3-5 二つの世界
「あと2キロくらいか。まずはまっすぐ進むんだな?」
田村さんが、火山灰が積もる道を本土拠点へ向かって順調に進めていた。しばらく進むと、道路が完全に塞がれていた。大量の土砂と岩が崩れ落ちて、通行不可能な状態だ。
「土砂崩れか。これじゃ通れねぇな」
「ええ、そうなるように細工してありました。Uターンしたタイヤ跡を残して道を戻り、何度か交差点を曲がってからまた戻ってきてください」
「なるほど、最初から計画してたのか」
田村さんが車のタイヤ後の偽装のために走り回って、もう一度元の道に戻った時に、俺は次の指示を出した。
「あの蕎麦屋の駐車場に入ってください」
道沿いに潰れた蕎麦屋が見えてきた。看板は傾いているが、まだ「手打ち蕎麦」の文字が読める。
「本当に、ここに入るのか?」
「はい。ここからしか行けないんです」
田村さんが不思議そうに蕎麦屋の駐車場に車を入れて停める。
建物の裏側へと車を進めると、そこには裏山へと続く林道の入り口があった。
「ここで大切なのは、証拠隠滅です。皆さん、手伝ってくださいね」
俺は車を降りて、入口フェンスの南京錠と周辺を確認する。誰も触れた形跡はないし、周辺に足跡もタイヤの跡も無いようだ。
外の物置から箒を出して国道へ戻り、後ろ向きに歩きながら車のタイヤ跡を消していく。火山灰の上にクッキリと残った跡を、丁寧に均していく。レオさんも苦笑しながら手伝ってくれた。
その間に、田村さんはフェンスの先へと車を進め、同じようにフェンスから見えるあたりのタイヤ跡を、陽菜乃ちゃんと一緒に消していた。
「なるほどな。神崎君の用意周到さは本土でも健在なんだな、はははっ」
田村さんは楽しそうに笑っている。
「これはかなり面倒ですね。火山灰スイーパーの出力を調整して、自動で均すように改良してみましょうか」
「そだね~。毎回、これじゃ大変すぎるもん。監視カメラをつけてくれたら、この敷地内のタイヤ跡を解析して、その跡を自走するようにするよ~」
頼もしいレオさんと陽菜乃ちゃんのアイデアに、思わず俺は大きく安堵する。出入りのたびに偽装工作15分は辛すぎる。
少し狭い道を、田村さんが慎重にハンドルを切る。
「確かにこれは、本土拠点に繋がる道とは思えねぇな」
細い林道は曲がりくねって、一旦は本土拠点から離れた方向へと進む。途中、魔物に何度か遭遇したが、交戦せずにそのまま通り過ぎた。そして、10分ほど進んだところで、突然、上部に電気網が張り巡らされた3メートルの壁が現れた。
「この壁沿いの道を進むのか?」
「いえ、ここです。その左の窪みに車を停めてください」
俺が壁の一部に見える蓋を開けて、中のレバーを捻ると、ガコンという音と共に、塀に見えた部分がズレて、内側に開く扉になった。
「うお、ここも偽装扉かよっ! すげぇな」
「林道はこのまま山に続いてます。外から見ても、ここが入口だとは分かりません」
「表の入口は?」
「正門も裏門も、溶接して開かないようにしてあります。今のところ、ここだけが車が通れる出入口です」
壁の内側に入ると、広大な敷地が広がっていた。
「すげぇな……」
田村さんが呆れたように呟く。
巨大な物流倉庫、研究施設棟、いくつもの工場。そして、中央に広がっている3階建てのメイン施設である事務棟。
「待ってください、何故あんな看板が……」
レオさんが指差す。
正門の脇に、放射能マークの黄色い看板が掲げられている。
「ダミーです。近づきにくくするための偽装ですよ」
「マジかよ……」
「なんか、どの建物も汚れてるね。ガラスも割れてるとこあるし、なんか廃墟みたい~」
陽菜乃ちゃんがキョロキョロと見回している。
「そういう塗装です。遠くから見ると、古びて放置されているように見えるんです。あのガラスも本当は割れてないんですよ。この拠点にはしばらく戻れないと考えていたので、人が近づかないように道にも建物にも偽装工作をしたんです」
「なるほど。よく考えてありますね」
レオさんが感心する。
「敷地内の魔物も無視して、先ずは事務棟まで行きましょうか」
通路脇に小型魔物が数体いるが、車は止めずに進む。
事務棟の屋内駐車場に車を滑り込ませ、シャッターを閉める。
「よし、ロビーに入りましょう」
室内へ続くドアを開けた瞬間、みんなが息をのんだ。
「うわぁ……中は別世界じゃん」
高い吹き抜けに、優美なガラス製の螺旋階段が伸びている。
天窓から差し込む光が、そのガラス階段を通して、床や壁にゆらゆらと揺れていた。
