第21話 影の囁き、猛将再起とそれぞれの思惑
第21話 影の囁き、猛将再起とそれぞれの思惑
ドラーゲンがノワールに「街への大規模魔族襲撃」を提案した後。魔王領では、別の思惑が静かに動き始めていた。
魔王領の辺境にある、質素な兵舎の一室。ボルグは手にした小さな魔法結晶を見つめながら、深いため息をついていた。
先の戦いでフェリシアに命を救われてから、ボルグの心境には大きな変化が訪れていた。魔族と人間の間にある壁が、以前ほど絶対的なものには思えなくなっていたのだ。
そんなボルグの元に、ドラーゲンからの密かな連絡が届いたのは、昨夜のことだった。
『ラゴマジョレの勇者フェリシアが、セレスティナ王国の権力者の陰謀により、別の"勇者"を立てられ、社会的に追い詰められている』
結晶に込められたドラーゲンの声は、静かだが緊迫感に満ちていた。
『偽勇者は王国内各所で偽の魔族との戦いを演じて、その名声を高め、戦わないフェリシアを追い込んでいる。その"偽勇者"一行は近々、手配された"魔族に偽装したならず者"を相手に手柄を立てる茶番劇を演じるらしい』
ボルグは拳を握りしめた。フェリシアが苦境にあるという事実に、ボルグの胸が痛んだ。
『これは、謹慎中のザガト軍団長にとって、名誉を挽回する絶好の機会となるやもしれぬ。彼に、この"ラゴマジョレの勇者"一行の情報を伝え、彼らを討つことで"真の力"を示せと焚きつけてみよ。彼らはフェリシアよりも厄介な相手かもしれんぞ』
ドラーゲンの言葉に、ボルグは激しく葛藤した。
ザガト・ブローディア。かつての上官であり、自分たち部下を見捨てて逃亡した男。その男に名誉挽回の機会を与えるというのか。
しかし、ボルグには別の懸念もあった。現在の魔王ヴァルブルガは、先代とは異なり戦争拡大を望んでいない。むしろ、無意味な紛争を避けようとしている。偽魔族による活動と偽勇者の茶番劇が続けば、それが大きな戦争の火種となりかねない。
それを防ぎ、同時にザガトの謹慎解除の名目を作ることができれば...
(フェリシアへの恩返しでもある...か)
ボルグは決意を固めた。危険を承知で、ザガトに接触することを。
魔王城の離れにある、謹慎者用の居住区。ボルグがザガトの部屋を訪れた時、元軍団長は酒瓶を抱えて床に座り込んでいた。
「...ボルグか」
ザガトは顔を上げたが、その表情には警戒の色が浮かんでいた。
「何の用だ。俺のようなお払い箱に、用などあるまい」
「ザガト様...」
ボルグは慎重に言葉を選んだ。ザガトは確かに部下を見捨てた。しかし、ザガトなりの武人の誇りは持っている。その誇りをくすぐりつつ、しかし情報は小出しにして混乱させないようにしなければ...
「実は、閣下にとって、またとない好機が訪れているのです」
「好機だと?」
ザガトの目に、僅かな興味の光が宿った。
「ラゴマジョレに現れた新たな勇者一行のことです。情報によれば、彼らはあのフェリシアよりも強く、そして厄介な相手だとか」
「フェリシアより...強い?」
ザガトの表情が変わった。先の敗北は、ザガトのプライドに深い傷を負わせていた。
「ええ。その勇者を打ち破れば、ザガト様の真の武勇を魔王様と民に示すことができましょう。そうすれば、必ずや名誉は回復されるはずです」
ボルグは、ドラーゲンから得た偽勇者一行の詳細な情報—特に聖女の機械的な魔法、術師の見掛け倒しの妨害術、勇者の実力不足などの弱点を、巧妙に「ラゴマジョレの勇者一行」として伝えた。
(...すまん、閣下。これも全ては...)
しかし、ザガトの反応は、ボルグの予想を超えていた。
「ボルグ...」
ザガトの声が震えていた。
「貴様...この俺のために...?」
「閣下?」
「俺は...俺は貴様らを見捨てたというのに...それなのに、貴様は俺の名誉回復のために、危険を冒してまでこのような情報を...」
脳筋ではあるが純粋な性格のザガトにとって、かつて見捨てた部下が自分のために行動してくれたという事実は、想像以上に心を打つものだった。
「うう...ボルグ...」
「あ、あの、閣下?」
なんと、ザガトの目に涙が浮かんでいた。ボルグは慌てた。こんな反応は全く想定していなかった。
「うおおおおお!ボルグ!」
ザガトは突然立ち上がると、ボルグの肩を両手で掴んだ。
「よくぞ言ってくれた!貴様のその心意気、確かに受け取った!俺はもう一度立ち上がる!」
「お、落ち着いてくださいザガト様!」
「そして、あの小娘にではなく、まずはその"フェリシアより強い勇者"とやらに、本物の魔族の恐怖を教えてやる!」
ザガトの闘志は完全に再燃していた。謹慎の鬱屈を吹き飛ばすように、ザガトは拳を天に向けて振り上げる。
(...予想以上に効果的すぎた...)
