第23話 真勇者の帰還、断罪の剣と民衆の選択
第23話 真勇者の帰還、断罪の剣と民衆の選択
「ふん、この程度か。これが『あの小娘より強い勇者』だと?話が違うではないか…」
ザガトは鼻を鳴らし、地面に大の字に倒れたガスパールを見下ろした。セラフィナは相変わらず機械的に回復魔法をかけ続けているが、心が完全に折れたガスパールはもはや立ち上がることすらできない。
ノワールは腰を抜かして震えており、住民たちは困惑と失望に包まれていた。
(つまらん。こんな三流役者どもでは、俺の武勇を示すことなどできん)
ザガトの心には失望と苛立ちが渦巻いていた。期待していた手強い相手は、蓋を開けてみれば見るも無残な腰抜けどもだった。
「まあいい。せっかく来たのだ、とどめを刺してやろう」
ザガトは鉄の棍棒を振り上げ、無力化したガスパールに向けて振り下ろそうとした。
その瞬間だった。
「そこまでです!」
凛とした声が夕暮れの空に響いた。
一陣の風のように、白い影が戦場に舞い降りる。その影は、ザガトとガスパールの間に滑り込むと、軽やかな身のこなしで棍棒を受け止めた。
「フェリシア様!」
「勇者様が戻られた!」
住民たちの間に安堵の声が上がった。そこに立っていたのは、紺色のロングスカートと動きやすいブレザーに身を包んだフェリシアだった。以前の白を基調とした服装とは異なるその姿に、何か新たな決意のようなものが感じられる。
「元魔王軍軍団長ザガト!」
フェリシアは剣を構え、ザガトを真っ直ぐに見据えた。
「あなたの相手は、この私、勇者フェリシアです!」
「おお!小娘!ついに現れたか!」
ザガトの目が輝いた。これこそザガトが待ち望んでいた瞬間だった。
「そうか!ボルグから聞いた『フェリシアより強い勇者』とやらは、結局ガセ情報だったということか!」
ザガトは嬉しそうに笑った。
「つまらん三文役者どもでは物足りなかった!やはり俺の相手は貴様でなくてはな!今度こそ叩き潰してくれるわ!」
ザガトは猛り狂って襲いかかった。
しかし、今のフェリシアは以前とは明らかに違っていた。
ザガトの力任せの一撃が迫る。フェリシアは「観見の目付」を使い、師匠から教わった通りにザガトの筋肉の動き、重心の移動、そして攻撃の"起こり"を読み取ろうとする。
紙一重で攻撃を回避し、同時にザガトの力を利用して体勢を崩させる。
「なに!?」
ザガトの巨体がバランスを失った瞬間、フェリシアは師匠から教わった隠密の技を使い、気配を消してザガトの死角に回り込む。
「どこだ!?」
ザガトが慌てて周囲を見回す間に、フェリシアは狙いを定めてカウンターを繰り出した。剣の腹でザガトの手首を打ち、ザガトの握力を一瞬麻痺させる。
「ぐっ!」
ザガトの鉄の棍棒が宙に舞った。
(この動き…この気配の使い方は…)
フェリシアの戦術を見ていて、ザガトの脳裏にある男の影がよぎった。相手の力を利用する体捌き。音もなく気配を消して死角から攻撃を仕掛ける技術。
(まさか…ドラーゲン…!?)
かつて自分が全く歯が立たなかった男の戦い方と、あまりにも似ていた。
「まさか、貴様…あの男に…!?」
「?」
フェリシアには、ザガトが何を言っているのか分からなかった。しかし、ザガトの動揺は明らかだった。
その一瞬の隙を、フェリシアは見逃さなかった。
ザガトが予備の剣を抜こうと手を伸ばした瞬間、フェリシアはザガトの重心の移動と力の流れを完璧に読み切った。
軽やかなステップでザガトの懐に潜り込み、剣の柄でザガトの体勢を崩すと同時に、再びその剣を鮮やかに弾き飛ばす。
「またしても…この俺が…!」
武器を失い、体勢を崩したザガトは愕然とした。
フェリシアが剣を構え、とどめを刺そうとしたその時だった。
「ザガト様、ここまでです!」
突然の声と共に、煙幕弾が炸裂した。辺り一面が白い煙に包まれる。
「!」
煙が晴れかかると、ボルグがザガトと共に撤退していく姿が見えた。
(ボルグめ…余計なことを…だが、あの小娘の動き…まさか、あの男の技を…?)
撤退しながらも、ザガトの心には驚嘆と困惑が渦巻いていた。
「待ちなさい!」
フェリシアは追おうとしたが、ふと足を止めた。
(あの魔族兵士...前に私が助けた...)
