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04.エリシア、王子と最悪の出会いを果たす



「アルタ様、ご入室っ!」


 不意に痛いほどの静寂を破るように朗々と太い声が響き、あの大きな扉がゆっくりと左右同時に開かれた。何もこんな空気の中登場しなくても良いのに、と思いながら視線を動かすと、二人の騎士を後ろに従えた人物が丁度部屋へと入ってくる所だった。

 状況を把握していないのだろう椅子の上でもぞもぞと動いていた女児も、隣の席から滑り降りた姉らしき少女が駆け寄って頭を下げさせ、部屋に居た全員がそろって頭を垂れ中、よどみない力強い足運びで何故かセレネーやエリシアの方向へやってくる。なるべく顔を合わせないように膝の上に置いた手元を見つめ俯くエリシアの背後の空間を通って騎士の一人が引いた机の端の椅子へと腰掛けた。


「顔を上げよ」


 着席し、部屋内を睥睨した王子の言葉に一拍おいてそれぞれ顔を上げる。

 周りが動き出す衣擦れの音に誘われるように恐恐と視線をあげたエリシアの目に、思っていたよりも近く座る王子の姿が飛び込んだ。防波堤になりそうだった隣の席は何故か誰も未だに着席しておらず、長い背もたれの繊細な彫りが虚しく硬質な光を反射している。

 ぅおおおおいっ! なんでココ誰もいないの?! これ拒否っても良かったってこと???!!!

 出来れば人で隠れられる遠くに座っていたいと思っていたのに、予想外の盾なし近距離になってしまったエシリアの顔が引きつる。いや、これはまずいまずい。静まれ、落ち着け、深呼吸、と言い聞かせながら顔を上げると、バッチリしっかり王子様と目が合ってしまった。思いっきり心臓が跳ねる。

 ぅげ・・・っ!

 喉元まで込み上げた声を飲み込んでエリシアはやけっぱちで笑顔を浮かべた。ここで不安げにしていると逆に不審を抱かれない。いっそ堂々としている方が顔の造作が醜かろうとそういうものかと納得されるというものだ。

 だが、そんなエリシアの所で何故か王子の視線がしばし留まる。冷や汗をダラダラと流しながらやっぱりまずかったかと怯えるエリシアをしばらく見つめた後、王子の視線は脇へと逸らされた。

 震えながら細々と息を吐き、もう一度王子の方へと視線を向ける。特に不審を感じた表情はしていないが―――。

 大丈夫・・・だったんだよな?

 駄目だったら警備兵に取り押さえられていそうだからきっと大丈夫だったんだろう。バクバクとなる心臓を押さえ込みながらそう解釈する。というか、そうであって欲しい。

 そんなエリシアの内心など知らず涼やかな顔をして部屋を見渡しているアルタ王子は確かに巷に流れている噂通り美形だった。

 健康そうな色つやのきめ細かい肌、控えめにスッと通った鼻筋や鋭角的なラインを描く輪郭、濡れたような光沢を放つ黒髪、その髪に一筋入った銀髪と鋭すぎる金眼など一部の色違いを除けば、生ける黒真珠がごとき美姫、と謳われた亡きセスティア王妃にそっくりだ。

 噂は間違っていない。確かに美形だ。

 だが美形は美形だが母親似、つまりは女顔。目付きの悪さを退かせば下手な顔立ちの女性だと隣に並びたくなくなるほどの美女顔なのでエリシアが近くに並ぶと確実に残っている男臭さが強調されるに違いない。むやみに近づくまい、とエリシアは心に決める。


「あ、あの、アルタ様・・・」

「なんだ」


 不意に男の声が響き、アルタの視線が部屋の一角へと向かう。そこにはいつからこの部屋に居たのだろう、テーブルについた王子や令嬢達の手元に水の入ったワイングラスを運ぶ使用人達の間から独特な形の白い長エプロンを身に纏った男が数歩進み出て言いづらそうに声を上げた。20代後半くらいだろうか、気弱そうな顔の中の茶色い瞳をおどおどと泳がせ、自分の方を向いて冷めたように目を細めたアルタにヒッと縮こまりながら手に持ったコック帽を握り締める。


