06.エリシア、自分の噂話を聞く
「・・・・・・あーまいった。なんだアレ」
結局あれからマリーネと王宮侍女達の押し問答がしばらく続き、結果、エリシアが部屋を出るはめになった。・・・なんでだ、納得できない。
シオナとルチルという二人の王宮侍女は予想をはるかに超えて粘り強く、こちらの言う事を頑として聞き入れなかった。その態度がすでに侍女失格だと思うのだがまあとにかく粘り勝ちだった。
とうとう折れたマリーネが出した、部屋付きにはしない。けれど用があるなら声をかけるから、という所でなんとか双方妥協した――――のだが。
ところが妥協した途端、シオナがあの淡々とした調子で今度は何か仕事をくれと言い出した。つくづく面倒くさい娘である。
もう無駄に言い合うのも嫌になったのかマリーネは適当に、朝食は部屋で取るのでその用意をして欲しいと料理長に伝えるよう言いつけた。ついでにその用意が出来るまで戻ってこなくていい、とも。
ついでにマリーネはその隣に立って希望に満ちた目で見つめてきたルチルを億劫そうに見て、じゃあ部屋の掃除でもしていなさい、と言い放った。完全な失言だ。
「えっ?? ちょっ!? ッまっ?!?」
そのスリリングな提案に度肝を抜かれ、慌てたエリシアに大きな籐編のフリルたっぷりな可愛らしい籠を渡しながらマリーネは、大丈夫ですよ、と軽く頷いた。反射的に受け取った籠は案外重く、白い絹布の覆いが被さっていた。
「一度やらせておけば暫くは何も言ってこないでしょう。危なそうなものは全部この中に詰めておきました」
言われてそっと端を摘まんで中を覗いてみると見覚えのあるシャツや下着が入っていた。服はともかく下着までマリーネに詰め込まれたのかと思うと非常に憂鬱になる。
マリーネの方は全然気にしていないのかエリシアに満面の笑みを見せながらその腕にそっと触れた。
「ではソレを持って暫く出ていてください」
「・・・・・・え?」
「ここはなんとか誤魔化しますから危ないものをもって」
とボソリと言いつつエリシアの全身に視線を走らせる。
「暫く部屋から退避していてください」
ようは一番ヤバいエリシアごと人目につかない場所にいけ、という事である。言葉以上に雄弁に語るオレンジ色の瞳にエリシアの唇が引きつる。
「え・・・? でも・・・」
「午前中は公務ですから王子や重臣達に会う事もないでしょうし」
今はこの場を凌ぐのが先決だ、ということだ。
確かに集められた娘達以外は全員自分達の仕事があるのだから、ばったり出会ってしまう人間の中でヤバいのは他の娘達くらいのものだろう。昨夜の反応からして他の使用人はシオナ達ほどアクティブじゃない、と思う。
この広大な城の中、たかだか9人の娘に出会う確立など限りなく低い。
「え、ええ。そうですね」
一人部屋に残っていたルチルが様子を伺っているのを意識しながらエリシアはさも今、思いついたかの様に手に提げた籠を軽く押さえながらわざとらしいくらい明るく笑った。
「確かに今日は天気がいいですもの。少しお庭をお散歩してきますわ」
説明口調にならないように気をつけながらそう言ってルチルの傍を通って廊下に出る。戸惑うようにエリシアとマリーネを忙しなく見比べるルチルの腕を「貴女はこっち」とマリーネが掴んで戸口から離れるよう促した。
「では、お気をつけてお楽しみくださいませ」
「ええ、気をつけていってきます」
ルチルの代わりに戸口にたったマリーネに若干“気をつけて”の部分に力を込めながら頷き返してエリシアは優雅に藤色のドレスをさばいてみせる。見送るマリーネとルチルの視線を感じなくなるまでゆったりと歩いてみせた。
暫くそうして歩き、視線を感じなくなってからようやく張っていた気を緩めた。
このまま廊下を当てもなく歩き回るのは得策ではない。現に今もちらほらと使用人の姿が見える。気が利く者ならエリシアの持っている籠を代わりに持とうとするだろう。
だがしかし。この籠の中はマジでヤバイ代物しか入っていない。
だって中身はエルト本人の衣服。籠一杯に詰め込まれた男物の衣服(下着つき)などどう考えたって王子の相手として招待された娘が持っていていい代物じゃない。中身を詮索するような輩はいないだろうが、万が一、こけたりして中身をぶちまけたら身の破滅だ。
