第18話 猛将、勇者を騙る時~仕組まれた喝采と黒き聖職者たち~
第18話 猛将、勇者を騙る時~仕組まれた喝采と黒き聖職者たち~
ザガト隊撃退から数日後。ラゴマジョレの街でフェリシアへの信頼が高まりつつあった、まさにその時。セレスティナ王国の権力中枢では、アンドレアス宰相による新たな策謀が静かに始動していた。
セレスティナ王国首都。宰相執務室の重厚な扉の向こうで、アンドレアス・ラーセンは手にした報告書を苦々しげに見つめていた。魔王領ナーナ・シュトラーセからの身勝手な「督促」。フェリシアによるザガト隊撃退の報。そして、民衆の間で日増しに高まる「北の勇者」への支持。
「予想通りの展開だ…」
アンドレアスは報告書を机に置くと、冷静に思考を巡らせた。その暗い瞳の奥には、既に新たな策謀の光が宿っていた。
「だが、これも好機か」
彼は執務室の扉を開け、秘書官に指示を出す。
「ガスパール近衛隊長を呼べ。至急だ」
* * *
「宰相閣下、お呼びでしょうか」
ほどなくして現れたガスパール・ロレンスは、筋骨隆々とした威圧的な体躯を持つ近衛隊長だった。彼の目には、常に燃え盛る野心の炎が宿っている。
「ガスパール、率直に聞こう」
アンドレアスは立ち上がり、窓の外を見つめながら口を開いた。
「君は、現在の王国の状況をどう思う?」
「現在の状況、でございますか?」
「魔王領の連中は当てにならん。ナーナとやらは口ばかりで、ザガトは勇者フェリシアに敗れる始末。それどころか、あの小娘は敵である魔王軍の兵まで治療する始末……我らが仕掛けた挑発に乗りながら、思惑とは正反対の甘さを見せおって」
アンドレアスの声には、計算が狂った苛立ちと軽蔑が込められていた。
「民衆が真に求めるのは、小娘のような生ぬるい慈悲ではない。圧倒的な力で魔を打ち払い、王国に栄光をもたらす本物の英雄だ」
ガスパールの目が鋭く光る。宰相の言葉の先にある意図を、彼の野心が察知していた。
「ガスパール…常々思っていたのだが、その器に最も相応しいのは、他ならぬ君自身ではないのか?」
アンドレアスは振り返り、ガスパールの目を見据えた。
「君が立ち上がり、"正当な勇者"の姿を民に見せつければ、あの小娘の化けの皮など容易に剥がれよう」
その瞬間、ガスパールの目が血走った。彼の胸の奥で燃え続けていた野心が、ついに解放される時が来たのだ。
「ははっ!宰相閣下、ようやくご理解いただけましたか!」
ガスパールは拳を握りしめ、興奮に震える声で叫んだ。
「あの小娘などに勇者の名が務まるものか!この俺、ガスパール・ロレンスこそが、正統な勇者として王国を、いや、世界を救ってみせましょうぞ!」
アンドレアスの唇に、薄い笑みが浮かんだ。駒は思った通りに動いてくれる。
* * *
【視点切り替え:アンドレアス → ガスパール・ロレンス】
* * *
ガスパール自身が「新たなる勇者」として表舞台に立つ計画が始動した。彼は近衛隊長としての地位を活用し、自身の威光を高めるための準備を進める。
「貴様ら、よく聞け!この俺が正統な勇者として立ち上がる時が来た!」
ガスパールは部下たちに向かって宣言したが、実際の「勇者活動」には彼ら近衛隊を動員する予定はなかった。アンドレアスの計画では、より小規模で機動的な、そして何より「絵になる」パーティ編成が重要だったからだ。
「あの偽勇者フェリシアの欺瞞を暴き、王国に真の平和をもたらすのだ!」
部下たちは一斉に剣を掲げ、雄叫びを上げた。彼らにとって、カリスマ性あふれる隊長の言葉は絶対だった。
そこへ、優雅な足音と共に現れたのは、マリーネ・アクィナス大司教だった。神聖な顔立ちに豪奢な法衣を纏った彼女の美しい顔には、計算された慈愛の微笑みが浮かんでいる。表面的には完璧な聖職者の装いだが、その瞳の奥には非人道的な探求心が隠されていた。
「ガスパール殿、お忙しい中恐縮です」
「これはマリーネ大司教。何かご用でしょうか?」
「ガスパール殿の勇気、神も祝福しておりましょう」
マリーネは胸元で手を組み、敬虔な表情を作る。