「はい、その、トスカ様は、、こ、今晩、お食事を召し上がらない、と・・・」

「そうか。別に料理長のお前が言いにこなくてもいいんだがな、スコッタ」

「はいっっ すみませんすみませんっ 気が利かなくてすみませんっっ!」


 消え入りそうな声で報告する男にアルタは呆れたように息を吐いた。途端に男、スコッタが飛び上がって水飲み鳥のように大きく頭を上下させるので、アルタの金瞳が呆れたようにさらに眇められる。


「いい加減にそのすぐ謝る癖を止めろ。私が苛めているみたいだろ」

「はいぃっ すみませんすみませんいじめられてなんかいませんとてもよくしていただいてます、はいっ!!」


 なんだコイツ、と思ったのはエリシアだけではないだろう。アルタの後ろに立つ二人の騎士や使用人達は慣れているのか男にまったく注意を払っていないが候補者の女性達の視線が一気にスコッタに集まり、それに気づいた彼はひょろ長い体をさらにその場で小さく萎ませた。

 これ以上ないというほど硬くなったスコッタにとうとうアルタの唇から溜息が零れ落ちる。


「王宮料理長をやっているスコッタだ」

「はい、本当に恐縮至極僭越ながらやらせていただいてますっ み、皆様の御食事も御口に合いますうよう粉骨砕身精一杯努めさせていだきますっっ!!」


 素っ気ない王子の紹介にスコッタは今度はそこに突っ立ったまま左に右に体を向けながらエリシアやセレネーなど候補者達に頭を下げまくった。王宮料理長といえば来賓はもとより王様の料理まで作る立場の人間のはず。それなりの地位にいるはずだが、あまりにそうらしからぬ低姿勢ぶりに女性達の視線も生ぬるくなる。

 そんな女性達の態度に王子も思うところがあるのか頭を軽く右手で押さえながらもう一度溜息を吐き出し、左手首を一振りする。


「・・・・・・もういいから下がってろ、スコッタ」

「は、はいいぃぃぃぃっ!! 申し訳ありませんでしたっっ!」


 厳かな雰囲気をぶち壊した男はアルタのその指示に深々と頭を下げたまま、背を見せるのも失礼だといわんばかりに後ろ走りに下がっていった。途中勢いよく背中を壁にぶつけ、慌てたようにテーブルの方にペコペコと頭を下げながら隅に拵えられた従業員用の小さな扉から外に出て行く。パタン、という軽い音の後、部屋になんともいえない空気が残された。

 皆と同じように男を見送りながらエリシアは崩れてしまった表情を他人に見られないように密かに引き締める。なんというか、面白い男だった。来賓が来ている時もあれだったら王子はとんだ恥をかいていそうだけど、大丈夫なのだろうか。


「・・・あの男はあれで料理は一流だから安心してくれ」


 大丈夫かアイツという空気が充満している所為か、ひとつ咳払いをして注目を戻したアルタは苦々しくフォローした。苦虫を噛んだように眉間に皺を寄せた不機嫌そうな顔さえも憂いを帯びた美女のようでエリシアは数瞬見惚れてしまう。

 ・・・~~~~いや、駄目だ。万一あれに惚れたら僕の人生は色々な意味で終わってしまう・・・っ!

 自分の見ている人物がこの国の王子なのだと思い出し、慌てて視線を引きはがした。今、僕は女、彼は王子、と繰り返し脳内に叩き込む。ちょっと油断して地でもでてしまったらお終いだ。

