出撃当日
「悪いのだけど、新しい指輪は、一度使ったら調整が必要になるから、いざという時まで使用は控えてちょうだい」
俺の逸る気持ちを見抜いたシャミナがやんわりと告げる。
「わかった」
新たな力はまだ試作段階らしい。
残念だが、まあ仕方ない。楽しみは土壇場までとっておけということか。
「仕込みが終わったのなら、あとは本番に備えてゆっくり休もう」
俺は家に戻ろうとシャミナを促す。
お互いに出来ることはした。
あとはしかるべき時に力を発揮するだけだ。
「そうね、私もさすがに疲れたわ」
手に口を当て、欠伸をこらえるシャミナ。
働き者の彼女は、連日僅かな睡眠時間で頑張っていた。
目的を成し得た今、疲れがどっと押し寄せているのだろう。
「なんなら此処から寝台まで俺が運んであげようか?」
俺は眠そうにしている相棒へ、労いと感謝の意から具申する。
「……それくらい自分で行くわよ。と言いたいところだけど、今回は特別にリントウのお言葉に甘えてあげます」
逡巡したシャミナの瞳が煌めくと、いきなり俺の背中に「えい」と言って飛びついてきた。
「っと、いきなりだな。じゃあいくよ」
俺の首に細い腕が回されると同時に、背中に心地良い温もりも感じた。
「ふふん。ゆっくりでいいわよ」
吐息が首筋にかかり、微かにくすぐったい。
さらに、密着したシャミナの身体からは、菫を想起させる微かに甘い匂いが香り鼻をくすぐる。
触覚と嗅覚をやんわり刺激された俺は自然と笑い顔になってしまった。
「了解」
シャミナの膝裏に手を差し込み、身体を支え歩き出す。
こそばゆいが、心と身体を撫でられるこのくすぐったさは悪くない。というより好きだ。
だから、彼女の要望通りにゆっくりと足を進めた。
シャミナを寝台に横たえ、毛布を掛ける。
「おやすみ」
彼女が眠りに就いたことを看取り、俺は静かに部屋をあとにした。
本当はもう少し彼女の傍に居たかったが、シャミナが寝顔を見られるのが好きではないことを、俺は知っていたのだ。
「相棒にここまでさせたのだから、期待に応えないといけないな」
身を粉にしてダマスカスハウルの改良に取り組んだシャミナ。
自分のことではなく、相棒の俺の為に、彼女は全力を尽くしたのだ。
ならば俺も、全霊を以て応じなければ。
シャミナの所業を想い、身体が芯から熱くなっていく。
「本番前に熱くなり過ぎだな」
思考を遮断。滾るのはまだ早い。
外に出て、火照り始めた身体を夜風に晒す。
ひょっとしたら明日はイスズズの仕掛けた罠にまんまと嵌りに行くのかもしれない。だが、仕掛けられた罠など食い破ってしまえばいい。
夜も更けてきた頃、俺も眠りに就いた。
翌日、俺とシャミナはレッシュたちと合流しテルミテ街道に向かった。
「けっきょくイスズズたちは何の目的があって私たちを呼んだのかしらね?」
道中、これまで横たわっていた疑問をシャミナが口にした。
「ふん、得体の知れない輩の考えることなど分かるはずがないだろう」
鼻を鳴らしたレッシュが話を流す。
「分からないなら、本人たちに聞いてみるしかないか」
怒りすら孕んでいた獣人タイガガの瞳。対照的に、静かで彼岸を見ているようだったイスズズの眼。
それぞれ違う感情を目の中に滲ませていたようだが、きっと理由があるはず。
「既に我々は奴等の誘い水を飲み込み、始末をつけると決めたのだ。腹は括っておけ」
銀の剣士が覚悟を皆に促すと、彼に背負われていたアリスが欠伸をして応える。
金髪の小さな魔女は、どこに向かい何をしようが、興味がないのだろう。
「随分と恰好の良い台詞だけど、その状態で言われても、いまひとつ締まらないわね」
自分が思っていたことをシャミナが代弁してくれた。さすが相棒。
「余計なお世話だ。無礼女」
