彼岸花美しく 2
そのまま歩くこと彼らの感覚をして十分ほど。建物の中に入り、やっと縄が解かれた。
「そこに座っていてくれ。すぐに局長達を呼んでくる。」
斎藤が去り、彼らは沖田と残された。空気が重い。
「ねぇ、君さぁ。」
どこか揶揄する響きを持たせながら沖田が言う。
「人1人斬っておいてよく平気だね。」
「斬らなければ私は殺され、刀は奪われていました。」
対する七月は表情を変えない。彼女の刀が先祖から伝わる大切なものであったことはここに来るすがら説明したはずだ。
「君、本当に女の子?」
沖田の不躾な視線が七月の身体を這う。樹はむっとして沖田を睨んだ。
「そう言ってますけど。」
僅かな変化。それを見逃すほど七月との付き合いは短くない。
樹は驚いて七月を見た。
喧嘩を売っている。恐らく天才剣士沖田総司を相手に。
「ふーん。…じゃあ、証拠見せてよ。」
この男は一体何を言っているのだろうか。
樹は信じられないという風に沖田を見つめる。
七月は答えない。
「脱いで。出来ないなら僕がやるよ。」
誰も声を出せなかった。まさかという驚愕で頭が真っ白だったのだ。
沖田は行動を起こさない七月に近付く。
暗い瞳が七月の瞳を見つめる。その奥に僅かな炎が見えた気がした。
「どういう…つもりですか。」
七月が瞳を逸らさぬまま低い声で尋ねた。
ちょうどその瞬間に襖が開けられた。
三人が一様に目を向けると、男らしい四角い顔の男が入ってきた。割と大柄で締まった体つきのようだ。襟元から覗く首は七月の二倍近くありそうだし、胸板の厚さは平均成人男性のそれを優に超えている。
それに続いて入ってきた男は反対に割と細身だ。背丈は高いが、先の男のようにがっしりとしている訳ではない。だが彼が目を引くのはそこではない。
樹は目を見開いた。
白い肌。切れ長の瞳。すらりとした鼻。薄い唇。
一言で言ってしまえば美男だった。
黒い瞳が何かを推し量るように七月を見る。その視線はまるで射抜くようで。
人知れず七月は息を止めた。それでも視線を受け止めてじっと見つめ返す。ここで引いては負けが確定する気がした。
樹は七月の緊張を肌で感じた。ピンと彼女が発する気が張り詰めたのだ。珍しいこともあるものだと思いながら、続いて入ってくる男に注意を向ける。
最後に入ってきたのは穏和そうな男だった。最初の男のように厳めしい顔つきではないが先の男のように整った美男子ではない。人柄は良さそうだが厳しい現実を知っているような顔つきだ。
三人は七月達の目の前に座る。沖田は七月の前から退いて壁際に腰を落ち着けた。
七月は続いて入ってきた4人のことはもう見ていなかった。目の前に座った美丈夫の刺すような視線をじっと見返し続ける。彼女の推測が間違っていなければ、十中八九この男が決定権を握っているはずだ。なぜならこの男が。
「土方歳三。」
七月の呟きが耳に入ったのか。男の眉がつり上がる。
「てめえ…。一体何者だ…?」
七月は黙りを決め込む。ここで言ったところで一体誰が信じるというのか。
自分たちは未来から来た。
そんなことを言おうものならすぐにここから摘み出されるか、その場で斬られる。
あるいはこの場にいるのがこの男だけならば話はまた別だった。だが、この場にいる面子を考えたらそうも行かない。あくまでこれは彼女の予測でしかないが、試衛館組が勢揃いしているはずなのだ。説明する前に殺される。
「トシ、彼女が怯えてしまう。君も、捕って食ったりはしないから、名前を言ってごらん。」
やはり厳つい男が近藤勇か。とするとその隣にいるのは山南敬助で間違いないだろう。
「八坂七月。隣にいるのは言蔵樹。暴漢に襲われたところを防戦して、彼らに捕まりました。」
七月は目線を沖田と斉藤に向ける。余計なことは告げず、相手の出方を見る。
「ほう。それは君かな?」
問いかけの目が樹に向く。ここで偽ったところで仕方がないので、すぐさま否定した。
「いえ、七月が戦いました。」
未だ報告を聞いていなかったのだろう。近藤の目が面白いものを見つけたかのように輝く。
「君が!」
第一印象は取って食われそうな鬼のような男なのだが、破顔するとやたら愛嬌がある。
