12.エリシア、深夜に忍ぶ
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少しずつ見てくださる方が増えているようで嬉しいです。
大体の人間が寝静まった深夜。きょろきょろと周りを見回しながら慎重に廊下を進む影があった。
エルト・N=ウィーザント。現在王城でエリシアとして活動している少年である。
今は胸元と裾、袖口、襟首から肩にかけてふわふわとしたレースで誤魔化している簡素な白いドレスをパジャマ代わりに着てそろりそろりと足音を一切立てずに廊下を歩いていた。
深夜といえど人がけっしていない訳ではない。見回りなのだろう、時折すれ違うランプを掲げた使用人を隠れてやり過ごしながら誰にも見つからないように少しずつ階段を下りてゆく。
エリシアにとってコレは賭けだった。
昼間は人が居て森の中を調べる事はおろか、近づく事も出来なかった。ならば夜に忍び込むしかないだろう。と、つまりはそういう事である。
勿論無茶をするつもりはない。トーキーは夜活動するものも多い。ほんの少し様子を見てくるだけだ。トーキーとやりあうつもりはないし、無用心に関わるつもりもない。この国のトーキーもまさかいきなり出会い頭にガブリとはいかないだろう、と、思う・・・・・・、多分。
何かあったら、と後々の事を考えるとカーティス家の反応が怖いが、心配事はなるべく早く取り除かないと引っかかってもやもやするタイプなのだ。パンツの事が気になって演技が上の空になろうものならそれこそ目も当てられない事態になりかねない。
一歩ずつ慎重に、音をたてないように息を殺してなんとか一階に辿り着いた。
入り口や裏口といった出入り口には見張りが居るだろう。この城には預かりモノのお嬢様達がいるのだからそれは当たり前の事だと思う。
ならば。
辺りを見回して誰も居ない事を確認し、手近な窓に近寄る。一階の廊下の窓は他の階の窓と違って主にステンドグラス仕様だ。間近で見た色ガラスと銀線で流麗な装飾がなされた幅の広い窓は予想以上に分厚く、上下に細長い小窓がセットのように付いている。
昼は日の光が入り、とても綺麗な光を取り入れるそれに手を触れ、力を入れようとして感じた違和感に少し検分してようやく気付いた。この窓嵌め殺しだ。空気の換気は上下の小窓から行うのだろうが、幅は随分と小さく、人の腕が通るかどうか位で、到底出入りできそうにない。おそらく一階の窓から人が侵入するのを防ぐ為だろう。
仕方ないことといえば仕方ないことだが面倒くさい事この上ない。一階の窓が駄目だとしたら他の階から、という事になる。が、見回りが居るこの状況でいつまでも窓が開きっぱなしになってくれるとも思えない。
・・・・・・・・・自分の部屋の窓から出るか・・・・
部屋は四階にあるが、しょうがない。四階程度なら登り降りが出来ない事もないだろう。
即座に諦め、踵を返したエリシアが階段に差し掛かったとき、不意をつくように階段上からナニカが飛び出してきた。頭上に落ちてくるその何かがとても小さな影だったと認識した時には、すでに条件反射で固めた拳を振り出していた。
ヂュ・・ッ!!
手のひらと同じくらいの大きさのソレは柔らかい感触と共に小さく悲鳴をあげ、綺麗に嵌った拳に吹き飛ばされて、ベタンッ、と階段に叩きつけられる。
やっばぁ、咄嗟に手が出ちゃったよ、と反省しながら両手足を天井に向け、そのまま身動きしなくなった攻撃対象を覗き込んでみるとそれは白っぽい毛色の鼠だった。家で見かける(飼っていない)鼠よりも大きく丸々と太っており、首に細長いリボンがかけられている。
誰かの飼い鼠か?、とエリシアが首を傾げながら拾い上げようと手を伸ばしたとき、その小さな手足がピクピクと動いて宙を掻いた。暫くジタバタと足掻いてようやく起き上がる、と同時にエリシアの姿を認めてビクリと震える。
あ、殴った相手、覚えてる。
あまりにも相手が怯えるので屈みこんで手を伸ばした格好のままどうしようか迷っていると、鼠は取って喰われるとでも思ったのかもう一度大きく身震いをしてエリシアの脇をすり抜けるように脱兎のごとく駆け出していってしまった。
「・・・・・・」
いや、まあいいんだけど。
鼠の態度になんだか釈然としないものを感じながら闇に消えていくその後ろ姿を見送り、視線を前に戻した瞬間、階上に立つ人影を視認して階段を踏み外しそうになった。
「ッ!」