 そうこうしているうちに良い香りがしはじめ、若干凹んでいるエリシアや他の候補者達の元に料理が続々と運ばれてくる。

 バケットに盛られた焼きたてのパンや香ばしく焼かれた一口大の肉、トマトや香草で煮込まれたぶつ切り魚に香り高いスライスされた燻製肉、からりと揚げられた小魚には臭み消しの薬草のソースがかけられ、白いドレッシングがかけられたパリッとした新鮮野菜やゆでて盛られた温野菜、一口大のふかふかに練り上げられた白い蒸し饅頭の皮から綺麗な緑黄色野菜がのぞき、切り分けられたパイ生地からはやわらかそうな海老や野菜、魚のすり身が見える。一皿の中に分けて盛られた緑、赤、黄色の三色のソースに絡まったパスタ、淡い緑色のポタージュスープには白いクリームと小さく刻んで揚げられたパンが対比的に浮かび、銀の盆には色鮮やかな果物が盛られていた。

 部屋に食欲を刺激する匂いが充満する。確かにこれは掛け値なしにおいしそうだ。あのスコッタという男、王子がフォローするだけあって腕は本物なのだろう。

 だが。

 だがしかし。

 これは多すぎじゃないかなぁ・・・?

 目の前のテーブルを埋め尽くす皿の数々を眺め、そう思う。エリシアだけでなく周りの席はどこも同じように溢れんばかりの皿が運ばれており、女性達が引き気味に眺めていた。目を輝かせているのはテヨルテくらいのものである。

 勿論エリシアだって男だ。本来ならこの位ぺろりと平らげることは出来る。お腹もバッチリ空いているのだが、コルセットという名の敵がエリシアの食欲を物理的に止めていた。

 エリシアが目の前の食事にギリギリと歯噛みしている中、アルタは最後に置かれたワイングラスを手に取り軽く手前に掲げて卓上の女性達を見回す。全員がワイングラスを手元に引いたのを確認して鋭い視線を中空へと投げかけた。


「セスティア国の豊穣なる恵みと、平和をもたらす守護竜(オルトワート)の加護に謝意を示して」

悠久の幸あれセスティ・オルティワータ


 アルタの言葉に女性達の声が唱和し、一拍を置いてグラスを口元へと運ぶ。エリシアは教えられた通りセレネー達と一緒に十階級の女性の正式な場での礼儀作法、グラスを持った自分の手の付け根に軽く口をつけ(キスをす)るという作業を行ってからグラスに口をつけた。自分の手を竜に見立てた行為であり、あと口紅の落ちを確認するという意味があるらしい。

 何をやってるんだ僕・・・と落ち零れていても貴族の男としてのプライドをわずかに刺激されるが、実際はめていた黒い手袋にかすかについたオレンジ色の紅に、どうせ今、女だし、となんだかもう達観の域に達した。

 他にもやっていない女性がいたはいたが、多分、セスティア国の女性ではないのだろう。独自に胸の前で両手を合わせていたし、女児は大人用のワイングラスは片手じゃ無理らしく可愛らしく両手で持ってつたないキスをしていた。

 口をつけた極上ワインで喉を湿らせ、せいぜい優雅に見えるように左右に置かれたナイフとフォークを持つ。ナイフなどいらないほど煮込まれたトマト煮の魚を口に含むとふわりと香草とトマトの独特の風味が口の中に広がり、噛まなくてもほろほろと蕩けていった。

 予想以上においしい。

 その一口で一気に食欲が刺激されたがコルセットで押さえつけられたエリシアのお腹は鳴ることなく、また圧迫されているため食事が胃へ落ちるのも非常にゆっくりと感じられる。

 お腹が空いているのは確かなのにがっつくと吐きそうだ。非常に悔しいジレンマが起こる。ああ、自室で制限なく堂々と食べたい。

 隣を見るとセレネーはさすが名家のお嬢様らしく動作が楚々として気品が漂っていた。真正面のテヨルテもわりあい上品だったが食べる動作が速く一口一口大きい。

 その隣の女児が大人用の大きなフォークをたどたどしく使いながら食べているのはいいとして、反対側のシャンティ嬢は予想していたような優雅な食べ方ではなく、作法など気にしない実直的な荒さが動作に滲み出ていた。きちんとした教育を受けたどこぞのお嬢様ではないのかもしれない。

 そしてアルタはといえば、生まれた頃からの教育の賜物か、動作の一つ一つが優雅で隙がない。一口食べてはしばらく自分の中の吐き気と戦うエリシアとは違い口に運ぶスピードも淀みない。

