3-9 地縁の鎖(3)反乱
校門で待っていた若者たちに付いていくと、3階の奥の教室に案内された。
そこには、20人ほどの老若男女が集まっていた。
若い男女、中年の男女、そして高齢の男女。それぞれの班の中でも、「今のままではいけない」と考えている改革派だという。
「私たちは、これ以上、松尾会長たちの横暴を許せません。体制を変えることを望んでいる仲間は、他に何人もおります。どうか相談に乗って、知恵を貸していただけませんか」
一人の中年の男性が、丁寧に頭を下げた。クマさんと呼ばれるこの男性は、災害前は補習塾を開いていて、今も子供たちの勉強を見ているという。
「こんなすげぇアプリを作れるんなら、他にもいろんなことを知ってるんじゃないかと思ってさ。あいつらの好き勝手を止めたいんだ。頼むよ!」
魔物探知アプリを渡した若い男性──若手の男女に慕われているシンちゃんも、その他の人々も一緒になって頭を下げる。
俺たちは顔を見合わせた。本人たちのやる気があるなら、いくらでも支援はできる。
「もちろんです。まず、前提として知っていただきたいことがあるんです。これを見てください」
俺の言葉に、レオさんが資料を配り始める。掲示板サイトの『集団心理と権力構造の危険性』の抜粋版だ。だが、チラッと資料を見るが、みんなはあまり興味無さそうだ。
「ねぇねぇ。昨日、渡したアプリは使えそ?」
陽菜乃ちゃんが明るく聞くと、何人かが頷いた。
「うん。魔物の位置がわかるようになって、物資調達が少し楽になりそうだよ。これから、周囲のモノリスも計画的に壊していくつもりなんだ」
「良かった~。じゃあ、まずは集団心理の話を聞いてくれる? 私も知らないことが多かったけど、めっちゃ大切な知識だなって思ったんだよ~」
陽菜乃ちゃんのアシストに感謝して、俺は資料を指さしながら説明を始めた。
「人間は、環境によって変わります。権力を持つと、誰でも変わってしまう可能性があるんです。これは、心理学の実験でも証明されています」
スタンフォード監獄実験の話。ミルグラム実験の話。そして、要注意人物のパターン。
みんな、途中からは真剣な表情で聞くようになった。
「このコミュニティの問題点は、自治会長たちの独裁です。でも……」
俺は、一呼吸置いた。反発されるかもしれないが避けては通れない指摘だ。
「それを許してきた、避難者全員にも責任があります」
空気が、ピリッとした。
「ちょっと待ってください!」
中年の女性が立ち上がる。彼女は看護師の資格を持っているというミカさんだ。
「私たちだって、しょうがなかったのよ。あなたたちにはわからないかもしれないけど、親の恩もあるし、村八分にされたら生きていけないし……」
「そうなんです。思うところがあっても、逆らったらこの辺では生きていけません」
塾経営者のクマさんも、視線を落としたまま発言する。
田村さんが、みんなを見渡してから穏やかに言う。
「わかります。集団心理に流されるのは、人間という生物としては、しょうがないところもあります。生存本能の1つの知恵でもありますから」
俺も頷く。前世の俺は、不満ばかりで自分を被害者としか思っていなかった。彼らと同じだ。
「俺も、以前、同じ経験をしました。不正を見ても、暴力を見ても、何もできなかった。でもそれは、傍観者として加害に加担していたことに、今になって気付いたんです」
看護師のミカさんが、ハッとした顔になる。
「この中の参考事例に、ラタネとダーリーという社会心理学者が行った実験があります。個室での討論中に、参加者の一人がてんかん発作を起こす演技をし、助けようとする人を観察した実験です。結果は、二人で討論していた時は全員がその相手の演技者を助けようとしました。ですが、6人グループになると助けようとする人は38%に減少したんです」
「え……そんなに薄情になるんですか?」
「えぇ、 『自分が助けなくても、他の誰かが助けるだろう』 と考える傍観者効果が生じていると言われています。これも集団心理の1つです」
反論していたミカさんとクマさんが、少しバツが悪そうな表情になった。
「先ほど説明したタイプFの「被害者支配型」を思い出してください。このタイプは被害者の立場を利用して特権を要求するような要注意人物です。心理的背景には、自分を被害者だと考えて、「だから自分は悪くない」と思うことで自分の正当性の根拠にするため、要求が過剰になるのです。「だから自分は悪くない」の「だから」というのがやっかいな心理です」
俺の説明をレオさんがわかりやすく例えてくれる。
