にったさん。(そのに)
「私、この俳優すきなんです」
妙子が画面を見つめながら言う。
「ふーん」
アタシはそう相槌を打って、口にみかんを放り込む。部屋の隅では石油ストーブが熱を発し、部屋を暖めている。二重になった窓には、霜で真っ白になっている。季節は12月。北海道はしばれる寒さだ。北の大地に生まれた宿命、雪かきのシーズンである。
「アタシは好みじゃないわ」
「新田さん、こだわらないって言ったじゃないですか」
「目の前に来たらわかんないけど、画面の中だし」
妙子は納得しがたい顔をして、また画面に目をやる。会社勤めをやめたからなのか、妙子の肌はりんごみたいにつやつやになっている。アタシは、妙子の手を取った。
「アンタ、手小さいわね」
「新田さんが大きいんです」
アタシは妙子の手を、自分の手に重ねた。
「仲がいいわねえ」
母親がふふ、と笑う。嫌な笑いだわ。多分孫の顔を連想しているのだろう。
「結婚式のほうはどうなっとる」
「こんな感じ」
アタシは、パンフレットを父親に差し出した。父親は、老眼鏡をかけてパンフレットをながめる。
「えらい簡素だな。妙子さんはこれでいいんかね」
「はい」
アタシが言うのもなんだけど、欲のない子だ。
「じゃあ、新婚旅行はお金をかけたらどう?」
母親が口を挟む。
「あのね、そういうことはアタシたちが決めるから」
アタシは何個めかのみかんを、口に放り込んだ。
妙子が新田家に来て数週間。街はすっかりクリスマスモードだ。しかし、アタシたちはクリスマスだなんだと浮かれてはいられない。年末進行で作業せねばならないのだ。おまけに、雪かきで一日つぶれたりもする。
十二月の酪農家は、搾乳で忙しい。そんな最中、我が家の両親がこんなことを言いだした。
「あのね、私と父さん、青森の温泉に行ってくるから」
「は?」
母のその言葉を、アタシは思わず聞き返した。
「ちょっと待ってよ、まだ2/3しか作業終わってないのに」
「私らもう歳なのよ。いつ死ぬかわからんの。温泉くらい行かして」
母親の笑顔から、無言の圧力を感じた。餌を食べていた牛が怯えている。
「一馬、わかっとるね? あんな可愛い嫁さんと二人きりなんだから、やることちゃんとやりなさいよ」
「……あのね、デリカシーって言葉知ってる?」
「そんなもの、食えやしない」
さすが酪農家の嫁。神経が太い。
「心配してくれなくても大丈夫だから、温泉行くなら作業終わってからにして」
アタシは切実な思いでそう返した。
そんなわけで、両親が旅立った十二月二十二日。アタシは妙子と二人きりで家に残された。妙子は妙に張り切って、
「私、頑張ってごはんを作りますから」
腕まくりなんかしている。
「頑張らなくていいわよ、適当で」
そう言ったのに、妙子は朝四時に起きて仕込みを始めた。材料を見るに、どうやらクリスマスケーキを作る気らしい。アタシは寝ぼけ眼をこすりながら、
「ケーキなんか買えばいいじゃない」
「ダメですよ。ほら、マジパンの飾りも買って来ました」
妙子は嬉しそうに、マジパンで作られたサンタを差し出した。
「アンタ、ケーキなんか作れるわけ?」
「任せてください」
やる気だ。妙子にははっきり言って料理の才能がない。お菓子なんて、余計にセンスが問われるだろうに。まあ、やりたいならやらせとこう。
「アタシは搾乳作業してくるから。終わったら、どこかに出かけましょう」
「え?」
「明日は混むしね」
そう言ったら、妙子がはにかんだ。
「はい」
思えばアタシたちは、デートってものをしたことがない。
「どこ行きたい?」
「旭山動物園がいいです」
「動物園? 買い物とかは?」
「欲しいもの、ないので」
ほんと、欲のない子ね。
かくしてアタシは、妙子を連れて旭山市へと向かった。
旭山動物園は、北海道の観光人気一位のスポットだ。映画にもなったくらいだし、知名度はダントツで高いだろう。何がそんなに違うかっていうと、展示の仕方である。ちなみに、今の時期は冬季開園中だ。旭川は最低気温を記録する地としても有名なのである。
雪で白く染まった園内は、この寒さでもなかなかの混み具合である。妙子は真剣な顔でマップを見ていた。
「コアラ、いないのかなあ」
「そりゃいないわよ。あれはオーストラリアの珍獣よ? 寒くて死んじゃうわよ」
「そうなんだ……」
妙子はガッカリしている。この子、コアラに親近感でも持ってるのかしら。
「そういえば、トナカイの子供がいるらしいわよ」
