第15話 暗躍する影、仕掛けられた協力者たち
第15話 暗躍する影、仕掛けられた協力者たち
あの夜、ヴェンティ商会の応接室で悪魔の囁きとも思える提案を受けたカルロは、藁にもすがる思いでそれを受け入れた。
数日後、ドラーゲンは、カルロから預かったバロッサとの「共同採掘権」に関する契約書を、指でなぞりながら読んでいた。
「ふむ、これはまた古典的だが悪辣な罠だな。契約不履行時の違約金が、ありえないほど高額に設定されている。しかも、資材納入の期日に関する条文が、意図的に曖昧に書かれている。これでは、バロッサのさじ加減一つで、あんたは必ず契約不履行に陥る。見事なまでに、抜け道のない契約書だ」
「ええ…その通りです。私は、まんまと…」
悔しそうに顔を歪めるカルロに、ドラーゲンはニヤリと笑った。
「いや、抜け道はある。ここに、な」
ドラーゲンが指差したのは、契約書の付属条項、その一番下の、蠅ほども小さい文字で書かれた一文だった。
「『本契約の不履行に関する係争が生じた場合、その裁定は王国の"商業ギルド法"ではなく、古来より伝わる"商人間の相互慣習法"に準ずる』…とある。バロッサの奴、より古い法律で縛ることで、現代的な救済措置から逃れ、あんたを逃げられなくしたつもりだろうが、これが奴の命取りだ」
ドラーゲンは、どこからともなく取り出した一冊の古びた本を開く。それは、ドラーゲンが東方の旅で手に入れた、セレスティナの古い法律書の一つだった。
「この"商人間の相互慣習法"には、こうも書かれている。『共同事業において、一方の不利益となるような"意図的な妨害工作"が認められた場合、契約は白紙に戻し、被害者は加害者に対し、投資額の三倍の賠償を請求できる』とな。要は、あんたが嵌められたという証拠さえあれば、借金どころか、逆に大金を取り返せるのさ」
さらにドラーゲンは、懐から数枚の羊皮紙を取り出す。
「これは、あんたから話を聞いた後、この数日間で私が調べた、バロッサの別の取引における物資横流しの記録だ。これを交渉材料にしろ。そして、バロッサの妨害工作の証拠も、いくつか心当たりがあるんだろう? それらを突きつければ、あの強欲商人も黙るだろうさ」
カルロは、目から鱗が落ちる思いだった。絶望的な状況からの逆転の道筋が見えたのだ。彼はドラーゲンに対し、心の底からの感謝を述べ、貴族へのコネクションを提供することを快諾した。
その日の午後、カルロはドラーゲンの助言と証拠を手に、バロッサの事務所に乗り込んだ。最初はいつものように脅しつけてきたバロッサも、カルロが突きつけた「古の法律」の条文と「横流しの証拠」の前では顔色を変え、しぶしぶ契約の破棄と違約金の帳消しに応じるしかなかった。彼は「一体どこの入れ知恵だ…?」と不審がったが、ドラーゲンという影の存在には気づく由もなかった。
カルロの手引きにより、ドラーゲンは北部国境域を治める貴族、アルマン伯爵の邸宅を訪れていた。
書斎に通された私を見て、銀髪の思慮深き伯爵はその異様な風体に僅かに眉をひそめた。
「君がカルロを救ったという、フェリシア殿の協力者か。東方の出身と聞いているが…」
「ああ、東方で長く暮らしていたのは事実だ」ドラーゲンはあっさりと頷いた。「だが、生まれは魔王領でな。訳あって今はただの風来坊だが、元の所属を考えれば、貴殿から見れば敵ということになるか?」
その言葉に、伯爵は少し驚いた表情を見せたが、やがて静かに首を振った。
「いや…君がカルロを救い、フェリシア殿に協力しているのならば、今は生まれなど問うまい。それに、君からは魔王軍の者たちが持つような、無闇な覇気は感じられん」
伯爵はドラーゲンに席を勧めると、話を切り出した。
「それで、宰相閣下から、何か妙な動きはないか、だったな。…君のような元魔王領の人間がそれを気にするとは、興味深い」
アルマン伯爵は、ドラーゲンがこの地の事情にある程度通じていると判断し、この地域の歪んだ常識から説明を始めた。
「我らセレスティナ王国と、北の魔王領ノクテルヴァルトとの間には、忌まわしい宿命がある。かつて神々の代理戦争が繰り広げられた名残りでな。一定周期で、勇者と魔王という特別な力を持つ者が生まれるのだ。その名も、今や…」
