09.エリシア、廊下で押し問答にあう
「!」
「エリシア様―――――なんで貴方ここにいるんです?」
部屋までついてくる気らしいシオナを従えたまま自分の部屋へと戻ろうと早足で進んでいたエリシアは、たまに忙しそうに働く使用人達とすれ違いながら廊下の角を曲がったところでマリーネとルチルの二人に出会い、その場で少々前のめりそうになりながら立ち止まった。もしかして迎えにきたのか、と言うよりも早く名前を呼んだ後、マリーネの声音が若干低くなる。
え?僕??何かした???
本気でわからずマリーネとルチルをもう一度よく観察して、ようやくその言葉が自分に向けられた言葉ではないことに気が付いた。マリーネのオレンジ色の瞳は剣呑な光を宿し、エリシアをすり抜けてその後ろに立つシオナの方へと向いていた。
「エリシア様を迎えに来ていました」
マリーネの視線を真正面から浴びても顔色ひとつ変えずに淡々と返したシオナに、マリーネの瞳がさらに力を帯びる。マリーネの後方に従っていたルチルが雰囲気の変化に顔を引きつらせながらそろりと数歩、距離をとった。
「まずは部屋に報告に来なさい。私は用意できたら朝食を部屋に運ぶところまで申し付けたはずですが」
「運ぶのは食堂の方に代わってもらいました。料理が運ばれるのに合わせてエリシア様をお部屋にお呼びした方が料理が冷めなくていいと思って」
「エリシア様の身の回りの事は、全部私が指示します。勝手に口を出さないでください」
マリーネからのあたりが強くなってきてもまったく意に介さないシオナに、マリーネの眉根に険が刻まれる。
「それが嫌ならさっさと部屋付きをお辞めになってください。止めませんから」
「私、エリシア様の役に立ちますよ」
「役に立つ、立たないの問題ではないですよ。個人行動しか出来ない人は必要ない、と言っているのです。はっきりいって言うことが聞けない人間は必要ありません。
ですよね? エリシア様」
「はい!?」
微妙な空気が渦巻く二人の間に挟まれ口を出せずにいたエリシアは、なるべく空気でいようとそろりと脇に避けたのだが、その動作が気に障ったのか、マリーネがいきなり話題の中に引きずり込んできた。
唐突に水を向けられ、意識するより先にエリシアの口から素っ頓狂な声が上がる。そんなエリシアを真正面から見つめなおし、もう一度マリーネは同じ言葉を口にした。
「言うことが聞けない人間は、必要ありませんよね、エリシア様?」
口元は穏やかに微笑んでいるのに目が笑っていない。すっごく怖い。
「そ、そうですね。もともとマリーネだけで十分だったのだし」
「え、、、え、えええぇ!? ちょ、ちょっと待って下さいっ! なんか私まで含まれてませんかソレぇ?!」
マリーネの迫力に促されるように元々思っていた事を口に出すと、それまで我関せずと少し離れたところで状況を見守っていたルチルがとんだとばっちりに思わず悲鳴をあげた。黒いふわふわの髪を左右に振り乱しながらマリーネに縋り付く。
「嫌ですダメです止めてください、私本気なんですっ首にしないでっ!―――というか酷いですシオナさん!私まで巻き込まないで下さいっ!!」
マリーネのお仕着せを握り締めて懇願しながら涙目をシオナに送るルチルだったが、そんな同僚の非難さえもシオナには効いていないようで、当の本人は無表情でただひたすらにエリシアを見つめ続けていた。
・・・え? なに? こっちも怖いんだけど・・・っ!
自分の心情をうるさいほど訴えるルチルと違い、一切表情に出さずに無言で迫ってくるシオナはなんだかすごく迫力があって思わず呑まれてしまう。
「―――私、辞めませんから。要らないといわれても何度も部屋に通い詰めます」
堂々と宣言するように告げられた言葉に、その場の空気が確実に何度か下がった。そのくらい、マリーネの視線が冷たかった。
やだ、もうこの子面倒臭い。というか全員、めんどい・・・っ
年の近い可愛らしい少女達に囲まれるという素晴らしい状況、のはずなのに。朝からブルーな気分だ。
コルセットは相変わらずキツイしお腹は空いてきたし先ほどまた最悪な出会いを果たしたし、この城に来てから良い事が何一つない。
だがどんなに気が重くともエリシアにこの現状を放置するという選択肢は存在しない。こんな廊下で下手に目立つような真似は止めてほしい。丁度通りかかった運の悪い王宮侍女が廊下のど真ん中で繰り広げられる光景にその場で引き返したり、足を止めて素知らぬふりをしながらチラチラとこちらを伺い見る姿が先ほどから視界の隅に入っているのだ。
この状況、やはり治めるべき人間はこの中で一番立場が上のエリシアなのだろうか。
しょうがない、と、とりあえず一番の難題であるシオナの方に体を向けると、ただひたすらエリシアを見ていたシオナの大きな藍色の瞳と目が合った。どうにもやりずらい。背後からのプレッシャーには負けるけれど・・・。
「えー、、、っと。なぜそんなにも私の部屋付きになりたいのか知りませんが、なんの特別待遇も保障できませんよ」
「構いません」
「あのっ、私もただお世話がしたいだけなんですっ!」
シオナに向けて言った言葉に別の声も返事をしたところで、もう一人嘆いていた子がいた事を思い出した。シオナとマリーネの二人の前では空気だが、泣きそうに潤んだ顔はチクチクと心を突き刺してきてなかなかに厄介だ。
ルチルの手前に立っていたマリーネは一瞬不機嫌そうに眉を寄せたが、すぐに軽く肩をすくめるようにその存在を容認した。ルチルはシオナのようにいう事を聞かない少女ではない。部屋付きになろうがなるまいが問題ないと看做したのだろう。
マリーネの動作からそこまで読み取り、エリシアもその案を採用した。目下の敵はシオナただ一人。エリシアはもう一度藍色の瞳を見つめ返した。
「そうはいうけれど、私には貴方に報いるすべがありません。やってもらう仕事もなければただ心苦しいばかり―――」
「私は、」
滔々と断り言葉を続けようとしたエリシアの声を遮り、その大き目の瞳をただ真っ直ぐに向けたままシオナは自分の胸に手を当てた。茶色いお仕着せの上、心臓の部分を指し示すように両手をそっと添える。
「ただ純粋に貴方のお役に立ちたいのです。見返りなど何もいりません。お傍にいさせて下さい」
「・・・っ」
今までと違い、何処か熱が篭ったような力強い言葉にエリシアは台詞を続けることが出来ず、無意識にただ小さく息を呑んだ。
今まで、これほど真剣に女性に言葉を紡がれたことがあっただろうか。
まるで告白されたかのような気恥ずかしさに、照れのような羞恥のような感情がエリシアの体内を駆け巡り、体温が上昇する。確固たる意思を湛えた藍色の瞳は見たこともないほど強くこちらを―――・・・・・・見たこともないほど・・・? 本当に?
