日帰り異世界2
異世界に行く日の朝は早い。
空が白みだした頃、セットしておいた羊型の目覚ましがめえめえと鳴きだす。
私は目覚ましをべしっと叩いて目を覚ますと、軽く伸びをして眠気を払い、手早く支度した。あちらで買った茶色のズボンと白いブラウスを身につけて、登山用のブーツを履く。後はリュックを担いで準備は万端。
さて、行きますか!
次元移動にはすごく体力がいる。
いつものように拠点にしている空き屋の裏庭に出た私は、ぐったりとしゃがみこみ、手にもっていた小瓶の蓋を開けた。元気回復にこれ一本。いつもお世話になってます。
そして少し体力が戻ったら、誰にも見つからないようにこっそりと移動する。ちなみに、市場の皆にはお師匠様に送ってもらっていると話してる。この世界の魔法使いはワープもお手のものらしく、皆それで納得してくれた。
しばらく歩いて大通りに出ると、市場に行く道じゃなく町の入り口へと足を向ける。今日は、新しい食材とレシピを求めて別の町に行くのである。
私は不安と期待に心臓をドキドキさせながら乗り合い馬車に向かった。
この世界の移動は馬車が基本である。お金を払って箱型の馬車に乗り込むと、がたごと揺れながら動き出した。
うー、聞いてはいたけど揺れが激しいなあ。
箱型の馬車には椅子は無かった。皆、壁に背中をくっつけて座り込んでる。端っこで横になってる男の人もいるけど、幅を取っているせいで他の人は迷惑そうだ。
私は馬車の入り口辺りに座って、流れる景色を眺めている。それほど速くはないけど、昼過ぎにはちゃんと目的の町には着くらしい。
「お嬢ちゃんも食べるかい?」
ぼんやりしてると、隣に座っているお婆さんが果物をひとつ差し出してくれた。みかんみたいな果物で、確かカントゥって名前だったはず。
「わあ、ありがとうございます」
私がお礼を言って受け取ると、それを皮切りにあちこちから声をかけられた。
「見ない顔だけど、どこにいくんだい?」
「異国の人よね? そんなに真っ黒な髪って初めてみたわ」
「まだちっこいんだから、気ぃつけるんだぞ、嬢ちゃん」
どうやら皆、明らかに顔立ちの違う私に興味津々だったらしい。それに、こちらの人に比べたら私は小さくて子供のように見えるらしく、心配された。
この辺りの人達って、皆素朴で優しくて世話焼きなんだよね。田舎に住んでる母方のお婆ちゃんみたい。
私はいつもの設定にちょっとアレンジを加えて、お師匠様の為に身体にいい食材を探していることにした。
「なら、アーマ鳥かな。アーマ鳥のパラツオ煮込みは滋養にいいそうだぞ」
「ハナリの薬草シチューはどうだい? うちのじいさんはあれが好物でね」
「私はリーチュの実が好きね。甘いし、お肌にいいの。あら、これはちょっと違うわね、ごめんなさい」
まだ若いお姉さんがぺろりと舌を出して、皆であはは、と笑った。そのとたん。
「うるせぇぞ!」
寝転がっていた男性が起き上がりいきなり怒鳴った。私達は当然呆気にとられてぽかんとする。それを見て男性は舌打ちすると、これみよがしに鞘に入ったままの剣を振ってみせた。
「いいか、おれぁ寝てえんだ! 静かにしろ!」
なんていいぐさだろう。
私はカチンときたけど、皆は関わるな、と止めた。まあ、そうだよね。ここは日本じゃない。あの世界じゃない。あの男が持ってる剣は本物だろうし、もし万が一にでも逆上して剣を振り回したら大変なことになる。……わかってても、ムカつくけど。
男は私達が静かになると再び寝転がっていびきをたて始めた。
あーあ。せっかく楽しかったのに、台無しだ。
馬車は時々トイレ休憩を挟んで走り続けた。トイレがどんな感じかは黙秘権を行使する……
そして、その男の人が乗車したのは二度目のトイレ休憩の時だった。
乗り込んできた男の人を見て、空気がざわり、と揺れた。
短い赤い髪にダークグリーンの瞳。その男の人は、皮鎧とマントを着けて、腰には長剣を差していた。
「傭兵かしら」
「ああ、かもな……」
お姉さんとおじさんが独り言のように囁く。傭兵さんか。道理で目つきが鋭いな。
皆は傭兵さんを怖がっている様子だ。奥にいる男性も剣は持っているけど、この人とは違う。この人は、剣を使って暮らしてる。剣で生きている。
雰囲気や仕草、目つきから感じとれる“凄み”があった。
傭兵さんは私達には目もくれず無言で奥に進み、寝転がっていた男性を蹴って起こした。
「っ痛ぇな! なにしやがる!」
「邪魔だ。こんな狭い場所で寝るな、つめろ」
うわー、こわっ!