「民族紛争で、よくありますよね。ある集団が「我々は長年抑圧されてきた」と主張して、暴力や差別を 『正義の回復』 として正当化してしまう。時には、やられたことの何十倍もの報復をしてしまうこともあります」
「もしも、皆さんの中にこの「自分は悪くない」という気持ちがあるとしたら、これからは変わっていただきたいのです。集団心理の知識を持って、自分を疑い続けてほしい。俺も、そうやって変わろうとしています」
ミカさんが、ゆっくりと座る。
「……ごめんなさい」
「謝る必要はありませんよ。ただ、自治会長たちを変えるだけではなく、自分たちも変わらないといけないということを知ってほしかったのです。これから一緒に変えていきましょう」
レオさんが資料の別のページを開く。
「それでは、実際の対処方法の話に移りますね。自治会長たちは、タイプCのカリスマ独裁型とタイプIの過去の栄光型の複合型だと考えられます。その場合の対処方法は……」
高齢の女性が、手をあげて発言する。タエコさんは、女性班の副班長をしているという落ち着いた女性だ。班長は松尾会長の妻だが、全く何もしないので、実際の仕事は全てタエコさんがしているという。
「いいえ、あの人たちは、タイプAの法律盾型に一番近いと思います。やたらと細かいことに詳しくて、『条例では』って言って、すぐに私たちの意見を潰すんです」
「そうですか、それはやり返しやすいですね。では、ケーススタディをして、対抗策を練りましょう。今まで言われたことを教えてください」
陽菜乃ちゃんがニコニコとタブレットを振って見せる。
「憲法とか、災害救助法とか、この市の条例とか。ちゃーんと調べてきたよ~ん!」
それから2時間ほど、具体的な対応策を話し合った。
持ってきた物資の説明もした。調味料、子供たちへのお菓子、熱中症対策品など、最低限だがとても喜んでもらえた。
「この支援物資を自治会長たちに持って行って、話し合いを始めましょう。占有しようとしたり、もっとよこせと言い出した時の対応は、もうバッチリですよね?」
そう笑顔で話していた時だった。
ドアが勢いよく開いた。
「お前たち、誰の許可で集まってるんだっ!」
松尾自治会長の怒鳴り声が、3階の廊下に響き渡った。
相沢、井上の二人も一緒だった。
「許可ですか?」
塾経営者のクマさんが、資料を手に立ち上がる。
「会長、憲法第21条をご存知ですか? 集会の自由は、国民の基本的人権として保障されています。私たちが話し合うのに、あなたの許可は必要ありませんよ」
松尾の顔が赤くなる。
「屁理屈を言うな! ここは俺たちが管理している避難所だ!」
「いいえ」
20代の若い女性──ジュリちゃんは大学3年生で、若手女性のまとめ役だ──が、資料を胸に抱えて立ち上がる。
「災害救助法では、食料と生活必需品の公平な配給が義務付けられています。この避難所は、災害救助法に基づいて運営されている公的な施設です。会長たちの私物ではありません!」
「な、何を……」
相沢が動揺する。
もう一人の若い女性──サナちゃんはジュリちゃんの親友で、実家の美容室を手伝っていた──が大きな声で続ける。
「会長たちは、自分たちだけ特別な食事を独占して、うちら女性や若者にきつすぎる労働を無理やりさせてます。これは、避難所責任者としての義務違反です!」
「黙れ! 女のくせにでしゃばるな!」
松尾が怒鳴った。
その瞬間、高齢男性がゆっくりと立ち上がる。このヒデノリさんは70代で松尾たちの先輩にあたるが、松尾の父親に世話になったので強く言えなかったそうだ。
「松尾さん」
静かだが、よく通る声だった。
「刑法第231条をご存知ですか? 侮辱罪です。2022年の法改正で厳罰化されました」
「は?」
「災害救助法に基づいて運営されている公的な避難所で、性別を理由に人を罵倒する。これは、公務の妨害にもあたります。警察に通報すれば、刑事責任を追及できますよ」
高齢男性は、じっと松尾を見つめながら穏やかに発言した。
「時代は変わったんですよ、松尾さん」
井上が嘲笑する。
「はははっ、警察だと? 呼べるなら呼んでみろ! どうせ来やしないんだよっ!」
「そうだ、そうだ! まさかヒデさん、こいつらの味方なのか? がははっ」
相沢も一緒になって笑う。
「なるほど、警察が来ないなら、誰にも止められねぇってことだよなぁ~」
若手リーダーのシンちゃんが、拳を握りながらゆっくりと前に出ていく。
「だよね~。シンちゃんやっちゃう?」
もう一人、ガタイのいい若手の男性が、拳を手のひらに叩きつける。
パンッ。
「警察は来ない」
パンッ。
「行方不明者が出ても、誰にもどうしようもない」
