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そのきゅう。

 スーツを着た一馬さんが、かしこまった顔でこちらを見る。

「ねえ妙子。アタシ、どう?」

 私はぽーっと一馬さんに見惚れた。一張羅だという、ダークスーツが似合いすぎている。大げさじゃなく、俳優よりずっとかっこよく見えた。


「かっこいいです……」

「そうじゃなくてっ! まともに見えるかって聞いてんのよ」

 一馬さんは声を荒げ、

「まあ、そう言ってもまともじゃないんだけど……」

 苦い口調でつぶやいた。私はぐっと拳を握りしめた。

「見えます。まともにかっこいいです」

「よくわかんないわよ、その表現」

 彼は不可解そうな顔でつぶやいた。いま、私と一馬さんは新田家のリビングにいる。一馬さんは憂鬱そうに私を見て、


「──ねえ、ところでアンタの両親ってどんなひとなの」

「どんなって……普通ですけど」

「普通って何よ」

「よくにてるって言われます」

「じゃあ普通じゃないわよ」

「え?」

「アンタ変だし」

 私はむっとした。どこが変だというのだ。

「だいたいね、アタシを好きだとかいう時点でおかしいから」

「そうですか?」

「そうよ」

 一馬さんは、アンタの実家に行くの、就職面接より緊張する、とつぶやいた。


 ★


 2月3日、本日は節分だ。豆まきをしたり恵方巻きを食べたりする楽しい日である。ちなみに恵方巻きを丸かじりする風習は、コンビニがお寿司を売るため広めたらしい。


 そんな楽しい日に、一馬さんはどこか硬い表情である。名古屋へと向かう飛行機に乗った私は、新田さんに尋ねた。

「新田さん、大丈夫ですか?」

「大丈夫よ。お土産って六花亭のクッキーでいいわよね?」

 新田さんは意外と緊張しいのようだ。でも、割と神経質なところがあるなというのは前々から感じていた。


「そんなにかしこまらなくても、うちの親はそう怖くないですよ」

「怖いとかじゃないわよ。アタシはこの話し方で、散々色々言われてきたんだから」

「それで緊張してるんですか?」

「当たり前よ」


 新千歳空港から三時間、国内とは思えない移動距離を経て、私と一馬さんは中部国際空港に来ていた。中部国際空港は2004年から開業した施設で、通称セントレアと呼ばれている。そして、セントレアから名古屋へは、名鉄の空港線で行けるようになっていた。


 中部の空路といえば、以前名古屋空港が使われていたのだが、今は大型スーパーに併設した映画館になっている。なかなか好調のようで、最近では特に、空港ミュージアムができるなどして賑わっていた。魅力のない町と言われつつも、それなりに頑張ってはいるのだ。


 私たちは赤い電車に乗り込み、金山へと向かった。乗車している最中、一馬さんはずっと硬い表情だった。そんな一馬さんは初めて見たので、私は意外だった。

「そんなに緊張しなくても、いつも通りの感じでいけばいいじゃないですか」

「そういう訳にはいかないでしょ」

「うちの母親、マツコ・デラックスとか好きだから大丈夫ですよ」

「誰がマツコよ」


 しかしあの人、頭がよすぎて大変そうよね。一馬さんはそう言った。

「私もマツコさん好きです」

「アタシは苦しくなるわ、彼を見てると」

 一馬さんはそう言って、車窓から外をぼんやりと眺めた。


 金山駅には20分ほどでついた。二ヶ月ぶりだが、相変わらず混雑している。私と一馬さんは、JR大垣行きに乗り越えた。新田さんは、電車を待ちながらたずねる。

「あんたって岐阜出身なのよね」

「はい」

「似てるもんね、さるぼぼに」

私はむっとした。さるぼぼとは、顔のない赤い人形のことだ。

「似てません」

「かわいいじゃない、さるぼぼ」

一馬さんのかわいいの基準は、女子に近い。私は女としてかわいい、って言って欲しいのに、大抵からかいまじりにコアラとかに例える。私が一馬さんをかっこいいと思うように、一馬さんにもかわいいって思ってほしい。