 全員が食べる事に夢中になったかのように無言の室内で誰かが動かす食器だけが音をたてる。実際は王子が喋らないから誰も発言できないだけなのだが。

 女性達は食事の合間にちらちらと王子の顔を伺うが、当のアルタはそんな娘達などそしらぬ様子で食事を続けている。

 ・・・気っまずいわぁ・・・

 エリシアだって見たくもないのにアルタの動向をうかがってしまう。

 頼むからなんか言って欲しい。何の為に集められたのかまったくわからない。

 そんな感じで悶々と気まずい空気が流れる中、唐突に扉の外から控えめにノックの音がした。静かな中に響いたその音に、部屋中の人間の視線が集まる。


「・・・・・」

「はっ!」


 左後ろの騎士に視線を流したアルタが無言のまま目線で扉を示すと、意を汲んだその騎士は扉に小走りに近づいて片側を開き、直後、その場に佇んでいた人物を認識して脇に避けて軽く低頭した。


「――お食事中失礼致します。アルタ様」


 自分を出迎えた騎士に頷きながら入ってきたのはもう老齢にかかろうとしているような男だった。

 綺麗に撫で付けられた髪は白髪交じりというよりほぼ白髪の中に元来の色であろう茶髪が見え、深い皺が刻まれた顔立ちは若い頃の精悍だった名残を残し、シンプルながらも高級な生地を使った服に包まれた体は男性としては小柄な方だったが、姿勢正しく重ねた年月が滲み出る堂々とした態度には高位の者特有の威厳が備わっている。


「・・・・・・何の用だ、クワルツ」


 突然の男の来訪にアルタは少し眉を寄せ、若干鬱陶しそうに戸口を見た。男はそんな王子の態度には慣れっこなのか出迎えにきた騎士を従え、迷いもなく王子のすぐ近くまで歩み寄る。

 ちょ・・っ そんなに寄らないで欲しいんだけど・・・っ!

 元の場所へと戻った騎士とは違い、丁度自分とアルタの間に開いていた席の前で立ち止まった男にエリシアの頬を冷や汗が伝う。

 王子がクワルツ、と呼んだということは、この男、セスティア国宰相のクワルツ・S=バーニアだ。この国で、二番目に偉いおっさんである。

 ああ失敬、と振り返り、女性達に軽く頭を下げた時など丁度見上げる形で目があってしまい、エリシアの頬が愛想笑いの形で凍りついてしまった。

 幸い娘達には注意を払っていなかったらしくこの国の宰相はすぐに王子の方へと顔を戻す。


「このような席を用意しておきながら何故令嬢たちを無視して食事を続けているのですか」


 いきなりのクワルツの思わぬ台詞にアルタの眉はさらに中央に寄った。


「なぜお前がそんな事知ってるんだ」

「使用人に報告させました。心配だったので」


 さも当然といわんばかりの返しにアルタの口から盛大な溜息が漏れる。


「過保護すぎる。お前がうるさく言うから食事の席も用意させたんだろうが。面倒くさい」

「またそういう事を・・・っ!

