使命と夢
「――あ、りがと、う」
地に伏したイスズズが吐血し、弱々しく口を開き言葉を絞り出す。
「お礼?」
イスズズに跨ったままの俺は、唐突な彼女の言葉に疑問の声をあげてしまう。
「……」
青い顔となったイスズズが微笑すると、目からは一滴の涙が毀れる。
哀しくも満ち足りたかのように泣き笑うイスズズは、とても無差別に人を殺める輩には見えなかった。
戦いの最中には考えもしなかったが、彼女にも色々と事情があるようだ。
「腹を割って話をしよう。重傷だが、あんたならこの傷も治癒出来るだろう?」
本来ならば即死。が、彼女が俺の知る普通の人間ではないことは、以前の戦いから分かっている。
イスズズならば、きっと致命傷からも復帰してくる。
「そう、だな」
俺は静かに立ちあがりイスズズから離れていく。
シャミナの方を見ると、頭を押さえつつも立ち上がり、ふらふらしながら俺の元へと歩き出していた。
「大丈夫か?」
「ええ、頭痛がひどかったけど、だいぶ良くなったわ。リントウの方こそ重傷じゃない。すぐに治療しないと」
シャミナが杖の先を斬り裂かれた俺の胴体に向け、光系回復魔法《癒光柔波》を発動。
淡い光に傷口が包まれていくと、流れていた血が止まり薄い皮が裂傷を塞いだ。
「ありがとう」
既に流してしまった分の血は戻らないが、新たに流血することは防げた。
「いえ、大事な場面で役に立てずにごめんなさい」
歯噛したシャミナが申し訳なさそうに謝る。
鈴の音を利用した状態異常魔法のせいで、後半何も出来なかったことを悔やんでいるのだろう。
「二人いるのだから、独りが駄目な時はもう片方が頑張ればいいさ。仲間ってそういうものだろう?」
「……そうね」
逡巡した後にこくりと頷くシャミナ。
迷いはしたが、俺の言葉を受け入れたらしい。
「お前たちは、良い関係なのだな。まったくもって羨ましい」
僅かに目を離した間に身体を繋ぎ合わせ、傷を修復したイスズズが、仰向けのまま空に向かって言葉を吐き出す。
「何言っている? お前にも仲間がいるだろう?」
「タイガガのことか。あいつには感謝してもしきれない、な」
遠い目で空を見つめるイスズズの顔には寂寥が滲んでいた。
「思っているなら次に会った時にでも直接本人に伝えればいい」
それは世に絶望し悲嘆にくれている女の顔ではなく、覚悟を決め、定めに恭順している殉教者の表情だった。
「そうだな、その言葉、胸に刻んでおこう」
「イスズズ、どうしてあんたは人を襲ったんだ?」
こうして話していると、悪い奴には見えない。
「今、この時を迎えるためだ」
何かを含んだような答えを口にしながら、イスズズはゆっくりと立ち上がった。
「リントウにシャミナ。私の質問に答えてくれ。お前たちは命を懸けて霧の向こうに広がる世界に赴く覚悟はあるか?」
イスズズの瞳から哀の趣が消え、眼光に鋭さが宿った。
「「当然」」
俺とシャミナの声が綺麗に揃う。
「そうか、ならばお前たちに渡界する為の方法を教え、授けよう。お前たちが外界と呼ぶ世界であるカンドーシアに渡る為には、刻命の呪いを身に刻む必要がある。呪いの印たる呪印がなければどうやっても霧を越え、カンドーシアに渡ることは不可能だ」
思いもよらない事実に息を飲み、顔を見合わせる俺とシャミナ。
「だからどんなに進んでも、上から飛び越えようとしても霧を抜けることが出来なかったのか」
「ああ。その通りだ。この呪印式は二つの世界を繋ぐ門番へと代々受け継がれてきた。既に気が付いているだろうがその門番が私だ」
「つまりあんたが俺たちの身体に呪印を刻んでくれれば、渡界出来るってことだな?」
小さな頃からの夢に近づいているという事態に気分が高揚していく。
「その通り。だが呪印は世界を渡る鍵であると同時に、身を蝕む呪いでもある。その身に呪印を刻まれたものは命の刻限が定められることになり、時が満ちれば死することとなる」
「なっ!」
雷でうたれたかのように固まる俺。
イスズズの口から出た言葉が予想外に過ぎたのだ。
「その証拠が我が身体にもある」
ふいにイスズズが袴をはだけさせると豊かな胸の谷間が外気に晒される。鎖骨の下には黒い円と半分に分かつ一本の縦線が刻まれていた。
「呪いを受けてから死に至るまでの時間は個人差がある。ちなみに、私はもう長くない。この最後の線が消えた時、わが命は潰える」
死期を悟っているせいなのか、俺たちに語りかけるイスズズの顔には名状し難い神聖さがあった。
「呪印を解呪する方法はないの?」
鼻先に皺を寄せたシャミナが、たまらずといった様子で言葉を吐き出す。
「方法はカンドーシアの何処かに記されていると言われている」
「言われている? だったらあなた、こんなことしている場合じゃないでしょう! 早く解呪する方法をカンドーシアに行って探しに行きなさいよ!」
死が近いにも係らず泰然としているイスズズに対し、シャミナが遠慮呵責のない怒りをぶつける。
イスズズがついさっきまで命を懸けて戦っていた敵だったとか、シャミナはもう忘れているだろう。
俺の相棒はなんだかんだで情が深いのだ。
「そなたの言うとおり。この世界からカンドーシアに渡った者は、死の定めを覆すために自らの生命を賭して、呪いを解く方法を探す冒険に出ることになる。お前たちにその覚悟を問いたい」
「私たちのことよりも、まず自分の心配をしなさい!」
激昂するシャミナは、聞き分けのない子供を叱っているようだった。
「優しい心の持ち主だな。最後にお前のような人間に会えてよかった」
宗教画に描かれている聖母のようにイスズズが微笑む。
「笑っている場合じゃないでしょう!」
既に死を受け入れているかの如きイスズズの態度に納得がいかない様子のシャミナ。
気持は分かる。
「あんたが死んだら残されたタイガガはどうする?」
自分はよくとも残された相棒の気持はどうなる?
「……彼には私が死んだらあとは自由にしてくれと言ってある」
俺の言葉によって晴れやかですらあったイスズズの顔に陰りが滲む。
彼女だって、本当は残されたタイガガのことが気になっているのだろう。
「その言葉でタイガガは納得したのか?」
「ああ。彼は私の使命を知っているからな。私はカンドーシアに渡るに相応しい人間を選定しなければならないのだ。そして遂に、いまわの際で願いを託すにふさわしい前たちという人間を見つけることが出来た。よかった」
「あんたの気持ちが理解出来ない」
「自負している。だが、お前たちだって危険を顧みず未知に手を伸ばしてきただろう? その行為が他人に理解されていると思うか?」
「……」
俺とシャミナが思わず目を合わせる。
「思わないな」
イスズズの言うとおり、俺とシャミナも常人からすれば理解し難い存在なのだろう。自覚せざるを得ない。
「善き心を持ったアストヴェリアの人の子よ。命を賭してカンドーシアに来てはくれまいか?」
イスズズがひざまつき、恭しく頭を垂れる。
王の審判を待つ忠臣のように、じっと返事を待っていた。




