第08話 白い衝撃と追放の真相、そして師弟の契約
第08話 白い衝撃と追放の真相、そして師弟の契約
フェリシアが警戒を続けてからどれほどの時間が経っただろうか。夕闇が広場を支配し、肌寒さすら感じ始めたそのとき――フェリシア自身の足元の影が、微かに蠢いた。
「――ほう、色は白か」
ドラーゲンは彼女の影から、まるで水面から浮上するかのように姿を現した。彼女の全く予期せぬ死角から落ち着き払った声をかけると、驚いて振り返る暇もないように、彼女のスカートの裾あたりを真剣な(しかしどこか楽しげな)表情でのぞき込んでみせる。
どうやら、先ほどの《光の一閃》に撃ち抜かれたのは影の身代わりだったらしい。本体は既に、あの必殺技の準備段階でフェリシア自身の影に潜り込んでいたのだ。
「きゃああああっ!?」
フェリシアは文字通り飛び上がり、これまでで一番大きな悲鳴と共に慌ててスカートを押さえる。
「な、な、何をしてるんですか、あなたはっ!? い、いつの間にそんなところに...!?」
顔を真っ赤にして後ずさりし、震える手で剣を構え直すが、その切っ先は定まらない。呼吸も乱れ、混乱と羞恥心で頭の中が真っ白になっている。
「も、もうっ! 神聖な戦いの最中に、そんな破廉恥なことばかりするなんて...! この卑怯者! 変態!」
恥ずかしさと怒り、そして先ほどの必殺技が全く通用しなかったことへの絶望感で、声が裏返っている。あれほどの威力の神聖魔法が、俺には蚊が止まったほどの効果もなかったという現実が、彼女の心に重くのしかかっているのが手に取るように分かる。
「あなたの強さは...よく分かりました。私の必殺技ですら、あなたには何の傷もつけられないのですね...。でも、こんな戦い方...こんなの、まともな戦いじゃありません!」
剣を構えながらも、顔は真っ赤なまま。彼女の目には悔し涙が滲んでいた。
「ちゃんと正面から、正々堂々と勝負なさいっ!」
(正々堂々、か。確かに、俺のやり方は従来の戦い方とは程遠い。だが、それこそが俺の真骨頂でもある)
ドラーゲンはそんなフェリシアの剣幕にもどこ吹く風で肩をすくめ、何の悪気もないように、むしろ少し困ったような笑顔を見せた。まるで、なぜこんなに怒られているのか本気で理解していないような表情を作ってみせる。
(そして、ここで一つ、彼女の固定観念を揺さぶってやろう)
「いやあ、実を言うとね、お嬢ちゃん。今の魔王様にも、大体同じようなことをやらかしたら、本気でブチ切れられて追放されちゃったんだよ」
「......え?」
案の定、フェリシアの怒りに満ちた表情が、一瞬にして凍りついた。やがて驚き、そして深い困惑へと変わっていく。先ほどまで全身を駆け巡っていた激情が、急激に冷めていくのが見える。
「え...? 魔王に...同じことを...?」
「ああ」
ドラーゲンは少し遠い目をして、まるで懐かしい思い出を語るように続ける。実際、ヴァルブルガのことを思い出すと、少し複雑な気持ちになるのは事実だ。
「彼女、ああ見えても年頃の女の子だからねぇ。俺の悪戯が度を越したと、カンカンだったのさ。そうそう、さっき君の顔面にヒットしたあの愛らしいぬいぐるみも、元はと言えば彼女の寝室からこっそり拝借してきたお気に入りの一つでね...」
ドラーゲンは人差し指を立てて、まるで重大な発見でもしたかのように付け加える。
「まあ、ああいうのを日常的に、しかも戦いの場でも平気で持ち出してくるような男が側近じゃあ、そりゃあどんな魔王様だって我慢の限界ってもんだろう? 俺だって自分の部下がそんなことしてたら頭抱えるね。えーっと、まあ、他にも色々あったんだが...」
ドラーゲンはどこか他人事のように、しかし自覚はあるように語る。その表情には、微妙な複雑さと、ほんの少しの寂しさが混じっている。これは演技ではない。本当の気持ちだ。
