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麻雀の楽しみ

作者: 間垣解
掲載日:2026/05/21

 学生時代に麻雀を覚えて、それから何十年もの間親しんできた。

 地元の老人クラブは数百人の会員がいて、日本で最大級の老人クラブなのだという。齢を取ってからその  老人クラブで麻雀を楽しんできた。その麻雀部を退部する。老人クラブもついでに退会する。

 麻雀は認知症の予防にいいのだという。そんなわけで、老人に人気があるのだという。特に経験のない初心者の女性に人気があって、牌に触れたこともない老女たちが「教えて欲しい」と入部してくる。麻雀部の部長は現役時代生命保険会社で日本各地の支部長を務めてきた人で、とても優しく親切で、そんな初心者にも丁寧に麻雀を教える。週に二時間ずつ、一年間教えたこともあった。部長は、「囲碁や将棋が強い者が必ず勝つが、麻雀は必ずしもそうではない」と説明して、そんな未経験者も勧誘している。

 その説明に誤りはない。麻雀では初心者が偶然勝つこともあるから、強い者が必ず勝つというわけではない。しかし、それで正しいと言ってよいのだろうか? なんとなく腑に落ちなかったが、落ち着かない理由が分からなかった。

 ある人がリーチを掛けた。わたしは一萬を捨てた。当らなかった。続いて初心者の女性が三萬を捨てて振り込んでしまった。その初心者の女性はわたしに「一萬が当たらないとなぜ分かったのか?」と訊いてきた。不躾な質問に少し腹を立てて「そんなことが分るはずはない」と短慮に突っぱねた。その後で少し後悔した。これは質問の仕方が悪い。正しく質問をすれば正しい回答が返ってくるが、質問の仕方が悪いと求める答えは返ってこない。女性はこんな質問をするつもりではなかっただろうし、こんな回答を求めていたわけでもないだろう。

 だれだって一萬が当たらないなど分かるはずはない。しかし、だからと言って、ただのあてずっぽうで一萬を捨てたというわけでもない。もし一萬と三萬のどちらかを捨てなければならないとしたら、いつでもわたしは一萬を捨てるだろう。一萬が当たる確率は三萬が当たる確率よりずっと小さい。わたしは当たる確率が小さい牌を選んで捨てるのである。

 麻雀で使う牌は、いわゆる花牌を除き、萬子9種類×4枚=36枚、筒子9種類×4枚=36枚、索子9種類×4枚=36枚、風牌4種類×4枚=16枚、三元牌3種類×4枚=12枚から成る34種類×4枚=136枚である。3枚一組で「面子」と呼ぶものがあるが、面子は、一萬一萬一萬のように同じ牌を3枚集めた「刻子」と一萬二萬三萬のように順番に集めた「順子」とに分類できる。麻雀では、原則として、この面子を4つと、二枚一組の対子(雀頭)1つを集めることであがりになる。

 一萬の刻子、つまり一萬を三枚集める場合には、4枚の一萬の中から3枚集めることになる。その組み合わせは4C3で表され、4×3×2/(3×2×1)=4通りである。一萬を使った順子は一萬二萬三萬だけである。一萬、二萬、三萬はそれぞれ4枚ずつあり、それぞれの4枚から1枚ずつ集めればよいから、その組み合わせは4C1×4C1×4C1=4×4×4=64通りである。一萬を使った面子の組み合わせは刻子の組み合わせと順子の組み合わせを足せばよいから、4+64=68通りである。

 一方、三萬の刻子の組み合わせは4C3で4通りであるが、三萬を使った順子には一萬二萬三萬、二萬三萬四萬、三萬四萬五萬の3種類があるから、その組み合わせは4C1×4C1×4C1×3=4×4×4×3=192通りである。したがって、三萬を使った面子の組み合わせは4+192=196通りということになる。つまり、一萬を使った面子の組み合わせのおよそ3倍になる。

 振り込む確率がこれで決まるわけではないが、目安にはなるだろう。三萬を捨てて当る確率、つまり、振り込む確率は一萬を捨てて振り込む確率より大分大きい。逆に言うと一萬が当たる確率は三萬が当たる確率より大分小さい。カルチャースクールの麻雀入門講座でもその程度のことは教えている。

 一萬で当たる確率と三萬で当たる確率のどちらもその絶対値は小さいから、実際に麻雀を打っていても確率のわずかな違いには気が付かないことが多いだろう。しかし長い間麻雀を続けているとその違いが成績に表れてくる。麻雀は、偶然や運に左右されて一時的に初心者が勝つこともあるが、長い間繰り返して続けていれば、よく考えて知恵を働かせる上級者が必ず勝つ。ベテランが勝つのではなくて、色々なことを考えて工夫する上級者が勝つのである。


 ところで、確率とか組合せとかいうのは高校の数学で学ぶものである。苦手だった打ち手も多いだろうし、高校卒業後数十年の間触れたこともないという年寄りも多いだろう。

 しかし、工夫したり知恵を出したりするのは確率の計算だけではない。捨て牌、ポンチーなどの鳴き方、一緒に麻雀を戦わせている相手の発言、仕草や表情、間の取り方、性格や癖などは相手の狙いを読む際の参考情報になるだろう。傍らで麻雀を見学する第三者の発言や驚きの表情などが参考になることもある。女子高生が落語を学ぶアニメ番組を見ていたら、落語家は寄席の客席に坐る客の視線からもその気持ちを読み取り、その客に合わせて話の早さなどを工夫するのだと言う。考えることは無限にあると言ってよい。打ち手それぞれの個性に応じて様々な工夫や知恵をめぐらせばよいのである。

 いずれにしても、麻雀はただの偶然任せのくじ引きというわけではないし、運だけで勝ち負けが決まる丁半博打やチンチロリンと同じというわけでもない。麻雀では、配牌や自摸などの偶然とルールとの下で、さまざまに知恵をつくして相手の狙いを読み、その狙いを防ぎながら作戦を練って自分の狙いをつけると共に自分の狙いを相手に読まれることを防ぐ。麻雀はそういう知恵や工夫を競い合うゲームである。そういう意味で麻雀は野球や柔道などの対戦型競技に似ている。初心者の中には、役牌(翻牌)をポンして役を作ることを覚えたり、立直を掛けて役を作ることを覚えたりすると、それに満足してそれ以上考えることを止めてしまう者もいるが、そういう言わば手抜き麻雀を身に付けた初心者は、何年も麻雀を続けても上達することがないだろう。ベテランと呼ばれるようになっても上級者になることはないだろうし、麻雀の面白さも分からないに違いない。頭を使って考えることは面倒くさいが、麻雀はその面倒くささを楽しむゲームで、その面倒くささが認知症予防に役立つと言われるのではないだろうか。

「麻雀は運である」と言う老人クラブの麻雀部員もいたし、「麻雀はギャンブルである」と言う部員もいた。そういう言葉は聞きたくなかった。「麻雀はゲームだから勝つこともあるし負けることもある」と言った初心者もいた。どういう意味で「ゲーム」と言ったのか、しばらく頭から離れなかったが、結局その真意は分からなかった。「麻雀は運任せのくじ引きや博打ではなくて、知恵や工夫を競うゲームだ」という意味ならうれしいのだが、そんな想いから出た言葉なのだろうか。                      了       


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