岐阜駅についた私たちは、タクシーに乗り込んだ。小城家へは車で20分ほどだ。タクシーから降りた一馬さんは、我が家を見上げて目を瞬いた。


「これがアンタの実家?」

「そうです」

「へえ〜。いい家ね。アンタ結構お嬢様なんだ」

 白い壁に赤い屋根。これは父の趣味だ。門の向こうから、犬がわんわん吠えている。

「ただいま、シロ」

 私は門を開けて、犬をわしわし撫でる。一馬さんは、感心するようにつぶやいた。


「白い壁、赤い屋根、白い犬……完璧ね」

 何が完璧なのかよくわからなかったが、インターホンを押すと、母が出て来た。やけにめかしこんでいる。

「おかえりい、妙子」

 そう言った母が、一馬さんに視線を向けた。途端に目を輝かせる。

「まああ、あなたが一馬さん!?」

 一馬さんは緊張した面持ちで頷いた。

「はい。初めまして、新田一馬です」

「やだー、モデルさんみたい。背も高くて、シュッとしてるのねえ」

 母はばしばしと一馬さんの腕を叩いた。一馬さんは、完全に気圧されている。


「あら、ごめんなさい。どうぞ」

「お邪魔します」

 一馬さんは、かしこまった顔で頭を下げた。なんか変な感じ。一馬さんは先ほども言った通り神経質なのだ。


 三人で台所へ向かうと、奥の方からのそりと老人が出てきた。私の祖母の初子だ。裏の畑で農作業でもしていたのか、作務衣が汚れている。彼女は一馬さんを見るなり、目を見開いた。

「あらま〜どえりゃーいい男だがね。芸能人かね」


 一馬さんは、その口調にギョッとした。うちの祖母は方言がきついのだ。

「死んだじーさんにそっくりだがや。もしかして生まれ変わりかね」

 と更に言う。いきなりスピリチュアルな話題を投げられ、一馬さんは困惑していた。

「おばあちゃん、嘘ついたらいかんわ。ちっとも似とらんよ。ねえ、父さん」

 リビングで新聞を読んでいた父がああ、と相槌を打った。父は無口、他はみんな女でしゃべりまくる、というのは、我が小城家の日常である。


 一馬さんは、父にもかしこまった挨拶をした。

「新田一馬です。よろしくお願いします」

「……よろしく」

 父はぼそりと言って、新聞をめくった。

「ちょっとお父さん、お客さんが来とるのにやめて」

「いえ、大丈夫です」

 一馬さんが取りなそうとするが、母は素早く新聞を没収した。父は悲しげな顔になる。

「待っててね。お茶を淹れるわ」

 一馬さんは、台所に向かった母にクッキーを渡している。

「これ、六花亭のクッキーです。よかったら」

「あらあ〜気を遣わせてごめんなさいねえ」

 母は女学生のようにはしゃいでいた。


「母さんはおまえと趣味が似とる」

 父がぼそりと呟く。確かに、昔から好きになる俳優が同じだった。母にべたべた触られて、一馬さんは困った顔をしている。珍しく、無碍にできないらしい。タスケテ、と顔に書いてあった。私は母と一馬さんの間に割り入る。