「どこの道場に通っていたんだい?差し支えなければ流儀を教えて―。」
「近藤さん、話が脱線してる。」
「おう。そうだったな。すまんすまん。つい、な。」
人好きのする男なのだろう。土方の小言を笑顔で受け入れている。
「俺は近藤勇だ。会津藩お預かり新選組の局長をしている。先程は難儀な目にあったようだね。怪我などはないかな?」
なるほど。大勢の人間が慕うのも分かる気がする。少し言葉をかけられただけで、人の良さが伝わってきた。
「どっちかって言うと、相手の方が災難だったんじゃないですかね~。」
含み笑いで告げる沖田は、にやにやと七月達を見ていた。
「総司!やめないか!…悪気があってのことじゃないんだよ。」
許してやってくれと頭を下げてくる近藤には悪いが、この沖田の顔を見て誰が悪気がなかったと思えるだろう。
「あ、いえ…。怪我もしてないんで。」
日本人の癖だろうか。相手が頭を下げると、樹も移ったように頭を下げてしまう。
「女人が肌に傷を残しては大変だ。何事もなくて良かったよ。」
にこにこと笑いながら、近藤が頷く。
その笑顔を見て樹の緊張が少しほぐれた。
――近藤さんいい人だなぁ。
訳の分からないことに巻き込まれてすさんでいた精神が癒される。少し鼻がツンとしてしまう。
「この女が、な。」
樹と近藤がやりとりをしている間、土方の視線はずっと七月に向けられていた。七月は七月で視線を外そうともしない。自然と2人の視線は絡み合ったままだった。
「何なら手合わせでもしてみたらどうです?土方さん、疑ってるみたいだし。処遇だって考えなきゃいけないわけだし。」
少し強引すぎではないだろうか。完全に面白がってるとしか思えない沖田の発言に、土方は眉を顰める。
「だって考えてみてくださいよ。ガキが二人でこんな時間に外うろついてるなんて、どう考えても…ね?」
「保護しろと?」
嫌そうに、本当に嫌そうに土方が答えた。
――めちゃくちゃ嫌がられてるなぁ…。
七月はどこか他人事のような感想を持った。願ったりの機会ではある。正直な話、夜を越せる場所を探していたこともあり、沖田の思惑はともかくとして、彼女としては宿を貸してもらえるならそれに越したことはない。
「どうせ彼らの扱いについては考えねばならないのだから、保護するのは妥当なんじゃないかい?土方君。」
今まで黙って話を聞いていた山南が口を挟んだ。
「そうだぞ、トシ。女子を夜に放り出す訳にもいくまい。」
情に厚いと見られる近藤の援護射撃もあってか、土方は案外簡単に折れた。
「わーったよ。近藤さんが言うなら仕方ねぇ。だがな…。」
頭をかいた土方はすっと目を細めて七月を見た。
「下手な真似でもしようもんなら…。分かってんだろうな?」
――ご心配なく。そんなこと考えてないですから。っていうか、宿貸してもらえたらもうそれだけでいいんで。ええ。
そんなことを考えてることはおくびにも出さず、七月は一言「分かりました。」とだけ告げた。樹は隣でこくこくと頷いている。完全に呑まれているようだ。
「ならいい。新八!平助!こいつら連れてけ。俺の隣の部屋空いてるだろ。」
土方の呼びかけに答えたのは、筋骨隆々の男と七月より少し背の高い青年だった。
「おうっ!って、いいのか?この二人同じ部屋にするつもりか?」
ごつい体の男の問いかけに、土方は煩わしそうに手を振った。
「見張りを付けるから問題ねぇよ。」
七月と樹は顔を見合わせる。
誰か別の人が寝ずの番をしている中で自分たちだけ寝ろと?とてもじゃないが、無理だ。そんな図太い神経はしていない。
「無茶振り乙だろ…。」
「樹それ通じないから。」
ぼそぼそと会話する二人を外野は胡乱げに見ている。
「俺たち繊細だもんなぁ。寝れるわけ…。」
「あぁ?なんか言ったか?」
土方の睨みが飛ぶ。
「あ、なんでもないです。はい。すいません。」
途端、樹はぺこぺこと頭を下げる。
怖い。本当に怖い。射殺しそうな視線というやつだ。
――こんなところ、さっさと出て行ってやる。
そう決意を固めた樹だったが、この時彼は壬生狼と呼ばれる新選組との出会いが、彼らの運命を変えるとは思ってもいなかった。