 貴方のためにこれだけの令嬢が集まってくださったのに。少しは誠意を見せたらどうなのですかっ」

「誰がそんな事頼んだ? お前達が勝手に集めただけだろう」


 心底面倒くさそうな王子の言い草にテーブルの上の空気がざわりとざわめいた。夢やロマンスを抱いてやってきたであろう少女達にあまりな仕打ちだとエリシアでさえも思う。

 まさか女性達が集まっている場でそんな事言われるとは思っていなかったのかクワルツも焦り気味に、王子!と鋭い叱責を飛ばす。


「何ということをおっしゃるんですかっ そもそも王子が―――」

「誰が血を絶やすと言った。私はそんなに考えなしじゃないぞ」


 その後長々と続きそうだった言葉を遮りながらアルタはつまらなそうに唇を尖らせた。鋭い金色の瞳がクワルツを射抜く。


「ごちゃごちゃごちゃごちゃ――と。最悪隠し子を作ってでも子供は残す。問題ないだろ」

「いえありますよ! 隠し子作る前に結婚してくださいっ 国王の婚儀が国にとってどれほど重要な事かわかっているでしょう!?」

「うるさい! 俺にだって結婚する相手に対する理想ってもんがあるんだっ 家柄だのなんだので決められてたまるかっっ」

「じゃあ仰って下さいその理想というものを! 例え国中から世界中になろうと相応しい相手を探し出してみせますからっ」


 まるで子供を叱りつけるようなクワルツにつられたのかアルタの口調が”私”から“俺”に変わったが、双方気付いていないようだ。

 女嫌いかと思われた王子の意外な言葉に勢い込んで畳み掛けたクワルツに、アルタの眉根が一気に三本ほど皺を刻んだ。先ほどまで露わだった感情がすっとナリを潜める。


「・・・・・・・・・お前に用意など・・・できるものか・・・っ」

「な・・・っ!」


 吐き捨てるように呟かれた言葉にクワルツが言葉を呑んだ。さすがに苛立ったように王子に目を向けたときには、すでにアルタは己の席に座っていることを放棄していた。


「何処の令嬢だろうが姫だろうが私の理想にはなれん。無駄な事をするな」

「アルタ様!」

「冷めた。後は部屋で取る」


 言葉と同じくらい冷えた口調でそう言うとアルタは後ろで戸惑っていた二人の騎士を無言で促し、ひとつに束ねていた黒髪を翻して出口へと向かう。あまりに急な展開に困惑して見送る女性達の顔を見、我に返ったクワルツが慌ててアルタを追った。


「アルタ様! なんと無礼な事を! 食事の途中で席を立つとは何事ですかっ!」

「もともと他人に見られながら食べるのは趣味じゃない。トスカだって来てないだろ」

「あの方は・・っ・・その、もともとそういう――――いえ、そうではなくて礼儀の問題です!

 我々にも意地というものはございますっ! 此度の令嬢達、今までと違い家格だのなんだのと無難な相手だけではありません! たいして相手を知りもせずに断るというのは流石に納得がいきません!」


 足を止めずに会話を続ける二人の間に流れる温度差が目に見えるようだ。扉の前で立ち止まり、クワルツを振り返ったアルタは燃え滾っている宰相と違い、嫌々聞いている感丸出しで、今回のお見合いもさっさと決着がつきそうだ。というかエリシアとしてはさっさと断って欲しい。

 いい加減聞き飽きたのか金瞳に疲れを滲ませたアルタがテーブルの方へと視線を流し、倦怠感満載の溜息を細長く吐き出す。


「・・・私の相手だぞ、好きにさせてくれ・・・」

「それが信用できるのならば、こちらは何も言いません」

「だいたい、父上だってなかなか結婚しなかったうえに、城に芸を見せに来た旅回りの芸人に一目ぼれして結婚しただろ。身分などまったくない、セスティア国民でさえない、ただの曲馬師と」

「ええ、ですがハウル王も散々周りに言われまくり、女性達に会われまくったうえでああなりました。お父様みたいに振舞いたいのならこの時点で文句を言うのは止めてください。ハウル様も同じ道を通りましたので。

 勿論、ハウル様はきちんと部下の顔を立ててくださいましたよ?」


 嫌味も込めて反論したクワルツにアルタはしばし遠い目をした後、諦めたように、少々恨めしげにクワルツを睨みつける。


「・・・・・・わかった。また今度、きちんと見合えばいいんだろ?」

「ありがとうございます」


 アルタの譲歩に気を良くした様にクワルツの声が明るくなる。

 向こうの話は何とかまとまったようだ。しかしこいつ等失礼ぶっこきやがって、と思いながらエリシアが隣を見ると俯いたセレネーの膝の上、きちんと揃られた両手がブルブル震えている。名家のお嬢様にはかなり屈辱的な問答だったのだろう。王子、完全に喧嘩売ってたもんな。