パンッ、パンッ。
他の若者たちも、拳を鳴らす。
松尾会長たちの顔が、みるみる青ざめていく。
「お、おい……」
松尾が下がると、他の二人も一緒に後ずさる。
「お、お、お前ら、お、俺が世話してやったことを忘れたのか」
茶髪の若い男性が前に出る。
「ああ、覚えてますよ。俺のばぁちゃんを介護施設に入れる時、松尾会長が口を利いてくれたことがありましたよねぇ」
「そ、そうだ! 恩を忘れるな!」
「でもねぇ……」
若い男性の目が、冷たくなる。
「お礼に50万よこせって言って、紹介料を取っていったよな?」
「し、知らん! そんなことは知らん!」
「へぇー知らないんだぁ?」
若い男性が、にやりと笑う。
「なら、俺も知らねぇな。施設入所の口を利いてもらったことなんかさぁ~」
「き、貴様……!」
松尾が拳を振り上げる。
だが、若者たちが一歩前に出ると、その手は止まった。
「会長、俺の仲間は3人死んだんです」
シンちゃんが、静かに言う。
「会長たちの命令で魔物と戦ってね。あんたたちは、一度も物資調達に行ってない。俺たちばかり、危険な目に遭わせて……もう、おれら限界なんすよ」
相沢会長が、松尾会長の後ろから喚き散らす。
「お前らのためにやってやったんだ! 感謝しろ!」
「おれらのためねぇ~はい、はい」
若い男性たちが、冷たく笑う。
「ちゃーんと感謝してますよ。でもなぁ、これ以上はもう許せねんだよっ!!」
井上が一人で、逃げるようにドアに向かう。
「お、俺はもう知らん! お前らで勝手にやれ!」
松尾と相沢も、後に続こうとしたその時、ドアが外から開いた。
「失礼します。市役所地域福祉課の榊原です」
汚れたスーツ姿の男性が入ってきた。昨日、倉庫で会った市職員だ。顔色は相変わらず悪いが、目には強い意志が宿っている。今日はネクタイも着用し、髪もきちんと整えていた。そばには、午前中の打合せに参加していた中年の男女が付き添っている。
「榊原! お前、勝手に出歩くなと言っただろう! 倉庫の整理は終わったのか?」
松尾が怒鳴る。
「車の鍵を返してください」
榊原さんが、静かに手を差し出す。
「私の車に、ガソリンと称して水を入れましたね。これは器物損壊罪です。そして、私を不当に拘束したことは監禁罪にあたります」
「お前まで……な、何を言ってるんだ!」
相沢が狼狽える。
「会長、あなたに私の勤務を命じる権限はありません。私がここに立ち寄ったのは、市長の正式な職務命令と、市の業務継続計画に基づいた情報収集のためです」
「だから公僕なんだろ? 貴様が家族のところへ帰っている暇などないわ!」
松尾が詰め寄って睨みつけるが、榊原さんは一歩も引かなかった。
「会長。あなたの言う 『公僕』 という言葉は、人権無視の免罪符ではありません。私は地方公務員という労働者であり、家族の安否確認は公務員である以前に、人としての義務です」
「ぐっ……」
松尾が言葉に詰まる。
「さらに言えば、まぁ、機能しているかはわかりませんが、私には市の災害対策本部に、この避難所の実態を報告する義務があります。物資の不公平な配分、特定グループへの労働強要、そして公務員の不当な拘束。全て記録しています」
榊原さんが胸ポケットからだした手帳を見て、会長たちが息をのむ。
井上は青ざめて、そそくさとドアから出て行った。保身だけは早い男だ。
相沢は松尾の後ろで、おどおどと様子を伺っている。典型的な追従型だ。
ずっと見守っていた大人しそうな中年男性が、震える声で前に出た。
「会長……俺の息子も青年班で……目の前で親友を失ってるんだ。夜も安眠できずにうなされてる。食事だって俺より食べられなくなって瘦せ細っている。俺たちが若手だけに危険なことを押し付けていたから……俺は、自分が恥ずかしい」
男性の目から涙がこぼれる。
別の中年男性も、何かを決意したように進み出る。
「確かに、あんたには就職の世話をしてもらった。でも……もうやめてくれ。恩を返せ、恩を返せって、いつまで続けるんだよ。何十年も言われ続けてるこっちの身にもなってくれ」
松尾が激昂する。
「うるさい! お前の親父の葬式の時、誰が取り仕切ってやったと思ってる!」
「覚えてます。でも会長、それは30年前の話だ」
看護師のミカさんが前に出る。
「会長、これからは『相談役』として、あなたの経験と知識を貸してください。決定権は、全年齢・男女の代表による合議制にします」
「相談役だと……?」
松尾の顔が真っ赤になる。
「馬鹿にするな! 俺がいなければ、この避難所はダメになるぞ!」
会長の先輩でもあるヒデノリさんが、ゆっくりと松尾に近づき、そっと肩に手を置いた。
