壱 歯車回転開始
強い衝撃を受け、一人の少女が地へ崩れた。すかさず、彼女は衝撃を与えた者の方に鋭い目を向ける。有り得ない。何でここまできて駄目になってしまうのだろう。
一方、少女の少し先に悠々と立つ男は彼女から目を離すと、もう涼しくなったのに流れる汗を拭いながら鉄の塊のような声で叫んだ。
「うぉっし! 次来いや!」
少女――上谷 麻衣は今高校二年生である。勉強という存在を葬り去って、命よりも大切なバレーボールの練習に勤しんでいた。肩につくかつかないか程の髪を目の覚めるようなピンクのゴムで結び、薄茶色の真剣な双眸をボールへ向ける姿はバレー部内でも評価が高い。
時々、それに惚れたのか、呼び出しを食らい気持ちを告白されたこともあったが、麻衣は全て曖昧な言葉で濁してきた。何故だか分からないが、自分にとってしっくりくるような人が全くいないのだ。バレーオタク然り。サッカーオタク然り。学年トップの男子もである。麻衣は現実を常に見つめていたが、同時に夢見てもいた。きっと自分にしっくりくる王子様のような人がやって来るに違いないのだ。友達に言うと笑われるのがおちなので決して口にはしないが。
麻衣は悔しさで唇を噛みながらすぐ起き上がり、再び列の後ろに並んだ。そして、倒れたせいで付いた小石をサポーターから取る。
一番前では、バレー部キャプテンの智子が先生のスパイクについていけずに倒れていた。そう、飛び抜けて上手いと言われる麻衣や智子さえ新しい鬼顧問に勝てないのだ。麻衣は今まで培ってきたプライドが砂のように崩れていくのを感じていた。まだまだ練習を積まなければ奴には勝てない。尻尾を巻いて逃げるのだけは絶対に嫌だ。
「おまえら、実力はそんなもんか?」
早速奴は文句をふっかける。
「光雪高校と言えばバレー、バレーと言えば優勝! それが何だぁ、この様は? つまらん!」
「……」
「各自練習だ。いいな」
奴は吐き捨てるように言うと、溜め息をつきながら校内へと戻っていった。麻衣達も違う理由で溜め息をつく。
「何あいつ」
「マジうざいよね。優勝とか知るかって」
「ムカつくけど、認められるように上手くならなきゃ。上手くなったら奢ってもらうとかすればいいし」
そう言うと智子は歯を見せて笑ってみせる。流石はキャプテン、あくまで冷静だ。
「そっか」
「高三の先輩達ももうすぐ受験でしょ? 私達も頑張らなくちゃ」
「さすがキャプテン!」
麻衣が茶化すと、智子はちょっと、と照れながら麻衣の肩を叩く。智子はどうも褒められるのが苦手らしい。
「じゃあ、各自ペアを作って練習ね」
キャプテンの言葉で部員はバレーコートのあちこちに散っていった。麻衣も智子とペアを組み、パスの練習を始める。今度こそはあの短気な鬼を鎮めなければ。