第41話 北部の独立宣言、そして竜の鉄槌
第41話 北部の独立宣言、そして竜の鉄槌
セレスティナ王国の首都、宰相執務室。
アンドレアス・ラーセンは、自らが仕掛けたプロパガンダの成功を確信していた。聖なる使節団の虐殺事件は全土に衝撃を与え、魔王への憎悪が国中に渦巻いている。
復帰したガスパール・ロレンスと、マリーネ・アクィナスも同席し、三人はフェリシア出撃の報告に満足げな表情を浮かべていた。
「見事なものだ」アンドレアスが冷笑を浮かべる。「民衆の怒りは完璧に魔王に向いている。そして勇者フェリシアも、ついに魔王城へ向けて出兵したとの報告が入った」
「あの神父どもの断末魔の叫び声ときたら……」ガスパールが残虐な笑みを浮かべながら呟く。「今でも耳に心地よく響いているぜ」
「下品ですわね」マリーネが扇子で口元を隠しながら微笑む。「でも、効果は抜群でしたの。勇者も我々の思惑通りに動き、これで魔王領との和平などという戯言も消え去りましたわ。魔王討伐の報告を待つだけですの」
「フェリシアも所詮は若い小娘よ」アンドレアスが満足げに頷く。「民衆の期待と怒りの前では、個人的な感情など押し切られて当然だ」
その時、執務室の扉が勢いよく開かれた。
血相を変えた伝令が飛び込んでくる。
「申し上げます!」
伝令の顔は青ざめ、震え声で報告を始めた。
「アルマン伯爵を始めとする北部諸侯が、王国の非道な行いに抗議し、『アルピリア連邦』としての分離独立を宣言! その旗印には、勇者フェリシア殿が立っているとの報せが!」
「な……何だと!?」
アンドレアスの顔が一瞬にして青ざめた。
伝令は更に続ける。
「さらに! 先の和平使節団の生き残りである見習い司教レオ殿らが、魔王軍に保護された後、帰還! 彼らは、虐殺事件の犯人は魔王軍ではなく、ガスパール・ロレンス隊長率いる部隊であったと証言!アンドレアス宰相が指示を出していたとも!」
「ば……馬鹿な!」ガスパールが立ち上がった。「俺は確実に全員を始末したはずだ!」
「その衝撃的な内容は、瞬く間に全国土に広まり、各地で王都への不信と動揺が広がっております!」
三人の顔から血の気が引いた。完璧だったはずの計画が、根本から崩れ去っている。
「馬鹿な! ありえん! あの小娘、いつの間にそんな力を……!」
アンドレアスは激昂し、顔を真っ赤にして机を叩いた。
「反逆者どもめ! 俺が直々に叩き潰してくれるわ!」
ガスパールもまた、自らの罪が暴かれたことに逆上していた。
「ええい、こうなれば力ずくだ!」アンドレアスは冷静さを完全に失っていた。「全軍を率いて北部へ向かい、反乱の芽を根絶やしにする!」
数日後。アルピリア連邦との新たな国境地帯。
アンドレアスとガスパールが率いる王国軍が到着した時、彼らを待ち受けていたのは想像を絶する光景だった。
そこには、民衆と北部諸侯の兵に守られるようにして立つ勇者フェリシア。
そして、その隣には、魔王の威厳を放ちながら静かに佇む魔王ヴァルブルガの姿があった。さらにその背後には、グレイウォル将軍を筆頭とする魔王領の精鋭部隊が整列し、竜の紋章を刻んだ黒と紫の軍旗が風になびいている。
「ま、まさか……!? あ、あり得ない……!」
ガスパールの顔が青ざめ、手が震え始める。そこにいたのは、自分が確かに手にかけたはずの老司教アンブロジウスその人だった。しかも、ガスパールが確実に息の根を止めたと確信していた老人が、生前と変わらぬ穏やかな表情で立っている。レオたち生存者と共に、静かな、しかし厳しい眼差しで王国軍を見据えている。
「死んだはず……俺がこの手で確実に……なぜ生きている!?」
ガスパールの声が裏返った。
「これは……一体どういうことだ……?」
アンドレアスは理解が追いつかず、呆然と立ち尽くした。
その時、ヴァルブルガが一歩前に出た。
その瞳には、冷たい怒りの炎が燃え盛っていた。
「貴様らか」
ヴァルブルガの声が戦場に響く。小柄な体からは想像できないほど重厚で威圧的な声だった。
「平和を願う使者を殺め、その罪を妾らに擦り付けようとした愚か者どもは。その矮小な策略のために、どれだけの者が心を痛め、涙を流したと思うておるのじゃ」
