第十九話 月下の風
開始の合図は、なかった。
ただ、風が動いた。
アイリの足が、石畳を蹴る。
舞うように、軽く、速い。
――舞風脚。
月光を受けた風が、彼女の周囲に渦を巻く。
空中庭園の環境が、その動きを後押ししていた。
ユウは、正面から受けない。
一歩、半歩。
距離を測る。
(……速い)
風が、頬をかすめる。
次の瞬間。
――花嵐突。
回転と共に放たれる突きが、風を伴って迫る。
ユウは、腕で受け流す。
――心象拳。
衝撃を殺し、力を逃がす。
だが、完全には止まらない。
「……やっぱり」
アイリが、息を整えながら言う。
「簡単には、当たらないね」
「……お前も」
ユウは、構えを崩さない。
「簡単には、止まらない」
風が、強まる。
月光が、さらに濃くなる。
舞風脚の威力が、目に見えて増していく。
アイリが、間合いを詰める。
連続の蹴り。
ユウは、後退しながら捌く。
(……感情が、引っ張られる)
知っている動き。
何度も、隣で見てきた脚。
(……それでも)
踏み込む。
――飛燕蹴。
正面からの一撃。
だが、アイリは、風で身体を逸らす。
すれ違いざま、微笑んだ。
「……来てくれて、ありがとう」
一瞬の隙。
ユウの胸が、揺れる。
次の瞬間。
――舞風脚。
背後からの回し蹴り。
衝撃が、背中を打つ。
ユウは、前に倒れ込みながら、体勢を立て直す。
(……油断した)
距離が、開く。
二人は、向かい合う。
息が、白い。
「……好きだよ」
アイリが、ぽつりと呟いた。
風に、紛れるような声。
ユウの鼓動が、跳ね上がる。
(……今、言うな)
だが、逃げない。
「……俺は」
言葉に、力が詰まる。
「……守りたい」
それだけ。
アイリは、少し笑って、目を伏せる。
「……知ってる」
次の瞬間。
風が、爆ぜた。
月光と風が、庭園を満たす。
感情と技が、完全に重なる。
舞風脚が、限界まで加速する。
ユウは、拳を握りしめる。
(……受け止める)
逃げない。
心象拳に、想いを込める。
二人は、同時に踏み込んだ。
月下の庭園で、
風と拳が、真正面から衝突する。
勝敗は、まだ――
決していない。