咄嗟に踏みとどまったが、突然の事に思いっきり心臓が跳ね、呼吸が少々狂ってしまう。
何時の間にそこに現れたのか、人影がひとつ、踊り場の大きな窓から差し込む薄らぼんやりとした月明かりを背に受けて立っていた。そのシルエットはエリシアよりも小振りで、顔はよく見えなかった。
鼠を殴った時までは確かにいなかった。だがいつの間にか立っている。狩りで鍛えられた自分に音どころか気配さえも感じさせなかった相手に動揺を隠せない。明かりを持ってないということは見回りの人間ではないはず。・・・不審者か。
一呼吸で思考とともに息を整えると警戒するように見上げたエリシアに、人影が首を傾げる。
「あの、ここで何をしているんですか?」
聞こえてきた声はまだ幼さが残る少年の声だった。少し疑わしそうな色を織り交ぜたそれはどうにも不審者のそれには聞こえない。
怪しいのはお互い様。君に言われる筋合い無いと思うな、と思いつつも、確かに少年の言うように自分も不審者だ。使用人辺りになら見つからずにいける自信があっただけに咄嗟のフォローが出ずに一瞬ぽかんとしまったが、すぐに自分の立場を思い出してエリシアは優雅に見えるように背筋を伸ばした。
「・・・先ほど頂いたお酒が肌に合わなかったようで、少々風に当たろうかと・・・」
一階まで月明かりに誘われて降りてきたんですけど、夜のステンドグラスもオツですわね、と相手から目を離さずに自分でも怪しさ爆発の言い訳を並べてみると、少年は真偽を確かめるように静かに見返してきた。
丸め込めるか? まあ丸め込めなくても煙に巻ければそれでいい。
特に必要以上に人と係わり合いをもとうなどとは思っていないので、今この場を逃れられればそれでいいのだ。
さらに二、三、適当な理由を並べながら少年を観察する。闇に慣れた目にはぼんやりとした月明かりに照らされた少年の服装がその体にきちんと合った仕官服だというのまでは見て取れた。部署の色まではわからないが、服の形から推察するにこの少年は城で働く役人の一人だ。今の今まで仕事でした、というのならば城内にいておかしいということも無い。
ただひとつ。明かりを持っていないという点を除いては。
「貴方は? 明かりも持たないで何をしているの?」
女性特有の無邪気さを装って直球で突っ込んでみると、少年は裾を正して左右を見回した。暫く周囲を観察し、どこか恐る恐るといった態でエリシアを見下ろす。
「あの・・・・・・こういう事を聞くのは憚られるのですが・・・・その・・・・」
少年は歯切れが悪そうにモゴモゴと口を動かした後、観念したようにひとつ溜息を吐いた。
「鼠、を・・・・見ませんでしたか? 部屋から逃げ出してしまいまして・・・すぐに追いかけたのですが・・・」
心苦しそうに告げられた少年の言葉に合点がいった。鼠といえば嫌悪対象のひとつだ。、女性にそういうモノが近くにいるかもしれないなどとは言いづらかったのだろう。もっとも僕は気にしないが。
エルトが鼠に対して持っている感情は生理的嫌悪というより、このヤロウ、家の備蓄を食べやがって、という単純な憎悪だ。冬越し用の食べ物を喰い散らかされた時などにとっ捕まえて喰ってやろうかと思う程度のものだ。見知らぬ鼠を見て、このヤロウ、や、あぁ旨そう、などとは流石に思わない。
「鼠なら先ほどすれ違いましたよ。細いリボンをした鼠でしょう? それならこの廊下を真っ直ぐに逃げていきましたけど」
「ああ、ソイツです。すみません。その、ご不快なものを見せてしまって」
「まあ、別に。私は気にしませんわ」
恐縮しているような少年に階下を片手で示しながら、こっちこそぶん殴っちゃってごめん、と言葉に出来ない台詞を心の中で続ける。元気そうにすぐに駆けていったからどうということもないと思うけど。
逃げていった方向を教えればこれで対面は終わりだろう。今日はもうケチがついてしまったので外には出向かず、明日また考えよう。
とりあえず脱出計画は諦めるという方向でけりをつけ、あまり靴音が響かないように、でも音を完全に消さないように気をつけながら階段を登っていったエリシアは、何故かその場所から動かない少年ととうとう踊り場で並び立った。その動きに触発されたのかエリシアの胸の辺りまでしか身長がなかった少年は自分の隣へとやって来たエリシアを真っ直ぐに振り仰いだ。
「足元が暗くて危険です。お部屋までお送りします、エリシア様」
げっっ ばれてた・・・っ!
