そのじゅう。
「やっぱりアタシ、男が好きなの」
一馬さんが沈んだ声で言う。
「えっ……」
「ごめんね、妙子」
「そんな、待ってください、一馬さん」
私は一馬さんが着ている白のタキシードへ手を伸ばした。すんででからぶって、一馬さんはあっけなく目の前から消える。
「一馬さーん!」
私は西部劇のラストシーンみたいに叫んだ。
「ちょっと」
「わっ!」
肩を揺さぶられ、私は顔をあげた。一馬さんが、怪訝な表情でこちらを見ている。
「大丈夫?」
「だ……大丈夫です」
「昨日、夜遅くまでなんかしてたでしょう。夜ふかししていいのは20代前半までよ」
「私、まだ24です」
「だからギリギリだって言ってんの」
私の隣でハンドルを握るのは、私の夫になる一馬さんだ。本日2月14日。バレンタインデーにして、結婚式まであと二日となった。
「だったら一馬さんはもう夜ふかしできないんですね」
「だからしてないでしょ。九時過ぎたら眠くなるわよ」
私と一馬さんは、ご両親と同居している。だからめったに夫婦のことができない。一馬さんは割とすぐ寝てしまうし。
バレンタインデーだし、独身最後のデートを楽しんでらっしゃい。一馬さんのお母さんにそう言って送り出してもらったのだ。つまり終日二人っきりだ。
そんな日に、私は不吉な夢を見てしまった。
いま向かっているのは、帯広から札幌市にあるショッピングモールだ。車内にいる時間が長いから、どうしても一馬さんの方に目がいく。
色素の薄い髪と瞳が、朝日に輝いている。一馬さん、今日もかっこいい。私が見とれていたら、彼が目の前に片手を突き出した。
「んっ?」
「じろじろ見ないでよ、気が散る」
「だって、かっこいいから」
「アンタ、漫画ばっか読んでる割に語彙が貧困よね」
一馬さんは意地悪く笑った。
「ああ、やらしい漫画ばっかりだからか」
「ばっかではないです」
「やらしいのも読んでるでしょ」
「それは……大人だから。一馬さんだって、やらしい媒体を持ってるでしょう」
「持ってないわよ」
絶対嘘だ。しかし、確かに一馬さんの部屋からやらしい雑誌や本が出てきたことはない。出てきたとしても、多分世間一般の男性とは異なる趣向だろう。
私は、一馬さんに一度振られている。それは、彼が女を愛せないからだ。それでも私はしつこく片思いした。最終的に、一馬さんは男とか女とか関係なく、アンタが好きだと言ってくれた。私もそれを信じてる。はずなんだけど。
──いわゆるマリッジブルーってやつかなあ。
「夫婦なんだから、互いの秘密を明かすべきです」
「秘密?」
「性癖というか」
「アンタは敬語キャラが好きなんでしょ」
「なんで知ってるんですか」
「読んだから」
私は真っ赤になった。
「よっ、読まないでくださいよ! プライバシーの侵害です」
「座布団の下に隠すから掃除の時邪魔なのよ」
「ばか」
「誰がバカよ」
一馬さんはずるいのだ。自分の性癖を一切明かさない。そもそも彼は女に興味がないから、明かすほどのものがないのかもしれないけど。
「敬語で喋ってあげましょうか」
「いいです」
「妙子さんは寝相が悪いのをなんとかなさったほうがいいですね」
「悪くないです」
「悪いわよ。一回ビデオに撮っとこうか」
「ばか」
「ほら、語彙が貧困だわ」
彼はそう言ってけらけら笑った。一馬さんは口が達者だ。だからこうやって、いつもやり込められてしまう。
でも夫婦というのは同等の立場でいなければならないと聞く。基本的に私の方が一馬さんのことを好きだ。多分うっとうしいくらいに。
だから意地悪が言えないくらい、一馬さんをめろめろにしたいと思っている。変な夢も見てしまったし。
モールの中に入ると、暖かい空気が身体を包んだ。北海道の室内は暑いくらいに暖房がきいている。
「アンタ、なんか欲しいものある?」
「ブーツを買おうかな、と思ってて」
「婦人服売り場は五階ね」
一馬さんはそう言って、エレベーターへと歩き出す。あるものが目に入り、私は一馬さんの袖を引いた。
「これ、一馬さんに似合いそうですね」
マネキンが着ているジャケットだ。一馬さんは値札を裏返し、
「うわっ、五万よ」
「ちょっと着てみてください」
「いいわよ、別に」
「着るだけならタダですから」
私が促すと、一馬さんはしぶしぶジャケットを手にした。試着室で着替えた一馬さんを見て、私は感嘆する。
「一馬さん、似合います」
「高いだけあって着心地いいわね」
「そちら、裏地に最高級のウールを使ってるんですよ」
店員がやってきて、違うジャケットを差し出す。
「こちら、色違いになります」
