第07話 癒しの風と炎の罠、決意の必殺技
第07話 癒しの風と炎の罠、決意の必殺技
(もう...もう普通の方法では勝てない...!)
フェリシアの心は完全に追い詰められていた。剣も魔法も、全て見透かされ、無効化されてしまう。それどころか、あんな屈辱的な攻撃まで受けて...。
「これは...ちょっと息を入れ直さないとダメですね」
フェリシアは一旦大きく距離を取り、剣を地面に突き立てて膝をつく。その姿は一見、敗北を認めたかのようにも見えたが、フェリシアの瞳に宿る炎は未だ衰えていない。
「癒しの風よ...我が身を包み、力を与えたまえ...」
柔らかな緑色の光がフェリシアの体を優しく包み込む。肉体的な疲労は和らいでいくが、心に焼き付けられた屈辱の熱は一向に冷める気配がない。それでも、この一時的な安らぎの中で呼吸を整え、必死に傷ついた自尊心を立て直そうとする。
(なんて...なんて屈辱的な...でも、これで終わるわけにはいかない)
「あなたの強さ、見せていただきました。でも、私もこのままでは終われません!」
再起を誓い、フェリシアは剣を再び手に取り、精神を集中させる。フェリシアの周囲の魔力が渦を巻き始め、次なる大技の準備に入った。これまでとは比べ物にならない膨大な魔力が集束していく。
(よし、今度こそ...この人の本当の実力を見せてもらいましょう)
しかし、フェリシアが回復魔法に意識を向け、次の攻撃の準備に集中した、その一瞬の油断。
「多彩だな、お嬢ちゃん」
ドラーゲンの冷静な声が、すぐそばで聞こえた。
彼が再び影が霞むような神速で間合いを詰めたことに、フェリシアは遅れて気づく。回復と詠唱の準備に集中していたフェリシアの意識は、完全に内側へと向いていた。
「え!?」
詠唱が中断され、驚愕の表情を浮かべるフェリシア。準備が整う前に強襲されたフェリシアは、咄嗟の判断で手のひらに魔力を集中させ、小さな炎の盾を瞬間的に練り上げる。
(この程度の防御では不十分かもしれない...でも、ここで負けるわけにはいかない!勇者として、こうも簡単に倒れるなんて!)
しかし、フェリシアが盾を完成させた時には、ドラーゲンは既にその内側――フェリシアの腕が届くほどの至近距離に侵入していた。
彼はフェリシアが盾を構えた腕をこともなげに掴むと、流れるような動きで関節を軽く極め、その動きを完全に封じてしまう。まるで経験豊富な武術家が初心者をあやすかのような、圧倒的な技術差を見せつける動作だった。
そして次の瞬間、ドラーゲンはその炎の盾を、まるでフェリシア自身に罰を与えるかのように、そのままフェリシア自身の尻へと器用に導いた。
「きゃあっ!?」
尻に直接伝わる灼熱感に、フェリシアは素っ頓狂な声を上げて飛び上がる。
「熱っ!あつっ!何で!?自分の魔法をこんな形で利用されるなんて...!ちょっと、消えないんですけど!?」
慌てて尻の火を手で叩くが、勢い余ってバランスを崩し、地面をごろごろと転げ回る羽目になった。純白のドレスが土埃にまみれ、フェリシアの威厳は完全に失われてしまう。
「いたた...こんな戦い方...卑怯です!もう...もう、本気で怒りましたからねっ!」
何とか立ち上がり、顔を真っ赤にしながらドラーゲンを睨みつける。その瞳には、これまでの全ての屈辱と怒りが、憎悪の炎となって渦巻いていた。
フェリシアは剣を拾い上げ、今度は両手で力強く握りしめる。フェリシアの目に、決然とした光が宿った。もはや、体面や品格など二の次だった。
(最後の手段...これを使えば、どんな強敵でも...!でも、威力が強大すぎて、周囲への被害を考えて今まで使うことができなかった...。でも、ここなら...!)