空気が震えた。ヴァルブルガの全身から、凄まじい魔力が溢れ出し始める。
「その罪、万死に値するぞ」
魔王の怒りが頂点に達した瞬間、ヴァルブルガの背中から魔力で形成された巨大な翼がゆっくりと展開された。
その翼は一対ではなく、幾重にも重なり合い、それぞれが複雑な魔法陣の形を描いている。魔王として覚醒した彼女の真の力の現れだった。
「お、おい……あれは……」
王国軍の兵士たちがざわめき始める。空中に浮上したヴァルブルガの姿は、もはや少女のそれではなく、古の龍王の威容そのものだった。
重なり合った翼の魔法陣が一つずつ光り始める。そして、ヴァルブルガが深く息を吸い込んだ瞬間——
「滅尽業火——《アポカリュプシス・ドラッヘンフォイア》!!」
竜人の魔王の口から放たれた灼熱のブレスは、単なる炎ではなく、魔力そのものが形を成した破壊の奔流だった。それは軍を直接狙うのではなく、威嚇として彼らの目前の地面に着弾した。
それでも、その威力は絶大だった。
手前で炸裂したにもかかわらず、その衝撃波と魔力の奔流は、王国軍が展開していた何重もの防御結界を、まるでガラス細工のように粉々に吹き飛ばした。
「ひっ……!」
「化け物だ……!」
兵士たちは恐怖に叫び、陣形は完全に崩壊する。風圧だけで、重装備の兵士たちが次々と地面に叩きつけられた。
アンドレアスとガスパールは、目の前で起きた天変地異のような光景に、言葉を失い立ち尽くしていた。
戦う以前の問題だった。魔王一人に、王国全軍が手も足も出ない。そして、魔王を倒すはずの勇者がその魔王と共にいる。
「ば、馬鹿な……!」アンドレアスが青ざめた顔で呟く。「勇者と魔王が……なぜあの二人が共にいる!?」
「計画が……計画が全て逆に……!」ガスパールも完全に狼狽していた。「俺たちが魔王への憎悪を煽ったはずなのに、なぜ勇者がそいつと手を組んでいやがる!」
最強の敵同士であるべき勇者と魔王の共闘。それは彼らの想像を絶する最悪のシナリオだった。
自分たちが仕掛けた策略が完全に裏目に出て、さらには圧倒的な力の差を見せつけられた。この状況で戦いを挑むことの無意味さと、自分たちの完全な敗北を理解したアンドレアスは、屈辱と恐怖で震えながら叫んだ。
「撤退……撤退だ! 全軍撤退! 今すぐこの場から離れろ!」
マリーネも優雅さを完全に失い、馬車に駆け込みながら叫ぶ。
「こんなことがあってはならないはずですのに! 勇者と魔王が手を組むなど……!」
王国軍は完全にパニック状態となり、我先にと慌てふためきながら、這う這うの体で戦場から逃げ去っていった。
【視点切り替え:フェリシア】
静寂が戻った戦場で、フェリシアは老司教アンブロジウスの無事な姿を見つめていた。
恩人が生きていた。それだけで、涙があふれそうになる。
(本当に……本当によかった。アンブロジウス司教が無事で……)
フェリシアは隣に立つヴァルブルガに視線を向ける。先ほどの圧倒的な力。それでいて、決して不必要な殺生はしなかった彼女の判断。
ヴァルブルガは魔力の翼を静かに消し去ると、そっとフェリシアの方を見上げた。先ほどまでの威厳に満ちた龍王の姿はどこにもなく、そこにはフェリシアに褒めてもらいたそうに上目遣いで見つめる、愛らしい少女の表情があった。
「お姉様……妾、ちゃんと誰も殺さずにやれたのじゃ……」
小さくそう呟くヴァルブルガの様子は、まるで大好きなお姉さんに頭を撫でてもらいたがる子供のようだった。魔王としての威厳と、フェリシアへの想いの間で揺れ動く、複雑で愛らしい表情。
(なんて愛らしい人なんだろう……こんなに優しくて強い人を、私たちは敵だと……)
フェリシアは思わず微笑みながら、ヴァルブルガの頭に手を置いた。
「ありがとう、ヴァルブルガ。あなたの優しさと強さ、とても素晴らしかったです」
褒められたヴァルブルガの頬がほんのりと赤らみ、嬉しそうに小さく頷く姿を見て、フェリシアの心の中で新たな決意が芽生え始めていた。
(私は今まで何を戦っていたんだろう……本当に守るべきものは何なのか、今ようやく分かった気がする)
平和のために戦う。腐敗した権力ではなく、民のために立つ。
勇者と魔王が共に歩む、新たな時代の始まりがここにあった。




