第92話 失われた光
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**【フェリシア視点】**
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光が消えた。フェリシアは、ゆっくりと立ち上がった。体中が痛む。真・調和の螺旋を発動するのに、全ての魔力を使い果たした。
「お姉さま」
ヴァルブルガが駆け寄ってくる。彼女も傷だらけで、尻尾が力なく垂れている。
「大丈夫か?」
「ええ...何とか」
フェリシアは頷いた。そして、前を見る。城前の広場。石畳が砕け、建物の一部が崩れている。その中央に、何かが倒れていた。
「あれは...」
フェリシアが近づく。マリーネだった。地面に横たわり、目を開いたまま。だが、その目に光はない。虚ろで、何も映していない。
「マリーネ...」フェリシアが膝をつく。マリーネの唇が動いた。
「光が...」か細い声。「消えていく...」「消えて...」同じ言葉を、機械的に繰り返す。
ヴァルブルガが顔をしかめた。
「これは...」
アンブロジウス枢機卿が、マリーネの傍らに跪いた。手を額に当てる。診察の魔法。光が、マリーネの額を包む。だが、すぐに光が消えた。
「これは...」
アンブロジウスが青ざめる。
「どうしたのですか?」
フェリシアが尋ねた。
「精神が...完全に崩壊しています」
アンブロジウスが震える声で言う。
「神の力を人が宿した代償です。人の器では、神の力を保てないのに無理やり降臨させたことで、彼女の精神は...」
言葉が途切れる。
フェリシアは、マリーネを見た。哀れだった。全てを失った女性。狂信に囚われ、神に魂を焼かれた。
「これは...」
フェリシアが呟く。
ヴァルブルガが静かに言った。
「哀れじゃな...」
セレスティナ国王が、ゆっくりと近づいてきた。顔色は悪く、足取りも覚束ない。気絶させられた影響がまだ残っている。
「マリーネ...」
国王が呟いた。
「こんな姿に...」
膝をついて、マリーネの顔を見る。
「彼女は...昔は優しい人だった。私が幼い頃、よく聖堂で祈りを教えてくれた。神の慈悲を説き、人々を助けていた。それが...いつから...」
涙が頬を伝う。
「いつから、こんな風になってしまったのか...」
アウローラも近づいてきた。彼女も涙を流している。
「大司教は...」
震える声。
「私を拾ってくださった...孤児だった私に、神の教えを授けてくださった...優しかった...本当に優しかった...それが...」
言葉が続かない。
フェリシアは、二人を見た。マリーネは、確かに悪だった。量産勇者を作り、戦争を始めた。だが、その過去には、違う姿があった。慈悲深い司教。人々を救う聖職者。
「何が...彼女を変えてしまったのでしょう」フェリシアが呟いた。
アンブロジウスは、空を見上げた。夕暮れの空。赤く染まる雲。
「セレスティナの神も...おそらく...」
神の気配を探る。魔力を張り巡らせる。だが、何も感じない。空虚だった。
「力を行使できなくなっています」
アンブロジウスが告げる。
「勇者量産と強制憑依の件で連邦参加国の神々にこっぴどくたしなめられたようです」
グルカが前に出た。
「回復するのか?」
「しばらくは無理でしょう」
アンブロジウスが首を振る。
「神と人の境界を破った罰です。ただし、自国を守るだけの権能は残されているようです。それが、神々の慈悲でしょう」
マリーネが、突然動いた。体を起こそうとする。
「光を...」呟く。「もう一度...光を...」
だが、足に力が入らない。崩れ落ちる。石畳に手をつく。
「なぜ...」
虚ろな目で、空を見上げる。
「完璧だったはずなのに...神の意志を...実現したはずなのに...」
手を伸ばす。何もない空に。
「光...光...」
その姿が、あまりにも哀れだった。フェリシアは、立ち上がった。医療僧たちが近づいてくる。
「大司教様を...」一人が言う。「どうすれば...」
フェリシアは決断した。「王立療養院で、静かに療養を。罪は重いですが、この状態では...」
セレスティナ国王が頷いた。「それが良いでしょう。彼女も、狂信の犠牲者だった」
医療僧たちが、優しくマリーネを抱え起こす。「大司教様、お休みください」担架が用意される。マリーネが運ばれていく。相変わらず、同じ言葉を繰り返している。
「光...光...なぜ...完璧だったのに...」意味不明な言葉。壊れた人形のように。
フェリシアは、その姿を見送った。勝利の虚しさを感じる。敵を倒した。だが、喜びはない。ただ、哀れみだけが残る。
マリーネが運ばれた後、アンブロジウスが全員に告げた。「これで、過剰な加護は全て消えました」声が広場に響く。「量産勇者たちも、普通の人に戻るでしょう」
実際、城下で正気を取り戻す人々の声が聞こえてくる。「夢から覚めたみたいだ」「家に...家に帰れる」兵士たちが、武器を捨てている。加護が消えたことで、疲労が一気に押し寄せている。地面に座り込む者もいる。
グルカが冷静に分析する。
「セレスティナは指導者不在か、当面、連邦で支援が必要だな」
国王が頭を下げた。
「お願いします。我が国は...もう戦う力がありません。どうか...」
フェリシアが手を差し伸べる。