まずは人目がないような場所。やはり先ほど言ったように庭だろう。
朝は皆忙しいのか、廊下を移動する使用人も昨夜見かけた程ではなく、たまに物を運んでいたりハタキや雑巾片手に目立たぬように隅で掃除をしていたりと、手馴れた人達なのか時々視線を向けるがエリシアが声をかけるまでかまってこようとはしなかった。
下手にシオナ達のような者と出会う前に、と早足に廊下を進むとようやく外へと通じる扉が見えてきた。両開きの扉は大きく開け放たれていたが、やはりというかなんというか、近衛兵二人がその両脇をかためるように外側に立っていた。
昨日の今日なのであまり騎士には会いたくなかったがしかたない。昨夜見た顔ではなかっただけマシというものだ。
近づいてきたエリシアに気付いた二人が顔を内側に向ける。まあエリシアの大体の身分はわかっているのだろう、特に誰何することもなく視線だけ向けてくる騎士に、にこり、と軽く会釈しながらその傍を通り過ぎる。何故か視線が追従してくるが気にしない事にしてさっさと視界の範囲外に逃れた。
そこでようやく足を止めて周りを見回すと、出た先はきちんと手入れされた中庭らしく綺麗に刈り込まれた背の高い垣根や咲き誇る花々が目に映る。その中を通るレンガ造りの歩道の先に空間の一部を切り抜いたように敷き詰められた芝と白い東屋があった。
まぁ出れたのはいいんだけど、やっぱり人はいるなぁ。
手入れされているという事は他人の手が入っているという事だ。今が花の旬なのか、まばらに散らばった庭師らしき人物が三人、土の付いた簡素な洋服で庭の手入れをしていた。
その彼らもエリシアに話しかける事はなかったが、声をかけられたらいつでも動けるようにとエリシアの一挙手一等足にいたるまで注目しているようだ。むしろ城の中より視線が痛い。
こっちを見るな、と言いたくなるのを我慢して笑顔でその視線を避け、建物から離れるように迷路のような生垣の中を進んでいくとだんだん人気が遠のいていった。代わりに手入れされていない草木がちらほらと見え始める。
唐突に、人の住む場所との境のように高い木の壁が現れた。今まで見ていた柵代わりの切りそろえられた木ではなく、見上げるほど大きな森の始まりだった。庭という規模を超えたように鬱蒼と茂る木々達は特に道らしきものも見当たらず、何処まで続くかもわからない。
「・・・うわぁ、すご」
「だよなー」
「!?」
思わず足を止めて見上げながら呟いたエリシアは突然背後から聞こえた声に持っていた籠を落っことしかけた。ぎりぎりでなんとか握り続けた籠の取っ手を胸元に引き寄せながら恐る恐る振り返ると一人の男が立っていた。
年は二十代半ほどか、男としてはそれほど背が高くないが無駄なくしっかりと筋肉のついた体は黒のタンクトップと白いズボンに覆われ、黒っぽい腰当の上には裏返した上着だろう服が無造作に巻きつけられている。使い込まれていそうな二つの剣を腰に差しているところを見ると剣士だろう。
後ろで束ねられたほどほどに長い黒髪や妙に好奇で輝く黒い瞳はそれほど珍しい色ではないが、その黄みがかった肌の色はもっと東の方の特徴、つまりここら辺の人間のものではない。
誰!?っていうかいつから?!
一瞬パニックになりかけたエリシアだが、腕の中の籠をより強く握り締める事でなんとか平静を保った。
「いきなりなんですか、無礼者」
なんとか余裕があるように表情を取り繕って努めてぶっきらぼうに吐き捨てる。
腰当と剣以外特に装備らしき装備はなく、外国人。今の時間暇そうにブラブラしている事を考えると、おそらく男は傭兵部隊のものだろう。
つまり、仲良くする必要はない。 = 無理してのらりくらりと付き合う必要ない。
「そう警戒しなくったっていいじゃん。べっつにとって喰うわけじゃねーんだし」
距離をとる為わざとつっけんどんに突き放した言い方をしてみても男は気にしなかったのか、にやにやと笑いながらエリシアの方に歩み寄ってくる。
ちょ・・っなんで近づくの?! ちゃんと拒絶したよね!?