「・・・・?」
フッと、そこで浮かされていた思考が正常に戻った。なにやら脳内でチカチカと明滅するように引っかかるものがある。前にもどこかでこういう瞳を見たことがあるような気がしてならないのだ。
だが、エリシアには自他共に認める、無駄なくらい覚えのいい記憶力がある。その場でザッと過去を反芻してみても目の前の少女らしきものは見当たらない。
・・・・・・なんだ? 僕は一体なにと混合しているんだ・・・?
「―――エリシア様?」
そんなエリシアの思考を打ち破ったのはマリーネの酷く落ち着いた声だった。シオナの言葉に頬に朱をさしたかと思えば、いきなり表情を消して全ての動作をストップさせてしまったエリシアに不審の声をあげ、そっと近づく。
視線はそのままに、けれど何処とも知れぬ一点をジッと見つめるエリシアは鋭利な印象を抱かせどこか近寄りがたい雰囲気を纏っていたが、近づいてきたマリーネにすぐにそんな空気を払拭するかのように柔和な笑みを浮かべ砂色の瞳を緩ませた。
「何? マリーネ」
「いえ、エリシア様・・・まさかその程度の言葉で絆される気じゃないですよね?」
にっこりと笑みを浮かべ、いつもの調子に戻ったエリシアにマリーネは言いかけた言葉を呑み込み、最初に言おうと思っていた言葉を続けた。
この状況で彼女を受け入れたらどうなるかわかってますよね?、という意訳を正確に受け止めたらしいエリシアは、しかしやはり絆されてしまったのか視線を明後日の方向へと向ける。
優しいのか流されやすいのか判断がわかれるところだ。
「エリシア様?」
決断を促すようにひどくゆっくり言葉を紡ぐとエリシアはしぶしぶ視線を合わせてきた。ごめん、とデカデカとかかれた顔に思わず深い嘆息が漏れる。
自分達の今の状況わかってるんですか、とマリーネが視線で問えば、小さく、けれど明確な目礼が返ってきた。一回、イエス。
「・・・」
結局この場での決定権はエリシアにあるのでうるさく言い募れない。しょうがないのでマリーネは下手に会話出来ない分、視線に込めた圧迫感を緩めることで、どうぞご勝手に、との意思表示をした。
この状況下で何も理解していなかったら本当にダメだっただろうけれど、多分本人が一番わかっているだろうから何も言わない。
―――――なにより、言えない。
「貴方がそこまで部屋付きになりたいというのならば、条件があります」
マリーネの消極的な了承を得てエリシアはすっと瞳を細めて姿勢を正した。真っ直ぐにシオナを見つめる瞳が若干硬質な光を帯びる。それだけでいつも保っていた柔和さは鳴りを潜め、見つめられたシオナは無意識に背筋を伸ばし落ち着きなげに自分のスカートを摘まむように弄くった。
「な、んでしょうか」
「私に仕えてくれるというのでしたらマリーネの指示に従ってください。彼女は私の為にここまでついて来てくれたのですから。
彼女の指示は私のことを思ってのものですので、聞いてくださいね」
言いながらエリシアは最後の方ににこりと笑って鋭かった語調を緩め、マリーネをチラリと見る。その柔らかい眼差しに気圧され、マリーネは顔を伏せるように視線を落とした。じくりと胸を刺す罪悪感を一瞬噛み締め、何事もないかのように口を開く。
「はい、勿論です。エリシア様の御為に」
物腰柔らかく腰を折りながらマリーネは良心を刺激する嘘をつく痛みを笑顔の裏に押し隠した。
全ては目的のため。
その為ならばどんな事でもする覚悟はしていたし、いまさら改めるつもりもない。
誰を騙し、裏切る事になろうとも、もうマリーネは歩み始めた計画を止めようなどとは思わなかった。
少々あらすじを変更しました。