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にったさん。 さん

 アタシは最近、こんな夢をみる。妙子が赤ん坊を抱いている夢だ。その子は男の子なのに、リボンをつけている。そしてその顔は、アタシにそっくりなのだ。


 悲鳴をあげて起き上がったアタシは、滲んだ汗を拭った。2月なのに、手の甲が濡れるほどだ。これは冷や汗だろう。心臓がどくどくと嫌な音を立てている。見回してみると、自分の部屋だ。時計を見ると、2時だった。


「一馬さん、大丈夫ですか?」

 隣で寝ていた妙子が、心配そうな顔でこちらを見てくる。

 アタシは、無言で妙子を抱きしめた。暖かくて柔らかい。嫌な夢──アタシにしてみれば──を見たから、癒されたかった。

「か、ずまさん?」

「……していい?」

 そう囁いたら、妙子がかあっと赤くなった。

「い、いです」

 アタシは妙子の唇を塞いで、ベッドに押し倒した。


 初めて女の子の身体に触れたのは、中学生の時だった。普通の男子中学生は女子のことばかり考えているのだ、と知ったときは驚いた。アタシは、女の子を見てもそういう感情を抱いたことがないからだ。


 大抵かわいいとか、柔らかそうで羨ましいとか、いい匂いだけどどんなシャンプーを使っているのかとか、そういう気持ちを持つのだった。


 ──例えばあれは、中学二年生のとき。クラスの女の子と付き合っていたアタシは、その子に誘われて家に向かった。その子は、アタシにキスをしてきた。それから色んなところを触ったり触られたりした。


 アタシは全然まったく、その気にならなかった。疎遠になったのはそれからで、最後の会話をよく覚えている。その子は、アタシを体育倉庫の裏に呼び出した。


「一馬くん、私のこときらい?」

 それとも、女の子に興味がないの? 男ならみな、自分を好くに決まっている、と言わんばかりの口調だった。

「……うん」

 アタシは、正直にそう答えた。その子は、アタシのことを気味悪そうに見た。言葉よりも、視線はものを言う。そのときわかったのだ。アタシはこの世界にとって、異物なんだって。


「一馬、さん?」

 声をかけられ、アタシはハッとした。妙子が不思議そうにこちらを見上げている。はだけたパジャマから、白い肌が覗いていた。指先で肌をなぞると、妙子は小さく鳴いた。

「……アタシ、女だとアンタが初めてなのよ」

「一緒、ですね」

 妙子が微笑んだ。その笑顔に煽られる。唇を重ねて、指先をからめとる。妙子は、アタシの指先を握り返した。


 妙子と身体の関係を持つなんて、出会ったときは思わなかった。そもそも、初めて会ったとき、なんだこの女は、と思ったものだ。アタシは時々考える。もし生まれてくる子供が、アタシみたいなのだとしたら。異物だったとしたら。その子は幸せになれるのだろうかって。アタシは、避妊具を取り出した。妙子はそれを目で追う。


「一馬さん」

「……一応ね」

 子供は簡単に作っていいものじゃない。まして、アタシと妙子はまだ挙式していないのだ。だけどそれだけではなかった。アタシは怖いのだ。もし、アタシみたいな子が生まれたらって。



 シーツがくしゃり、と音を立てて、頰を赤くした妙子が、くたりともたれかかってくる。アタシは、妙子の髪を優しく撫でた。妙子は、潤んだ瞳でこちらを見た。

「……一馬さん」

「なあに」

「赤ちゃん、ほしくないんですか?」

 アタシは、撫でる手を止めた。

「どうして?」

「なんとなく」

「ほしいわよ」

 穏やかに答える。ほしいけれど、だけど。


「親になるのが怖いわ」

 アタシはぽつりとつぶやく。そうだ。自分がこんなに臆病だとは、今まで知らなかったのだ。

「私は、一馬さんの赤ちゃんほしいです」

「女みたいに話す息子ができたらどうすんのよ」

「面白いと思います」

 面白いってあんたね。そういう問題じゃないでしょ。私は心の中でつぶやいた。妙子はじっとアタシを見ている。

「アンタ、変よね」

「そうですか?」

「そうよ」

 そう。初めて会ったとき、妙子はこう尋ねたのだ──。


「生まれた時からその喋り方なんですか?」


 二年前の4月某日。新入社員の面倒を見ろ。そう言ってきた主任は、ちょっとアタシのタイプだった。昼飯を食わないか。そう誘われて、のこのこついて行ったのが運の尽き。今度来る新入社員の面倒を見ろ。こう命令された。アタシは憮然としながら答えた。


