3-2 対人の覚悟
突然、全員のスマホが一斉にバイブレーションを始めた。画面が真っ赤に染まり、「警戒レベル3!緊急事態発生!」の文字が点滅している。
みんなに緊張が走った。
ここ数週間、俺たちは魔物討伐をしながら、対人の対策も進めていた。
警戒レベル1は、島から30キロ圏内に船舶が接近した時に発令される。アリスがパッシブレーダーとAISで自動探知し、船籍・進路・速度を記録する。AISというのは船舶自動識別装置のことで、船の位置や情報を自動送信する装置らしい。俺の備蓄にはなかったので、陽菜乃ちゃんが物質化してくれた機器の一つだ。警戒レベル1になると、アリスがその船舶の監視を開始する。
警戒レベル2は、20キロ圏内に接近し、かつ進路が不明確だったり、AIS情報に不備がある場合だ。アリスが詳細な分析を開始し、島内の巡回ドローンやスイーパーを自動的に最寄りの基地に格納させる。ここまではアリスの自動対応だ。事務棟から離れて森林部に行っている場合は、スマホに戻るよう連絡が来るが、事務棟にいると通知すら来ない。後から陽菜乃ちゃんが確認したログを朝の会議で情報共有する程度だ。
だが、今、鳴っている警戒レベル3は違う。
島から10キロ圏内に接近し、進路が明確に島方向を向いている。または、軍艦・船団・武装など、高リスクの脅威が確認された場合だ。完全偽装モードが発動し、全員が即座に対応する。
完全偽装モードになると、例えば空調やディーゼル発電機は停止し、ソーラー発電だけの最小限の電力で島を運用する。風力発電も回転を止めて、遠くから見ても人がいないように見せかけるのだ。照明も外に漏れない最小限の足元灯だけになる。
そして、俺たちは音を立てずに静かに船が通り過ぎるのを待つか、特殊な大規模山小屋へ避難することになる。その山小屋までのルートは、すでに電気柵で安地を確保し、そこにも食料だけではなく着替えから武器まで、長期籠城できるようにしっかりと備蓄を増やしてある。
ちなみに、船舶だけではなく航空機やドローンも、パッシブレーダーや監視カメラで常に警戒を続けているが、この嶺守島に避難してから、一度も航空機は確認していない。
この1か月間、船舶の警戒レベル1は週に2、3回、レベル2も数回あった。だが、レベル3は初めてだった。
陽菜乃ちゃんがすぐにアリスに完全偽装モードの確認をしていた。俺も、念のために巡回ドローンの状態をスマホから確認する。
「レベル3発生だ!」
田村さんが立ち上がり、指揮を取る。
「避難訓練通りだ。全員、落ち着いて装備着用! 神崎、陽菜乃、インフラ系統の確認と情報収集開始。レオ、セキュリティとデータの確認。桐島博士、子供たちをお願いします」
「インフラは確認済み~!」
「ドローンも基地に戻ってました」
「重要データの自動バックアップも開始しています」
「あ、アリスから情報きたよ。船舶2隻が接近中。速度は漁船なみで、軍艦の可能性は低いって~!」」
そこに子供たちが駆け込んできた。
「アリス先生がママの所に行きなさいってー!」
「ねぇ、レベル3って強いマモノが来るのかなぁ」
桐島博士が素早く立ち上がって、子供たちの肩に手を置く。
「莉子、悠真、いつもの練習通りよ。3階のお部屋に上がって、リュックの準備をしてきてちょうだい。大きな声を出したらダメよ。静かにそっとね。走っちゃだめよ」
「「うん!」」
二人は慌てて急ぎ足で会議室を出て行った。
俺たちは訓練通りに動き始めた。
「装備2分で着用! 子供たちが戻ってきたら、すぐに退避用の車へ移動だぞ。子供たちがいない間に伝えることがあれば、言ってくれ」
田村さんの言葉に、全員が首を振る。
これも、話し合って想定していた流れだ。子供たちに聞かれたくない話──例えば港の起爆装置や迎撃システムの起動、殺人を含む戦闘の可能性などについて話すことになっていたのだ。
だが、想定より子供たちが来るのが早く、船舶情報の確定が遅い。現時点で判断できる材料が揃っていなかった。この流れは今後の改善が必要そうだ。
みんなが会議室にも常備してある防弾ベストを、素早く身に着け、コンバットブーツに履き替える。田村さんが解放した武器コンテナから、武器を身に着けていき、ヘルメットも脇に抱える。
3階から子供たちの足音が聞こえる。莉子ちゃんと悠真君が小さなリュックを背負って駆け下りてきた。
「準備できたよ~!」
「よくできました。大事なものは持ったわね」