「一馬さんが困ってるでしょ」

「そんなことないわよ。ね〜?」

 母は一馬さんに笑いかける。私は、一馬さんの腕にぎゅっとしがみついた。


「あら、そんなに必死にならなくたって、一馬さんを取ったりしないわよ」

 母がくすくす笑う。私は赤くなり、一馬さんの腕を掴んだままソファに座った。母はにやにやしながらこちらを見ている。ああいうところがあるのだ。うちの母は。


紅茶とクッキーを持ってきた母は、一馬さんに笑いかけた。

「遠いところからわざわざありがとうございます」

「いえ、そんな」

「妙子が結婚なんてねえ〜お式は16日だったかしら」

 母の問いに、一馬さんが答える。

「はい」

「その日は仏滅だ」


 父が不可解そうな顔でつぶやく。珍しく会話する気らしい。

「うん。っていうか、他の日は都合がつかないらしくて」

 私はそう言った。

「そんなことあるのねえ」

 母がつぶやく。祖母がテレビをつけた。ニュース番組がやっている。名古屋について、他県の人に聞くという番組だった。祖母は、不機嫌な声で言う。


「なんで最近のひとは、名古屋を悪く言うんだ」

「悪くって?」

「この番組にでとる人も、来たくないとか、嫌だとか、市長の三河弁がわざとらしいとか、さんざん言っとるがや」

市長の件は仕方ない。

「確かにねえ」

 母がクッキーをかじって言う。

「名古屋は魅力がないとかね」

 確かに、名古屋は通過点という印象が強い。しかし、来たくないと言われるほどだろうか。

「名古屋人はみんな味噌つけて食うとか馬鹿にされとるがや」

 祖母はそう言った。味噌美味しいのに。

「そんなことはないと思いますが」

と一馬さん。祖母は、一馬さんを横目にして言う。


「北海道はいいなあ。観光地もあるし飯もうまいし、めったに馬鹿にされんでしょう」

「いえ、たまに蝦夷地とか言われますよ」

だれだ、そんなこと言うのは。

「北海道なかったら、食いもんがなくて日本滅亡なのになあ」

 一馬さんは笑って、髪を耳にかけ、串カツをかじった。祖母はじいっ、と一馬を見ている。

「あんた、女の子みたいだね」

 その言葉に、一馬さんがぎくりとした。

「さっきから見とると仕草がよう、えらい上品で女みたいだわ」

「ちょっとおばあちゃん」


 母が声をひそめて、祖母の袖を引いた。

「──当たってます」

「え?」

 聞き返した祖母に、一馬さんが言う。

「アタシ、元々は男が好きなんです」

「は?」

「アタシって……」


 両親は、一馬さんの口調にポカンと口を開けている。一馬さんは箸を置いて、背筋をただした。

「アタシは男しか好きになったことがないし、妙子さんに告白されたときも断った」

 だけど、と一馬さんが言う。

「この子諦めなくて……それで、アタシも気づいたんです。妙子が特別なんだって」

 彼は私の方を見た。私はなんだか照れてしまった。

「妙子は、そう変わった子じゃないですよ」

母はそう言って、私を見る。

「いいえ」

 一馬さんが口元を緩めた。


「普通じゃないですよ、この子は。コアラ並みにしがみついてくるし」

しばらく沈黙が落ちた。それを破ったのは、クッキーを齧る音だった。

「まー、普通かどうかなんてどうでもいいがや。問題は相性だ。なあ、妙子」

 祖母はクッキーを噛み砕きながら言う。

「うん」

 私は頷いた。母がおっとりと言う。

「そうよ〜少なくとも妙子と新田さんの子は、間違いなくかわいいわよ」

「確かにな」

 父も相槌を打つ。

 新田一馬は不思議そうな顔で私たち家族を見ていた。


「ほらほら、恵方巻き。今年は南南東を向いて食べるのよ」

 笑顔の母が、恵方巻きを差し出した。




 その夜、私は、自室の床に一馬さん用の布団を敷いた。一馬さんはぐらぐら頭を揺らしている。あれから小城家の皆々様は酒盛りを始め、一馬さんはその餌食になった。彼は頭を押さえ、

「あー……飲みすぎたわ」

「大丈夫ですか?」


 一馬さんは、うん、と曖昧に頷き、私の頭にぽすりと頭を乗せた。手を伸ばし、私の髪を撫でながら言う。

「……ねえ、アンタの家族、やっぱり変よね」

「え? そうですか?」

「そうよ。普通、オネエ言葉の変な男に娘とられたら怒るでしょ」

「割と放任主義ですから」

「一人暮らしだったしね、アンタ」


 一馬さんはそう言って、身体の向きを変えた。

「昔さ、女の子と付き合ってたことがあったのよ」

 彼がつぶやく。私は、ぴくりと肩を揺らした。

「すごくかわいい子でね。告白されて付き合わなきゃ、変な目で見られるレベルだった」

「……」

「でも、アタシ彼女を好きにはなれなかったの。かわいいとは思ったのよ。でもそれは、異性ではなくて同性に感じるかわいさだった。どちらかといえば、アタシは彼女が羨ましかったのよ」

