3-7 地縁の鎖(1)抑圧
小学校編は3部構成になります。ストレスフリーで読みたい方は、残り2話をお待ちいただいてまとめてお読みください。
老人ホームを後にして6人の遺体を海で弔った翌日、俺たちは小学校に向かっていた。
昨日の田中さんたちの穏やかな笑顔が、まだ心に残っている。今日も爽やかな海風を感じながら楽しくお茶を飲んでいるのだろうか。できれば、また訪問したい場所だった。
「神崎さん、あれ見てよ~!」
陽菜乃ちゃんが窓の外を指差す。
山道から見下ろす小学校の運動場に、椅子で作られた大きな文字が見えた。
『タバコ』『酒』
「衛星画像で見た通りだな。ふざけてるぜ」
田村さんが低い声で呟く。
「女性や子供もいるはずなんだけど、行きたくないなぁ~」
「ですが、SOSという文字から、これに変わったということは……」
レオさんの言葉に、俺も嫌な予感しかしない。
小学校の手前で車を停め、相手を刺激しないように、ゴーグルとマスクは外す。内ポケットのグロックを確認してから、鎖で閉鎖されている校門へと4人で向かった。
フェンス越しに見える小学校の敷地内は、火山灰がきれいに片付けられており、人手は十分そうな印象を受ける。椅子文字周辺以外のグラウンドは、畑まで作られている。水桶とジョウロや園芸スコップがきれいに並べられているが、芽は出ていないようだ。
校舎のガラスもそれなりにキレイにされていて、生存者の存在を感じさせる。モノリスは無かったようで、フェンスに囲まれた敷地内には魔物もいないようだ。
車の音で気づいたのか、校舎の窓から何人かが顔をだして、こちらを見ている。身を乗り出して手を振る子供を、母親らしき人が慌てて押さえている姿が見えた。
偵察ドローンで確認した時も、ここは老若男女、それなりの人数がいるコミュニティのようだったが、賑やかそうだなと俺もつい笑ってしまった。
数名の中年男性が校舎から出てきて、ナイフや包丁を構えながら近寄ってきた。昨日と同じように 「この地域の安全確認をしている民間人で、多少なら物資を渡せる」 と、控えめに自己紹介をする。
先に、野菜の種や、農具の鍬や鎌を校門越しに渡した。衛星写真やドローンから判断して用意してきたものだが、男性たちは目を見開いて嬉しそうな顔をし、それらを抱えて建物の中に戻っていった。
10分後に戻ってきて、責任者の所へ案内してもらえることになった。だが、男性たちからさっきの笑顔が消え、疲れた顔になっていた。
校舎に入ると、昨日の老人ホームとは、明らかに雰囲気が違った。
子供たちの賑やかな声を予想していたが、思いのほか静まり返っている。人の気配がなく、何となく重苦しい空気を感じる。
校長室の前に着くと、中から怒鳴り声が聞こえてきた。
「おい、もっと早く動け!」
「お前らは黙ってろ! 余計な口出しすんじゃねぇ!」
俺たちは顔を見合わせた。
「慎重にいきましょう」
片耳のヘッドセット越しに聞こえるレオさんの小さな囁き声に、全員が頷く。
案内してくれた男性が扉を開けると、顔を伏せた数人の中年女性が出ていく。そして中には3人の男性がソファに座っていた。60代から70代くらいだろうか。全員が腕を組んで、値踏みするような目でこちらを見ている。
「やっと、国の支援が来たのか? 遅すぎるだろ!」
真ん中の男性が、開口一番そう言った。
「あの、彼らは民間人で——」
案内してくれた男性が説明しようとすると、遮られた。
「細かいことはいいから、物資を出せ。酒とタバコは持ってきたか? コーヒーはあるか?」
左側の男性が、当然のように要求してくる。
「多少の医薬品や日用品は用意していますが——」
「薬より酒だ酒。ストレス溜まってんだよ、こっちは! ったく、気が利かねぇなぁ」
右側の男性が割り込んでくる。
田村さんが、少し声のトーンを落として話しかける。
「あなた方が、責任者ですか?」
「そうだ。俺たちはこの地区の自治会長をしている。俺は松尾、こっちが相沢、そっちが井上だ。この避難所を仕切ってる」
真ん中の松尾という男性が、胸を張って答えた。
「このご時世、若い奴らは頼りにならねぇからな。俺たちがしっかり仕切らないと、すぐにぐちゃぐちゃになるんだよ」