「なんでアタシなんですか?」

「女同士だとこじれることがあるだろ。ほら、去年指導係の陣内が、新入社員を泣かせて辞めさせたし」

 ああ、アレね。アタシはその時のことを思い返していた。たしか、水切りに入れる湯呑みの配置がどうの、とかいうとてつもなくどうでもいいことで責め立てたのだ。


 かわいそうだったが、そんなことで辞めるほうもどうかと思う。なんていうのは冷たいだろうか。ちなみに陣内とは、うちの課に10年いるベテラン事務員だ。

「かといって男性上司だと、今度はセクハラだのパワハラだのが問題になるだろ」

「アタシも男ですけど」

「新田は性別新田だろ」

 なんだろう、その妙な決めつけは。


「これ以上新卒者がやめるのは困るんだよ。頼む」

 拝まれて、アタシは眉を寄せた。

「わかりましたよ」

「本当か? ありがとう」

 主任は笑みを浮かべた。このヒト、絶対自分がいい男だってわかってるんだわ。ずるいわね。


 件の小城妙子は、その名の通り妙な娘だった。なんとなくボーッとしていて、可愛くないわけではないが、女子的なきらめきがない。要するに地味だ。アタシの、というか大抵の女に嫌われるタイプだと直感した。洗い物をする妙子に、アタシは湯呑みを突きつけた。


「ちょっとアンタ、ちゃんと洗いなさいよ。茶渋がついてんのよ、茶渋が」

 妙子は目を瞬いて、アタシを見あげた。あのう、と前置きを入れる。

「生まれた時からその喋り方なんですか?」

 アタシは一瞬虚を突かれた。そんなことを聞いて来たやつは、後にも先にも妙子だけだった。アタシは、すうっ、と息を吸い込んだ。


「お釈迦様じゃないんだから、生まれた時からしゃべるわけねーだろがッ」


 妙子はああ、そうか、すいません、と頭を下げた。こいつは変だ。アタシはそう思った。


「新田一馬よ。ヨロシク」

「小城妙子です。よろしくお願いします」

 アタシの女言葉に、妙子は全く動じなかった。言動にまるでフレッシュさがない。本当に22なの?