「その子と……キスとか、したんですか?」

「したわよ」


 私は多分、ものすごく見苦しい顔をしていたのだろう。

「なによその顔」

「……」

一馬さんはふ、と笑い、私の頰に触れた。

「一馬さん、せっかくだから豆まきしましょうか」

 一馬さんは鼻を鳴らした。

「何言ってんのアンタ。嫌よ」

「じゃあ、子供ができたらやりましょう。一馬さんが鬼やってくださいね」

 一馬さんは、鬼ねえ、とつぶやいた。


「鬼はなんか悪いことしたのかしら」

「え?」

「桃太郎とか、一寸法師とか。みんな鬼が悪いじゃない」

「それは……そういうものだから」

 そうよね、と一馬さんは言った。

「アタシは鬼役がやりたかったんだけど、問答無用で桃太郎だったわ」

「かっこいいからですね」

「アンタ、ボキャブラリーが少ないわよね」

 一馬さんは、呆れ顔でこちらを見た。

「でもなんで鬼なんですか?」

「うーん、なんか自分に似てる気がしたのよね」

 彼は目を伏せた。


「にてるって?」

「見た目で判断されるところとか。鬼は悪いことをしたからじゃなく、鬼だから虐げられたんじゃないかと思ったのよ」

 鬼だから。周りとは違うから。例えばよ、と一馬さんが言う。

「鬼ってだけで石を投げられていたら、人間を憎むのも当たり前よね」

「悪ものを作ったほうが、簡単ですから」

私はつぶやいた。新田さんが言う。


「鬼は背負ってるのよ、本来人間が負うべき罪を」

そうだ、人間をこらしめる話より、鬼と戦う話のほうが明快で楽しいから。

一馬さんは、なんでこんな話してんのかしら、と言った。そうして話題を変える。

「結婚式、仏滅ってやっぱ縁起悪いかしらね」

「私は気にしません」

「まあ、洋式だしね」

彼はそう言った。


「白無垢もいいわよね、角隠し」

「着たいんですか?」

「だから、なんでアタシが着るのよ」

 一馬さんが呆れた様子で言う。

「だって、似合いそうですよ」

 私の言葉に、彼は苦い顔をした。


「似合わないわよ、そんなもん。アタシにはツノないし」

「私にだってないですよ」

 私がそう言ったら、一馬さんが意地の悪い顔をした。

「わかんないじゃない。意外とおっかない嫁になるかもね」

 私はむくれて、一馬さんの肩を叩いた。

「なにすんの。痛いじゃない」

「一馬さんが意地悪だから」

「お返し」

 一馬さんが耳たぶを噛む。私はびくりとして、そのシャツを掴んだ。舌が耳介を這って、私は喉を鳴らした。


「一馬、さ」

「声、出したらダメでしょ」

 低い声で囁かれてびくりとする。

「か……」

 一馬さんは、自身の唇で私の唇を塞いだ。身体が熱くなって、私は一馬さんにしがみついた。

「子供作るんでしょ?」

 囁かれて、首筋がかあっ、と熱くなった。

「今じゃなくても、いいです」

「へえ」


 彼の手がパジャマのボタンを開く。北海道ほどではないにせよ、肌に触れる空気は冷たい。逆に、素肌に触れた一馬さんの手は暖かくて、私はその落差に震えた。

「でも、アンタ興奮してるでしょ」

「してま、せん」

「たまにやらしい漫画読んでるくせに」

なんで知ってるの。私はかあっと赤くなる。

「読んでません」

「座布団の下に挟んであったわよ。中学生じゃないんだから」


 一馬さんの馬鹿。私は震える声で言った。

「読んでなにしてんのよ」

「なんにも、してない」

 指先の動きに、私は背中をそらせた。一馬さんは私の指を、ぎゅっと握りしめてくる。

「うそつき」

そう囁いて、私の唇を奪った。


 一馬さんは本当に、鬼なのかもしれない。恋なんか知らなくて、こんな熱も知らなくて、そんな私を、夢中にさせて、とろとろにして、溶けちゃいそうにして。私に苦しい快感を与える一馬さんは、悪い人なのかもしれない。節分の夜に、私は鬼を招いたのだ。


 ★


 翌朝、鳥の鳴く声で私は目覚めた。視線を動かすと、一馬さんがシャツを羽織っていた。色素の薄い瞳がこちらを向く。

「おはよう」

「おはよう、ございます」

 横顔と、髪をかきあげる手にドキドキする。私はギュッと一馬さんにしがみついた。

「なあに、どうしたの」

「……すき」

「知ってるわよ」

 一馬さんが、優しく私の頭を撫でた。唇が重なると、全身の力が抜ける。


「アタシもすきよ、妙子」

 一馬さんは、自分を鬼に似てるって言った。たとえ一馬さんが鬼でも、私は彼がすきだ。桃太郎より、ずっと。

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