撤退していくボルグが、ふと振り返ってフェリシアの方を見た。そして、軽く会釈をするように頭を下げる。
その仕草を見て、フェリシアは追うのをやめた。
(また会えましたね...ボルグさん)
フェリシアは静かに微笑み、その場からザガトたちを見送った。
* * *
ザガトたちが去った後、フェリシアは地面に無様に転がっているガスパール、卒倒しているノワール、そして相変わらず機械的に回復魔法をかけ続けるセラフィナに向き直った。
フェリシアの瞳には、怒りと悲しみが宿っていた。
「ガスパール殿!」
フェリシアの声は静かだが、強い感情が込められていた。
「あなた方が行ってきたことは、民衆を欺き、勇者の名を汚す許されざる行為です!それでもあなたは、自らを勇者と名乗るのですか!?」
「ひ、ひいい...」
ガスパールは這うようにして後ずさりした。先ほどまでの傲慢な態度は完全に失せ、ただ震えているだけだった。
その時、群衆の中から一人の男が前に出た。
「そうだ!こいつらは偽物だ!我々は騙されていたんだ!」
カルロ・ヴェンティだった。彼の声に続いて、他の住民たちも次々と声を上げ始めた。
「あいつらの戦いは全部ヤラセだったんだ!」
「魔族は雇われた役者だった!」
「フェリシア様の方がずっと立派だ!」
住民たちの怒りと不信は頂点に達した。
「偽物を許すな!」
「ラゴマジョレから出ていけ!」
野次と怒号が飛び交う中、ガスパールは完全に打ちのめされていた。もはや立ち上がる気力すらない様子で、ただ震えているだけだった。
「ガスパール様!しっかりしてください!」
ノワールが慌てて駆け寄る。ノワール自身も震えているが、まだ逃走を考える理性は残っていた。
「もうダメです...ここは一旦撤退を...!」
ノワールはガスパールの腕を支え、セラフィナの手を引いて、ほうほうの体でその場から逃げ出した。
ガスパールたちの「英雄譚」は、ここで無残な終焉を迎えたのだった。
混乱が収まりかけた頃、従者を伴った一人の中年男性が堂々と広場に姿を現した。
「諸君、静粛に!」
その威厳ある声に、ざわめきが静まった。
「アルマン伯爵様!」
住民たちが頭を下げる。ラゴマジョレを含む北部辺境域の領主、アルマン・ド・ヴァリエール伯爵だった。
「今宵、我々は真の勇気の姿と、卑劣な欺瞞の終焉を目撃した」
アルマン伯爵の力強い声が広場に響く。
「勇者フェリシア殿の勇気、誠実さ、そして何よりも民を思うその心こそ、真の勇者の証である!」
アルマン伯爵はフェリシアの方を向き、深々と頭を下げた。
「このアルマン・ド・ヴァリエールは、彼女こそが王国が、いや、人々が真に必要とする勇者であると、ここに公に宣言し、全面的に支持する!」
アルマン伯爵の宣言に、住民たちは一瞬静まり返った。そして次の瞬間、爆発的な喝采が上がった。
「フェリシア様万歳!」
「真の勇者だ!」
「私たちの守り神よ!」
熱狂的な歓声が夕暮れの空に響き渡る。フェリシアへの信頼と支持は、以前にも増して確固たるものとなった。
* * *
フェリシアは民衆の喝采を静かに受け止め、深く頭を下げた。
「ありがとうございます、皆さん」
フェリシアの声は謙虚だった。
「私は、特別な力を持った勇者ではないのかもしれません。しかし、人々を守りたい、平和を守りたいという気持ちに嘘はありません」
フェリシアは顔を上げ、住民たちを見回した。
「そのために、これからも力を尽くします。どうか、私を信じてください」
フェリシアの言葉は、新たな決意と共に、ラゴマジョレの夕闇に響き渡った。
住民たちは再び大きな拍手を送った。真の勇者が戻ってきたのだ。
その光景を、少し離れた場所から見つめる影があった。
ドラーゲンは木陰に身を潜め、すべてが自分の描いた筋書き通りに進んでいることを確認していた。
絶妙のタイミングでのフェリシアの帰還。カルロ・ヴェンティによる住民たちの怒りの誘導。そしてアルマン伯爵の公式な支持表明。
(カルロの周りに仕込んだサクラたちも、見事に偽勇者の告発を広めてくれた。連中のやり方を、そっくりそのまま返してやったというわけだ)
ドラーゲンは群衆の中に散らばった自分の仕込みを確認しながら、薄く笑った。アンドレアスが使った情報操作の手法を、今度は逆の目的で使用したのだ。
(この醜態は、既に王国各地の情報網に流れている。明日の朝には、偽勇者ガスパールの無様な敗北が、王国中の話題になるだろう)
事前に手配した商人や行商人たちが、この一部始終を目撃し、既に各地への情報伝達を開始している。アルマン伯爵の登場と支持表明も、全て計画通りの演出だった。
「完璧だ」
ドラーゲンは満足げに呟いた。偽勇者の罠は見事に逆用され、フェリシアの地位はこれまで以上に強固なものとなった。
(しかし、お嬢ちゃんの成長ぶりには驚いたな。あそこまで技術を身につけるとは)
ドラーゲンの心には、師としての誇らしさが込み上げていた。フェリシアは確実に強くなっている。
だが、ドラーゲンは知っていた。アンドレアスやマリーネといった黒幕の影は依然として王国に深く根差している。
(真の戦いは、まだ始まったばかりだ)
それでも今夜は、ラゴマジョレに平和が戻った。偽りではない、本物の平和が。
夕陽が地平線に沈む中、ドラーゲンは静かに微笑んだ。お嬢ちゃんの笑顔こそが、ドラーゲンの何よりの報酬だった。