 基本的に、新人っていうのは雑用を押し付けられる立場にある。で、雑用をちゃんとしない人間は、周りから後ろ指をさされるのだ。

 タオルはどこにかけるか、お茶っぱの処理はどうするか。細かいことを間違えると、他の人間が迷惑するのだ。

 お茶の淹れ方まで指導が必要だなんて、全くめんどくさい。


 小城は妙子は、要領の悪い人間ではなかった。ただ、全てが雑だった。


「新田さん、資料ホッチキスで留め終わりました」

「そう。……ってなによこのバラバラ加減は!」

「そうですか? 揃ってると思うけどな」

「揃ってないわよ。あんたバカ?」


 そして、とにかく不器用だった。小城妙子が給湯室にいると、大抵がしゃん、という音が鳴り響いた。アタシはため息をついて、湯呑みを拾う小城に近づいた。

「ちょっと小城、アンタいくつ湯呑みを割るのよ」

 妙子は指折り数えた。


「5個……ですかね」

「数えてないで気をつけなさいよ」

「はい」

 彼女は悪びれない様子で頷き、湯呑みを新聞紙に包んで捨てた。

 自分の仕事と妙子の世話。女たちから不満が出ないよう、恋人も家族もいないアタシに頼んだのではないか。帰宅する同僚たちを、アタシは恨めしげに見た。


 5月某日、その日は新人歓迎の飲み会が開かれていた。他の女子社員たちが賑わう中、妙子は黙々と手羽先をたべていた。話す相手がいないせいか、骨だけが壺に溜まっていく。

 アタシは見兼ねて、妙子の隣に座った。

「アンタ、肉ばっかりじゃなくて野菜を取りなさいよ。肌荒れするわよ」

「新田さん、健康的ですね」


 妙子は、アタシが食べているサラダを見ながら言った。唇が、油でテカテカしている。

「人間ってのはね、状態を維持しようと頑張らないと、どんどん堕落してくのよ」

 アタシがそう言うと、妙子はハア、と頷いた。まるでピンと来ていない。大丈夫なわけ、この子。

「ほら、たべなさい」

 アタシはサラダを妙子に取り分けてやった。妙子はじっとアタシを見て、なんかお母さんみたい、とつぶやいた。誰がお母さんなのよ。

「アンタみたいなでっかいガキを産んだ覚えはないわよ」

 アタシはそう言って、手羽先をかじった。


 手洗いに立ち、少し空気を吸おうと外に出る。同僚の女が、タバコを吸っていた。

「おつかれー」

 アタシはええ、と答えた。

「ねえ、小城さんなんか言ってた?」

 同僚が、上目遣いで尋ねてくる。

「なんかって、なに」

「私たちの悪口とか」


 周りの女子たちは──陣内は、妙子を無視しているわけではない。気になるから、輪から締め出すのだ。

「小城は悪い子じゃないわよ。ちょっとどんくさいけど」

「えー、どこがー?」

「新田ちゃんが一番嫌いなタイプじゃん」

「好きな女のタイプなんかないわよ」

 アタシはそう言った。同僚は確かにねー、と言って、タバコを地面に投げ捨て、靴で踏んだ。それから店内へ戻る。アタシはタバコの吸殻を拾いあげ、店内へ戻った。


 その夜、アタシは自宅で夕飯を食べていた。軽く食べた後、ヨーグルトを食べる。乳酸菌は、肌にも胃腸にもいいのだ。机の上には、見合い写真が載せられている。親が3日前に送りつけてきたものだ。中身は全く見ていない。ちょうどそのとき、スマホが鳴り響いた。

 アタシはスマホをとった。

「一馬か」

 父親の声だ。

「なに? なんか用」

「見合い写真を見たか? なかなかのべっぴんさんだっただろう」

 アタシはそうね、と応えた。さぞ乾いた声だったろう。


「アタシ、女には興味がないの。知ってるでしょう」

 カミングアウトした時は、それはもう太変だった。アタシは、逃げるようにして北海道を出たのだ。

「なにを言っとる、男のくせに」

 アタシの親は、男のくせにとか、男だからとか、無意識的に発言する。傷ついたほうが負けだ。相手はなにも考えていないのだから。


「いい加減、その病気治せ」

 父親がそう言った。

「治せないのよ、お生憎様」

 アタシの返答に、父親が切れる。

「この親不孝もん! 二度と帰ってくるな!」

 そうして、通話がぶつっ、と切れた。会話しようとしない相手とは、話せないな。アタシはため息をつき、再びヨーグルトを食べ始めた。ちょっと喉が痛かったから、蜂蜜を入れた。


 翌日、アタシはずっと不機嫌だった。なんだか喉は痛いし、少し頭が痛かった。風邪を引いたのかもしれないと思った。妙子はいつも通りで、それに苛立ちを煽られた。

「ねえ、新田くん。あなた小城さんの指導係よね」

 そう呼びかけられ、アタシは足を止めた。声をかけてきたのは、陣内だった。

「ええ、そうだけど」

 陣内は、私に湯呑みを見せた。


「私の湯呑みに茶渋がついてたのよ。絶対わざとよね」

 だからなんだ、とアタシは思った。疲れていて、早く帰りたかった。陣内はおそらく、主任に気があるのだ。彼は女に優しい。特に、若い女に。要するに誰にでもいい顔をしたいのだろう。