傭兵さんが睨み付けると、寝転がっていた男性も何も言い返せなかったみたいで、ぶつぶつ言いながらも起き上がった。傭兵さんはその開いた場所にどっかり座り込み、目を閉じる。
そして昼休憩まで、男性も傭兵さんも口を開かず、私達もお喋りひとつ出来ずにひたすらその二人から目を逸らしていた。
ようやく来た昼休憩。私達は馬車から降りてのんびりくつろいでいた。
焚き火をおこし、その火でパンや干し肉を炙って食べている。
あの嫌な男性も酒らしき物を飲みながら干し肉を齧っていた。ただでさえ嫌なのに酔っぱらいになるなんて、最悪だ。
「気にしないほうがいいよ。ほれ、あんたもご飯にしな。持ってないのかい?」
なんなら分けてあげよう、と言いだすお婆さんに、ちゃんと持っていることを伝え、私はリュックからお弁当を取り出した。早起きして作っておいたんだよね。
蓋を開けて、さあいただきます、と思ったところで、傭兵さんもやってきた。
周りの緊張を感じているはずなのに、気にした素振りを見せず焚き火の前に座ろうとした。
酔った男性が、邪魔しなければ。
「すかしやがって、くそがっ」
お酒で顔を赤く染め、男性は剣を抜いて後ろから傭兵さんに切り掛かった。きゃあ、と悲鳴があがる。
切られる! と思ったけどそんなことはなかった。
傭兵さんはさっと身を翻すと男性の後ろに回り、その体をあっさり地面に引き倒す。腕を捻って剣を取り上げるとぎゃあぎゃあと喚く男性を押さえ付けたまま、彼は皆に指示して剣を隠させてロープを持ってこさせた。
このまま酔いが醒めるまで縛っておいて、醒めても暴れるようなら憲兵所に突き出すらしい。
強いなあ。なんか、びっくりしてる間に全部終わっちゃってたよ。
「驚いたわね……大丈夫?」
「びっくりしましたね。はい、大丈夫です」
「おい、そろそろ出発だぞ。早いとこ飯食っちまいな」
「あらいけない。食べましょうか」
「あっ、はい」
騒ぎに夢中で食べるのを忘れてた。お姉さんは果物とパンを食べ始めたし、傭兵さんも御者の人に男性を引き渡した後、こっちに戻ってパンをかじっている。
私も慌てて箸を持った。
今日のお弁当の中身は、昨日のおかずで作った肉じゃがときんぴらごぼう、それに卵焼きやウインナー、アスパラガスのベーコン巻き。全体的に茶色くなったから、ブロッコリーとプチトマトも入れてみた。
肉じゃがをひとくちほうばって、別に用意していたおにぎりをぱくり。うーん、美味しい。
もぐもぐ、ぱくり、とやっていると、なにやら視線を感じた。見られてる。具体的に言うと斜め向かい側……傭兵さんの方向から、めちゃくちゃ見られてる。熱視線だ。
……き、気のせいだよね?