この男に、フェリシアの本当の力を見せつけてやる。
「これ以上、あなたのおふざけには付き合いません!これが私の...勇者の必殺技...《光の一閃》(ルーメン・カエレスティス)!!」
フェリシアの絶叫に応え、剣に眩いほどの神聖な光が収束していく。
それは、これまでとは次元の異なる魔力の奔流だった。広場全体が一瞬にして真昼のように白く輝き、通常の影は消し飛ぶ。夕暮れの薄闇が完全に払拭され、まるで小さな太陽が地上に降り立ったかのような光景が展開された。
空気そのものが振動し、魔力の圧迫感が周囲の全てを包み込む。これこそが、勇者の真の力。王国が魔王討伐の切り札として期待する、絶対的な破壊力の発現だった。
フェリシアは渾身の力を込めて、その光の刃をドラーゲンに向けて解き放った。
「うおおおおおっ!!」
それはまるで天から降り注ぐ裁きの光線のように、空間を切り裂きながらドラーゲンへと突き進んでいく。光の軌道上の空気は瞬時に焼け、雷鳴のような轟音が響き渡る。
しかし、光が彼に到達する直前——ドラーゲンの姿がぼんやりと霊み始めた。まるで陽炎のように、輪郭が曖昧になっていく。彼の身体が影と同化し、激流のように流れる光の中をすり抜けていく。
まばゆい光が、彼がいたはずの空間を撃ち抜く。
彼は特に避けようとする素振りも見せず、その凄まじい攻撃を真正面から受け止めるかのように見えた。微動だにせず、まるで光の奔流など存在しないかのように、そこに立ち続けている。
やがて光が収まり、フェリシアが荒い息をつきながら目を開くと――
彼の姿はそこにはなかった。
そして、彼が立っていたはずの場所から広場の端まで、地面は高熱で融解し、まるで黒曜石のようにガラス化して、深々と抉り取られていた。必殺技の威力の凄まじさを物語る、巨大な爪痕だ。溶岩のような赤い輝きを放つ溝が、一直線に大地を引き裂いている。
これほどの破壊力を持つ攻撃を、彼はどうやって避けたのだろうか。それとも...まさか、本当に別次元の実力を持っているということなのか。普通の魔族なら、この攻撃を受ければ跡形もなく消し飛んでしまうはずなのに。
「え...?消えた...?」
光が徐々に薄れ、視界がはっきりしてくると、ドラーゲンの姿が跡形もなく消えているのを認めて、フェリシアは驚きと困惑の声を漏らす。
「当たったの...?それとも、避けられたの...?」
辺りには焦げた匂いと、強大な魔力の残滓が漂っている。フェリシアは剣を構え直したまま、緊張した面持ちで慎重に周囲を見回した。
「どこ...?姿を消すなんて、そんな能力まで持っているというの...!」
静寂が、夕闇の迫る広場を支配する。フェリシア自身の荒い呼吸音だけが、異様に大きく響いていた。
「ドラーゲンさん...?どこにいるのですか?まさか...本当に...倒してしまった、とか...?」
不安そうな表情を浮かべながら、フェリシアはその場に立ち尽くす。もし本当に彼を倒してしまったとしたら...それは何を意味するのか。フェリシアは自分の師となるかもしれない人物を、失ってしまったのだろうか。
「でも...これが私の全力の一撃...。あなたがもし本当に魔王様より強いと言うのなら、こんな攻撃では、きっと...」
警戒を解かずに呟くフェリシア。その瞳には、先ほどまでの怒りとは異なる、わずかな後悔と心配の色が浮かんでいた。
彼の挑発的な態度や屈辱的な攻撃に怒りを覚えていたが、同時に彼の圧倒的な実力と、時折見せる深い洞察に感銘を受けていたのも事実だった。
そのとき――
風が、微かに吹いた。
フェリシアの髪が僅かに揺れ、フェリシアは本能的に振り返る。しかし、そこには何もない。ただ、溶けた地面から立ち上る熱気が、陽炎のように揺らめいているだけだった。
(気のせい...?でも、確かに何かが...)
フェリシアは剣を握り直し、全神経を研ぎ澄ませる。勇者としての直感が、何かが近づいていることを告げていた。しかし、それが何なのか、どこからなのかは分からない。
静寂の中で、フェリシアは孤独に立ち続けていた。