彼岸花美しく 1
押さえる胸から止め処なく流れる血潮。
赤く紅く――。
場違いなほど美しい花弁となって花開いた。
「七月、ここどこだろうね?」
「少なくとも現代じゃないと思うけど、私も知らないよ。」
和服姿の男女が一組、所在なさげに橋の上で佇んでいた。
満月が強い光を放つ夜間ではあるが、なかなかの賑わいを見せるその通りには、同じく和服の出で立ちの人々が往来していた。
「映画村なのかも知れないよ。」
「映画村で樹に分からない場所があるとは思えないけど。」
少年はあえなく撃沈する。だが、それ以前に真夜中に映画村で衆人の姿が見受けられるとも思えないが。
「みんな和装してるし、とにかく過去だとは思うけど。」
七月は日本史に詳しくない。それは樹の領分だ。
「俺、現実逃避しちゃっていいかな?ちょっと疲れたよ。」
「私はパトラッシュじゃないから許してあげないよ。ここ人通り多いし、移動しよう。」
七月が歩き出そうとした瞬間、目の前に図体ばかり大きい、知性を感じさせない男達が5、6人立ち塞がった。
「よーう、姉ちゃん。いいもん持ってんなぁ。攘夷のために働いてる俺たちに、ちぃと貸してくんねぇか?」
七月は小首をかしげた。
「この刀のことですか?」
「そうさ。何なら姉ちゃんも一緒に来るか?かわいがってやるぜ。」
七月はしばし口をつぐんだ。どう考えても下衆な男達の提案は自分にとって悪影響を及ぼすだろう。いくらなんでもどういう意図があってそう持ちかけたのかは明白だ。
周りを行く人々はあえて避けるように通り過ぎる。時に呟きが七月達の耳に入った。
「まぁた浪人や。」
「嫌なご時世になったもんや。」
攘夷プラス浪人イコール…。
「七月、今、江戸時代末期だよ!」
「そうなの。京都かなぁ?関西っぽいよね。」
いくら七月でも江戸時代は知っている。だがたいして驚いた風でもない。
不思議に思った樹は首をかしげる。
「何で驚かないかなぁ。」
自分は答えを導き出したとき、かなり興奮したのだが。
「だって、びっくりしてたところで今の状況、どうにもなんないでしょ?」
そう。解決策が見いだされないうちに、感情的になるなど愚かしい。それは常々七月が樹に言い続けていることだ。
「そうだけどさ…。」
樹は少しふて腐れた。分かってはいてもなかなか実践となると難しいのだ。
「姉ちゃんよぉ。早く返事してくんねぇと、ちーっと痛い目見るぜ。」
焦れたのだろう。七月と樹に放っておかれた男達は腰にはいた太刀を抜き、七月と向き合う。
「樹、これは正当防衛だよね。」
七月はあくまで淡々と樹に確認する。
「この時代にその観念があるかどうかはともかく、そうなるね。」
彼女は刀をすらりと抜き、正眼に構えた。
「申し訳ありませんが、これは家に代々伝わる刀で、お貸しできません。」
言葉上は謝っている。だが、その声にも無表情の顔にも謝罪の意図は全く表れていなかった。
「何だと!?おい!野郎ども!力ずくで奪っちまえ!」
明らかに雑魚キャラ風情の台詞を吐く。
だが、この刀に目をつけたところは褒めてやってもいい。
樹は好戦的に目を光らせた七月をそっと窺った。
「1人で無理そうだったら助太刀して。」
相変わらず無表情だ。だが、纏う空気は一瞬で変わった。
「了解。」
正直、相手が彼女の力量を上回るようには見えないし、彼女の家の刀を使うのも気が引けた。
予想通り彼女は圧倒的に強かった。白刃が煌めく度に男のうなり声が聞こえる。だが、肉が裂ける音は聞こえない。鈍い音が響くだけだ。
「じゃあ行こうか。」
男達が地に伏せたのを見届けて、樹は声をかけた。七月が頷き踵を返す。
「うおぉぉぉぉ!」
とたん、ゆらりと男の1人が立ち上がった。
「七月!後ろ!」
彼女は振り向きざま、刀を抜きはなった。
肉が裂ける音が響いた。絶叫する男を、だが七月は振り返らない。大した傷にはなっていないはずだ。恐らくただ皮が破れただけのこと。命に別状はないはずだ。
終わったという安堵とともに、樹の顔には七月を案じる表情が浮かんだ。
「大丈夫?」
「私は平気。」
遅れて女達の悲鳴が響いた。恐怖で引きつった顔を見て、樹は舌打ちした。
「まずい!逃げよう!」
「もう遅いよ。」
温度を感じない男の声がその逃亡を制した。
樹が目をこらすと、橙色の灯りに照らされた羽織が見える。
「み、壬生狼や…!」
我先にと逃げ出す人々を尻目に、七月は何の感情も灯らない瞳を男達に向けた。
「七月、新選組だ…。」
