使命決断
「おい錬金術師。あの女たちはどこへ向かったのだと思う?」
レッシュがシャミナに質問。
「……わからない。けど」
「追跡粉は付けられたのだろう?」
言葉を継いで、俺が確認する。
「ええ」
シャミナは頷く。
追跡粉とは、名の通りの粉末であり、粉をふりかけた相手の大まかな位置を知ることができるという代物だ。
俺とレッシュがイスズズという女と会話をしている最中に、シャミナは錬金道具である追跡粉を地に伏していたタイガガにふりかけていたのだ。
会話の途中で女がタイガガを連れて退却しようとしていることに気がついた俺は、咄嗟にシャミナに合図を送り、彼女はそれを理解し実行したのだ。
逃げた標的を追跡するために使っていた錬金道具がここでも役に立った。
「どうする? もしや今から追いかけるつもり?」
シャミナが険しい顔で問う。
俺は顎に手を添えて考えてみる。
今から奴を追うべきか? それともここは大人しく戻るべきか。
「今は戻ろう。イスズズは七日ほど待つと言っていたしな」
迷う必要などなかった。
ひとまずの依頼は達成したのだ。報告しなければならないこともある。
それに白状すれば、あのイスズズという女に今の俺たちが太刀打ちできるのかが疑問でもあった。
何せ相手には物理と魔法の両方を防いでしまう結界があるのだ。
さすがにこんな出鱈目な能力を持つ相手は初めてだ。
故に一旦戻って体勢を整え対策を講じる必要があるだろう。
「レッシュもそれでいいよな?」
「業腹だが、しかたあるまい」
強気だが、短慮ではない好敵手も俺の意見に賛同してくれた。
依頼を片付けた俺たちは、そのまま追撃をすることはせず街へと戻っていった。
†
イスズズが人間の住む世界であるアストランテへ来て十数年。
年月を経て彼女はすくすくと育ち、幼き少女から、見目麗しい女性へと変貌を遂げていた。
典雅な模様が彫り込められた柱が立ち並ぶ神殿の最奥で、イスズズがお気に入りの冒険譚を読んでいると、背後に気配が。
「あなたに伝えねばならぬことがあります」
声に反応したイスズズが振り返ると、普段から気難しい顔をしていたタイガガが、いつもより輪をかけて神妙な顔をしていた。
「ついに隠し事を教えてくれる気になったのね」
聡いイスズズは、従者のタイガガがずっと秘め事を胸に抱いていることに気が付いていた。
「今まで黙っていて申し訳ありませんでした」
一方で、己を隠し事が苦手な不器用者だと自覚しているタイガガも、秘め事を見破られているだろうと心のどこかで思ってはいた。
「それで、どんなお話なのかしら?」
「……貴方は道を選ばなければなりません。一つは命を懸けて一族の使命をまっとうする道。もう一つは、このまま何をするでもなく、この場に留まり続ける道です」
悲壮な顔で謎めいた言葉を紡ぐタイガガは、まっすぐにイスズズを見つめた。
「幼い私がカンドーシアからアストランテへと渡界したのも、一族の使命とやらが関係しているのかしら?」
「はい。使命を全うするならば、貴方は今より刻命の呪をその身に刻みこみ、体得しなければなりません。成人するこの日をおいて、貴方が刻命の呪を会得する機会はないのです」
「呪を刻む?」
「この地より、我々の故郷であるカンドーシアへと渡る為に必要な印を身体に刻むことです」
「それじゃあ、刻命の呪いを受ければ、私は生まれた世界に帰れるの?」
「はい。ですが一つ重大な問題があります。刻命の呪印は二つの世界を繋ぐ門を通る通行証ですが、同時に刻まれた者の命を蝕む呪いでもあります」
苦々しい想いに苛まれながら、タイガガは残酷な事実を伝えるという己の役割を果たそうとした。
「……命を蝕む呪いというのは?」
イスズズは唐突に語られた不吉な言葉を飲み込み、疑問を投げる。
「呪いを受けた者は肌のどこかに交差する十二本の線印が刻まれます。その線は時間と共に一本ずつ消えていき、最後の線が消えた瞬間に呪いが成就し死に絶えるというものです。線が消えるまでの時間は非情に個人差があり、はっきりとしたことは私にもわかりません」
