錬金術師の気持ち
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今回の冒険もどうやら無事に終わりそうだ。
息を吐き出し、胸を撫で下ろしながら、月夜を見上げる。
相方であるリントウはもう眠りに就いただろうか?
気になって二人用の天幕の中を覗くと、彼は既にすやすやと寝息を立てていた。
「まったく、ずるい奴め」
狭い空間で異性が隣に寝ているという状況に、未だ馴染むことが出来ない。
私の気持ちを知る由もなく、リントウときたら……なんとも気持ちよさそうに眠っている。
「不公平だ」
そっととテントの中に入った私は、無防備なリントウの頬をつねってやりたくなった。しないけど。
野生の狼と無垢な子供が同居する、黒曜石の輝きを放つ瞳が今は閉じられている。
僅かに癖のある黒い髪。形の良い鼻と唇。本人は外見を全く気にしてはいないが、かっこいいいいと思う。
そんな彼と狭い天幕で一夜を過ごすのだから、落ち着かないというのは至極まっとう。
つまり私は正しい――よって被告人リントウには、私の起こした脳内裁判で有罪という判決が下される。
罰として彼の頬を指でつつくことにした。
「ふふ」
柔らかな頬を人差し指で押す。
「ん」
反応したリントウが僅かに声を漏らす。
が、起きる気配はない。
この男は一度眠ってしまったら最後、滅多なことでは起きないことを、私は長年の経験から知っていた。
無防備な相方の反応をひとしきり楽しんだ後、少しはだけていた毛布を掛け直してあげる。
さて――――私もそろそろ寝なくては。
明日は一日森の中を歩き通す予定なので、夜更かしすると体力がもたない。
「おやすみなさい。リントウ」
仰向けになって彼の横に並び、熟睡する相方に声を掛ける。
瞳を閉じると、間もなくしてまどろみが舞い降りてきた。
子供の頃から、自分の夢を追いかけていたリントウ。
私は、幼い頃から夢を追う彼の背中を追いかけていた。
きっとこれからもそれが続くだろう。
むしろずっと一緒……だったらいいなあ。
落ちかけた意識の狭間でぼんやりとそんな風に思っていた。
「ふあ、おはようシャミナ」
翌朝、顔を洗い、髪を櫛で梳かしていると、天幕の中からのっそりとリントウが現れた。
「おはよ、リントウ」
寝起きの彼を、私はきりりとした顔で迎える。
私の朝は相方のリントウよりも、常に少しだけ早い。女たる者、男よりも早く起きるべき、という信条があるから。ではなく、彼に寝顔を見られるのがなんとなく恥ずかしかったからだ。
木漏れ日が差し込む爽やかな朝。
「よし、出発前に腹拵えしていくか」
「そうね」
持ってきた黒パンにバターを塗ってから齧ると、口の中にまろやかな風味が広がった。
リントウは猛烈な勢いで口の中にパンの塊を放り込み、頬を膨らませる。
あ、これは……
もうまもなくして、相方がパンを喉に詰まらせると読んだ私は水筒を手に取って準備しておく。
「はい、水」
期待を裏切らずパンを喉に詰まらせ、苦しそうな顔で胸を叩くリントウは、私の手から水筒を受け取ると、口をつけてぐびぐびと飲んでいく。
「ぷは、ありがとうシャミナ」
窒息状態から解放されたリントウはなんとも晴れやかな顔をしていた。
「朝から忙しないわよ、リントウ」
子供の頃からの癖で、彼は食べるのが早い。
今はもう誰にも取られたりしないのに。
軽い食事を終えると、荷物を大きな背嚢に詰め込み、リントウが背負う。
「いこうか」
「ええ」
旅道具一式の詰まった背嚢を背負ってくれる、頼もしい相方に感謝しつつ返事をする。
私たちは探索した遺跡に別れを告げ、街へ戻るべく、森の中へ踏み込んでいった。
たっぷり膨らんだリュックを背負うリントウのすぐ後ろを歩く。
以前、何度か私も荷物を持とうかと申し出たことがあったが、彼は断固として拒否した。
リントウ曰く、身体を張るのは俺の役目なのだそうだ。
「シャミナ、あの人工遺物らしきものは一体何なのかな?」
歩きながら、リントウが尋ねてきた。
一晩経ってみて、あらためて手に入れた報酬の価値が気になったのだろう。
「うーん。遺跡の中にはそれを解明する手がかりになりそうな記述が無かったから、戻って調べないと分からないわね」
もちろん私も手に入れた報酬のことは気になる。特に金銭的価値。
「帰ってからのお楽しみってやつか」
「ええ、そんな感じのやつかな」
話をしていると、気が付いたことが。
「ただ、一つ思ったのは、あんな材質の紙。今まで目にしたことが無いわね」
未踏の地で手に入れた謎の白い紙切れ。仄かに熱を帯びたそれは、淡い輝きを放ち、不可思議な気配を纏わせていた。
もちろん昨日までは、そんな紙が存在するなどと微塵も思わなかった。
「ん? ということはもしや……」
私の言葉にリントウが反応。顎に手を当てて何かを想像しているようだ。
「この紙切れは、霧の向こうに広がる外界に存在していたモノかもしれない」
私は彼の想像を予測し、先に言葉として紡いであげた。
長年のパートナーである彼の考えそうなことなら、だいたいは分かるつもりだ。
「ということは、この紙切れに霧を超える手がかりが隠されている可能性もある?」
リントウの想像の翼がはためき、妄想の地へ羽ばたこうとする。
「いや、そこまでいくと話が飛躍し過ぎだと思うわ」
彼の想像に私の手が届かなくなる前に、制しておく。
今までの意見は、全てが推測にすぎないからだ。
「むー。そっか」
残念そうに肩を落とすリントウ。
「でも、可能性がまったくないってことはないかも」
がっかりした相方を見て、おもわず言葉が出てしまう。
でもまあ、不確かに過ぎる推測であっても淡い期待を抱くぐらいならいいわよね。
しょげるリントウを前に黙っていられなかった私は、心の中でそう言い訳をした。