そんな事を考えてちらっと見たのがいけなかった。
なんと、ばっちり目が合ってしまいましたよ。うわあ、やばい、かも。
「おい」
うあああ、話しかけられたよ!
「は、はいっ!」
「……ちょっと相談なんだが」
「は、はい……」
何を言われるんだろう、とびくびくしていると、傭兵さんはこほん、とひとつ咳払いをして言った。
「その食事、少し分けて貰えないか? 代金は言い値で払う」
「……え?」
「だから、その手に持ってる……」
「い、いえいえそうじゃなくて。なんで、これを?」
「……珍しくて、旨そうだからだ」
照れているのか明後日の方を向きながらもきっぱりと言い切られて、私はあんぐりと口を開き――
「えっと……どうぞ」
狐につままれたような心地で弁当を差し出していた。
……いや、だって、いろいろ予想外過ぎて混乱しちゃったんだよ。
傭兵さんはまずじっくりと弁当の具を眺め、匂いを嗅ぎ、おもむろに卵焼きをひとつ摘んだ。そしてカッと目を見開くと、むさぼるように弁当の中身を食べつくし、大きく息を吐いた。
それから、固唾を呑んで様子を見守っていた私に向き直ると、空になった弁当箱を返しながら代金を尋ねてきた。
「ありがとう、すごく旨かった。二十バームくらいでどうだ?」
二バームでパンがひとつ買えるくらいなので、これではちょっと貰いすぎる。
「その半分でいいですよ」
「そうか、だが本当に旨かったからな。十五バーム払おう。パンと干し肉もつける。食事の代わりにしてくれ」
「えっと……まいどー」
代金とともに堅パンや干し肉を渡してくれた傭兵さんに、私は内心で驚いた。
怖そうな見かけのわりに気配りが細かいな。意外といい人なのかも。
なんて、我ながら単純だけどこのままだとお昼抜きだったので、気を使ってもらって助かった。
パンや干し肉を受け取りながらあらためて見てみると、傭兵さんはなかなか整った顔立ちをしていた。無精髭のせいでおじさんに見えるけど、剃ったらけっこう若そうだ。
代金をがまぐちに入れて、さて、とパンを食べようとした時だ。
傭兵さんが改まった口調で名乗った。
「俺はガルフという。あんたは?」
「むぐ。あ、えーと。沙耶です。サヤ」
「サヤ、か。うん、歳はいくつだ?」
「え? 16、ですけど」
「なんだ、成人してるのか!」
ガルフ、と名乗った傭兵さんが驚きの表情で私を見る。この辺りだと、15で成人らしくて、私の歳を知ると皆驚くんだよね。あ、ほら、聞き耳をたててる皆もびっくりした顔をしてる。
ガルフさんはうんうんと何度か唸り声を上げて何かを考えていたかと思うと、唐突に口を開いた。
「さっきのはサヤが作ったもので間違いはないな?」
「はい? ええと、そうですよ。私が作りました」
「サヤは結婚はしてないな?」
「ぶっ! ちょっ、してないですよ、まだ!」
「よし。なら、恋人は?」
「いませんよ! もう、なんなんですか、さっきから!」
「俺の嫁になってくれ」
……ぱーどん?
辺りはしーんと静まりかえった。ぱち、ぱち、と焚き火の音だけが響く。
もう一度、ガルフさんが言った。
「あんたの作った飯に惚れた。俺の嫁になってくれ」
……前略、おじいちゃん。初めて会った人にお弁当が美味しかったからとプロポーズされました。
この世界のプロポーズって、これが普通なんでしょうか。ついていけない私はどうしたらいいのでしょう。
この後、私にプロポーズを断られたガルフさんがそれでも諦めず、市場にまでやってきては口説くのが日常茶飯事になるのだけど、今の私はただひたすら目を丸くする事しか出来ずにいたのだった。
お読みいただき、ありがとうございました。