世間知らずな主と心配性な従者
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人の世に自分やタイガガという異分子が交われば混乱を招く。
幼い頃よりそう教えられてきたイスズズは、刻命の呪を刻まれてからも、ひたすら冒険者がやってくるのを待った。彼女はとある無法者の冒険者と違い、定められた運命に抵抗するという発想がなかったのだ。
冒険者たちが外界に赴くつもりならば、この遺跡が終着点となる。
故に、この場で待ち続けていれば冒険者がいつかきっとやって来ると無垢なイスズズは信じていた。
だがその期待は、遠慮呵責など一切ない時の経過によって刻み裂かれていった。
「初めは十二本あった線も、とうとう残り一本だけになってしまった」
冒険者を待っている間に、イスズズの命は呪いによって刻まれていき、彼女に残された時間は僅かとなってしまった。
「希望を捨ててはいけません」
タイガガは、空々しい言葉で主を慰めることしか出来ない自分が歯がゆい。
自分が主の呪いを引き受けることが出来たら、どんなに良いだろうか?
そう思わない日はなかった。
「タイガガよ。私は間違っていた」
終わりの時が近づいてきたことにより、イスズズはようやく気が付いた。
「イスズズ様」
「私は此処で座して待っているべきではなかった。教えを破ってでも外に出て冒険者たちに事情を話し、協力を願うべきだった」
「それは……」
おそらく良い結果を生まないことになるでしょう。
と、タイガガは言いかけたが、彼女の幻想を壊したくなかったので、言いよどんだ。
この世界の現実を知る由もないイスズズは、冒険者というものをある意味神聖化している。
が、タイガガの知る何人かの冒険者は浅ましく傲慢で、目的の為には手段を選ばない輩たちだった。
「いや、今からでもそうするべきだ」
「イスズズ様が人の世に出ると言うならば、私もお供いたします」
「分かった。ただ強面のタイガガの姿を見てこの世界の人間がびっくりしてはいけない。ひとまずは潜んでいてくれ」
「かしこまりました」
「では、参ろう」
こうしてイスズズは生まれて初めて冒険に出ることになった。
「なんだ、お前。いかれているのか?」
人の世でイスズズが初めて出会ったのは、実用性よりも見た目を重視した豪奢な服を身に包んだ肥満体の男。
自らを冒険者だと名乗った男は、イスズズの想像とは大きくかけ離れた風貌をしていた。
「いえ、私はいたって真面目に話しています」
舐めまわすようにイスズズの全身を眺める男。
「あんた、中身は駄目そうだが、外見は極上だな」
「なんでしょう?」
「あんた一人か? よければ俺が世話してやってもいいぞ」
「本当ですか?」
「ああ、それなりの礼はもらうがな」
「はい、なんでもおっしゃって下さい」
自称冒険者の邪な企みに気付かないイスズズは、素直に感謝を示してしまう。
縋る想いだったイスズズは、言われるがまま、男の後に付いて行った。
それが、不幸の始まり。
宿場についたところで、男の本能が剥き出しとなり、イスズズは己自身を要求されてしまう。
「汚い手でわが主に触れるな!」
太い指がイスズズの端正な顔に触れた瞬間、ついに我慢の限界が超えたタイガガが主の影法師から出現。
肥満男の手を払いのける。
「なんだ、お前⁉」
情事を邪魔された男が怒り、寝台の脇に置いた剣帯から剣を引き抜く。
「去れ!」
主が胸ときめかせる、冒険者という存在を貶める目の前の男に怒りを覚えたタイガガは、大きな声を張り上げる。
タイガガは感情の昂ぶりにより、人の状態から半獣人の姿へと無意識のうちに変身していた。
「化け物! 怪物がでたぞ! 誰か来てくれ!」
男が剣を構えつつ周りに助けを求める。
「イスズズ様は隠れていて下さい」
タイガガは瞋恚の眼差しを男に向けながら、主を己の背中に隠す。
「だが……」
自分のせいで騒ぎになってしまったという罪悪感がイスズズの胸中にうずまき、責任を取らねばと思う。が、人と接した経験の乏しい彼女はどうしたらよいのかが分からない。
「早く!」
有無を言わせぬ強い口調でタイガガは主を促す。
逡巡の末、イスズズは従者の言葉に従い黒い膜で己を包み、手のひらに乗る大きさの黒球体へと姿を変えるとタイガガの懐へと飛んで行った。
壁に囲まれた部屋の中で、タイガガと男が正面から対峙。
男の呼びかけにより外からは幾つもの足音が近づいて来る。
「だから人間は嫌いなのだ」
こちらが何をしたというわけではないのに、この人ならざる姿を見て恐れ敵意を示す。
――自分は何もしていないというのに。
さらには、自分一人に対していったいどれだけの人数で応じようというのか?
