第34話 北部の会議、勇者の違和感と影への依頼
第34話 北部の会議、勇者の違和感と影への依頼
アルマン伯爵の本拠地である港町ジェノチアは、北部地方の経済の要となる活気ある商業都市だった。青い海に面した港には、商船が次々と入港し、街全体に豊かさと希望が満ちている。
その中心にそびえる伯爵邸の会議室で、海風が心地よく吹き抜ける中、北部地方の明るい未来が語られていた。
「諸君、先のマルテ鉱山の一件を経て、我々北部は鉱山からラゴマジョレを経由する輸送ルートを完全に復活させることができた」
アルマン伯爵の声には、誇らしげな響きがあった。円卓を囲む北部の貴族たちと商人代表のカルロ・ヴェンティの顔にも、同じような満足の表情が浮かんでいる。
「これもひとえに、フェリシア様のご活躍のおかげです」
一同の視線が、主賓席に座るフェリシアに向けられた。
「皆様のお力添えがあったからこそです」フェリシアは謙遜を込めて答えた。「北部の結束こそが、この成果を生み出したのです」
カルロが嬉しそうに頷く。「そうですとも!これで我々の商売も軌道に乗る。今後の北部地方の連携強化と発展について、存分に語り合おうではありませんか」
この会議は、マルテ鉱山事件の解決により復活したラゴマジョレとの輸送ルート再開を祝うため、アルマン伯爵の呼びかけで開催されたものだった。北部の貴族や商人たちが一堂に会し、これからの地域の自立と繁栄について語り合う、希望に満ちた場となっている。
会議は和やかな雰囲気に包まれていた。窓の外には青い海が広がり、港には活発に行き交う商船の姿が見える。平和で希望に満ちた光景だった。
その時、扉がノックされた。
「失礼いたします」
アルマン伯爵の秘書が入室してきた。
「伯爵、王都の連絡員から報告が入りました。アンブロジウス枢機卿を長とする和平使節団が、魔王領へ向けて王都を出発されたとのことです」
会議室が一瞬の静寂に包まれた後、爆発的な歓声が上がった。
「おお!ついに王国も和平へ!」
「これで長年の争いが終わるかもしれない!」
「勇者様のご活躍が、ついに王都の人々の心も動かしたのですね!」
貴族たちは手を叩き、互いに喜び合った。カルロなどは「これで商売の幅がもっと広がる!」と商人らしい喜び方をしている。
だが、その歓声の中で、フェリシアだけが異なる表情を見せていた。フェリシアは眉間に皺を寄せ、何かを考え込むような険しい顔をしている。
「フェリシア殿、いかがなされた?」アルマン伯爵が小声で尋ねた。「これは良き報せのはずだが……」
フェリシアは静かに答えた。
「アルマン伯爵、おかしいと思われませんか?なぜ、今このタイミングなのでしょう。王都側は、私がこの会議に参加していることを知っていたはずです。そして、この重要な使節団に、なぜ護衛の要請が一切なかったのでしょう」
伯爵の表情が変わった。フェリシアの指摘に、確かに不自然さがあることに気づいたのだ。
「まるで、私が『そこにいては困る』とでも言われているようです」
フェリシアの脳裏に、優しく穏やかな老司教アンブロジウスの顔が浮かんだ。かつて「勇者」という重責に押しつぶされそうになっていた自分を、温かい言葉で励まし、導いてくれた恩人。
「枢機卿は、平和のためならご自身の危険も顧みない方です。ですが、だからこそ、主戦派の筆頭であるアンドレアス宰相が送り出す使節団の長として、あまりにもうってつけすぎる……」
フェリシアの懸念は、確信に近い疑念へと変わっていく。
* * *
【視点切り替え:ドラーゲン】
* * *
会議の休憩時間、フェリシアは一人、邸宅のバルコニーに出ていた。海風が頬を撫でていく中、フェリシアは小声で呟いた。
「……師匠」
言葉が終わるか終わらないかのうちに、ドラーゲンは背後の影からぬっと現れた。いつものように悪戯っぽい笑みを浮かべながら、フェリシアの腰に手を回そうとする。
だが、今のフェリシアは違った。
フェリシアは振り返りもせず、ドラーゲンの腕を優雅で的確な動きで掴み、制止した。その動作には一分の隙もない。完璧な防御だった。
「今は、その手は結構です、師匠」
ドラーゲンは「おっと、つれなくなったな、お嬢ちゃん」と肩をすくめた。ドラーゲンの表情には、弟子の成長に対する満足げな色が見て取れる。
「師匠、お聞きください」
フェリシアは真剣な表情で振り返った。先ほど感じた違和感と、アンブロジウス枢機卿への懸念を、簡潔に説明する。
「ああ、同感だ」ドラーゲンは即座に同意した。「腐った魚と、偽善者の匂いがプンプンする。間違いなく、ろくでもない芝居の幕開けだな」
「ですが、私はこの会議を途中で抜けるわけにはいきません。北部の貴族たちの信頼を裏切ることはできません」
フェリシアはドラーゲンに向き直り、深々と頭を下げた。
「ですから、師匠、お願いします。私の代わりに、枢機卿たちの後を追ってください。そして、何が起ころうとしているのか、その真相を突き止めてください。もし……もしものことがあれば、枢機卿をお守りください」
ドラーゲンは、弟子の真剣な眼差しを見詰めた。かつて頼りなかった少女が、今では一人前の策略家として成長している。その事実に、ドラーゲンは密かな誇りを感じていた。
(やれやれ、弟子に顎で使われる師匠というのも、乙なものか)
ドラーゲンは悪戯っぽい笑みを浮かべながら言った。
「わかった、引き受けよう。せいぜい、退屈させないような面白い芝居が観られるといいがな」
そう言い残すと、ドラーゲンは再び影の中へと音もなく姿を消した。
* * *
【視点切り替え:フェリシア】
* * *
一人残されたフェリシアは、恩人の無事を祈りながら空を見上げた。青い空の向こうで、何かが動き始めている。その予感が、フェリシアの胸に重くのしかかっていた。
だが、今は北部の貴族たちとの会議を続けなければならない。表面上は何事もなかったかのように振る舞い、内心では師匠の活躍を信じて待つ。
それが、今のフェリシアにできる最善の選択だった。
* * *
会議室に戻ったフェリシアを、アルマン伯爵が気遣わしげに見詰めた。
「フェリシア殿、ご気分はいかがですか?」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」フェリシアは穏やかに微笑んだ。「少し考え事をしておりました。それでは、会議を続けましょう」
表面上は何事もない。だが、見えないところで既に次なる戦いが始まっていた。
港町ジェノチアの平和な午後に、静かな緊張が走っている。




