01.エリシア、お城にはいる
「エリシア様。こちらのお部屋ですわ」
一歩一歩慎重に、なるべく所作が優雅に見えるように、と心がけながら歩いていたエリシアはその声にハッっと意識を前に戻した。先導していた女性がいつの間にかこちらを振り返り、部屋の扉に手をかけて大きく開けていた。
「こちらのお部屋で、どうぞおくつろぎ下さい」
促されて足を踏み入れた部屋は、二間続きで洗面、バストイレ完備のようだ。自分家の自室とは比べようも無いほど広く、けれど甘やかされて育った姫君たちには少し味気なさそうな、質素ではないけれどシンプルな部屋だった。扉のない隣の部屋への出入り口からちらりと覗く鏡台は後付けの量産品らしく、みすぼらしくはないが豪奢でもない。これに怒った娘はいなかったのだろうか。それとも、ココに来る前に自分の荷物をあらかた送りつけて部屋を改造しておくものなのだろうか。
よくわからないがとりあえずエリシアにはまったく関係ないことなのでザッと見回した後、ひとつ頷いて自分をココまで案内してきた女性――この王宮の王宮女官統括者の方を振り返った。その視線を遮らないように、自分の後をついてきていた黒髪の少女がさっと背後に回る。
「王子との謁見が幾日後になるかはさだかではありませんが、それまでの間、自室同様に好きになさって構いませんから。
後、お部屋付になる侍女達に関してですが―――」
「ああ、それは結構です」
う、やっぱり来たか。と思いながらも、エリシアはやんわりと女官長の言葉をぶった切った。自分の耳に響くその声は低いながらも穏やかなアルトボイスで少しだけ安心する。
「しかし、」
「この通り、もう身の回りの世話をしてくれる者を一人つけて来ておりますのでこれ以上は結構です。荷物も家よりは少ないですし、お手を煩わせるほどの事はありません」
斜め後ろに佇む少女を見せるように体をずらしながら、頼む、頼むから聞き分けてくれ、と内心呟く。何かを読み取ろうとでもするかのような淡い茶色の瞳に顔を背けたくなるがぐっと堪える。ここで挙動不審になったほうがヤバい。
大丈夫・・・・・・だいじょうぶ、の、ハズ・・・っ
「わかりました。また何かご用命の際はどうぞご遠慮なく侍女にお申し付け下さい」
長く感じる数秒の後、女官長は教本通りと言いたくなるほど綺麗に一礼して部屋の出入り口から姿を消した。パタン、と扉が閉まる音の後、盛大な溜息が二重奏で響く。
「やりましたね、エリシア様?」
「やりましたじゃないよ、なんでこんなことになってんの。正気の沙汰とは思えない」
ただ綺麗に見せるためだけに高めに作られたヒールが痛くて盛大に音を立てて手近な椅子に座り込んだエリシアは少女にも座るようにジェスチャーしながら自分の足を見下ろした。15センチはありそうなピンヒールで自分はよく転ばなかったものだと思う。あんな短期間のレッスンだけでやっていけている自分には、何か才能があるんじゃなかろうか。いや、いらなかったけど。
「大旦那様は焦ってらしたから」
「自分の孫娘が病気で来られなくなったから? 他所の娘を紹介するのも嫌だからって、乳母の子供を王宮にけしかける? 発想がどうねじ繰りかえったのかまったくわかんない」
「焦りすぎて突き抜けてしまったんだと思いますよ。ちなみにこの発想の元は貴方のお母様ですが」
「・・・・・・・・・あの親なに考えてんだろ・・・」
肩口で切りそろえた黒髪を揺らしながら整った顔を澄まして答えた少女にエリシアは大きく肩を落とした。そこでハタと気付く。
「あ、えっと。マリーネ、だった、よね。向こうの部屋、ベッドも何もかも全部使って。確か持ってきた荷物の中に仕切りに使えそうな大きな布もあったよね」
「いえ、私は別に気にしませんよ。貴方をサポートするのが私の仕事ですから」
「いやいやいや、気にするよ。気にしますよ。何言ってんの。赤の他人の男女がひとつの部屋で過ごせるわけないでしょ」
豪胆にもきっぱりと言い切ったマリーネに靴を脱いで足をほぐしていたエリシアはバランスを崩して椅子から転げ落ちそうになった。今日王城に向かう時、初めて出会った自分のサポート役侍女は心臓が強そうだ。
だが、そうでなければ王子をはじめ王宮の人間全員を騙すことは難しいだろう。
「僕はそこにおいてあるソファで寝るから。実際うちで使ってる自分のベッドより寝心地よさそうだし」
言いながら大きな明り取り窓の下にある長椅子を指差して裸足で床を踏む。屈むと体型を誤魔化す為ギリギリと力の限り締め上げたコルセットに押され内臓が口から出そうだ。ちょっとした事で気絶する女性達は、きっとこれの所為で気道が確保されてないからだと思う。
エリシアが高そうなドレスの裾が汚れないように気をつけながら二度と履きたくない靴を持ち上げると、すぐさま席を立ったマリーネがそれを受け取り、衣装箱の一つに仕舞いこんだ。ホントは動くのも億劫だったりするので実に助かった。
てきぱきと要領よく持ってきた荷物を片付けるマリーネを見ながら、もう、お城に着いて早々即効で帰りたくなる衝動が襲ってきた。重い髪飾りをむしり締め付けの激しいドレスを放り投げてこの格好で出会った人間のいない場所へと行きたい。元々、どうしてココにくるハメになったのかさっぱりわからないのだ。