「ま、魔王が...お、女の子...? しかも...」
フェリシアは呆然と呟いている。これまで魔王とは恐ろしい形相の魔物か、屈強な魔族の男だとばかり想像していたのだろう。そのイメージと、ドラーゲンの語る「年頃の女の子」「カンカンだった」という言葉、そしてドラーゲンのスカート覗き事件や、魔王様の私物であるはずのぬいぐるみを戦いの道具に使うという常軌を逸した行動が、頭の中で鮮明に結びついていく様子が手に取るように分かる。
「ぷっ...ふふっ...あはははは!」
こらえきれず、フェリシアは吹き出してしまった。一度吹き出すと、緊張の糸が完全に切れたように笑いが止まらなくなり、その場にへなへなと座り込んでしまう。
しばらく笑いが続いた後、フェリシアはようやく落ち着きを取り戻し、すっと顔を上げた。その表情には、先ほどまでの感情の嵐は消え、ある種の清々しさと、静かな決意が浮かんでいる。
「ドラーゲンさん...」
彼女はまっすぐにドラーゲンを見据え、その場で深々と頭を下げる。その声には、これまでの少女らしい激情はなく、確固たる意志が込められていた。
「私を...私を鍛えてください。私は、この平和を守り、人々を苦しみから守りたい。そのためには...魔王と対等に渡り合えるだけの力が必要です。ただ倒すだけではない...何か、別の道を見つけるためにも。」
(興味深い。彼女の言葉には、単純な正義感を超えた、より深い想いが宿っている。これはドラーゲンが期待していた反応だ)
「あなたのその規格外の力と知恵があれば、きっと...私でも、可能性があるはずです。お願いします」
ドラーゲンはフェリシアの真摯な申し出に、一瞬だけ意外そうな顔をした。(彼女の中に、単なる力への渇望ではない、何か別の光を見出したからだ。これなら、ドラーゲンの計画も上手くいくかもしれない)
しかし、すぐにいつもの飄々とした笑みに戻る。
「ほう、弟子入り志願かい?」
ドラーゲンは腕を組み、少し首をかしげながら続けた。
「まあ、いいだろう。退屈しのぎにはなるかもしれないし、可愛いお嬢さんの頼みを無下にするほど野暮じゃないんでね」
ドラーゲンは少し考えるそぶりを見せ、人差し指を立てながら、
「ただし、タダというわけにはいかない。授業料はきっちり貰うぜ?」
と付け加えた。
フェリシアは顔を上げ、少し身を乗り出すようにして言った。
「はい! 私にできることなら何でも! 手持ちの魔石や、採集した薬草では...足りないでしょうか?」
ドラーゲンは首を横に振った。
「いやいや、そんなもので私の技術が買えると思っちゃ困るな。金銭や物品じゃあ、面白くないだろう?」
ドラーゲンは悪戯っぽく笑い、人差し指を立てる。
「授業料は...『貸し一つ』だ。いつか私が君に何かを頼む時が来るかもしれない。その時は、どんな内容であれ、断らずに私の頼みを聞いてもらう。それでどうだい?」
フェリシアは一瞬ためらった。その条件の曖昧さと、ドラーゲンという男の底知れなさを考えると、決して軽々しく受けるべきではない取引だということは分かっているのだろう。しかし、彼女の中にある使命感と、ドラーゲンだけが持つ可能性への期待が、躊躇を押し切ったようだ。
「わかりました。その条件、お受けします」
力強く頷く彼女の表情には、迷いはなかった。
「契約成立だな」
ドラーゲンは満足そうに頷く。(計画は順調に進んでいる。この子なら、ドラーゲンが目指す「第三の道」を歩む力を身につけられるかもしれない。そして、その道はきっと、ヴァルブルガにとっても良い結果をもたらすはずだ)
夕闇が本格的に街を包み始めた頃、ラゴマジョレの街外れで、元魔王軍幹部の影の達人と、セレスティナの若き勇者という、あまりにも不釣り合いで特異な師弟関係が、静かに、しかし確かに始まった。