 そんないざこざは、アタシにとってはどうでもいいことだ。


 不器用で雑な妙子にも、ずるい主任にも、ひがみ根性の強い陣内にもイライラした。陣内は明らかに、小城妙子を羨んでいる。若さという、一時の価値をひがんでいるのだ。


 くだらない。アタシは思った。女なんか。そうも思った。自分だって、男のくせにと言われるのを嫌がっていたのに。妙子も妙子だ。なぜうまく立ち回れないのだ。女に生まれた以上、女の中でうまくやるスキルがなければやっていけないのに。


 業務後、妙子が声をかけてきた。

「新田さん、ごはんを食べに行きませんか」

「なんで」

「お世話になってるので」

「いいわよ、そんなの」

 アタシが手を振ると、妙子がじっとこちらを見つめてきた。

「……なによその目は」

「美味しい飲み屋さんを見つけたんです」

 淡白な口調だが、アタシが頷かないとテコでも動かない気配を感じた。

「わかったわよ」


 アタシはため息をついて、妙子と共に飲み屋へ向かった。妙子はぐびくびとビールを飲み、

「美味しいです」

 赤い顔で言った。

「ちょっと、アンタ顔が真っ赤よ」

 コップ一杯しか飲んでいないと言うのに。

「新田さんも飲んでくらさい」

 まるでろれつが回っていない。妙子は下手くそな手つきで酌をした。お酒がほとんど全部溢れている。


「ちょっ、なにしてんの」

「へへ」

 妙子はへらへら笑いながら、二杯目を飲み干した。

「新田さん、今日節分ですね」

「そうね」

「なんで豆って年の数だけ食べるんですかね?」

「知らないわよ」

 アタシはそう言って、ビールを一口飲む。ふと、奥のカウンターに主任と陣内が見えた。なにやら話し込んでいる。アタシがそれを見ていたら、妙子がいきなり立ち上がった。

「小城妙子、うたいます!」

「ハア!?」


 妙子は豆まきの歌を歌い出した。主任と陣内は、ギョッとした顔でこちらを見ている。

「ちょっと小城! やめなさいよ、迷惑でしょ」

「新田さんも歌いましょうよ〜」

 妙子はニコニコ笑いながら言っている。この子、こんなキャラだったかしら。

「いいから座んなさい」

 アタシがそう言うと、妙子は素直に腰掛けた。陣内と主任が、店から出ていくのが見えた。


 それから一時間後、妙子はふらふら居酒屋の外を歩いていた。アタシは妙子を支えながら言う。

「ちょっと、車道に出ると危ないわよ」

 妙子は頭を揺らし、トロンとした目でこちらを見た。

「新田さん、クイズです。鬼の遺産はなんでしょう」

「はあ?」

「おにのいさん、おに、いさん、おにいさん。答えはおにいさんです。はは」


 妙子ときたら、全然面白くないのにけらけら笑っている。大丈夫なんだろうか……。アタシは妙子を、彼女の自宅まで連れていった。鍵を出させて中に入り、妙子をベッドへ促す。