昨日訪問した老人ホームの高瀬さんと違って、この3人からは謙虚さが全く感じられなかった。ここまでの短い会話でも不快感しか感じず、陽菜乃ちゃんは露骨に嫌そうな顔をしている。
「あー、ところで、発電機や燃料はありますか?」
田村さんが、穏やかに確認する。
「ああ、非常用のがある。軽油を物質化したいって奴がいたから、俺が許可してやったんだ」
相沢が得意げに答える。
「それなら、これをお渡しします」
田村さんがスマホを2台取り出した。
「魔物探知とモノリス探知のアプリが入ってます。モノリスというのは——」
「へぇ、便利そうじゃねぇか。もう10台よこしてもらおうか。ここには200人以上いるんだよ。役に立たねぇ女子供が多くて、こっちは大変なんだ」
井上が、ふんぞり返ったままスマホを受け取ろうとする。
「えーっと、じゃあ、使い方を説明するね~。ここのボタンを押すと——」
陽菜乃ちゃんが横から説明しようとした瞬間、松尾が大きな声をだした。
「小娘に何がわかるんだ。でしゃばんな、黙ってろ!」
「いえ、このアプリに一番詳しいのは、橘なんですよ」
「はぁ? そんなわけねぇだろ。最近の若いのは、女をチヤホヤするから、すぐ女が付けあがるんだよ。口だけで、何もできねぇくせに」
陽菜乃ちゃんの表情が、一瞬で変わった。
「じゃあ、そのアプリは使わないで。役に立たねぇ女子供の私が開発したんだからね! 役に立つあんた達でアプリ作ったらいいじゃん」
陽菜乃ちゃんが田村さんからスマホを取り上げて、アプリにロックをかけ、プイッと顔を背けた。
「開発者の許可が出ないなら、渡せねぇな」
田村さんが、すっとスマホを胸ポケットに引っ込めた。
「は? 何言ってんだ? よこせよ」
松尾が立ち上がって手を伸ばすが、田村さんは動じない。
その時、校長室の扉が開いて、若い男性たちの声が聞こえた。
「自治会長が、便利なアプリを作ってくれるんですよね?」
「さすがだな。これで魔物も怖くねぇよなぁ」
「俺たち青年班だけじゃなくて、中堅班でも高齢班でも物資調達にいけるようになりますねぇ、松尾会長」
若い20~30代の男性が、7~8人、扉を開けて入ってきて、自治会長たちを睨みつけている。全員が、泥や血で汚れた作業服を着ていた。
「アプリってなんだよ、俺は知らねぇよ」
松尾が狼狽する。
「お前が作ったんなら、最初っからそう言えよ。紛らわしいんだよっ!」
井上が陽菜乃ちゃんに向かって文句を言いだした。
「もういい、好きにしろ」
そう言い捨てて、3人は校長室を出て行った。
男性たちが、俺たちの周りに集まってくる。
「すみません、いつもああなんです……」
一人の男性が、申し訳なさそうに頭を下げる。
「マジ老害だよ! アプリの使い方、教えるからね~」
陽菜乃ちゃんが、すぐに笑顔に戻ってアプリのロックを外す。
「このアプリ、周囲にいる魔物を教えてくれるんだよ。でもね、戦闘態勢に入ってる魔物しか探知できないから、先にモノリスを——」
陽菜乃ちゃんの説明を、若い男性たちが真剣に聞いている。
「これ、すごいですね……モノリスなんて初めて聞きました」
「君たちはどうやって魔物と戦っているんだ? 塩は使っているのか?」
田村さんの言葉に、男性たちは 「塩?」 と聞き返してぽかんとしていた。
どうやら、このコミュニティには全く何の情報も入っていないようだ。ステラネットやアマチュア無線がないのだろう。
「あのな、すばしっこい黒い犬みたいな魔物がいるだろ? あいつらは塩に弱いんだ。そのナイフや包丁に塩水を付けて刺せば、一瞬で倒せる」
「えっ……いつもみんなで囲んで、倒れるまでひたすら刺してました」
「それから、人型の魔物は眉間の第三の眼が弱点だ。だが、長い爪には麻痺毒があるし──」
田村さんの説明に、男性たちは頷きながら真剣に聞いている。
「何人も、死にました。その情報やこのアプリがあれば……」
「航太さんが死んだときだって、匡洋が死んだときだって、あいつら文句しか言わなくて、悔しくて……」
若い男性の目が潤んでいる。
「あの、自治会長さんたちは、どうしてあんなに……」
レオさんが言葉を濁しながら聞く。
若い男性たちは顔を見合わせた後、一人が小さな声で答えた。
