第22話 大見栄の代償、本物の絶望と滑稽なる勇者
第22話 大見栄の代償、本物の絶望と滑稽なる勇者
ボルグの策により、ザガトが街に向けて出陣した後。偽勇者ガスパールは、ついに本物の魔族軍団長との直接対決を迎えることになった。
「民よ、刮目せよ!これぞ本物の勇者の戦いだ!」
ガスパールは街門前の広場で、集まった住民たちを見回しながら、芝居がかった大振りで剣を振り上げた。目の前には、禍々しい鎧に身を包んだ一人の魔族が静かに立っている。
「ふん、いかにも弱そうな魔族もどきめ!この真の勇者ガスパール様が、貴様らを一瞬で塵にしてくれるわ!」
ガスパールは、これがアンドレアス宰相が手配したヤラセの相手だと信じて疑わなかった。彼は住民たちに聞こえよがしに続ける。
「どこぞの小娘勇者は、こんな時だというのに怖気づいて逃げ出したようだがな!見よ、これが本物の勇者と偽物の違いというものだ!」
フェリシアへの当てこすりに、住民たちは複雑な表情を浮かべた。しかし、ガスパールは得意満面である。
「ガスパール様の武勇の前には、魔族など赤子同然ですな」
ノワールが知的ぶった笑みを浮かべながら追従する。その隣で、セラフィナが無表情に手を合わせ、ガスパールに支援魔法をかけ始めた。
「聖なる光よ、勇者に加護を」
神聖な光がガスパールを包み込む。彼は満足げに胸を張り、目の前の魔族に向かって剣を構えた。
「喰らえ、勇者の一撃!」
ガスパールは大上段から剣を振り下ろそうと身構えた。
その瞬間
「…ほう、貴様がこの地の"勇者"か」
それまで不気味な静けさを保っていた魔族が、地響きのような低い声で呟いた。その声には、これまでガスパールが相手にしてきた「演技派の傭兵」とは明らかに異なる、本物の威圧感が込められていた。
「貴様が"あの小娘よりも強い勇者"か」
魔族は圧倒的な存在感を放ちながら名乗りを上げた。
「俺様は元魔王軍軍団長ザガト・ブローディアだ!先日あの小娘勇者に愛用の鉄槌を壊されちまったが、今日こそは貴様のような"より強い勇者"をブチのめして、俺様の名誉を回復してやる!」
その凄まじい気迫と、明らかにヤラセの役者ではない本物の魔軍幹部の名乗りに、ガスパールの顔は一瞬で青ざめた。胸の奥から冷たい恐怖が湧き上がってくる。
「は…?ザガト…だと…?軍団長…?」
ガスパールの声は震えていた。彼は、フェリシアと戦って敗れはしたが、伝説的な軍団長の武勇伝を知っている。その名前が、まさか目の前にいるはずがない。
「え、話が違うではないか!?アンドレアス様!?」
ガスパールは慌てて周囲を見回した。そこには自分を助けてくれるはずのアンドレアス宰相の姿はなく、集まった住民たちの視線が痛いほどに刺さっていた。ノワールも計算外の事態に表情をこわばらせている。
ガスパールの心は狂ったように高鳴っていた。「(これは…まずい。話が全く違う…!)」彼の頭の中では、期待していた華々しい勝利のシナリオが崩壊し、死の恐怖がその空白を埋め始めていた。
しかし、ザガトは動揺する暇など与えなかった。
「ガハハ!驚いてる場合じゃねぇぞ、勇者!」
* * *
ガスパールは絶望的な状況を打破しようと、力任せに突撃した。彼の頭の中では、「ここで一撃を決めて状況を逆転させる」という必死の想いが駆け巡っていた。
だが、ザガトは彼の動きをまるで紙を読むかのように見切って軽やかにいなし、鉄の棍棒でガスパールの腹に一撃を叩き込んだ。
「ぐふっ!」
ガスパールは情けない呻き声をあげて派手に吹っ飛び、地面を転がった。彼の視界は一瞬白くなり、激痛が腹部から全身に駆け巡った。周囲から聞こえる住民たちのざわめきが、彼の耳には遠くの音のように聞こえた。セラフィナが機械的に詠唱を始める。
「癒しの光よ、傷を包みたまえ」
回復魔法がガスパールにかかり、彼の傷が癒えていく。
「う、おお…力が…!」
ガスパールは立ち上がろうとしたが、その瞬間、ザガトの蹴りが飛んできて再び地面に叩きつけられた。
「神威宿りし剛力の加護よ、戦士に勇猛を」
今度はセラフィナが強化魔法をかける。ガスパールの体が光に包まれ、筋力が増強された。
「今度こそ…!」
しかし、ザガトはその強化されたパワーすら見切って、今度は棍棒でガスパールの顎を跳ね上げる。
「がはっ!」
再びガスパールが倒れる。そして、またセラフィナが機械的に詠唱する。
「癒しの光よ、傷を包みたまえ」
「う、おお…」
立ち上がる。
ザガトの攻撃を受ける。
「ぐあっ!」
倒れる。
「神威宿りし剛力の加護よ、戦士に勇猛を」
また立ち上がる。
「今度は…!」
また攻撃を受ける。
「ごふっ!」
また倒れる。
まるで質の悪い無限ループのような状況が続いた。セラフィナは状況を理解せず、プログラムされた通りに機械的に支援魔法をかけ続ける。『癒しの光よ』『神威宿りし剛力の加護よ』—同じ詠唱が機械的に繰り返される。その結果、ガスパールは同じ二つの魔法で機械的に回復・強化させられてはザガトに殴り飛ばされ、強化されてはザガトに地面に叩きつけられるという地獄を味わい続けることになった。
