なにがどうしてこうなった!
今日は良い天気。
待ち合わせ場所のオープンカフェにも気持ちの良い風が吹いていて、頑張ってセットした髪が飛びそうになり、ひやひやしている。爽やかなかわいらしさをコンセプトにした水色のワンピースは、汗ジミができないか心配になっている。
ああ、暑い。
いつもは売れない俳優の卵をしているけれど、今日は急に都合が悪くなった友人の代わりに、人材派遣会社から紹介されたアルバイトに来ていた。
演技の練習になる仕事なので、全力で頑張りたいと思うが、暑い。
暑さにぐったりした頃、待ち合わせ場所に来たのは、一組の男女。
事前に受け取ったメモによると、男性の恋人のふりをするのが今日のお仕事だそう。
相手からの指定は「誰もが振り返るような美人」ですか。
うん、……鏡を見て、自分と釣り合うかどうか確かめて欲しいなあ。自分で言うのもなんだけど、今日はとても『美人』に仕上がっているはず。だから『美女と野獣』ならぬ、「美人とフツメン」。
釣り合わないね。
「待たせたな」
そう言ってフツメン男性に隣を陣取られた。
わあ、近い。あまり近付かれるのも困る、でも仕事なので耐えよう。暑いなあ。演技に集中しないとなあ。ばれたら……考えるだけでも恐ろしい。
心の中でわたわたしている間に、二人とも席に座り、店員が注文を取りに来た。
「俺はアイスコーヒー、お前は」
「アイスティーを」
「お前に聞いたんじゃない、こいつに聞いたんだ」
フツメン男が、目の前の女性を睨み付けながら、こちらを指差す。この男は、全体を通して女性に対して態度が悪いし、配慮がない。人を指差さないでいただきたい、イエローカードだ。
そんな、我々の席に漂う一触即発の雰囲気を破ったのは、
「こちらぁ、ラズベリースカッシュでぇーす?あ、ストロー忘れちゃいましたあ。今とってきまぁす、ごめんなさぁい」
ちょっとドジッ子なかわいい店員さんだった。
すでに注文しておいた飲み物を持って来たうえ、フツメン君にかわいらしく謝ったので、ぴりぴりした雰囲気は消えた。よかった。
フツメンちょろい。
そうこうしているうちに、注文品がすべて揃う。
今日はイイ天気。
夏。
店の外は珍しくさわやかな風が吹いてはいるけれど、我々以外誰もいない。
……暑いので、クーラーの効いた店内に入りたい。 汗で、美人の仮面が落ちそう。
そんな暑い中、とうとう修羅場らしきものが始まった。
(今日の仕事※男の恋人のフリ)
「……話とは一体なんでしょうか」
女性がフツメンに話し掛ける。
外見はぱっとしない感じだけれど、地味なだけで造作は悪くない。むしろフツメン君に比べて、顔は格段に整っている。
磨けば光るダイヤの原石、というか……宝石を安いハンカチで包んでいる感じ。……中身が見たくてむずむずする。
絶対、この人は綺麗!今まで、何人も芸能人や俳優の卵たちに会ってきたけれど、同じくらい?それ以上かも。
まじまじと女性を見つめていると、フツメンが口を開いた。
「俺は好きな子ができた。だから、お前との婚約を破棄したい」
思わず、ラズベリースカッシュを鼻から噴射しそうになった。
ああ、このフツメンはなんてもったいない。
別れるなら進呈していただきたい。マジで。
「もともと、この婚約はお前と俺のじーさんたちが決めた話だ。好きな相手ができたら無効になる、口約束でしかない」
そこで、ぐっと肩を抱かれた。近い、顔近い。ヒゲがぁあ、嫌、ダメ、あっち向け。暑い、離れろ。
「彼女と俺は愛し合ってる。お前とは、だから婚約破棄だ」
ああ、こういう話だったので、人に聞かれない席を選んだのかぁ。互いの家とかでやればいいのに、と思ったけれど、家族に『偽恋人』がバレてもいけないのかな。もしかしたら家族には『本物』を紹介しているのかもしれない。
……しかし、暑いなあ。スカートが脚にまとわり付いてうっとおしい。
フツメンの彼に、本当に恋人がいるのかいないのかは知らないけれど、彼女と婚約破棄したいのは本当のよう。
なぜ?どうして?