レッシュが目を怒らせて抗弁。
「あら、お世話しているのは相方をおんぶしている貴方の方ではなくて?」
シャミナが婉然と微笑みレッシュを挑発。
「口の減らない女が。獣人の前にお前を斬ってしまってもいいのだぞ?」
秀麗な顔を歪めてレッシュが憤る。
本番を前に、舌戦が始まっていた。
「あら、高貴な騎士様ともあろう輩が、か弱い女を斬るというの?」
笑みを深めてシャミナが言葉を返す。
「私とて心苦しいが、それでも民衆の為に邪悪な錬金術師は成敗せねばなるまい」
とても楽しそうにレッシュが応じる。
「あらあら、呪われ剣士様ほどに邪悪な存在はこの世に居ないと思っていたわ」
「ふん。腐れ錬金術師は、口だけは一丁前のようだ」
「自分が不利と悟るやいなや、話を逸らして相手を罵倒するだなんて。高潔すぎて鼻で笑いたくなるわね、騎士様」
「自称乙女の守銭奴魔法使いは、愚弄嘲弄だけはおてのものらしいな」
嫌味の女王と悪口の貴公子が真っ向から対峙。
沸騰したシャミナとレッシュの身体から、不可視の蒸気が立ち昇っているかのように視えた。
厳しい戦いを前に、二人はお互いを罵りあうことによって気分を高めているのだろう。
なんとも頼もしいことだ。――が、あまり関わりたくはない。
「五月蝿いわよ、二人とも。もう少し静かに歩きなさい。まったくお子様なのだから」
言葉の剣と矛が突き出される戦場にアリスの声が舞い降りる。
「貴方に言われたくないわよ」「お前に言われたくはない」
その瞬間、いがみ合っていた二人の声が揃う。
「やっぱり二人は似たもの同士だ」
見事な合唱に思わず言葉が出てしまう。
「「断じて違う」」
すると、またもやシャミナとレッシュの声が重なる。
誰がなんと言おうとも、この瞬間、二人の息はぴったりだった。
気負うこともなく、以前にイスズズたちと遭遇した場所に到着。
ここから本格的な追跡が始まる。
「シャミナ。頼む」
頷いたシャミナが胸元から首飾りを取り出しプラーナを注ぐ。
すると先に付いた三角の板が追跡粉に反応。粉の振りかかった三角の頂点が、斜め前を指し示す。
俺たちは板に導かれ歩き始める。
石畳の路を外れ、草木の生えない荒野へ突入。
岩と砂だけしか存在しない世界に燦燦と日差しが降り注ぐ。
「見渡す限り、何も見えないな。そのおもちゃは本当に信頼に足るのか?」
レッシュがどこまでも変り映えしない景色に疑念を抱く。
「ああ、これまで幾度と無く追跡粉を使ってきた。今回もきっと大丈夫さ」
憮然とするシャミナに代わり、俺が返事をしておく。
「ふん」
容赦のない日差しを受け、蒼白となったレッシュが日光から逃れようとするかのように歩みを速める。
彼は太陽があまり得意ではないのだ。
「む、霧が出てきたか」
三角板の示す方へひたすら歩いていると、そのうちもやっとたし霧が顕れ始めた。
世界の境界線に近づいている証拠だ。
「気を引き締めていこう」
俺たちは歩く。すると次第にと霧が濃くなっていく。
視界が悪くなり、白に染まっていく。
いつもであれば、このまま進み続けても、霧を抜けることは出来ず、来た道を戻るしかない。
だが今は、三角板の示す方へと向かって突き進んでいく。
立ち込める霧の量が増大し、辺りは白の世界となる。
「みんな、はぐれないようにな」
「ええ」
「お前がな」
「着いたら起こしてちょうだい」
全員の声を確認。今のところ四人揃っている。
俺は隣に居るシャミナの手を引っ掴む。
霧の中というよりは、白い水の中を歩いているようだ。
警戒心が強くなる。
「待ちくたびれたぞ、人間」
涼やかな声が響き渡ると、雲母の如き霧がさっと引いていった。
「イスズズ。待たせたな」
霧が散った後に現れたのは、人間離れした美貌の持ち主。