照明が点いていないそこは、明るい水底のような美しい空間だった。
ユニークな形状のソファとテーブルがオブジェのようにあちこちに配されている。壁には印象的なデザインの青と薄紫のタペストリーがかかり、まるで、美術館のような凝ったインテリアだ。
「この格好じゃ、ここには相応しくねぇな」
田村さんが笑いながら、ヘルメットを軽く叩く。
「なんかすみません。女性の建築士の方が、建築雑誌の表紙を目指すってすごく張り切ってくださって……フロアーを手の込んだ絨毯にするというのを止めて、大理石にしてもらうだけでも大変だったんですよ」
俺は苦笑いしながら説明した。
ロビーは、島の事務棟の倍以上の広さだった。島の事務棟は、本当に事務空間という内装だが、ここの事務棟は来客対応機能も必要なため、各部分が凝った作りになっている。
「島と違って、除染室を用意できてないんです。とりあえず、あちらの打合せブースのいくつかを更衣室にして、除菌シートで全身を拭いてから着替えましょうか。今日は魔物と接近戦はしていないので、その後、3階にある各部屋でシャワーを浴びれば大丈夫だと思います」
「いや、待ってくれ」
田村さんが手を上げる。
「着替える前に、敷地内の魔物を殲滅してしまおう。何度も着替えるのも面倒だ」
「確かに~。そっちがラクかも!」
「じゃあ、俺はインフラを起動させてきます」
俺は、受付事務室奥の機械室に入って、本土拠点の超省エネモードにしていたインフラを復帰させた。15分ほどで、発電機、サーバー、監視カメラ、巡回ドローン、火山灰スイーパー。全てのシステムが起動した。
ロビーに戻ると、美しい照明が灯り、奥の人工の滝から涼しげな水の音が聞こえてきた。
さっきよりさらに居心地悪そうにしている田村さんに気にしないように言って、入口に一番近いソファセットを打ち合わせ場所に決める。
「アリス、敷地内の魔物とモノリスの位置を特定して」
陽菜乃ちゃんがタブレットを操作する。
各施設の監視カメラと巡回ドローンの映像が統合され、アリスが分析を始める。
「解析完了だよ~!」
地図上に、赤い点が次々と表示されていく。
「モノリス3か所、小型ノーマル種78体、小型レア種2体、中型ノーマル種35体」
「115体か。よし、行くぞ」
車のルーフキャリアから、迎撃システムが展開する。
「陽菜乃ちゃん、これは2号なんだよな?」
「そう! 『怖くないもん2号』だよ~!!」
「えっ、もう完成してたんだ」
「うん、地図データと連携できるやつ~。自動照準モードON!」
車が動き出すと、システムが勝手に動き始めた。
パスン、パスン、パスン。
次々と魔物が倒れていく。
「すげぇ……」
俺たちは呆然とする。
車を走らせるだけで、迎撃システムが自動で魔物を狙い、撃ち、倒していく。
「リロードも自動なんだろ? 本当に俺たちがやることはねぇな」
タブレットに映し出される監視カメラ映像で、銃の手元をアップにすると、空になった弾倉が排出され、新しい弾倉が自動でセットされている。
「無敵ですね。車を走らせるだけで、魔物が掃討されていくなんて」
「まぁ、俺たち以外に人がいないと分かってる場所限定だけどな」
田村さんが笑う。
「街中じゃ使えねぇのが残念だぜ」
レア種が現れても、連射であっという間に倒される。
2時間後、敷地内は完全に安全地帯になった。
せっかくなので、拠点の敷地内を一周しながら、簡単に施設の説明をした。
「あそこが工場施設群です」
田村さんが少し車を停めて、身を乗り出している。
「大きな町工場レベルの最新の設備です。例えば金属加工工場には旋盤、フライス盤、溶接機、プレス機……一通り揃ってます」
「島の工房にもあったよな?」
「島の工房は、あくまでも長期滞在者向けレクリエーション施設という位置づけでしたから。ライフルのサプレッサーは、島の彫金工房より、こっちの方がもっと良いものを作れると思いますよ」
「本格的なサプレッサーも作れるってことか!」
「はい。素材も工具も豊富に揃ってます」
田村さんの目が輝く。
「陽菜乃ちゃん、この拠点には軍用車両が何台かあるんだ。同じシステムで、機関銃を載せたものも作れないか?」
「ん-、反動に耐えれるなら? できるかも~」
「自動車の整備工場もあるので、改造しやすいはずです。基本的に、どの施設も島の上位互換だと思ってください」
俺は久しぶりにどや顔で胸をはった。
「で、ここが燃料基地です」
敷地の奥、35kLタンクが4基並んでいる。