「新種の怪物め! この宿場町に滞在する何人もの冒険者たちから逃げられると思うなよ!」
豊満な身体を震わせながら、剣を構えた男が凄む。
「逃げはしない。だが、押し通らせてもらう!」
何より、主の無垢な想いを踏みにじったことが許せない。
「怪物ぶぜいが偉そうに人の言葉を話すな!」
間もなく到着するだろう援軍という存在が、いつになく男の気を大きくさせていた。
「グオオオオォッ!」
肥満男に応じ、タイガガが吠え猛る。
獣の咆哮が夜の街を迸ると、それが惨劇の始まりとなった。
◇
前触れもなく、糸の切れた人形のようにシャミナの身体が突然崩れ落ちる。
「シャミナ!」
俺は咄嗟に腕を差し込み彼女の華奢な身体を支える。
「……」
呼びかけに反応はない。瞼が閉じている。
微かに胸が上下していることから、呼吸はしている模様。
「眠ったのか?」
俺は過去何度かの経験をもとに、今回もシャミナが身体を酷使した結果、昏睡してしまったと判断。そのまま抱えて寝台まで運ぶことにした。
「やれやれ。倒れる前に一言教えてほしいものだ」
こっちとしても、驚く暇もないほどに唐突に倒れる人間を支えるのは楽ではないのだ。
シャミナを寝台に横たえ、毛布をかける。
彼女はすやすやと気持ちよさそうに眠っていた。
「倒れるまで無理するとはな。シャミナは落ち着いているようで、むしろ俺よりもむこうみずだな」
微かに寝息を立てる相棒を見下ろし、愚痴を告げる。そういえば、今なら言い放題だな。
「でもまあ、たいした奴だよ」
俺やレッシュのような体が資本の前衛職とは違い、彼女の身体は細く体力だって人並みのはずだ。
にも係らず、ここ最近シャミナは身を粉にして作業に没頭していた。
「俺も頑張り屋のシャミナに報いないといけないな」
俺としても甲斐甲斐しい相棒に甘えているばかりではいけない。
どうしたって危険に遭遇することが多い今の生活。その中でも、何が在ろうと彼女の身の安全だけは守りたい。
目の届く範囲にシャミナがいる限り、俺は全霊を尽くして彼女を守り、誠意に報いる所存だ。
「じゃあ、いってくる」
その為に、やるべきことをやらねば。
深い眠りに入ったシャミナに声を掛け、俺は外に出た。
出発まで残り一日半。
思い切り身体をいじめられるのも、今日が最後かもしれない。
「リントウよ。待ちくたびれたぞ」
広場に着くと、果し合いに臨む剣士の如く殺気を散らすレッシュが腕を組んで立っていた。
「ああ、すまない」
早く俺と剣を交えたくてうずうずしていたのだろう。
気持ちは分かる。俺も似たような気分だから。
「今からお前の準備運動を待つほど、私はお人よしではないぞ」
レッシュが鞘に納められた剣を俺に向かって投げ寄越す。
「ああ。もう充分温まっているさ」
体はともかく、心はな。
俺は放られた剣を掴み、鞘から刀身を引き抜いて切っ先をレッシュに向ける。
「良い答えだ」
レッシュもアゾット剣を構え俺と対峙。
銀浪の瞳には、これから繰り広げられる戦いに期待し、研ぎ澄まされた刃の鋭さと輝きが同居していた。




