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第03話 酒場の奥、本音と建前

第03話 酒場の奥、本音と建前


ドラーゲンの質問に対するフェリシアの反応を見て、彼は内心でほくそ笑んだ。(図星だな) フェリシアの鋭い警戒心と、周囲のテーブルから注がれ始めた好奇の視線を察すると、ドラーゲンは悪戯が成功した子供のように片目をつぶった。


「少し込み入った話になりそうだ。あちらの隅の席でどうかな?」


 ドラーゲンが指差したのは、酒場の喧騒から少し離れた、薄暗い影に包まれたテーブルだった。フェリシアは一瞬ためらうようだったが、魔王領に関する情報への欲求が勝ったらしい。彼女は無言で頷き、ドラーゲンの後に続いた。


 奥まった席に着くと、ドラーゲンは足を組み、まるで我が家のようにくつろいだ態度を見せる。西洋風の酒場で、東方の絹の着流しという場違いな格好。それだけでも十分に目立つのに、彼の手には武骨なエールのジョッキではなく、優雅な曲線を描くワイングラスが握られている。そのちぐはぐな取り合わせが、彼の纏う胡散臭さを一層際立たせていた。


「実を言うとね、私は魔王城でそれなりの地位にいたんだが...」


 ドラーゲンはグラスの中の赤い液体を揺らし、その芳醇な香りを楽しみながら続ける。


「どうにも血なまぐさいのは性に合わなくてね。戦いたがる連中の計画をあの手この手で先延ばしにしたり、重要な会議をサボったり...」


 ドラーゲンは遠い目をして、まるで愛しい思い出を語るかのように続ける。(まあ、実際にそうやって戦争を阻止してきたわけだが、それをこの子に明かす必要はない)


「ああ、そういえば、あの鉄面皮の補佐官殿に、『いつも難しい顔ばかりしていないで、たまには笑ったらどうだ?その方がよほど美人だぞ』なんて、廊下ですれ違うたびに口説いてみたり」


 フェリシアが思わず眉をひそめるのが見えた。女性への配慮を欠いた発言だと感じているのだろう。


「彼女が夜なべして作った完璧な戦術地図を覗き込んでは、『見事な布陣だ。だが、これじゃあ意中の殿方の心は射抜けんな』と、その硬い肩を優しく叩いてやったりな。まあ、そんなことを繰り返していたら、ついに堪忍袋の緒が切れたらしくてな。目の敵にされて、今回の追放の一因になったというわけさ」


 ドラーゲンの口調は、まるで自分の善行を誇っているかのようだった。そして、そう言い終えると肩をすくめてみせる。反省の色など微塵も見せず、むしろどこか面白がっているような、あるいはそんな自分の生き様を誇っているかのような表情を作る。