「2基がカラになってますね」
レオさんがメーターを確認する。
「前回、満タンにしてから2ヶ月近く経ってますから。補給しますね」
俺は給油口に手を当てて、物質化を始める。
10立方メートルの軽油が、タンクに流れ込んでいく。
「ここにいる間、できるだけ補給をします。これで、冷蔵・冷凍倉庫の食料や物資が腐らずに済みました。ずっと気がかりで……」
俺が笑うと、三人が無言で俺を見る。
「何十億円分だっけ……」
陽菜乃ちゃんが小さく呟く。
「まぁ、そんなもんですね」
三人が、深いため息をついた。
その日は、敷地内のあちこちを点検し、翌日以降の物資の準備をした。
夜は嶺守島とビデオ会議で情報共有をして、子供たちの白熱したゲームバトルの話に癒されてから眠りについた。
翌朝。
俺たちは老人ホームに向かうため、4WDに乗り込んだ。道中で、打ち合わせをする。
「昨夜、桐島博士とビデオ会議して、対応方針を再確認した通りだ」
田村さんが、今日も運転してくれる。
「第一に、この前決めた原則は絶対に守ること。島の位置はバラさない。継続的な支援はしない。危険なら撤退。人命にかかわることはその場で多数決を採るが、救助は我々の安全が確保できている時のみ」
助手席のレオさんが、スラスラと答える。
「老人ホームの衛星画像解析のでは、最初は20人分くらいの洗濯物が確認できたんだけど、段々減って……一昨日は2,3人分くらいだったよ」
「それと、一昨日の偵察ドローン映像か……2階の確認が必要だな」
「桐島博士、聞こえますか?」
俺はタブレットのビデオ通話を繋ぐ。これで、必要があれば遠隔診察をしてもらうことになる。
『はい、聞こえてます』
島から、桐島博士が応答する。
『繰り返しますが、高齢者施設ですから、まず脱水症状と栄養失調を確認してください。それから、持病の薬が切れている可能性も高いです』
「わかりました。医薬品は、各種、多めに持ってきています」
「物資も十分に積んできているな」
田村さんが後部座席を見る。
30分後。
『みどりの里老人ホーム』
3階建ての建物が見えてきた。
外壁は火山灰で汚れているが、3階の窓は他の階よりきれいに掃除されていて、屋上には洗濯物が干されている。
「人がいますね」
慎重に車を停める。武装したまま、建物に近づく。
1階の入り口のガラス扉にはヒビが入り、鍵がかかっていた。そこから見えるロビーと廊下には、車椅子やベッドが無造作に置かれている。
屋外の非常階段を使って、まず2階へ。
田村さんが拳銃を構えながら先頭を歩く。扉の鍵は、ピッキング道具で陽菜乃ちゃんが簡単に開けてしまう。みんな呆れ顔だが、陽菜乃ちゃんはどこ吹く風だ。
「ここが偵察ドローンで確認してた部屋だよ」
人気のない2階廊下を進み、大部屋のドアの前に着くと、陽菜乃ちゃんが呟く。
あの映像通りだとここには……
そっとドアを開けると、そこには白い塊が6つのベッドに、並べられていた。
「……丁寧に扱われていますね」
レオさんが静かに言う。
その塊は、どうみても人の遺体だった。偵察ドローンで2階の窓からこの光景を見た時は、みんな黙り込むくらい衝撃だった。
枕元には、それぞれ名前を書いた紙が置かれて、千代紙の花や折り鶴が置かれている。
「生き残った人が、ちゃんと弔ってるんだな」
田村さんが礼をする。
俺たちも黙祷してから、手前の白い布をほどき、中を確認した。静かに眠るお年寄りがビニールの中に入っていた。大量の乾燥剤やタオルと共に詰め込まれているようで、少し匂いが漏れてくるものの、想像よりは綺麗な遺体だった。
桐島博士に、脈や瞳孔での確認方法を習っていたが、確認は全く不要な状態だった。じっくり観察しても外傷は無く、魔物のウイルス感染をしたわけではないようだ。老衰か病死か、その遺体の顔は安らかに見えたが、死因は生き残っている人に聞くしかないだろう。
俺たちは、緊張しながら3階へと向かった。
階段を上ると、奥の部屋から声が聞こえてきた。
「あら、それは違うわよ~。栄本舗の方が美味しいに決まってるじゃない」
「いやいや、田中さん。昔は平坂菓子店が一番だったよ」
穏やかな笑い声。
俺たちは顔を見合わせた。
2階に遺体があるこの状況で、こんなにも和やかな空気があるなんて。
「すみません、誰かいらっしゃいますか」
俺が恐る恐る声をかけると、部屋の中が一瞬静まり返った。
そして、返事が返ってくる。
「はい! こちらにおりますよ。どうぞお入りになって~」
俺は、恐る恐るドアを開けた──