「いや、買う予定ないから」
「着るだけでも、ぜひ!」
なんだかテンションが変だ。客に品物を勧めるというより、一馬さんと話したいから近寄ってきたように見える。私はむむっと店員をにらんだ。
「じゃあ……着てみます」
一馬さんは肩をすくめ、ジャケットを受け取る。優しいから、強く勧められると断れないのだ。
「わあっ、本当に素敵ですね! このラインがオシャレ感を出してて……」
店員が一馬さんにさりげなくボディタッチした。またまたむっとする。私は、一馬さんの腕にぎゅっとしがみついた。
「妙子?」
「ブーツ、買いに行きましょう」
「ちょっと、引っ張らなくてもブーツは逃げないわよ」
エレベーターに乗り込むと、一馬さんは怪訝な顔で私を見下ろした。
「なんでいきなりコアラ化したのよ」
「だって、あの店員一馬さんにベタベタするから」
むくれる私を見て、一馬さんがキョトンとした。それから苦笑する。
「アンタって嫉妬ぶかいわね」
「一馬さんがもう少しかっこ悪ければいいのに」
そうしたら、こんなに不安にならなくて済む。私だけが、一馬さんを魅力的だと思っていればいいのに。
「面倒ねえ。じゃあお面でもつけるわよ」
「ええ。ジャミラのお面探しましょう」
「なんで敵なのよ。せめてウルトラマンがいいわよ」
「だめです。ウルトラマンはかっこいいから」
「そういえば……アタシ、ヒーローになりたいと思ったことはないわね」
「しませんでした? 戦隊モノごっことか」
「ない。どちらかというと、女の子が見るアニメに憧れてたわ」
一馬さんは階数表示に目をやった。
「その頃女顔だったから、結構女の子のごっこあそびに混ざったりしてた」
「そうなんですか」
「よかったわね、小さい頃は。性別のことなんかまだよくわかってなかったから」
「私、この歳になってもよくわかりません」
「アンタのそういうとこ、すごいと思うわ」
そうだ。私は多分、性別なんてどうだっていいと思っている。だから一馬さんが女の子で、私が男の子だったらよかったのかもしれないって思っているんだ。
靴屋に向かった私は、白のショートブーツを手にした。すると、一馬さんがダメ出しをしてくる。
「はいダメ」
「なんでですか。可愛いのに」
「見た目に騙されちゃダメよ。防水ブーツにしなさい。これ基本だから」
一馬さんが差し出したブーツは、たしかにしっかりした作りだが地味色だ。私は、白いブーツをかき抱いた。
「でもこっちのほうが可愛いです」
「アンタ、いまいちなブーツと、みずびたしになるのどっちがいいわけ」
私はしばし考えた。
「……いまいちなブーツです」
「でしょ」
店員に聞かれたらまずい会話を交わしたのち、私はいまいちなブーツを手にレジへと向かった。
目当てのものを買った私たちは、ぶらぶらとショップを見て回った。寝巻き専門店の前を通りかかり、私は足を止めた。
「ちょっとみてもいいですか」
「ええ」
私は店内に入り、商品を見て回る。目についたのは、パステルカラーの可愛いナイトウェアだ。太ももの半分ほどもないショートパンツ。北海道の寒さにはかなり応えるだろうデザインである。でも可愛い。私はそれを手にし、身体に当ててみた。
「どうですか」
「アンタ、そんなの着て寝たら風邪ひくわよ」
一馬さんは半分女の子みたいなものだけど、こういう時に男性だなあと思う。基本は合理主義なのだ。彼は厚手の寝巻きを手にした。
「こっちが似合うんじゃないの。ほら、コアラ柄だし」
「子供じゃないんですよ」
「可愛いじゃない」
「可愛いけど色気が無いです」
「なくていいわよ、別に」
その言い草にむっとした。
「妻に色気がなくていいと?」
「なにムキになってんの?」
「ムキになんかなってません」
私はナイトウェアを棚に戻した。
「買いたいなら買えばいいじゃない」
「やっぱりやめます。寒いし」
寒い思いをした上に、一馬さんがなんの反応もくれなかったら悲しすぎる。一馬さんは私の表情をちら、と見た。
「お腹減ったわね。何か食べる?」
「はい」
せっかくデートしてるのに、なんだかあんまり盛り上がらない。私のせいだ。あの夢のせいで、いつもより余裕がなくなっている。もっとも、私が余裕だったことなどないけれど。
昼時だけあって、食事エリアは結構混んでいる。彼はとある店を指差し、
「あの店は? 空いてるわよ」
「はい」
店内に入ると、店員が声をかけてきた。
「いらっしゃいませ」
「!」
すごいイケメンだ。私はとっさに一馬さんの腕を引いた。
「え、なに」
「違う店にしましょう」
「ちょっ」