「えっ、トナカイ?」
妙子は目を輝かせ、行きましょう、とアタシを急かす。なんだか小学生みたいね。アタシはくすりと笑って、妙子と一緒に歩き出した。妙子は檻越しにトナカイを見て、
「トナカイって、おっきいんですね」
「そうね。森の王って呼ばれてるらしいから」
「そりを引くだけはありますね」
小さなトナカイが、大人の後をついて歩いている。妙子はそれを見ながら、可愛い、と微笑む。アタシはそんな妙子をじっと見ていた。彼女が母親みたいな顔をしていたからだ。やっぱり、母性本能とかってあるのかしらね。
ペンギンの散歩を見物し、ユキヒョウを見たあたりで、そろそろ閉園時間が迫ってきているのに気づく。妙子はショップを指差し、
「お土産屋さん、見て来ていいですか」
「ええ」
アタシは缶コーヒーでも買おうかと、自販機に近づいて行く。小銭を取り出したら、着信が鳴り響いた。アタシはスマホを取り出し、耳に当てる。
「はい」
「お世話になります。ミスズブライダルの橋本です」
「ああ……どうも」
アタシはおざなりに返事をした。昔は、この声を聞くだけで鼓動が高鳴ったものだ。今は──小銭を入れると、ちゃりん、ちゃりんと音が響く。お金の音しか聞こえないわね。
「招待状のサンプルができたので、一度ご覧頂ければと」
「郵送じゃだめかしら」
「実際ご覧になったほうが早いかと」
純也は爽やかだが無駄に強い口調で言い、
「今日の二十時、cactusってバーで待ち合わせませんか」
「なんでバーなのかしら」
アタシは、ホットコーヒーのボタンを押した。
「好きそうな店を見つけたから」
がこん、という音が聞こえたと同時に、黙って通話を切る。着信拒否、っと。コーヒーを取り出していたら、妙子が近づいてきた。片手に、ペンギンのぬいぐるみを持っている。
「あら、可愛いわね」
「はい。一馬さん、お土産はいいんですか?」
「見ただけで満足したわ」
アタシはそう言って、妙子のほおに缶コーヒーを押し当てた。妙子はあったかい、と言って表情を緩める。
女性の二人連れが、アタシたちをちらちら見ながら通り過ぎて行く。なんなのかしら。そう思っていたら、妙子がアタシにぎゅっとしがみついた。
「なによ」
「……あの二人、一馬さんを食べそうな目で見てました」
「アタシはケーキかなんかか。アンタが寝癖ついてたんじゃないの」
「ついてないです」
妙子はまだくっついている。
「ちょっと、コアラ化するんじゃないわよ」
「一馬さんを取られるくらいなら、コアラでいいです」
アタシはふ、と笑い、妙子の頭をくしゃくしゃと撫でた。
★
家に着くと、すでに八時を回っていた。アタシたちは、ケーキを食べようと皿を並べる。着信が鳴り響いた。
「一馬さん?」
「なんでもないわ」
アタシは、スマホの電源を切る。皿に乗ったケーキは、素朴だがなかなか美味しそうに焼けている。
「あら、結構いいじゃない」
妙子がドヤ顔をした。
「美味しいですよ。新田ファームの生クリーム使ってますから」
アタシたちは、テレビを見ながらケーキを食べた。妙子がちらりとこちらを見て尋ねてくる。
「一馬さん」
「なに?」
「さっきの電話……」
「純也からよ」
妙子は瞳を揺らした。
「大丈夫、行かないわ」
「でも……」
「寒いし」
妙子は、静かに言った。
「行ってきてください」
「どうして?」
「待ってるだろうから」
「……無理してるでしょ」
妙子は一見冷めて見えるけど、実は全然冷静なキャラじゃない。
「すっごく、無理してます」
でも、と妙子は言った。
「信じてますから、一馬さんのこと」
行く必要なんかない。アタシはそう思った。だけど、妙子が行けと言ってる。ちゃんと片付けないといけない。アタシの問題なんだから。
「……先に、寝てていいわ」
アタシはそう言って、コートを羽織った。
★
アタシは、車で一時間のところにあるバー、cactusに来ていた。車外に出ると、吐く息が白い。こんな遠いところに呼び出すとか、アイツどうかしてるんじゃないの。思えば、こういう回りくどいところが昔からあったわね。
やたら重い入り口を押し開けると、カウンターに座っている男が目に入った。さすが、様になってるわね。アタシは彼に近づいていき、隣に腰かけた。
「客の個人情報、勝手に使っていいの?」
「濫用してるわけじゃない。なんせ、仕事で出会う男は、全員相手がいるから」
そう言って笑う。笑い事かしら、それって。アタシはジンジャーエールを頼んだ。