「スーツは脱ぎなさい。シワになるわよ」

「ふあい」


 彼女はふらふらベッドへ向かい、座り込んだ。アタシは水を汲んで、妙子に渡した。妙子はこちらを見上げ、

「新田さん、おかーさんみたい」

「だれがおかーさんよ」

 アタシが眉を寄せたら、妙子がぎゅっと抱きついてきた。アタシだからいいけど、あまりにも無防備すぎる。寒いのか、身体を擦り付けてきた。


「なんか……みんなに嫌われてるみたいで」

 妙子はぽつりと言った。気にしてたの、アンタ。全然そんな風に見えなかったわ。

「新入社員はいびられるもんよ」

「新田さんに怒られるのは、平気なんです。新田さんは、私のために怒ってくれてるってわかるから」

「……仕事だからよ」

「でも、嬉しいです。新田さんがいてくれて、よかったです」


 コアラみたいだわ、この子。アタシはそう思った。女っていうより、なんかの動物の子供に思えた。暖かくて、ちょっとトロくて、柔らかい。かわいい。そう思った。

 それで妙子に対して、母性本能みたいなものが芽生えたのだと思う。


 おかーさんみたい、と言った男と結婚するとは、その頃妙子も思っていなかっただろう。


 そんなこんなで、妙子は会社を一年勤めあげたた。そしてちょうどその頃、陣内が辞めると言いだしたのだ。

「結婚するのよ」

 彼女はそう言った。アタシと陣内は、会社の屋上にいた。風が双方の髪をなびかせる。

「両親が見合い写真持ってきててさ。酒もギャンブルもやらない、って言うから」

「でもいいの? アンタ、主任が好きなんでしょう?」

 アタシが尋ねたら、陣内はこうつぶやいた。

「結婚するには、あの人はまずいの」


 わかっているのか。アタシはそう思った。わかっていても、今まで諦めきれなかったのだ。恋というのは厄介だ。まるで呪いみたいに、その人を苦しめる。アタシは陣内に、アンタは正しい、と言った。陣内はなにも言わずに、さっさと歩いて行った。


「さすがだな、新田。うまくバランスとってくれたよ」

 主任は上機嫌でそう言った。アタシと主任は、再びカフェに来ていた。アタシはカフェオレを飲み、上目遣いで彼を見た。

「聞きたいことがあるんですけど、いいかしら」

「なんだ?」

「そもそも、陣内が新人社員ばかりを目の敵にする理由は?」

「さあ」


 主任が首を傾げた。この男、元カレの純也に似ている。いや、それよりやっかいかもしれない。

「あなたが新入社員に軒並み手を出したからでしょう、主任」

 主任がまさか、とかぶりを振る。

「俺はそんなことしてないよ」

「聞きましたよ、やめた倉持さんに。主任は優しかったけれど、陣内さんが怖いから身を引いた、って」

「優しくしたかな、普通だけど」

 アタシは目を細めた。


「あなたは何も知らない女が好きなんでしょう? で、しばらくしたら飽きて、邪魔になる。そしたらわざと陣内の前でいちゃついて、彼女に新入社員をいびらせる。あとは勝手に辞める」

 一人社員が辞めるたびに発生するコストや手間をわかっていて会社に損害を与えているのだ。もはや病気だ。

 主任はなにも言わなかった。図星を突かれたからだろう。


「なんでもいいけど、小城には手を出さないでくださいね」

 そう言ったら、主任は意外そうな顔をした。

「おまえ、女には興味ないんじゃ……」

 ないからなんなのよ。異性愛だけで物事を測るんじゃないわよ。

「小城はアタシの飲み友ですから。クズ野郎に転ばせるわけにはいかないわ」

 クズ野郎と言われても、主任に応えた様子はなかった。彼はぽつりとつぶやく。


「男女の友情は成立しない、って言うけど」

「アンタみたいな男がいるからよ」


 アタシはテーブルに500円玉を叩き付け、さっさと歩き出した。それからほどなく、主任は間も無く転勤になり、陣内は田舎で見合いをした。

 陣内がいなくなるなり、妙子は普通に受け入れられるようになった。陣内の悪口を言うものもいた。現金だが、それもまた人間だ。


 二人もいなくなって寂しいですね。妙子はそう言った。


 この子、なんにも気づいてなかったんだろうな。アタシは、湯呑みを洗う妙子を見た。

「新田さん、知ってますか? アルミを丸めて湯呑みを洗うと、茶渋が取れるんです」


 妙子は所帯くさい豆知識を披露している。アタシは、妙子の頭をそっと撫でた。妙子は、キョトンとした顔で見上げてくる。平和だ。馬鹿とも言うけれど。

「なんですか?」

「アンタはそのままでいてね」

 しみじみと言ったら、妙子がはい、と返事をした。


「一馬さん?」

 妙子が、少し濡れた目で見上げてくる。アタシは、妙子の髪を柔らかく梳いた。妙子は、くすぐったそうに身をよじる。

「……アンタは昔からコアラだった、と思ったのよ」

「?」

 不思議そうな顔の妙子に、唇を合わせる。妙子は私にしがみついて、ほおを赤らめた。妙子との子供が生まれたら、多分コアラのような子だろう。アタシはただ妙子にしたように、抱きしめればそれでいいのだ。


「もう一回、いい?」

 アタシが尋ねたら、妙子が小さく頷いた。その夜、アタシは妙子と、本当の意味でつながったのだと思う。

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