私は、非常階段の踊り場まで一馬さんを引っ張っていった。彼は不思議そうな顔で私を見おろす。
「アンタ、なんか今日変よ」
「イケメンは敵だ」
「はあ?」
「私、イケメンが憎いです」
一馬さんは目を細めた。
「ちょっと訳がわからないんだけど?」
「夢を見たんです」
「夢?」
「一馬さんが、やっぱり男がいいって言いながら消える夢です」
一馬さんは困惑気味につぶやいた。
「はあ? なによそれ。アタシは手品師か。一体どこに消えるって言うのよ」
「北海道はでっかいどうだから、見失ったら終わりです」
「この季節、ふらふら出歩いただけで凍死だっての」
「いやです、どっか行ったら」
彼は無言で私を引き寄せた。
「アタシはいるでしょ、ちゃんと」
「……手品うまそうだし」
「できないわよ手品なんか。鳩すら出せないわ」
一馬さんはふ、と笑った。
「ちゃんとアンタのそばにいる」
「本当、ですか」
「アタシが嘘ついたことある?」
そう問われ、私はかぶりを振った。ぎゅっと抱きついたら、一馬さんが囁いた。
「なんでそんなに不安なの? アタシの全部、アンタのものなのに」
「わかりません。結婚式したら、落ち着くかもしれないです」
「じゃあそれまで、ぎゅっとしててあげる」
一馬さんは、私を強く抱きしめた。
「お客様、失礼します」
店員さんが通りたそうな顔で声をかけてきたので、私たちは慌てて離れた。
私と一馬さんは一時間かけ、新田家のご両親が待つ家に帰った。耕三さんが声をかけてくる。
「デートは、楽しめたか」
「はい、ありがとうございます」
「いよいよ明日だな」
新田母の正美さんが口を挟む。
「一馬、逃げたら承知しないわよ」
「どいつもこいつも、なんで逃げること前提なの? アタシはどこにもいかないっつの」
寒いし。一馬さんはそうぼやいて、スープカレーをすすった。
「チョコレートです。ちょっと不恰好だけど」
「あー、これ作ってたわけ」
「はい」
「アンタやっぱり、こういうの下手よね」
私はむっとした。
「うそよ。だいぶ上手くなった」
彼はそう言って、チョコレートを口に入れた。
「美味しいわ」
優しい微笑みにきゅんとした。形のいい唇に、チョコレートのかけらがついている。私は無意識に、彼の唇を舐めとった。
「唇、ついてたから」
一馬さんが唇を塞いできた。
「ん」
舌が絡まって、身体が熱くなる。
「身体、冷やすのよくないわ」
唇を離して、低い声で囁く。
「それにどんな格好だろうが、どうせ脱がせるんだから同じでしょ」
その言葉に、私はかあ、と赤くなった。
一馬さんは宣言通り、私の寝巻きを脱がせた。長い指先が脇腹をなぞる。それだけで身体が震えた。
「やっぱりお腹が弱いんですね、妙子さん」
「敬語、しなくていいです」
「好きなくせに」
一馬さんの指先が敏感な場所に触れて、私は喉を鳴らした。彼が目を細める。
「やらしい顔。いっつもアタシに敬語喋らせる妄想でもしてるわけ」
「して、ないです」
「嘘ね。どうせ自分でやらしいことしてるんでしょ?」
「ばか」
「してます、って言って」
「して、ます」
恥ずかしいのにぞくぞくする。私は変態なのかもしれない。
「かわいい」
可愛いと言われると、嬉しくて泣きそうになる。
「アンタ見てるといじめたくなるわ」
私だけに優しくして、私だけをいじめて欲しい。一馬さんは私の首筋に軽く噛み付いた。
「ん、一馬、さ」
さらさらした髪が首筋に触れる。
「跡つけたらまずいわよね?」
「はい、ドレス着るから……」
唇が肌の上を滑るたびに、その部分が熱くなる。私は一馬さんにしがみついて、吐息を漏らした。
「ねえ、ほしい?」
一馬さんの瞳が熱っぽく私を見つめる。私は、彼の頰を撫でた。
「一馬さんが、言って」
「あら、生意気」
「一馬さんは私がほしいこと、知ってるから、一馬さんが言って」
でないと寂しくて、やらしい漫画読んで、また一人でしちゃう。唇からこぼれ落ちる言葉は、私の全部だった。
「本当生意気……妙子のくせに」
一馬さんがかすれた声でつぶやいて、アンタがほしい、と言った。
★
鳥の鳴き声が聞こえてくる。朝日に照らされ、まぶしくて瞳を開いた。
「おはよ」
「おはようございます」
「アンタ髪ボサボサよ」
一馬さんは、私の髪をかきあげた。私は一馬さんを見上げる。
「ぜんっぜん色気ないのにね」
「?」
彼は私の髪を梳いたあと、両手で頰をむぎゅっとはさんだ。
「なにふるんへふか」
「変な顔」
にらみつけたら、一馬さんがひとみを緩めた。私の額に口づける。
「明日、よろしくね、花嫁さん」
「はい」
私は頰を赤らめた。
次で終わりです。