 フェリシアは明らかに呆れているようだが、同時に興味深そうにも見える。これほど無神経でいられることに、ある種の感心を抱いているのかもしれない。


「......魔王城の中は、今どんな状況なのですか?」


 フェリシアは、ドラーゲンの昭和気質な悪戯話に呆れつつも、本題を切り出した。警戒は解かずに、しかし隠しきれない興味をもって。


「ふむ、良い質問だ。だがねお嬢ちゃん、タダで聞ける情報なんて、この世にはそうそうないもんだぞ?」


 ドラーゲンは人差し指を立てて、悪戯っぽく笑う。まるで商人のような素振りを見せつつ、どこか冗談めいた調子で。


 フェリシアが眉をひそめ、腰の聖剣に手をかけるのを見ると、ドラーゲンは慌てたように手を振った。


「はは、冗談だよ、冗談。そんな怖い顔をしないでくれ。まあ、少しだけならお話ししよう」


 俺は椅子に深く腰掛け直し、少し声を潜める。その瞬間、軽薄さを演出していた表情から少しだけ真剣な色を滲ませた。


「魔王城も一枚岩じゃないのさ。特に好戦的な軍団長みたいな脳筋とか、戦争で儲けたい悪徳商人がね、やたらと声が大きいんだ」


 俺の声には、明らかな苦々しさを込める。これは演技ではない。


「『神々の時代から続く魔族の宿命!』だとか『若き魔王様の威厳を示すべし!』なんて息巻いてる」


 俺は、まるで道化師のように芝居がかった大げさな身振りで、彼らの口調を真似してみせる。その様子は滑稽だが、同時に軽蔑も込めている。


「我が魔王様は、まだお若いからな。ああいう声に押され気味なのは否めない」


 そこで、俺は表情に微かな憂いを浮かべた。


「もっとも、今の私はただの追放されたおっさんさ。魔王様の心配をする義理も立場もないけどね」


 しかし、その言葉とは裏腹に、俺は瞳の奥に深い懸念の色を滲ませる。軽薄な仮面の下に隠しきれないように、わざと。


 フェリシアの表情が変わるのが見えた。俺の本音の一端を垣間見たと思っているだろう。


「それで...本当に、ただそれだけで追放されたのですか?」


 フェリシアは疑いの目を向ける。俺の話があまりに都合が良すぎると感じているようだ。賢い子だ。


 俺は意味深な笑みを浮かべる。


「さて、どうだろうな。私の口から言えるのは、私が追放された、という事実だけさ」


 ドラーゲンはそう言って話を打ち切ると、突然、フェリシアの方へ悪戯っぽく身を乗り出した。


「でも、本当の本当のところは...」


 声をひそめ、一瞬真剣な眼差しを見せたかと思うと、ドラーゲンは大げさに後ろにのけぞって呵々と笑い出した。


「...それは、秘密ってもんさ!」


   *   *   *

【視点切り替え:ドラーゲン → フェリシア】

   *   *   *


 呆れた表情を見せるフェリシア。この男は一体何者なのだろうか。魔族であることは間違いないが、その正体も、追放の真相も、全てが謎に包まれている。それなのに、なぜこんなにも彼の存在が気になるのか。


 しかし次の瞬間、ドラーゲンが不意に笑いを収め、真面目な顔つきに戻ったのを見て、フェリシアは息をのんだ。その瞬間の表情の変化は、まるで別人になったかのような強烈な印象を与えた。先ほどまでの軽薄さが嘘のように消え、深い知性と洞察力が宿っている。


「ところで、お嬢さん。さっきも聞いたが...君は本当に、その『勇者』という役割が好きなのかい?」


 今度は、先ほどよりもさらに真っ直ぐな、射抜くような視線だった。その言葉には、単なる好奇心を超えた、深い理解と共感が込められている。


 その言葉に、フェリシアの脳裏には王国での日々が、生々しいトラウマとしてフラッシュバックする。


 ——『勇者とは国家の象徴であり、個人の感情で行動することは許されない』


 宰相アンドレアスの、全てを駒としか見ていない冷徹な声。あの男の瞳には、人間への温かみなど微塵もなかった。


 ——『神の御心に従い、疑念を抱くことなく使命を果たしなさい。それが貴女の唯一の道です』


 大司教マリーネの、慈愛に満ちた微笑みの裏に隠された、有無を言わせぬ威圧。その狂信的な瞳は、フェリシアを実験動物としか見ていなかった。


 ——『素晴らしい!このデータさえあれば、勇者の量産も夢ではない...!』


 マリーネの恍惚とした声が、今でも悪夢のように蘇る。


 彼らの言葉が、見えざる鎖のように心を縛り付けていた。フェリシアは再び激しく動揺し、視線を泳がせる。


 (私は……私は本当は……)


 しばらくの沈黙の後、フェリシアがかろうじて絞り出した声は、微かに震えていた。


「......それが、どうしたというのですか?」


 その震えには怒りではなく、深い悲しみが込められていた。


 ドラーゲンは、そんな彼女の様子をじっと見つめていたが、やがてふっと表情を緩めた。その眼差しには、批判や同情ではなく、深い理解があった。


「いやね。君も、何やら重たい役割にがんじがらめにされているように見えてね」


 彼の声は、先ほどまでの軽薄さとは打って変わって、温かく優しいものだった。


「私も似たようなもんさ。『魔王軍幹部』なんて肩書きを背負わされて、本当はそんなもの欲しくもなかったのに、いつの間にか周りの期待とやらに縛られて……まあ、だからこそ最後は全部ぶち壊してやったがな」


 彼は自嘲気味に笑う。


「ただのおっさんの老婆心、余計なお世話かもしれないが...時には、自分の気持ちに正直になることも大切だと思うぞ?」


 その言葉に、フェリシアの心は大きく揺れた。この男は、自分の本音を見抜いているだけでなく、同じような境遇を経験している。そして何より——彼は、自分の意思で運命に反抗したのだ。


 (この人は……もしかすると)


 フェリシアの瞳に、ほんの僅かな希望の光が宿った。もしかすると、この男は自分の気持ちを理解してくれるかもしれない。そして、もしかすると——自分も、違う道を歩むことができるかもしれない。


 そう言い終えると、ドラーゲンはまた軽やかな笑みを浮かべた。しかし今度は、先ほどまでの食えない笑いではなく、どこか温かみのある、父性的な優しさを含んだものだった。

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