肉体的には回復させられるものの、その度にザガトの容赦ない攻撃を受け続けることで、ガスパールの体力よりも先に精神が砕け始めた。彼の胸の中で燃え続けていた勇者へのプライドが、戦う意志が、そして「真の勇者」としての自分への信念が、一つずつ砕け散っていく。
「も、もうやめ…やめてくれ…」
ガスパールは涙目で懇願した。彼の心の中では、「こんなはずじゃなかった」という叫びがこだましていた。住民たちの前での華々しい勝利、絶対的な称賛、そしてフェリシアを見返す栄光の瞬間—そのすべてが幻想だったことを、彼はようやく理解し始めていた。
「なんだ、勇者よ。もう音を上げるのか?ガハハ!」
ザガトは首をかしげた。しかし、次の瞬間、彼の表情が変わった。
「あ、そうか...」
ザガトの目に理解の光が宿る。
「貴様、もしかして『不屈の勇者』と同じタイプか?打撃を受けるたびに強化される体質だな!」
「え?」
ガスパールの顔に困惑が浮かんだ。ザガトは得意げに頷く。
「昔、そんな勇者と戦ったことがある。やられればやられるほど強くなる厄介な奴だった。最初は弱く見せかけて、痛めつけられるたびに力を増していく...なるほど、それで最初は手を抜いていたのか!」
ガスパールの心臓が凍りついた。『違う!俺はただ弱いだけなんだ!そんな能力なんてない!』
「ガハハ!だから回復魔法をかけられても立ち上がってくるのか。そのたびに強化されているからだな!」
セラフィナの機械的な回復魔法を見て、ザガトは完全に確信した。
「よし、ならば遠慮はいらん。手加減していては貴様の真の力を引き出せないからな!本気で行くぞ、勇者よ!」
ガスパールの絶望は頂点に達した。『誤解だ!やめろ!もっと痛くなる!』と彼の心は恐怖で歪み、一人称が変わりそうになっていた。
その時、ノワールが絶望的な状況を打開しようと、震える手で妨害魔法をザガトに仕掛けようとしていた。
「魔力よ、敵の動きを封じよ…!」
ノワールが必死に詠唱を続けるが、放たれた妨害魔法は見た目こそ派手な光を放つものの、ザガトにとっては蚊が止まった程度の効果しかなかった。
「ふん、派手な見た目だけで威力は皆無か。口先だけの小僧め!」
ザガトはノワールの魔法を完全に無視し、むしろその貧弱さを嘲笑った。
「な、なんで…!私の計算では…!」
「貴様の"計算"とやらは、所詮その程度のものよ!見た目だけで実戦では何の役にも立たん!」
ザガトの嘲笑に、ノワールの顔から血の気が失せた。彼の知略家としてのプライドは木っ端微塵に打ち砕かれる。
「そ、そんな…私の計算が…ありえない…」
一方で、ガスパールは心の中で絶叫していた。『ノワールが失敗した!もう誰も助けてくれない!しかもザガトはますます本気になる!』
住民たちも、最初は固唾を飲んで見守っていたが、ガスパールのあまりの不甲斐なさに次第に困惑し始めた。
「…え?あれが勇者様?」
「なんか、一方的にやられてない?」
「っていうか、あの魔族の人、めちゃくちゃ強くない…?」
やがて、ガスパールの無様な姿に失笑が漏れ始める。
「何やってんだ、勇者!」
「しっかりしろ!」
「これじゃあフェリシア様の方がずっと頼りになるぞ!」
野次やブーイングが飛び交うようになった。ガスパールの威厳は完全に地に落ちていた。
* * *
「癒しの光よ、傷を包みたまえ…」
セラフィナが再び回復魔法をかけ、ガスパールが立ち上がる。しかし、もはや彼の目に戦意はなかった。
「頼む…もう勘弁してくれ…」
「おお、立ち上がった!やはり強化されているな!」
ザガトは興奮気味に言った。
「今度はどれほど強くなったか試してみよう。前回よりさらに本気を出すぞ!」
ガスパールの顔が真っ青になる。『違う!強くなってない!むしろ限界だ!』
ザガトは前回の倍の威力で、棍棒を振り下ろした。
「がはあああああっ!」
ガスパールは完全に戦意を喪失して地面に大の字に伸びた。ノワールは腰を抜かして逃げようとし、セラフィナは機械的に回復魔法をかけ続けるが、心が完全に折れたガスパールはもはや立ち上がることすらできない。
偽勇者パーティは、民衆の前で無様な醜態を晒し、完膚なきまでに叩きのめされた。
ザガトは鼻を鳴らし、倒れたガスパールを見下ろした。
「ふん、この程度か。こりゃ『あの小娘より強い勇者』じゃねぇな。話が違うじゃねえか…」
その時だった。
遠くから、馬のひづめの音が聞こえてきた。そして、住民たちの間に安堵のため息が漏れる。
「あ…あれは…!」
「フェリシア様だ!」
「フェリシア様が戻ってこられた!」
真の勇者の帰還を告げる声が、夕暮れの空に響いた。
ガスパールは地面に這いつくばったまま、絶望的な表情でその声を聞いていた。彼の胸の奥で、最後の希望の炎がじゅうじゅうと音を立てて消えていく。住民たちの歓喜の声が、まるで自分を嘲笑うかのように聞こえた。彼が心の底から求めていた栄光、称賛、そして「真の勇者」としての地位—それらすべてが、目の前で泡のように弾け飛んでしまったのだ。
そして、本物の勇者と偽物の勇者の、決定的な違いが明らかになろうとしていた。