伯爵は自嘲気味に息を吐く。
「『面倒な役割』『国策のための道具』だ。尊崇など、とうの昔に消え失せた。歴代の勇者と魔王は、ほぼ相打ちになるか、どちらかが勝ってもすぐに新たな敵が現れるかの繰り返し。もはや彼らは英雄ではなく、『消耗品』として扱われているのが、この地の悲しい現実だよ」
ドラーゲンはその言葉を黙って聞きながら、核心に切り込んだ。
「では、宰相閣下は、その"道具"を使って、何かを狙っておられると?」
「いかにも」伯爵の声に、強い批判の色がこもる。「宰相閣下…いや、王国上層部は、魔王領が産出する豊富な鉱物資源を渇望しておる。そのために、勇者という"兵器"を使って、戦争の口実を作ろうとしているのだ」
「ふん、分かりやすい話だ。そして、それは魔王領側も同じことよ」ドラーゲンは、自らが当事者であることを隠さずに語る。「ナーナのような連中は、セレスティナの肥沃な穀倉地帯が喉から手が出るほど欲しい。そのために、魔王という"兵器"を担ぎ出そうと躍起になっている。両国の指導者たちが、互いの喉元に刃を突きつけ合っているというわけさ」
「まさにその通りだ」アルマン伯爵は深く頷いた。「そんな折、宰相閣下から公式な命令書が届いた。『勇者の動向を探る特別部隊を派遣するゆえ、全面的に協力せよ』と。彼女はこの地の治安維持に多大な貢献をしてくれている。それを、まるで罪人のように探れとは…解せぬ」
さらに数日後、再びアルマン伯爵の書斎。
「君の言う通りだった」伯爵は苦々しい表情で報告する。「例の部隊は正規軍ではない。宰相の私兵に近い傭兵団だ。さらに、宰相は魔王領の誰かと、極秘の通信で連絡を取り合っているようだ」
「なるほど…魔王領の誰か、か。おそらく、和平を快く思わぬ、性急な手合いでしょうな」
ドラーゲンは伯爵にはそう言ってぼかしたが、内心では確信していた。
(魔王領で、宰相と内通してまで勇者を排除したがるような手合いは一人しかおらん。補佐官のナーナ・シュトラーセ。奴が動かす駒は…功名心に飢えた脳筋、ザガト・ブローディアで決まりだな。奴らの狙いは明白だ。勇者フェリシアを襲わせ、勝っても負けても王国側が戦争を仕掛ける口実を作る。ザガトが勝てば『勇者を殺された』と王国が激怒し、ザガトが負ければ『魔王軍に襲われた』として同じく戦争の大義名分を得る。どちらに転んでも、アンドレアスとナーナの思惑通り、両国は全面戦争に突入する仕組みか。実に巧妙な…いや、実に愚かな策だ)
【視点切り替え:ドラーゲン → グレイウォル】
その頃、魔王領の首都シャッテンシュタットの魔王城では——
グレイウォルは魔王ヴァルブルガ様に仕える狼獣人の将軍だ。先代魔王の時代から仕える武人で、魔王様からは密かに「余の癒し係」などと呼ばれているという噂がある。本人としては少々困惑しているが、武人としての誇りと魔王様への忠誠を第一に、魔王領の安寧を守ることが彼の使命だ。
だが今夜、グレイウォルは複雑な心境でいた。夜の闇に紛れ、魔王城の奥深くで、ある男と極秘裏に面会しているからだ。その男は——かつてグレイウォルの命を救ってくれた恩人でもある。
「久しぶりだな、グレイウォル将軍」
「ドラーゲン…何の用だ。貴様は追放された身のはず」
厳格な狼獣人の将軍は、呼び捨てにしながらも警戒を隠さない。
「単刀直入に言う。今、ザガトが勇者フェリシアを襲っている。魔王様の許可は得ているのか?」
「なっ…!?」
グレイウォルの目に動揺が走る。
「ありえん!魔王様はセレスティナとの無用な争いを避けるよう、厳命されている!ザガトめ、独断で…!」
グレイウォルは、ザガトがフェリシアを襲撃中であると聞き、即座に事の重大さを理解した。
「もし、奴が勇者に手を出したとなれば…勝っても負けても、王国との全面戦争の口実を与えかねん!取り返しのつかないことになるぞ!」
「さて、どうかな」
ドラーゲンは、月明かりの下で不敵に笑う。
「ドラーゲンの弟子は、そうやすやすとやられるタマじゃないんでね」
「弟子だと…!?貴様、一体何を企んでいる!」
グレイウォルの詰問にも、ドラーゲンは答えず、ただ静かに影の中へと消えていった。