暗いからわからないかなぁ、と曖昧に誤魔化していたのに相手はもうすでにエリシアの事に気付いていたようだ。何処でばれたのかはわからないが、正直これ以上係わり合いになりたくない。頭の中で何故か警報が鳴っている。
焦りが募り始めた内面を表に出さないように鉄壁の笑顔を浮かべながらエリシアはことさらゆっくりと、優雅に首を左右に振った。
「大丈夫よ。ココまでだって一人で来たのだもの」
「そうは言いましても、」
「それにどのような年齢の方だろうと見ず知らずの男の人に部屋まで送ってもらうわけにはいきませんわ」
「あ、えっと・・・はい・・」
少々茶目っ気を織り交ぜたように小さく声を弾ませてみせると、少年は何も言えなくなって素直にこくりとひとつ頭を上下させる。よし、誤魔化せた。
「では。失礼するわね」
「あ、はい。お気をつけて。お休みなさいませ、エリシア様」
「ええ。貴方もいい夢を」
もうさっさと切り上げてさっさと寝てさっさと明日に備えよう。
少年に別れの挨拶を告げるとただひたすらそれだけを念じながら階段を一歩一歩踏みしめる。途中、何かに貫かれるような視線を感じて咄嗟に背後に視線を流したがその場を動かずに頭を下げ続ける少年しかおらず、気のせいだったか、と首を傾げながらエリシアは苦笑して部屋へと戻る速度を速めた。
「・・・・・・案外、鋭い。確かに王宮女官長に似ている―――が、違和感があるな」
エリシアの気配が去ったのを確認し、顔を上げてポツリと呟いた少年の背後で軽い足音が弾ける。極最小の音で駆け寄ってきたソレは少年の背中に飛びつき一気に左肩まで駆け上がる。
《ヴぁるド》
囁くように漏らされた不明瞭は言葉に少年――ヴァルドはクッと唇を持ち上げた。
「どうだった? ヘッジ」
《あイツ ヤばイ てヲダすナ》
顎の形の違いから明確に発音できない鼠はチチッと鳴く歯の隙間から言葉を滑り落とす。自分の肩に乗っかった鼠からの明確な警告にヴァルドの笑みがますます深まった。
「お前がいきなり警戒全開とはな」
《おオキナけはイ ト ケもノノにオイ》
「獣?」
訝しそうに視線を肩へと流すと、鼠――ヘッジはチチッとまた小さく鳴く。その鼻面に生えたヒゲをピクピクと神経質そうに動かして体を揺すった。
《アれハ オオかミ》
「トーキーの知り合いがいるのか。大きな気配というのは?」
《オれハしラナい アれハげンシュ ヨり ヤばイ》
「・・・お前が会った事なくて幻種よりヤバイということは・・・・・・竜、か。
という事は、あの娘はやはりヴァーチナムの血筋の可能性が高いな」
ふむ、と顎に手を当てて考え込むように視線を上に向けたヴァルドの肩の上で何かを思い出したかのように唐突にブルルと大きく身震いしてヘッジがしっかりと爪を立てる。
《あイツ ナグッた いタイ》
「お前がいきなり驚かせたからだろ? 咄嗟――――にしてもお嬢様にしちゃいい反応だな」
感心したように呟くヴァルドにヘッジは全身の毛を逆立て、抗議するようにヂーヂーと耳元でうるさく喚きたてた。耳に障る鳴き声に眉を顰め、肩に爪を立てる鼠をまだ幼い手のひらで蓋をするように押しつぶす。ヂュッッ、と短く悲鳴をあげた体を持ち上げ、顔の前にぶら下げた。
「こんな時間に鳴き喚くな。適当にベルフォトのトーキーの腹の中に放り込むぞ」
ヂチチッ
少し脅しをかけてみた途端、弱弱しく抗議するヘッジに楽しげに浮かべていたヴァルドの笑みが深くなる。
「まだやる事があるからな、普通の鼠のフリをしていろ。飼い鼠なら早々殺されやしないだろうからそのリボン外すな。あと、それ以上大きくなってトーキーだとバレるなよ? 今でもギリギリなんだからな」
ヂュッ
どこか楽しそうなヴァルドにヘッジは不満そうにひと鳴きしたが、それ以上突っ込まない。下手に突っ込んで機嫌を崩したらヘッジ程度の存在、ヴァルドなら本気でトーキーに喰わせるだろう。それなりに仲良く付き合っているが、だからこそわかる。ヴァルドは気分屋で残酷だ。
そうだ、よしよし、と掌に乗せて頭を柔らかく撫でる手が次の瞬間、もういらない、と奈落へ放り出す。こんなモノを傍に置こうとするこの国の王子の気が知れない。
「あーー殺したい。書類詰めも子供っぽくかわい子ぶるのも疲れた」
何処か子供っぽく無邪気に笑いながら薄水色の瞳を興味なさそうに眠たげに伏せたヴァルドに、相変わらず物騒な男だ、とヘッジは声に出さずに心の中だけで鳴いた。