相手が近づくとそのぶん引く。何度かその行為を繰り返しているとさすがに相手も一定の距離をとって止まった。代わりに妙に楽しそうに笑いを浮かべたままエリシアを見る。
「いやぁ、あんたのその髪の色。青みがかった灰色なんてめずらしーから一発でわかったぜ。あんただろ? 昨日タイチョー撃沈させた“トイレの君”っての」
「!!?」
「タイチョーがあんな顔色して帰ってくるとはなー。いや、ホント見ものだったっつーか」
・・・なに言ってんのこの人?
・・・・・・・・・・・・・・・トイレの君・・・?
「ト・・・トイレの君って・・・」
「? だってあんたタイチョーに向かって大声で叫んだんだろ? トイレ行かせろ!!って」
「・・・・・・・・・・・・・・・タイチョーって・・・」
「あんたが扉開けろって言った相手だろ? 近衛騎士団総隊長。あんの堅物があんな顔して帰ってくるとは! もう騎士団の中じゃ話題が持ちきりだぜ?」
「!!!」
う、うっわぁ・・・っ!! カーティス家の爺さんに殺されるっ!!!
理解した瞬間、エリシアの顔から一瞬で血の気が引いた。
騎士の中で、ということはこの噂、王子の元にも届いている可能性がかなり高い。その上使用人達にも、いや多分確実に鳴り響いてる。
王子の元に太鼓判を押して送り出した娘がそんな不名誉な噂をたてているなどカーティス家の当主に知られようものなら―――――エリシアの存在を亡き者にしかねない。
あの爺さんなら物理的にやりそうだ、というところがまた実に嫌だ。
あー、もう。どうにかその噂、耳に届かないように出来ないかな。もしくはさっさと噂話が静まるとか・・・
眉間にシワを寄せながらとても叶いそうにない事をつらつらと考えるエリシアに男がプッと噴き出す。即座に向けられた心の余裕皆無のエリシアの睨みもへらへら笑って受け流した。
「別にそこまで悩まなくてもいいだろ? 便所姫。抱えて連れてった子供のためだってのも噂じゃちゃんと流れてんぜ?」
「っべ―――っ!!」
んじょ姫ぇ!!!????
あんまりなネーミングに取っ手を握り締めたエリシアの拳がブルブルと震える。この男、どこまで失礼なのか! そんなあだ名が噂に追加されたらさらにエリシアの首が絞まってしまうのが目に見える!
やれるものなら今すぐ殴りたい。でもさすがにソレはマズイとエリシアはやる気に満ちた己の握り拳を意志の力でねじ伏せた。
「それにしても、子供一人を片手で抱えあげるって結構力持ちだよなぁ? 便所姫」
「っ!」
ふるふると両手を震わせながら自分自身と葛藤していたエリシアは楽しそうに観察していた男の言葉にそれまでの滾っていた熱に冷水をかけられたかのように瞬時に怒りが冷める。
マズイ! 確かに片手はやりすぎだったかもしれない。
「な、にを言うのです。私にも小さな家族は居ますから、慣れていただけです」
「へぇ~、お嬢様なのに面倒みてんだ、わざわざ」
「貴族といっても私は何故かここに招かれてしまった下級貴族ですから。ほとんど土地さえ持ってません」
どこぞのロクデナシのせいでねっ!!
言いながらすぐに義父の顔が思い出され、取り繕うため笑顔を作っていたエリシアの眉毛が一瞬、ピクリと動く。
土地や財産を酒や女、ギャンブルにつぎ込むのはウィーザント家の特徴なのだろうか。母を働かせつつのんべんだらりと酒や女をカッ喰らっている義父を思い出し、固まった笑顔を浮かべるエリシアの手の中で籐の持ち手が、ベキリ、と音を立てた。
「なんか苦労してんだな。王子相手の候補者に選ばれて良かったじゃん」
それが一番の苦労なんだけどね!!!
とは言えず、とりあえずエリシアは曖昧に微笑む事でこの話題にけりをつけた。