ボルグは内心で冷や汗をかいていた。ザガトを操縦するのは、ボルグが思っていた以上に大変そうだった。
その日のうちに、ザガトは僅かな手勢を集めて出陣の準備を整えた。正体を隠すため、禍々しい仮面やボロ布で武装した一行は、いかにも「怪しい魔族集団」の体をなしていた。
「ボルグ、貴様も来るのだろう?」
「...はい、閣下の補佐として」
ボルグには複数の目的があった。ドラーゲンからの情報が正しいかを見極めること。そして、万が一この"勇者"がフェリシア本人であった場合、あるいは両者が鉢合わせした場合に、破滅的な結果を避けるために間に入ること。
「よし!では行くぞ!ラゴマジョレへ!」
一行はひそかに魔王領を出発した。
ラゴマジョレへ向かう街道沿いの森。ボルグはドラーゲンから得た情報を元に、一行を特定のルートへと誘導していた。
「閣下、この道を通った方が人目につきません」
「うむ、さすがボルグだ。よく考えている」
そして、予定通りの場所で、ザガトたちは遭遇した。
「何者だ!」
森の中に、魔族の格好をした怪しい一団が潜んでいたのだ。しかし、その武装は粗雑で、どこか演技がかっていた。
「我らの進軍を阻む者は全て敵だ!」
ザガトは細かい詮索などせず、圧倒的な威圧感と共に襲いかかった。
「ひいいい!本物だ!本物の魔族だあああ!」
アンドレアスが手配した偽魔族役の傭兵たちは、本物の魔軍幹部の迫力に完全に戦意を失い、武器を取り上げられて蜘蛛の子を散らすように逃げ出した。
「ふん、雑魚めが」
ザガトは鼻を鳴らした。
「閣下、少し待ってください」
ボルグは逃げ遅れた傭兵数名を捕らえ、巧みに情報を聞き出し始めた。
「さあ、正直に話せ。貴様らは何者だ?」
「ひ、ひいい...我々は、セレスティナ王国の宰相アンドレアス様に雇われた傭兵で...」
「ほう、続けろ」
「勇者ガスパール様の手柄のために、ヤラセの戦闘をするよう指示されていたんです!魔族の格好をして、適当に戦って負けろって...」
ボルグの表情が厳しくなった。アンドレアスの陰謀を裏付ける決定的な証拠だった。
しかし、ザガトは早く街に向かいたくて仕方がない様子で、足踏みしている。
「閣下」
ボルグは素早く判断した。この情報をしっかりと聞き出すには時間がかかる。しかし、ザガトに余計な情報で混乱されても困る。
「この者たちの詳しい調査は、私と手勢で行います。閣下はお先にラゴマジョレへ向かってください」
「ほう?」
「街では既に何か起こっているかもしれません。一刻も早く『フェリシアより強い勇者』を見つける必要があります」
ザガトの目が輝いた。その通りだ、と言わんばかりに。
「うむ!さすがボルグ、よく気がつく!この雑魚どもの調査など、俺がやることではないな!」
「はい。私がしっかりと調べておきます。閣下は心置きなく」
「よし!では俺は先に行く!貴様らは調査が済み次第、すぐに追ってこい!」
ザガトは一人、意気揚々と街へと向かっていった。
ザガトの姿が見えなくなったのを確認すると、ボルグは改めて捕らえた傭兵に向き直った。
「さあ、今度はゆっくりと話してもらおう。アンドレアス宰相から、具体的にどのような指示を受けていた?」
「ひいい...全部話します!全部!」
ボルグは詳細な証拠を集め始めた。しかし、その一方でボルグの胸に不安がよぎる。
(閣下が一人で向かって...大丈夫だろうか)
* * *
一方、一人で街に向かったザガトは、夕暮れの中にラゴマジョレの街並みを見つけた。
その巨体が街の近くに現れると、見張りの兵士たちが慌てふためいた。
「た、大変だ!魔族だ!巨大な魔族が接近している!」
街に警鐘が鳴り響く。カンカンカン、と鐘の音が夕暮れの空に響いた。
街では騒がしい声が響き始める。その音を聞いて、ザガトは胸を躍らせた。
「おお、何やら賑やかだな。鐘まで鳴らして歓迎してくれるとは!もしや、『フェリシアより強い勇者』が俺を待ち構えているのか?」
ザガトの目が輝いた。
「よし!この俺が本物の魔族の恐怖を教えてやる!」
ザガトは意気揚々と街門へと向かった。