「そう、なのね」
おぞましい刻命の呪いの全容を聞いたイスズズが静かに呟く。
「貴方の一族に伝わる使命。それはこの地で人間を待ち、出会った人間がカンドーシアに平和と安寧をもたらす存在かを見極めることです」
「そしてこれだと思う人間と接触出来たのなら、私は自身が体得した呪いを今度は冒険者へと刻み込み、カンドーシアへ行って下さいと頼みこむわけね」
おおよその事情を理解し、あまりにも身勝手な話に顔を歪めたイスズズが、タイガガの言葉を継ぎ足していく。
「はい。呪印を消すにはカンドーシアへ渡って解呪の方法を見つけるしかないため、呪いをうけた冒険者はこちらの言うことを聞くしかありません」
「なんて都合の良い話なの! 私は憧れている冒険者へ通行証代わりの呪いをかけ、図々しくも助けて下さいとお願しなければならないというの?」
イスズズは既に顔も覚えていない同胞たちが恨めしかった。
「それが、貴方の一族が代々背負ってきた選定者としての役割です。歴代のお方々も、冒険者を選び説き伏せ、一緒にカンドーシアへとお戻りになられました。私はずっとそれを見続けてきたのです」
「日々の鍛錬は、選んだ冒険者と一緒にカンドーシアを旅する為のものだったのね」
イスズズはこの人目につかない神殿で毎日行われたタイガガとの厳しい訓練を思い出し、なぜ身体を鍛え、技を磨く必要があったのか合点がいった。
「正直に申し上げます。私はイスズズ様にこの残酷な使命を果たしてほしいとは思っていません。もし出来るのならば、もう主人が苦しむ姿を私は見たくはない」
「もし私が指名を果たさなかった場合、どうなるの?」
「……近いうちに別の方がまたこの世界へと送られてきます」
拒否を示せば、新たな生贄が用意されることとなる。
吐き気がするほど卑しい習慣にイスズズは顔をしかめた。
「それなら使命を果たした場合は?」
「貴方はこの残酷な伝統に携わる最後の巫女として、一族の歴史に名を残すことになります。連綿と続いてきたこの呪われた儀式は、次に冒険者を呼び込んだ時点で終わりにすると聞いています。幼い貴方と一緒に、その旨を記した文が向こうの世界から送られてきたのです」
「なにそれ、とんだ貧乏くじじゃない。なんだかやりきれないわ」
イスズズの皮肉と嘆きを、タイガガはただ黙って聞く。彼にはそうすることしか出来なかったのだ。
「――――いいでしょう。不肖イスズズが一族の役目を全う致します」
幾ばくか逡巡を重ねたイスズズは、投げやりになることなく、はっきりとした意思を言葉に乗せた。
「……分かりました」
己が予想していた通りの主人の言葉に、心の内でタイガガは落胆する。やはり主は呪いをその身に刻む道を選んでしまった。
「後の人に犠牲を回すのは嫌。それに、使命とやらこなせば、本の中に描かれているような一流の冒険者と一緒に旅を出来るのでしょう? 呪われるのは嫌だけど、悪いことばかりではないわ」
長い時を二人で過ごしてきたおかげで、イスズズが優しく健やかな心を持っていることをタイガガは知っていた。
「ですが……」
主人の決断に口を挟むことは、従者として失格かもしれないが、あまりにも自己を顧みないイスズズの発言にタイガガはつい口が出てしまう。
「きっとこの世界には、命を賭けてでも未知の世界に行きたがるお馬鹿で愉快な冒険者がたくさんいる。ならば私は、彼らと一緒に竜退治でもする日を夢見て待ち続けましょう」
外に出ることを許されなかったイスズズにとって、冒険者とは命知らずで好奇心旺盛な存在。しかしながら周囲に優しく情にも篤い、物語の主人公のような存在だった。
「イスズズ様」
どんな言葉を並べ立てられても、主人の身を案じずにはいられないタイガガ。
「心配しないで。タイガガが傍にいるし、呪いなんてちっとも怖くないわ」
一方で、辛い選択をしたにもかかわらず、あくまで前向きな姿勢を示す主の姿に心打たれたタイガガは、生涯の忠誠を胸の内で誓ったのだった。




