★



 この世には、超えられないものがある。男と女の間には壁がある。私は男にはなれないし、性転換でもしたら別なんだろうけど──たとえしても、精神的には女だ。


 新田さんは、男と女のハザマにどんっ、と居座っている。多分、いくら時が経っても、それは変わらないのだ。


 私は、箱の中に一つだけ残った、生キャラメルを見つめた。パンドラは、災厄をまき散らしたあと、残った希望で世界を救ったのだろうか。


 私の恋が叶おうが叶うまいが、世界はなにも変わらない。それでも、希望を手放したくなかった。

 私は、新田さん、とつぶやいて、生キャラメルを握りしめた。



 ★



 新田さん、お元気ですか? 私は元気です。名古屋は毎日暑いです。北海道は涼しいですか? 夏休みが取れたら、遊びに行きたいんですが、だめですか?



 私はメールを打ち、送信ボタンを押した。時計をちら、と見る。もうすぐお昼休みが終わる。

「神崎さあん」

 キャラメルみたいな声の女子社員が、神崎くんに話しかけている。神崎くんは爽やかスマイルを向けつつも、ちょっと気圧されていた。


「宮下さんまたやってるわよ」

「何のために会社来てんだか」

 女子社員たちがチクチクと言う。羨望と嫉妬がおりまぜになった怖い顔。私が新田さんと神崎くんに妬いていたときも、あんな顔をしてたんだろうか。


 私はその場のおっかない空気に肩をすくめ、給湯室に向かった。触らぬ神崎に祟りなし。なんちゃって。

 湯呑みを洗っていたら、スマホが鳴ったので、水気を拭いてから手に取る。新田さんからのメールだ。そこにはただ一言、


「邪魔だから来ないで」


 と書かれていた。



 新田さんがいなくなってから半年が経った。変わったことといえば、髪を切ったことと、名古屋に夏がやってきたことくらいだ。


 名古屋の夏は、とにかく蒸し暑い。一歩外に出るなり、スチームで焼かれているような気分になる。


 それでも、夕方は多少涼しい。私は水曜日になると、一人で居酒屋へ向かう。新田さんとよく行った居酒屋で、ちびちび飲んで、帰る。その習慣が、今日は妙に気鬱だった。

 新田さんには会えないし。


 ざわざわとした喧騒に、なんだか寂しさが込み上げてくる。

 私は、スマホを取り出し、受話器マークを押した。呼び出し音のあと、はい、と声がする。──あ、新田さんの声だ。ドキドキしながら、名前を呼ぶ。


「……新田さん」

「なに、なんか用」

「ちょっと、寂しくて」

「ハア? 寂しくて電話? 独居老人か、アンタは」

 すごい例えである。


「っていうか、彼氏にでも電話しなさいよ」

「彼氏は、忙しいひとなので」

 彼氏なんかいなかったが、とっさに見栄を張る。ちょっとは気にしてくれるかと思ったのだ。

「あっそ。切るわよ。じゃあね」


 プツッ。ツーッ、ツーッ。通話が途切れ、断続した通話音が聞こえる。

「……」

 私はため息をついて、ビールのお代わりを頼もうとした。

 と、目の前にいきなり人が座った。その人は手を上げて店員を呼び、

「すいません、生ひとつ」

 私の方を見た。


 私はポカンとして、その人──新田さんを眺める。少し日焼けして、髪が短くなっていた。新田さんは久しぶり、とか元気だった? とかじゃなく、ふん、と鼻を鳴らす。

「なに一人で黄昏てんのよ」

「……新田さんの生霊ですか」

「誰が生霊よ。しばかれたいの?」

「なんで、名古屋に?」

「高島屋のデパートで、北海道展ってのがやるのよ」


 仕事で来てんのよ。あー疲れた。新田さんはそう言って伸びをする。高島屋は、名古屋駅構内にあるデパートだ。その上階でやる物産展は、いつも混雑する。


「お疲れさまです」

「ねえ、神崎くん元気?」

「あ、宮下さんって新人が現れて、神崎くんに猛烈アプローチしてるので、割とギスギスしてます」

「なによソレ。アタシがいたらそんな女潰してやるのに」


 新田さんは、私が食べていた味噌カツを奪いながら言う。

「で、彼氏とやらはどんな男」

「あ、えーと、ムキムキですね」

「で?」

「うーん、あと、竹野内豊に似てます」

 適当なことを言うと、新田さんが目を細めた。

「すぐバレる嘘をつくんじゃないわよ」

「……スイマセン」

「全く、こんなとこで一人寂しく飲んでる場合じゃないでしょ」


 別にいいじゃないか。誰に迷惑かけたわけでもないし。

「新田さんは、彼氏できましたか」

「できないわよ。周りは牛しかいないし、いい男はみんな結婚してるし」

 新田さんはため息をつき、アンニュイな目をした。


「あー、ほんと、オランダに行きたいわ。出会いがあるかもだし」

「行けばいいじゃないですか。まだ飛行機飛んでますよ」

「アンタ人の話聞いてた? 物産展があるんだっつの」

「キャラメル、売るんですか?」

「まあね」

「私にも売ってもらえますか、知り合い価格で」

「ズーズーしいわね、相変わらず」

 新田さんはそう言いつつ、スーツケースから袋を取り出した。


「今はこれだけしかないわ」

「通販とかないんですか?」

「基本地元に卸してたからね。デパートと提携するかどうかは、売れ行き次第みたい」


 私はへえー、と言いながら、箱の中の内袋を開けようと手をかけた。が、力を入れすぎたらしく──ぱんっ。袋が弾け、キャラメルが床にバラバラと落ちた。


「あっ」

「ちょっとアンタ、何してんのよ」

「す、すいません」

「すいませんねえ、どんくさい子で」


 私と新田さんは、周りの客にぺこぺこ頭を下げながら、キャラメルを拾い集めた。テーブルの下に落ちたキャラメルを拾おうと手を伸ばすと、額同士がこつん、とぶつかる。


「いて」

 私は額を手で押さえた。目の前に、新田さんの顔がある。その顔が微妙に近づいて──唇が、触れ合った。


「!」

 後ずさった拍子に、頭がテーブルにぶつかり、ガンッ、と音がする。

「〜っ!」


 悶絶している私を放置し、新田さんはキャラメルを拾い上げ、テーブルの下から身を引いた。私は顔を赤くしながら、新田さんをにらむ。

「……いまの、なんですか」

「さあ。なんでしょうね」

 彼は素知らぬ顔で言い、キャラメルを口に放り込んだ。ま、まるで気にしていない……。


 新田さんは、キャラメルを飲み込み、

「オランダ行く機会があったら、連れてってあげるわ」

「私、オランダ行く必要ないですけど」

「観光がてら、各地で生キャラメルを売るの。よくない?」

「いいですねえ」


 そんな時が、くるんだろうか。来たらいいな。性別とか関係なく、この人と一緒に歩けたらいいな。


 男と女の間には、乗り越えられない壁がある。

 新田さんは、ハザマにでんっと存在しているひとだ。もう、私の同僚ではないけれど、変わらずに、壁の間に居座っている。


 口の上で転がした生キャラメルは、ちょっと苦くて、でもほんのり甘い、希望の味がした。



 私のオネエな同僚/end

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