「我が教会からも、神の奇跡を顕現させる聖女を遣わし、その聖戦を支援いたします」
彼女の背後から、か細い足音と共に一人の少女が現れた。セラフィナと呼ばれるその少女は、15歳で、儚げな美しさを湛えていた。しかし、その瞳は虚ろで生気が感じられず、まるで精巧に作られた人形のような印象を与える。調整により感情を抑制された彼女の表情は、常に無感情で機械的だった。
「聖女セラフィナ様です。神の御加護を具現化する、奇跡の御方」
マリーネの紹介に、ガスパールは胸を張った。
「ほう!これは心強い!神の加護を受けた正統な勇者、ガスパール・ロレンスの名は、必ずや歴史に刻まれるであろう!」
セラフィナは無表情のまま、小さく頷いた。その動作は、まるで指示に従うよう調整された人形のように機械的で、見る者に微かな不安を抱かせるものだった。
* * *
数日後、アンドレアスの執務室に再びガスパールが呼ばれた。今度は、彼の横に痩身の男が控えている。
「ガスパール、紹介しよう。私の秘蔵っ子、ノワールだ」
黒ずくめの衣装に身を包んだその痩身の男は、20代前半の知的に見える顔立ちをしていた。しかし、その冷たい印象の目には根拠のない自信と、明らかに他者を見下すような光が宿っている。自信家特有の皮肉めいた笑みが、唇の端に浮かんでいた。
「勇者には、力だけでなく、戦況を冷静に読む目も必要だ。ノワールの術は、必ずや君の武勇を際立たせるだろう」
ノワールは丁寧に一礼した。その所作は完璧だったが、どこか他者を見下すような雰囲気が滲み出ている。
「ガスパール様のお役に立てるよう、精進いたします。私の専門は敵の弱体化。相手の力を削ぎ、ガスパール様の勝利をより確実なものにいたしましょう」
内心では、自身の策略能力に過度の自信を持つノワールにとって、ガスパールなど容易に操れる単純な存在でしかなかった。しかし、その自信の多くは思い込みに過ぎない。
ガスパールは満足げに頷く。
「心強い限りだ!正統な勇者には、真の仲間が集まるということか!」
アンドレアスは内心で笑った。圧倒的な武力を誇る(と喧伝される)偽勇者ガスパール、神聖な力で支援する人工聖女セラフィナ、そして影から敵を弱体化させる妨害術師ノワール。歪ながらも一定の戦闘能力と"見栄え"を兼ね備えた「偽勇者パーティ」の完成だった。
偽勇者パーティの初陣は、アンドレアスが周到に用意した舞台で行われた。王国領内の小さな村に現れた「魔族」の一団。実際は、アンドレアスが金で雇った傭兵たちに魔族の扮装をさせたものだった。
村の広場に、ガスパールたちが颯爽と現れる。
「民よ、恐れるな!正統な勇者ガスパール・ロレンスが参った!」
ガスパールの大音声が響く。集まった村人たちは、期待と不安の入り混じった表情で見守っていた。
「聖女セラフィナ様、ガスパール様に神の加護を!」
マリーネの特定のキーワードが発せられると、セラフィナが機械的に詠唱を始める。調整された彼女は、この指示に反応するよう作られていた。彼女の周りに神々しい光が溢れ、その光がガスパールを包み込んだ。
「うおおお!神の力が、この身に宿る!」
実際には、ノワールが事前に「魔族」役の傭兵たちに軽度の妨害術をかけており、セラフィナのバフ魔法でガスパールが強化されているため、戦闘は圧倒的にガスパール有利に進む。ただし、この魔法効果により傭兵たちは演技を超えた実際の混乱状態に陥っていた。
「喰らえ、正義の鉄拳!」
ガスパールの一撃が「魔族」を吹き飛ばす。妨害術により混乱した傭兵たちは、もはや演技の範囲を超えた動揺を見せていた。アンドレアスが描いた台本以上の迫力だった。
「見事だ、ガスパール様!」
「さすが正統な勇者!」
村人たちからは称賛の声が上がる。その様子を遠くから見つめるアンドレアスの工作員たちが、手帳にその一部始終を記録していた。
* * *
【視点切り替え:ガスパール → マリーネ・アクィナス】
* * *
「魔族討伐」のニュースは、アンドレアスが影響力を持つ新聞社やギルド、マリーネが動員した教会の説教師たちによって、瞬く間に王国中に広まった。
「号外!号外!正統な勇者ガスパール様、魔族を一掃!」