「元々、この地域は地縁が深くて……自治会長たちは戦前は大地主の家で……」
「俺たちの祖父母や親世代は、みんなあの人たちに世話になったんです。就職も結婚も。俺の名前だって、松尾さんが付けたらしいです。この辺の住民は逆らえないんですよ」
「でも、でも……俺、もう限界なんです」
男性たちは、拳を握りしめている。
「毎日、物資調達に行かされて、魔物と戦わされて……俺たちばかり危険な目に」
「自治会長の仲間の息子は、同じ青年班や中堅班でも安全な敷地内で楽な仕事をさせて……」
「親の恩があるから我慢してきたけど、俺はもう……あいつらを……」
みんなの声が震えている。
俺は、状況の深刻さを理解し始めていた。
前世の大学の避難所ではわかりやすい武力が支配していたが、ここでは目に見えない力関係が支配している。そして、その関係は破綻寸前のようだった。
「わかりました。今日は、まず現状を確認させてください」
田村さんが、穏やかな落ち着いた声で言う。
男性たちが顔を上げて、すがるように俺たちを見る。
「俺たちも、あなた方と同じ民間人です。物資もたくさんお渡しできるわけではありません。ですが、なにか良い方法が無いか、部外者だからこそできることを探してみます」
俺は、そう話して避難所内を案内してもらった。
校長室の隣の応接室を覗くと、自治会長たち専用だという豊富な物資と、きれいな寝具が積まれていた。
だが、教室や体育館は、段ボールやブルーシートの仕切り一枚で数家族が詰め込まれている。薄いマットに寝ころぶお年寄りもいる。子供たちはともかく、すれ違う大人はみんな疲れた顔をしていた。
「最初はみんな自宅から物資を持ち寄ったんです。みんな自宅が近いので」
若い男性が、案内しながら説明してくれる。
「でも、それももう底をついてきて......だから俺たち青年班が、毎日、町に出て探すしかないんです」
「毎日、魔物と戦いながら......」
別の男性が、拳を握りしめた。
給食室では、女性たちが休む暇なく炊事をしていた。
トントントンと、包丁の音が重なり合う。
大量の野菜を刻むグループ、肉や魚をさばくグループ。
屋外からは、薪が燃える音と煙の匂いが漂ってくる。
たまにおしゃべりや控えめな笑い声も聞こえるが、どの顔も疲れ切っている。
電気やガスが無い中で、200人以上の食事を、毎日3食用意するのだ。
それがどれだけ大変なことかは、前世で集団避難生活をしていた俺にはわかる。
「食料や調味料は、物質化とやらで十分にあるんですけど、ガスが使えないから煮炊きが大変なのよ」
「自治会長たちの分は、特別に作らないといけないんです。満足しないと作り直しさせられることもあるし、必ず一汁五菜が必要で」
数人の中年女性が、小声で教えてくれた。
「逆らったら、女性班で村八分にされます。自治会長の奥さんたちが目を光らせているんですよ。大根の面取りをしなかっただけで吊るしあげられて……」
「火山灰の掃除や、洗濯も全部、女性班の仕事にされてしまって。子供たちの面倒もみないといけないのに……」
「高齢男性班の人たちは、一日中、集まってお茶を飲んでるだけなんですよ。本人たちは会議って言うけど、ただしゃべって文句を言ってるだけ。私たちより、よっぽど元気なくせに」
「不公平すぎて、やってられないですよ。他の避難所に行こうかって、若手のいくつかの家族で話しているんです。あ、内緒にしてくださいね」
こちらはこちらで、鬱憤が溜まっているようだ。部外者の俺たちには言いやすいのか、本音をぶちまけてくれる人もいた。
陽菜乃ちゃんが、数人の女性を集めて詳しい話を聞いていた。
校舎の裏で、俺たちは一人の男性を見つけた。この男性の話を聞いてあげてほしいと、給食室の外まで追いかけてきた女性に頼まれたのだ。
40代くらいだろうか。やせ細り、目の下にクマができている。一人で倉庫整理をしているようだ。
「あの、大丈夫ですか?」
レオさんが声をかけると、男性はビクッと身を震わせた。
「私たちは部外者ですが、少しでもお役に立てればと。少しお話を」
男性は周囲を警戒してから、小さな声で必死に話し始めた。
「私も部外者なんです! 自宅に帰る途中で、状況確認のためにここに立ち寄っただけなのに、車を取り上げられて……」
