第06話 魔法の応酬と影の奇策
第06話 魔法の応酬と影の奇策
フェリシアは剣を握り直し、決意を込めて構え直した。先ほどの剣技だけでは、この男には通用しないことは明らかだった。
(実戦経験の不足は明らかだな。特に、予測不能な状況への対応力が決定的に欠けている。このままでは魔王の前にすら到達できないだろう)
「今度は、魔法も使わせていただきます!」
その目に宿る光は、先ほどとは明らかに違っている。迷いが消え、新しい挑戦への決意に変わっている。
(もはや、剣技だけでは俺を捉えることは不可能だと、彼女も理解しているはずだ。さて、次はどう出てくる?魔法も含めた総合的な戦闘能力を持っているはずだが)
フェリシアは数歩下がり、ドラーゲンと大きく距離を取った。
「もう、剣だけじゃダメみたいですね...!」
悔しさを振り払うように、彼女は純白の戦闘ドレスの裾を翻し、長剣を水平に構え直す。その瞳に再び闘志の炎が宿り、集中力を極限まで高めていく。剣身に膨大な魔力が注ぎ込まれ、青白い光は燃えるような赤い輝きへと変貌し、その勢いを激しく増していく。
(ほう、魔法剣術か。これは興味深い)
「炎の嵐!」
フェリシアが剣を力強く振るうと、そこから幾筋もの業火が渦を巻いて放たれた。それは広場の地面を舐め、空気を焦がし、広範囲にわたってドラーゲンを飲み込もうと襲いかかる。周囲の温度は一気に上昇し、空間そのものが陽炎のようにゆらめいた。
(威力は申し分ない。だが、これでは的を絞り切れていない。魔王のような強敵には、もっと集中した攻撃が必要だろう)
「ふむ、威力はあるが、広範囲に散らばった攻撃では、防御を崩すには至らんな」
ドラーゲンは右手を軽く前へかざす。足元から濃密な黒い影が薄く立ち上がり、最低限の範囲で炎を消し去る。それと同時に、ドラーゲン自身の身体が影と化し、消えた炎の隙間を縫うように高速移動で一瞬にしてフェリシアの目の前に音もなく現れる。
「え...!?」
フェリシアが驚きに目を見開く暇もなく、ドラーゲンは悪戯っぽく微笑みながら、彼女の額にそっと唇を寄せ、ごく軽いキスをした。
「ちょ、ちょっと...!い、今、何を...!」
予期せぬ、そしてあまりにも場違いな行動に、フェリシアは完全に動きを止め、顔から首筋まで真っ赤に染め上げる。手にした炎の剣も勢いを失い、やがて普通の剣へと戻ってしまった。慌てて数歩後ろへ飛び退き距離を取るが、彼女の声は上ずり、手はわなわなと震えている。
「こ、これは真剣な戦いでしょう!?そ、そんな...反則ですっ!」
額に手をやりながらも必死に態勢を立て直そうとするが、頬の赤みはなかなか引かない。
「戦闘中における集中力の欠如。ほんの少しの予期せぬ刺激で、これほどまでに動揺してしまうようではな。真に強大な敵...例えば魔王を倒すには、もっと強靭な精神力が必要だよ、お嬢ちゃん」
ドラーゲンは穏やかな、しかしどこか諭すような笑みを浮かべて言った。フェリシアは悔しそうな表情を見せているが、同時にドラーゲンの言葉の正しさも理解しているようだ。
「次は...次はこれでどうですか!」
* * *
【視点切り替え:ドラーゲン → フェリシア】
* * *
「次は...次はこれでどうですか!」
フェリシアは悔しさと恥ずかしさをにじませながらも、気持ちを切り替えようと剣を地面に力強く突き立てる。(あんな...あんなことをされて、まともに戦えなくなるなんて...!)