 若干の哀れみを込めて見つめているとしゃりしゃりという瑞々しい音が耳に入ってきた。視線を前へと戻すと頬杖をついたテヨルテが行儀悪くフォークを握ってむしゃむしゃと生野菜を咀嚼していた。何処を見るともなく睥睨するかのような赤茶色の瞳がやってられるか!と心情を如実に語っている。堂々と心情を皮肉めいた態度で表しているが、正直、席を立って帰らなかっただけマシというものだ。

 と、そんなテヨルテの隣で先ほどから小刻みに震えていた女児が不意に俯いていた顔を上げて忙しなく周囲を伺い、扉の方を向いて顔をくしゃりと歪ませた。


「・・・・・・と、トイレ・・・・っ」


 あまりにも空気が緊迫していて言い出せなかったのだろう、蚊の鳴くような声で呟くとそのままぽろぽろと涙を零し始める。姉らしき少女がぎょっとしたように振り向き、先ほどとは違う空気がテーブルの上に巻き起こった。

 流石にこれには遠巻きに様子を伺っていた使用人達も慌てる。数名が女児に駆け寄ると入り口辺りで話していたアルタ達も振り向いた。


「どうした?」

「あ、はい、あの・・・少々外に用事があるそうで・・・」


 アルタの問いかけに女児の真横で真っ赤になって俯いた姉に代わり、駆け寄った王宮侍女の一人が答えづらそうに言葉を濁す。出入り口を塞ぐ四人はまさに邪魔以外の何者でもないが、まさか国の王子や重鎮相手にそこを退けとは言いづらい。

 すぐに侍女の一人が従業員用のドアに走り寄ったが、ドアの外には何か置いてあるのか途中でつっかえて人一人分も開かなかった。焦ったようにドアを動かす侍女の下に他の従業員達も混じって出入り口を広げようと奮闘する。

 女児は我慢の限界なのか震えが大きくなりしゃくりあげ始めた。

 そこで初めて女児が泣いていることに気付いた王子と宰相がぎょっとして、近づこうかどうしようか考えるようにその場でたたらを踏んだ。

 ――――――ああ、もう・・・っ!!!



「すみません!! 少々お花を摘みに参りたいので扉を開けてください!!!」



 エリシアが席を立つと同時に叫ぶと一拍後には周りに渦巻いていた音が全て消え去った。

 ぽかんと呆気に取られたような表情でこちらを見る王子や騎士達を一瞥、テーブルを回って王宮侍女を掻き分けながら女児の下へ行き、その体を右手で抱えあげる。

 エリシアの腕の中でびっくりした顔で泣き止んだ女児をそのままに反対側の手で姉の手を掴み、強引に扉の前まで歩み寄った。間近になったアルタに、ひゃッ、と左手で掴んだ少女の小さな悲鳴が聞こえたが気にせずその手前に佇んでいた騎士を見る。


「お花を、摘みに、参りたいの、です。扉を、開けて、下さらない?」


 聞き取りやすいように一言一言区切ってはっきり言うと意味を理解したのかエリシアの真正面に立つ騎士の顔が赤らみ、狼狽したようにアルタの顔を伺った。そんな騎士に生温い視線を返したアルタがひとつ頷き、クワルツに指示しながら自らその身を脇に避けて道を開けてくれた。


「失礼致します」


 まるで面白いものを見るような王子の視線を感じながら、なるべく顔を合わさないように深々と頭を下げて通り過ぎる。瞬間、腰を曲げた事でお腹にコルセットの上部が突き刺さって刺激する。

 ああ、もうこうなれば自棄だ。どうせこの部屋にも帰りづらい事だろうし。


「私達のお料理も部屋に運んでくださると嬉しいです!」


 扉を潜りざま振り向きざま部屋の中の王宮侍女達に叫び、間近くに居る人物達と目が合わないうちに少女と女児を連れて廊下へ滑り込む。



 あああああぁちくしょう!!!! 僕の馬鹿アホまぬけぇええええぇ!!!!!



 エリシアはちくちくと雄弁に存在感を主張する視線と多大なる後悔を振り払いながら、最短ルートでトイレへと行くために大股で廊下を駆け抜けていった。



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