派手ではないが、容姿は整っている。話し方にも品がある。この男のレベルでは、多分一生掛けても手に入れることはできないランクの女性なのに。
「……わかりました。あなたの意思は理解しました。祖父同士の口約束ですもの、愛する人が見つかったなら……無効ですね。私の方で手続きは済ませておきます。……さようなら」
「会社の経営立て直し頑張れよ〜」
「……ッ」
からかいを含んだフツメンの言葉に、彼女の表情が乱れた。フツメンを射殺すような目で見ている。
「……誰の、せいだと」
女性は小さな声でそうつぶやく。そうして、自然な動作で伝票を持って去って行った。
今すぐに、彼女を追い掛けたい衝動に駆られた。これは演技で、恋人のフリだと言ってしまえたら……
そんな葛藤をしているのに、残されたフツメンは女性が去ると、馴々しく寄ってきたのでイラついた。
「今日はサンキュー!ねえ、これから暇なら遊ばない?メシ行こうよ。いやあ、こんな美人が来たなんてラッキーだなあ。あいつとは段違いだ」
いらつく気持ちを隠し、できるだけ可愛らしい声を出す。聞きたいことに答えてもらおう。
「……どうして、別れるんですか」
「ああ俺、彼女いるし。でも、きみが本当の恋人になってくれるならそっちとも別れるよ。どう?」
……なんだそれは。
「本当の彼女がいるなら、どうして恋人代理を?」
金を掛けて人を雇うより、本物のほうが早くて確実ではないのか。
「彼女、婚約者とは直接会いたくないって言うからさ。あと、もしかしたら運命の出会いがあるかもって期待してたんだよね」
口説いてくるフツメンがうざいので、無視して帰ることにした。荷物を持って立ち上がると、フツメンがあわてて腕を掴んできた。うざい。
「放せ、次の仕事がある」
「……え?」
我慢できず普通の声で断ったら、フツメンは固まってしまった。
人材派遣会社に文句を言ってももう知らない。だって今日はピンチヒッター。
条件は『美人』。
『美女』という指定ではなかったはず。
「じゃあ」
茫然とするフツメンを残し、俺は走りだした。
フツメンの横を颯爽と抜けていくのが、カイカン。
店を出ると、去って行ったはずの彼女が立っていた。
「あのっ」
焦って話し掛けようとする俺に、彼女はにっこりと頬笑みかけてくれる。
やっぱり綺麗だ。
まじまじと彼女を見つめていると、腕を引かれてそのまま車の中に引っ張り込まれた。
「手荒な真似をして申し訳ありません」
本当に申し訳なさそうに謝ってくれる彼女。しかも上目遣い。やばい、可愛い、ラッキー。
「いや、どこに行くの」
俺は落ち着かない気持ちで、後部座席の彼女の隣に座っている。
「私の自宅と、承諾して頂ければ役所へ」
なんだか面白いことになってきた。
着いた彼女の自宅は、一見地味だが敷地は広く、落ち着いた佇まいの日本家屋だった。
「こちらが本宅、あちらが見せ宅」
瀟洒な洋館を指差して彼女は言う。基本的に客と会うときなどは、洋館を使うそうだ。
通されたのは、日本家屋の方。
鹿おどしのある手入れされた庭が見える座敷に通された。
そこにいたのは彼女に良く似た面差しの和服美人と、口髭が素敵なダンディなおじさまだった。
「お父様、お母様。彼をお連れ致しました」
どうやら二人は彼女のご両親のようです。
……俺、まだ女装のままなんだけど。
落ちている気がする美人の仮面とワンピースの裾を気にしながら、俺は大人しく座った。
「いかがでしょうか」
「旦那様の占いは、さすがですね。この方に間違いありません」
「ええ、こんなに素晴らしい『眼』は珍しいと、私もあの場で驚いてしまって」
「親父の『眼』とはまた違った力のはずだ。良い意味でな。それに……ふうむ、良縁の卦が出ている。お前次第でうまくいくぞ」
……三人の会話から置いてけぼりにされている。
目がどうかしたのだろうか。ちなみに両目とも2.0だ。
クーラーの効いた部屋でおいしいアイスティーを頂く。……うま!
彼女は俺の隣。ご両親は座敷机を挟んだ正面にいるが、心の距離は遠い。
俺がのんびり茶を頂いている間に、話し合いは終了したようだ。
「それならば、私はここに宣言いたします。ここにいる『彼』を我が『伴侶』と定め、我が家の次期『当主』とすることを!」
……ハイ?イマ、ナントオッシャイマシタカ。
話に付いていけていない俺の両手を、彼女がそっと包み込んだ。
「私の夫になって、私を愛していただけませんか?」
上目遣いキター!なんかもうきらきらしててダメだ。
「俺で良ければよろこんで」
一目惚れした彼女に、その日のうちに逆プロポーズされました。……ワンピース姿のままで。
これから婚姻届を出しに行きます。
婿入りして、占い師の修業を始めるそうです。
……うん、なんでこうなったのか、俺にもさっぱりわからない。
※ちなみに祖父は「逆運」の占い師。言うとおりにすると、不運になる。
普通の「寝取られ」を書こうとしたらこうなった不思議。