「会長、あなたの経験は必要だ。いつも、一生懸命にみんなのために頑張っていたことも知っている。ただ、やり方を変える時が来たんですよ」
穏やかだが、力強い声だった。
「時代は変わった。わしらだけじゃなく、あんたらの時代も、もう終わりです」
松尾が周囲を見回す。誰一人、彼の味方はいない。相沢すら、目を合わせようとしない。
しばらくの沈黙の後、松尾の肩が落ちた。
「はっ……わかったよ」
苦々しい表情で続ける。
「だがな、合議制とやらがうまくいかなかったら、また俺がやるからな」
改心したわけではないが、状況を受け入れざるを得ないことは理解したようだ。
若手リーダーのシンちゃんが冷たく笑う。
「それは、その時に考えますよ」
「ふんっ、どうせ上手くいきっこねぇ。その時はちゃんと頭下げてお願いしに来いよ」
その捨て台詞に、中年以上の人たちは苦笑しているが、若者たちの目はまだ怒りに燃えていた。だが、暴力に訴えることなく、ひとまず収まった。
塾経営者のクマさんが、明るい声で言った。
「明日の朝、全員を体育館に集めて、新しい体制について話し合いましょう。前から女性班で考えていた透明性のある物資管理も、その時に議題にあげたらいいかもしれませんね」
「神崎さんたちにもらった資料も、みんなで少しずつ勉強しましょう。これはとても大切な話だし、子供たちにも教えていかないといけないわ」
幼稚園の先生をしていたという中年女性が、集団心理の資料を掲げる。
看護師のミカさんも、スッキリとした明るい笑顔でうなずく。
「私たちも、加害者にならないように、変わっていきましょうね」
帰りの車の中。
「あの若者たち……限界だったんだな。本当にギリギリのタイミングだったよ」
田村さんがハンドルを握りながら呟く。
「でも、集団心理の資料が効果的でしたね。知識は確かに力になります」
レオさんがタブレットを見ながら言う。今日の話し合いは、全て録画していたようだ。
「桐島ママ、さっすが~! あの分析のおかげだよね」
陽菜乃ちゃんが、ヘッドセット越しに桐島博士を褒める。
『いえ、皆さんの行動力があってこそです。それより、ウイルス感染者の検体は必ず冷暗所に保管してください。とても貴重なサンプルです』
博士の声が少し硬い。
「了解です。ちゃんと管理して持ち帰ります」
あれから、保健室に案内され、2週間前に魔物に噛まれてから高熱が続いていると言う男性の診療を頼まれた。すぐに、桐島博士に遠隔診療してもらったが、原因が特定できないため、症状緩和の薬しか渡せなかった。だが、その男性の血液や唾液、患部の組織などを採らせてもらい、今、レオさんが抱える小型のクーラーボックスに保管されているのだ。
その後も、桐島博士は、40人近くの避難者の遠隔診療を行っていた。手足となるレオさんも大変そうだったが、みんなの不安そうな顔に途中で打ち切ることはできなかった。テキパキとみんなを捌いてくれるミカさんがいなかったらパンクしていたかもしれない。この辺は、今後の方針をきちんと決めるべきだろう。
お返しにと、サナさんたちが俺たち4人の髪のカットと頭皮マッサージをしてくれた。すごくサッパリして、こういった交流もありだと考えさせられた。
物資、情報、技術。
それぞれに、持っている人と必要としている人がいるはずだ。
このマッチングができるようになるとよいのだが。これも今後の課題だな。
「明日は島へ帰れると思っていたんだがなぁ……はぁ」
田村さんが小さくため息をつく。
「でも、明日は榊原さんを家まで送らないと。あの人、避難所の人には送られたくないって断ってましたから。俺たちと同じように、家の場所を知られたくないんでしょうね」
榊原さんの家は、かなり山奥で、お寺を中心とした小さな集落らしい。
日本昔話みたいな場所ですよと笑っていたので、少し楽しみではある。
「あぁ~、私も早く島に帰りたい~。莉子ちゃんと悠真君に会いたいよぉ」
「島を離れてまだ3日ですけどね。やはり、本土より島の方が落ち着きますね」
「あの二人のケンカ声が懐かしいよ。帰るまでに、なんか二人が喜びそうな土産を見つけねぇとな」
みんなの言葉に、俺は嬉しくなった。
いつの間にか、島がみんなの帰る家になっている。
そして、みんなが、仲間から家族になり始めているのを感じた。
ニヤニヤしながら明日も頑張ろうと考えていた俺は、日本昔話が異世界レベルだということを、この時はまだ知らなかった。
いつもいつも文字数多めですみません。
次回の異世界日本昔話は、陽菜乃ちゃんナビゲートでお送りする予定です!