「飲まないのか?」
「車だからね」
純也はウイスキーのグラスを傾け、
「あの子、妙子さん。おまえにベタ惚れみたいだな」
「まあね」
コアラ化した妙子を思い出すと、微笑ましくて笑えてきちゃう。
「おまえはどうなんだ?」
「どうって?」
「好きなのか?」
バカなこと聞くわね、この男。
「当たり前でしょ。結婚するんだから」
「好きじゃなくてもできるよ」
経験者は語る、ってやつかしら。
「正直な話、結婚は苦痛だった」
「でしょうね」
割り切って結婚したくせに、甘えたことを言う。結局金のために我慢のできる人間ではなかったのだ、橋本純也という男は。彼は、鎮痛そうな声で言った。
「一馬、俺たちは女を好きにはなれない」
アタシはそうね、と相槌を打った。アタシは女を好きにはなれない。女を抱きたいとは思わない。それは今でも変わらない。
多分アタシは、妙子が男でも女でも、好きになっただろう。それはきっと、奇跡なのだ。
「結婚は止めない。だけど、何かよりどころがないと」
「拠り所?」
「話を聞いたりする相手」
純也がアタシを見つめる。きらきら輝く、酒に酔った瞳。
「話ね」
アタシは微笑み返した。
★
一時間ほど経ったころ、アタシと純也は店を出た。
「ちょっと飲みすぎたなあ」
純也がふらふらしながらつぶやく。
「ちょっと、大丈夫?」
「家に帰りたくないな。寒いし、一人だし」
彼はそうつぶやいて、アタシにもたれかかってきた。酒に潤んだ瞳がこちらを見つめる。やっぱりこの顔はタイプだ。
「一馬……」
唇が近づいてきた。酒臭い息を感じた瞬間、アタシは、純也の膝を蹴りつけた。
「だっ」
純也は悶絶したのち、アタシを見上げる。なんなの、その顔。股間を蹴らなかっただけ、マシだと思いなさいよ。
「一時間話して、確信したの」
アタシは彼を見下ろし、
「今のアンタに、毛ほども関心ないわ」
そう言って、さっさと歩き出した。背後から名前を呼ぶ声が聞こえたけど、無視する。
純也の気持ちはよくわかった。寂しいから、誰かにすがりたくなる。だけどそれは結局、相手を利用しているだけなのだ。純也はアタシを利用し、資産家の女の子を利用した。だから彼は、一人になった。
結局、今純也が寂しいのは自業自得なのだ。
★
自宅へ帰り着き、玄関をくぐると、すでに明かりが消えていた。時刻は十一時。もう寝ているんだろう。アタシは音を立てないように歩き、自室へ向かった。明かりの消えた部屋、妙子の布団が盛り上がっている。アタシはそっと襖を開け、布団に近づいていく。枕元に、ペンギンのぬいぐるみが転がっていた。
妙子の肩にそっと触れようとしたら、いきなり布団がばさりと跳ね上がる。寝間着姿の妙子が、迷子の子供みたいな目でこちらを見ていた。髪がくしゃくしゃになっている。
「起きてたの?」
「……」
妙子は何も言わず、ぎゅっとアタシにしがみついてくる。ほんとに、コアラの子供みたい。
「そんなになるなら、行くな、って言えばいいのに」
アタシは妙子を抱きしめ返した。
「信じてたけど、さみしくて、眠れなかった」
唇を重ねて、細い髪を撫でる。小さい手が、温かいからだが、愛おしくなる。うなじに触れたら、妙子が身じろぎした。
「一馬、さ」
「今日は、声出していいわよ」
アタシは妙子の寝間着に手を入れた。背中を撫でると、身体が震える。
「一馬さん、手、つめたい」
「アンタがあっためてよ」
妙子はほおを紅潮させ、小さく頷いた。衣摺れの音が部屋に響く。
「ケーキ、結構美味しかったわ」
「ほんと、ですか?」
「ええ。柔らかくて……甘かった」
アンタみたいね。アタシはそう言って、生クリームみたいに白い妙子の足を撫でた。妙子は瞳を潤ませる。
「溶け、ちゃう」
「そうね、早く食べないと」
アタシはそう言って、イチゴみたいに真っ赤な、妙子のほおを舐めた。
★
翌二十三日。両親が、新田ファームに帰還した。
「ただいま〜はい、お土産」
母がこけしを差し出してくる。
「温泉、よかったわ〜」
「で、どうだったの」
ちらちらこちらを見る。これは、さっさとこけしみたいな子をつくれってことかしら。アタシはしらばっくれた。
「さあね」
父親はアタシの顔を見て、なぜかぽん、と肩を叩いてきた。わかるのね、男って。
「可愛いですね、こけし」
妙子は新田家の攻防にも気づかず、そう言って目を緩めた。正直、妙子が買ってきたペンギンのほうが可愛いけど。アタシはそうね、と言い、こけしの頭を撫でた。
続きは未定。