でも、だからといって、このまま負けるわけにはいかない。
「氷の刃!」
剣を中心に青白い冷気が迸り、瞬く間に広場の床を凍りつかせていく。氷の結晶が美しくも危険な輝きを放ちながら床面を覆い尽くし、フェリシアの足元からドラーゲンの方へと広がっていった。
フェリシアは自ら作り出した氷の床の上を、まるでスケートのように滑るように移動し始める。その動きは直線的な剣技とは異なり、予測しづらい不規則なものとなった。
「これなら、あなたの動きを読まれにくいはず...!」
フェリシアは氷上を滑りながら、独特の軌道でドラーゲンに再度接近を試みる。これまでとは違う、型破りな戦術。彼の言う「教科書通り」から脱却した戦い方。
「ほう、面白い発想だね」
ドラーゲンはフェリシアの新たな戦術に感心したように呟きながらも、凍りつく床を避けるように素早く後退する。だが、彼の表情を見る限り、まだ余裕があるようだった。
次の瞬間、ドラーゲンはどこからともなく、何かを取り出した。それは、いかにも少女趣味な、ふわふわとした手触りの大きなウサギの可愛らしいぬいぐるみだった。
そして彼は、それをフェリシアに向かって、ひょいと投げつけた。
「えっ? ぬ、ぬいぐるみですって!?」
あまりにも戦闘とかけ離れた、場違いすぎる「攻撃」に、フェリシアは一瞬思考が停止してしまう。動転してしまい、剣で切り払うという戦士としての基本的な対応すら思い浮かばず、ただ呆然とそれを見つめてしまう。
ぬいぐるみは、ぽすっ、と間の抜けた優しい音を立ててフェリシアの顔面に柔らかく命中した。
「きゃっ...!な、何なんですかこれは!?ど、どこから出したんですのよ!」
視界を奪われ、バランスを崩したフェリシアは、慌てて体勢を立て直そうとする。だが、あろうことか自らが凍らせた氷の床で足を滑らせてしまう。
「わわっ!」
フェリシアが派手に尻もちをつきそうになったその瞬間、ドラーゲンがまるで予測していたかのように、素早くもう一つの枕をフェリシアのお尻の下あたりにスライディングさせるように投げ込む。おかげでフェリシアは硬い氷に直接強打することは免れたが、勢い余ってそのクッション性の良い枕の上にちょこんと座り込む形になった。
ドラーゲンはニヤニヤしながら、フェリシアが座り込んでいる枕を指差す。
「おや? お嬢ちゃん、その枕...よく見ると『YES』って書いてあるじゃないか。何が『イエス』なのかな? もしかして、私との楽しいひとときに、身も心も『イエス』と叫んでいるとか?」
投げ込まれた枕は、片面に「YES」、もう片面に「NO」と大きく刺繍された、いわゆる「YES/NO枕」で、まるで示し合わせたかのように「YES」の面がくっきりと上を向いていた。
「なっ...!だ、断じて違いますっ!あ、あなたという人は!こ、こんなもの、あなたの仕業でしょう!?い、意味なんてこれっぽっちもありませんっ!」
フェリシアは顔をリンゴのように真っ赤に染め上げ、半泣きになりながら枕を叩きつけようとするが、氷の上でバランスを崩しそうになり、それも叶わない。
ドラーゲンは肩をすくめ、悪びれもなく、しかしどこか楽しそうに語る。
「おっと、そうカリカリしないでくれたまえ。影魔法にはな、物を影の中に収納しておく技術もあるのさ。便利だろう?これも私の影魔法『影収納』から出したアイテムの一つさ。最初の可愛らしいぬいぐるみは、実は今の魔王様が...まあ、プライベートでは案外可愛らしい趣味をお持ちでね。これもその一つさ」
(この人は一体...!魔王の私物を勝手に持ち出すなんて...!)
フェリシアは彼の正体について、ますます分からなくなってくる。魔王領の元幹部というだけでなく、魔王の私的な物まで知っているなんて...一体どれほど深い関係にあったのだろう。
でも、魔王がこんな可愛らしいぬいぐるみを愛用しているなんて...何だか意外というか、違和感があるような...。恐ろしい魔王の寝室に、こんなふわふわのウサギがあるなんて想像できない。
「こんな戦い方...初めてです...で、でも、まだ...!」
フェリシアは何とか立ち上がり、ひとまず危険な氷の床から離れようと、怒りと羞恥で震えながら四苦八苦する。
(このままでは...このままでは私は何もできないまま...!剣も魔法も、全て見透かされて...!)
通常の攻撃では、この男には通用しない。剣技も、炎の魔法も、氷の魔法も――全て軽々と無効化されてしまう。フェリシアの全ての努力が、まるで子供の遊びのように扱われている。
(もう...もう普通の方法では勝てない...!)