「どうしてそんなことに?」
俺が聞くと、男性は唇を噛んだ。
「私は……市役所の職員なんです。それで、自治会長たちが 『公僕は市民のために働け』 と言って、僕を帰してくれないんです」
「それは軟禁では……」
「家族が、山奥の自宅で待ってるんです。息子が喘息で、薬を持って帰らないと……。最初は松尾会長が薬を見つけてくれると言っていたのですが、いつまでたっても見つからないし、もう、徒歩で帰ろうかと……」
男性の目には、絶望の色が浮かんでいた。
「ここの倉庫の屋根に 『求 クスリ』 と掲示しているのはあなたですか?」
「そうです、喘息の薬をお持ちですか?」
ここまで静観していた桐島博士から、ヘッドセットに通話が入った。
『神崎さん、薬を渡してはダメです。気道の状態を診ずに薬を出すのは危険です。喘息薬は発作の型によって作用が真逆になることがあります』
俺は、そのまま男性に伝えた。
「息子さんの発作の型を確認せずに、薬を渡すことはできません」
「大丈夫ですよ。いつも使っている薬の名前は知っています」
『薬の名前を知っていても、処方はできません。その薬が 『今の』 息子さんに合うとは限りません。気道の炎症が強いときに拡張薬を打てば、呼吸が止まることもあります』
医療に関する指示は、必ず、桐島博士に従うとみんなで決めていたので、もう一度、博士の言葉を伝える。
「申し訳ありませんが、お渡しすることはできません。明日、また来ますので、それまで待ってくださいませんか。ご自宅へお送りできるように自治会長にかけあってみますから」
「余所者のいうことなんて、あの人たちは聞いてくれませんよ」
男性の眼から光が消えた。頭を振ると、無言で倉庫の奥に消えていく。
その背中が、あまりにも小さく見えた。
「くそっ......これは犯罪だろっ」
田村さんが、小さく呟いた。
「明日、何とかしましょう」
俺は、その背中を見つめながら決意した。
帰り際、校門まで若い男性たちが見送りに来た。
「あの......今夜、俺たちで話し合います。もうみんな、我慢の限界なんです」
一人が、小声で言った。力強い目をしていた。
「このアプリ、女性班にいる俺の彼女にも入れるよう言います。それと、中堅班で理解ある人たちにも広めておきますよ」
「自治会長たちの目が届かないところで、こっそりやります。陽菜乃さん、接続ケーブルありがとうございました」
男性が、ケーブルを取り出して小さく振りながら笑った。そのケーブルで繋げば、スマホからスマホにアプリをコピーできるらしい。
若者たちの言葉は力強いが、膨らんで割れる寸前の風船のような危うさに不安を感じながら、俺たちは小学校を後にした。
車に乗り込んでから、しばらく誰も口を開かなかった。
「......ひどかったね」
陽菜乃ちゃんが、小さく呟く。
レオさんが、タブレットにメモを取りながら口を開いた。
「小学校コミュニティの問題点が見えてきましたね。まず、地縁による支配。次に、余所者の排除。それから、世代間格差。さらに、性別役割の固定化」
「うぇー、田舎の嫌なとこばっかり!」
「でも......」
俺は、ゆっくりと口を開いた。
「内部からの反逆と、外部からの客観性、そして第三者の支援。この3つが揃えば、変えられるかもしれません」
「内部からの......若者や女性たち、か」
田村さんが呟く。
「外部の客観性は、余所者のまともな意見」
レオさんが続ける。
「えっ! 第三者の支援って、うちらのこと?」
陽菜乃ちゃんが、目を丸くする。
「そうです。俺たちは、この地域の人間じゃない。恩もしがらみもない。だからこそ、できることがあるはずです」
俺は、鈍く曇った空を見上げて決意する。物資の援助には限界があるけど、俺たちにしかできない支援があるはずだ。
本土拠点での夜の会議。
今日見てきたことすべてを共有する。
ディスプレイの向こうで、桐島博士が資料を広げている。
『皆さんが今日感じた違和感......実は、それには明確なパターンがあるんです』
桐島博士からコミュニティのタイプ別にまとめた分析レポートを受け取り、その内容に俺たちは目を見張ることになるのだった。