「・・・マリーネは働き者だね」
「貴方をサポートするのが私の仕事ですから」
先ほどと同じ言葉をもう一度言ったあと、マリーネは片付けの手を止め、オレンジ色の綺麗な瞳をエリシアへと向けた。どこか不憫そうに眉根を動かす。
「身の回りの世話などはフォロー出来ますが、王子との事では手助け出来ませんよ。頑張ってくださいね」
「わかってる。怪しまれないように挨拶済ませて、帰れと言われるまで何もしないで部屋に篭っとくよ。僕自身はまったく誰とも出会いたくないからねっ むしろ我に返るとどこかから飛び降りたくなっちゃう」
親や名門貴族の爺さんにドスドス押されてここまで転がされてきたけれど、王子や国を統べる重鎮達を騙そうなど不敬どころか馬鹿にしているとしか思えない。エリシアが自殺しなくても命の危機は現在進行形だ。
「王子の恋愛相手に男送り込むなんて御家取り潰しどころか関係者の首が物理的に飛ぶだろ、確実に。名門中の名門、T=カーティス家も何を考えてるんだか」
「そうですね・・・、もともとこの話には王子は乗り気ではないですし、どこかの他所のお宅の娘さん紹介して万が一くっつかれたらピエロ以外の何者でもないですからねぇ。娘さんのほうもそんな野心あったりするでしょうし。
男だったら180度ひっくり返ってもまず王子とくっつかないからまぁ安心ですよね。その間に孫娘の病気が治れば同じ舞台に立てますし」
「その理論で納得したんならきっと皆どこかイッちゃってたんだな。なんでそんな酔っ払いの戯言みたいな案の矢面に僕が立たされなくっちゃならないんだか。いくら母親の勤め先だからって横暴すぎだよね・・・」
突然母に呼び出された日の事を思い出して憂鬱になる。“エリシア”として王城に出向けと無茶振りされた息子に対し、「私の息子なら出来るって信じてる、頑張ってねっ」という母の言葉が非常に印象的だった。芋づる式に事情を知って爆笑しながらカーティス家からの多額の口止め料を受け取っていた義父も思い出され、エリシアの表情が鬱から苛立ちへと変わる。
お金が飲み代に変わる前に義妹がぶん殴って取り上げててくれないだろうか。ついでに二、三発蹴りを入れてくれてたらすっきりするのに。
まったく信用できない義父に前払い分の報酬を手渡した使者を恨む。もしあのお金を屋敷の修復などにまわさず女を買うのに使ってたりしようものなら母と義妹と乳母にチクってやろう。
「“エリシア様”が化粧やコルセットなどで誤魔化せるくらいにはごつくなくて、作法などの飲み込みが早かったからじゃないですか? これイケるっ!!!って思われたみたいですよ」
「・・・ネー・・・、どんだけ焦ってたんだろうネー、キット変な夢みたんだろうネーー」
持って来た荷物を全て詰め終わり、茶器をカチャカチャと操作し始めたマリーネを横目で見ながら、エリシアの口から半ばヤケクソのような棒読みが零れる。動きやすそうなモノクロのお仕着せがうらやましい。
ただ着ている物は使用人用の服なのにマリーネの動作はそれはそれは優美だった。いっそ彼女が自分の代わりに王子と見合えばいいのに、とエリシアはその手つきに見惚れながら口の中で呟いた。
そうこうしている内にお茶が入ったようだ。マリーネが小さな丸盆に一式置いてこちらを向く。
「どうぞ」
「ああ、ありがと」
お礼を言って受け取った高そうな器からいい匂いが立ち上る。マリーネにも座ってお茶を飲むように伝えて受け皿をサイドテーブルに置いた。エリシアの言にひとつ頷きマリーネも少し離れた所に座る。
艶やかな黒髪も、鮮やかなオレンジ色の瞳も、お仕着せの上からでも分かる体型も、どれをとってもマリーネは綺麗で、こんな娘を男と同じ部屋に放り込むなんてほんとどうかしている作戦だと思う。
“エリシア”につける侍女は当日までに用意しておくと言っていたが、どちらかというと枯れたベテランのオバさんの方がずっと精神的に良かった。いや、この首を刎ねられるかもしれない超アウェイな空間でそんな気になるかどうかは怪しいが。
元々、受身系の息子にそんな根性はないと母親辺りが吹き込んだ可能性も大きい。
「――マリーネ」
「はい?」
「セスティアの守護竜に誓って、マリーネに変な事しないから、だから一緒に協力してこの危機を乗り越えよう」
いきなりのエリシアの言葉に、マリーネはカップを持ったままきょとんとしたように瞳を大きく開いたが、すぐにクスリとその顔に悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「王子に見初められないように、誰にもバレないように、ですね」
「ですねー」
先ほどから笑顔は見ていたが、初めてマリーネの笑顔を見たような気分でエリシアも知らず入っていた肩の力を抜いた。
この日、 “エリシア”ことエルト・N=ウィーザントが、10人いる王子のお相手候補者の最後の一人として王城に入ったのだった。
これ、需要があるのかどうか・・・
不慣れなうえ、遅いので不定期投稿になると思います。