「大丈夫です。これから、一緒に復興しましょう」
ヴァルブルガも頷く。
「わらわたちは、もう敵ではない。共に歩む仲間じゃ」
国王の目に、涙が浮かんだ。
「ありがとうございます...」
夜が更けていく。戦いは終わった。完全に、終わった。広場に、静寂が訪れる。だが、それは絶望の静寂ではない。平和への第一歩としての、静けさ。
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**【視点切り替え:フェリシア → ドラーゲン】**
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ドラーゲンは、影から戦場を見ていた。城壁の影。そこから、全てを見守っていた。
「よくやった」呟く。フェリシアとヴァルブルガが、国王と話している。連邦の代表たちも、集まってくる。ソロン、グルカ、アストリッド、バリン、エルドリック、グウィン、ヴァレリウス。皆が、セレスティナの復興を話し合っている。
「間に合ったな」千景が降りてきた。九尾を揺らしながら。「ギリギリじゃったがのう」
「ああ」
ドラーゲンは頷いた。
「だが、これで終わりじゃない。本当の戦いは、これからだ」
千景が首を傾げる。
「戦い?」
「平和を築く戦いだ」
ドラーゲンが説明する。
「セレスティナを復興させ、そして、真の平和を作り上げる」
千景が尻尾を揺らした。
「それは...長い戦いになりそうじゃな」
「ああ」ドラーゲンは苦笑した。「だが、やる価値はある」
二人は、フェリシアたちを見た。彼女たちが、未来を作っていく。それを、影から支える。それが、ドラーゲンの役目だ。
「行くぞ」
「どこへ?」
「セレスティナの市民を安心させる。影から、な」
千景が笑った。
「相変わらず、裏方が好きじゃのう」
「表は、フェリシアたちに任せる。俺たちは、見えないところで働く」
二人は影に消えた。夜の闇に溶け込む。
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**【視点切り替え:ドラーゲン → アウローラ】**
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アウローラは、一人で広場の端に立っていた。マリーネが運ばれていった方向を見つめている。
「大司教...」呟く。涙が止まらない。恩師だった。母のような存在だった。それが、あんな姿に。
「私も...」震える声。「私も、操られていた」「同じだったのに...」
フェリシアが近づいてきた。「アウローラさん」優しい声。「大丈夫ですか?」
アウローラは頭を振った。「大丈夫じゃ...ありません。でも...」顔を上げる。「これから、どうすればいいんでしょう。私は...何をすれば...」
フェリシアが手を握った。「一緒に、償いましょう。量産勇者たちを元の生活に戻す。セレスティナを復興する」優しく言う。「それが、私たちにできることです」
アウローラは頷いた。「はい...」「それが、私の贖罪です」
ヴァルブルガも寄り添う。「わらわたちも手伝うのじゃ。一人じゃない」微笑む。「皆で、一緒に」
アウローラは、初めて笑った。涙を流しながら。「ありがとうございます」
その時、広場の端から、もう一人の人影が近づいてきた。質素な修道服を着た若い女性。その目には、かつての虚ろさはなく、穏やかな光が宿っている。
「アウローラ」静かな声。
アウローラは振り返った。「セラフィナ...様?」
セラフィナ。かつてマリーネによって作られた、最初の人工聖女。アウローラの先輩であり、同じ境遇を持つ者。戦いの後、正気を取り戻していた。
「私も、あなたと同じだった」セラフィナが言う。「マリーネ様に作られ、意志を奪われ、道具として使われた。でも...今は違う」優しく微笑む。「私たちは、もう自由よ」
アウローラの目から、また涙が溢れた。だが、それは悲しみの涙ではなく。
「セラフィナ様...」
「様は要らないわ」セラフィナが手を差し伸べる。「私たちは姉妹。同じ痛みを知る者同士」
アウローラは、その手を握った。温かい手。生きている証。
フェリシアが二人を見守りながら言った。「セラフィナさんは、これからセレスティナの復興を手伝ってくださいます。二人で、新しい聖堂を作りましょう。本当の意味での、人々を救う場所を」
セラフィナが頷く。「私たちにしかできないことがある。同じ苦しみを持つ人々を、救うこと」
アウローラは、強く頷いた。「はい...一緒に」
夜空を見上げる。星が輝いている。双子星も、見えた。金色と銀色の光。優しく、大地を照らしている。
(これから...始まるんですね)アウローラは心の中で呟いた。(本当の平和が。そして、私たちの新しい人生が)
夜が更けていく。だが、それは終わりではない。新しい始まりだ。
アウローラは深く息を吸った。セレスティナの復興。償いの道。それは、長い長い道のりになるだろう。
でも、一人じゃない。フェリシアさんがいる。ヴァルブルガさんがいる。セラフィナ様がいる。そして、きっと影から支えてくれる人たちもいる。
(大丈夫...きっと大丈夫)
アウローラは、隣に立つセラフィナの手を握り返した。温かい。生きている。
(夜明けは、もうすぐだ)