街角で新聞売りの少年が叫ぶ。
「剛勇無双!ガスパール様こそ正統な勇者!」
「聖女セラフィナ様の奇跡の御力、勇者を勝利へ導く!」
「ノワール様の神算鬼謀、魔軍を翻弄!」
計算され尽くしたタイミングと場所で、このような言葉が民衆の間に広められていく。
同時に、より陰湿な噂も流され始めた。
「勇者フェリシアは、実は力も覚悟も足りないただの少女だったのではないか」
「彼女のやり方では魔族の脅威は取り除けない」
「正統な勇者ガスパール様の登場こそ、神の御心であり、王国の希望だ」
これらの噂は、アンドレアス配下の工作員や、マリーネに洗脳された一部の信者によって巧妙かつ執拗に流されていた。
* * *
そして、その効果は徐々に王国全土へと広がり始めた。最初は首都周辺の街々から、やがて商人の口伝いや旅人の話として、遠くラゴマジョレにまで噂が届くようになる。
「王都に、新しい勇者様が現れたそうだ」
「ガスパール様という、とてつもなく強い方らしい」
「魔族の軍勢を一瞬で屠ったとか…」
最初は半信半疑だった人々も、教会の説教師たちが口を揃えて同じことを語り、新聞にまで記事が載るようになると、次第にその真偽を疑わなくなっていく。
そして、微妙だが確実な変化が起き始めた。
「それに比べて、フェリシア様は少し手ぬるいのでは…」
そんな声が、酒場の片隅で小さくささやかれるようになったのだ。アンドレアスの仕掛けた「偽勇者の罠」。その毒は、情報という目に見えない形で、ゆっくりと、しかし確実に民衆の心に染み渡り始めていた。
一方、首都の豪華な邸宅では、アンドレアスとマリーネが密談していた。
「計画は順調ですね、宰相閣下」
マリーネは優雅にティーカップを傾けながら言った。
「ガスパールの愚直さが、かえって好都合だ。彼は本当に自分が勇者だと信じている」
アンドレアスは冷徹に分析する。
「セラフィナの調整も完璧でした。精神操作技術の成果です。あの子は指示通りに動き、何の疑問も抱きません」
「ノワールも期待以上だ。あの自信家で皮肉屋の性格が、かえって他者を見下して油断させる。彼の自信過剰さは実に利用しやすい」
二人の会話には、人間を駒として扱う冷酷さが滲み出ていた。
「問題は、フェリシアがこの状況にどう反応するかですね」
マリーネの瞳に、邪悪な光が宿る。
「あの小娘の心が折れるまで、徹底的に追い込みましょう。民衆の支持を失い、孤立した時こそ、我々の真の狙いを達成する時です」
アンドレアスは薄く笑った。
「その通りだ。策は、まだ始まったばかりだからな」
その夜、セラフィナは一人、教会の奥の小さな部屋で機械的に膝をついていた。虚ろな表情のまま、口だけが無感情に動いている。
調整により感情が抑制された彼女の心の奥底では、わずかに残った本来の感情の残滓が微かに蠢いていた。しかし、その僅かな動きもすぐにマリーネによって植え付けられた強制的な思考制御によって抑え込まれる。
「私は…指示に従うだけ…」
セラフィナの声は、まるで人形のように機械的で空虚に部屋に響いた。
同じ頃、ノワールは自室で魔法の研究に没頭していた。自分の才能と計画の完璧さに酔いしれながら、ガスパールや他の連中を内心で見下している。自信家特有の傲慢さが、彼の思考を支配していた。
「愚かな連中だ。ガスパールは脳筋、セラフィナは操り人形。だが、それゆえに操りやすい。この計画の前では、あのフェリシアとやらも無力だろう」
自身の策略能力への過剰な自信が、ノワールの唇に皮肉めいた笑みを浮かばせる。他者を見下すことで得られる優越感が、彼の内なる快楽となっていた。しかし、その自信の根拠は思い込みに過ぎない。
そして、王宮の一室では、ガスパールが明日の活動に向けて剣を磨いていた。彼の心は、純粋な使命感と野心で満たされている。
「俺こそが正統な勇者だ。偽物の化けの皮を剥がし、王国に真の平和をもたらしてみせる!」
三者三様の思惑を抱えながら、偽勇者パーティは着実にその影響力を拡大していく。
偽勇者の罠は、今まさに本格的に始動しようとしていた。