「あの大河ドラマの?」
「本物だけどね。」
どこかずれた七月の感想に樹は苦笑する。半ば予想していたのか、今度はそれほど慌てるそぶりを見せない。
やはり彼女の瞳は真っ直ぐ男達を映している。
「とりあえず、刀を仕舞ってくれる?僕たちも近付きようがないから。」
七月は男の言葉通りに刀を鞘に戻し、地面に置いた。樹もそれに習う。
「それで?」
集団の中から1人が近付いてきて、七月を促す。十代後半から二十代と言ったところか。樹達とそう変わらなさそうだ。涼しげな面差しの男の顔が灯火に照らされる。樹はその瞳が七月を捕らえたのを察知した。
「浪士に絡まれたので応戦しました。自己防衛の範疇だと思いますが。」
樹が七月を後ろにかばう。新選組の連中は彼女が刀を使ったところを見ていないはずだ。不用意に彼女に視線が向かうのを遮り、あたかも自分が戦ったかのような口ぶりで告げる。
「んー。僕が聞いてるのは君たちのことだよ。あらましは分かっているからもういい。」
「俺たちは…。」
言葉に詰まる。彼ら自身、何が起こったのか分からないのだ。いや、確かなことは一つだけある。ここは彼らがいた時代ではなく、過去の世界だということ。しかも、幕末の動乱期になぜか来てしまったということだ。
「どうする?斎藤さん。」
元々樹の言葉を待つつもりもなかったのだろう。背の高い方の男がもう一人を振り返る。
「屯所に行くべきだと思うが。」
なおも言葉を探す樹を余所に新選組の連中は話を進める。
「とりあえず、手、縛ろうか。」
男は地面に置かれた刀を二本とも持ち上げると、後ろを振り向いて言った。
「ちょ、ちょっと待ってください!俺たちに敵意はありませんよっ!」
樹は声を張り上げる。縛られては隙を突いて逃げようにも機会すら与えられまい。
が、向けられた視線の冷たさに背が凍りかける。顔は笑っているのに眼差しは絶対零度を保っている。
いきり立った怒りは勢いをなくした。
そのまま目を逸らすことなく時が過ぎた。
それは一瞬だったかも知れない。長かったかも知れない。だが凍り付いたように、樹は声を出すことが出来なかった。
「悪いが、彼女の剣捌きを見た上は、野放しで連れて行くわけにはいかない。」
落ち着いた男の声が凍り付いた二人の間に割って入った。近付いてきた男は先の男同様まだ若い。二十代前半か。恐らく斎藤と呼ばれた男だろう。無表情だが、先の男と違って温度があった。
斎藤…。十中八九斎藤一だろう。
この時ばかりは七月と一緒に大河ドラマを見続け、日本史の授業をまともに受けていたことに感謝だ。敵を知らねば戦は出来ず。
しかし、見られていたのか。まずいな。これでは彼女に注目が集まってしまう。女だてらに男を相手にあの戦いぶりだ。目を付けられても仕方がない。どうしたものか。
じっと男達を観察する樹の内心も知らずに、というか恐らく興味など持っていないだろうが、男達は縄を手に近付いてくる。
「そう言うこと。第一、抵抗しないなら僕らだって何もしないし。」
七月は大人しく身を差し出した。抵抗もせずに縛られるがままだ。
「うわっ。僕、女の子を縛っちゃったよ。」
やけに楽しそうだ。間違いない。この男はサディストだ。といって反抗できるわけもなく、自分もされるがままに縛られるしかなかった。
「ふざけるな、総司。」
斎藤は丁寧な仕草で七月の縄を引いた。
「七月、どうする。」
樹は隣を歩き出した七月に問う。
二人の前にはそれぞれ縄を持った総司、恐らく沖田総司と斎藤が歩いているが、そんなことはどうでも良かった。
「私たちには行き場がない。どこかの組織に身柄を預けるのが一番安全だよ。」
確かに彼女の言葉は正論だった。だがしかし身柄を預けるのと拘束されるのでは、全く話が違う。
「この状況で!?連行されてるんだよ!?俺ら!」
小声で七月を詰る。落ち着き払ったその態度が少し癇に障る。
「じゃあ今ここで抜け出せるの?戦って勝てる?」
斬られて終わりではないか。
「そりゃ無理だけど…。」
「こうなった以上は仕方ないよ。とにかく現代に戻るまで生き残らないと。」
何の運命の因果かは知らないが、彼らは幕末に飛ばされた。帰られるかどうかの保証もない。しかも新選組には捕まる。
――踏んだり蹴ったりだなぁ…。
樹はとほほと溜息を吐いて、促されるままに歩き出した。
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