桐島博士が子供たちを抱きしめながら、発信タグペンダントの装着を確認する。二人のリュックからはぬいぐるみの足や、教科書がはみ出ていた。
田村さんが全員を見回し、一旦、着席を促す。
「よし、装備確認完了だな。陽菜乃、船舶情報は?」
陽菜乃ちゃんがタブレットでアリスに指示を出しながら、ディスプレイに地図を映す。
「アリスからの第一報! 日本船籍の漁船2隻。西日本で登録されている遠洋漁業船みたい。距離8キロで島に接近中。現在、詳細解析を実行中だよ~」
「武装は?」
「今のとこ、漁船としては標準的な装備のみだって。不審な電子機器や武器らしきものは確認できてないみたい」
レオさんが質問する。
「乗員数と行動パターンは?」
「1号艇は45トン級で8~10人。2号艇は35トン級で6~8人。合わせて15人くらいかな? 進路は直線的で、島を目標にしているというより通過コースっぽいよ」
田村さんが呟く。
「雨だが、ステルス偵察ドローン発進させるべきか……」
「あ、待って! 無線が傍受できてる。漁船同士の会話が聞けるみたい」
ノイズがガガガッとなった後、そこには、のんびりとした数人の会話が流れてきた。
『この前、外国のマグロ船とすれ違った時に聞いたけどよぉ、あいつら、陸でモンスターが出たとか騒いでたんだぞ』
『あぁ言ってたな。外国人のいつもの大げさな盛った話だろ?』
『バカバカしいよな。災害でパニックになって、幻覚でも見てるんじゃねぇのか』
『だよな~。俺たちは太平洋のど真ん中でマグロ漁してたんだ。海にそんなバケモノがいたら、とっくに遭遇してるよなぁ』
『あの時はハワイ沖でいいメバチが上がってたのになぁ。まさか津波で逃すとは』
『ハワイの港は全部ダメになってて、補給もできなかったよな。あの時は漂流になるかとヒヤヒヤしたぜ』
『でもさ、物質化能力? よくわかんねぇけど、これのおかげで助かったよ。軽油も食料も問題ねぇ。家までもう少しだぜ』
『冷凍庫のマグロも無事だし、これだけあれば地元で高く売れるぞ』
『物質化能力があるのは俺たちだけだよな? 戻ったらヒーローだ』
『これから、一生、船の燃料はタダで手に入るしな。ガハハ!』
『この能力がバレないように、あれからどこの港にも寄らずに帰ってきたんだ。上手くやったよな俺たち』
『ステラネットの調子が悪いんだよなぁ。家族にも海上保安庁にも連絡がつかないことだけが心配だよぉ』
『まぁ、通信衛星の調子でも悪いんじゃねぇか?』
『そうだな。地元に帰れば、みんな驚くぞ。1か月半ぶりの帰港で、しかもこの能力だ』
『帰ったら、そんな魔物の迷信に惑わされないよう、みんなに教えてやらねぇとな!』
アリスの音声が流れる。
『ステルス偵察は現時点では不要と判断します』
「了解。普通の漁船のようだが、念のため避難判断に移るぞ」
田村さんの慎重な判断にみんなが従う。
「事務棟での待機監視に移行する。神崎、EV車両の準備を」
「了解です」
俺はスマホで車両システムを確認する。
「EV車2台、フル充電確認。山小屋への避難ルート、障害物なし」
「全員、車両に分乗。即座避難可能体制で待機する」
避難用に準備しているEV車は音が静かだし、ネットで植栽を周りに絡ませてカモフラージュしている。俺たちは静かに会議室から1階の屋内駐車場に移動した。
桐島博士と子供たち、レオさんが1号車。田村さん、陽菜乃ちゃんと俺が2号車に分乗する。
エンジンをかけた状態で、陽菜乃ちゃんがタブレットで船の動きを監視し続ける。
会話はヘルメットに取り付けたヘッドセット経由だ。
「それにしてもすげぇな。よく西日本所属の遠洋漁業船なんて詳しい船舶情報がわかるな」
田村さんが感心する。
「アリスが過去のデータベースと照合して、船型や航行パターンから本物の漁船かどうかを判定してるんだ~。最終的にはうちらが判断するけど、分析精度はかなり高いんだよ」
10分ほど経った時、陽菜乃ちゃんが報告する。
「島の南側を通過中。直進コースを維持しています。島には立ち寄らない模様」
田村さんがタブレットを監視カメラに切り替えて海を確認する。
「雨の向こうに微かに2隻の小さな船が見える。確かにこっちに来る動きはないな」
陽菜乃ちゃんがタブレットで音声出力の設定をする。
無線から聞こえる会話は、昼ご飯のメニューに移っており、そののんびりした平和な会話も少しずつ遠ざかっていく。
車内に重い沈黙が流れた。
「あの人たち……一度も陸に上がってないんですね。現実を知らないようだ」
レオさんが無線越しに呟く。
田村さんが苦い顔をする。
「帰港したら、現実を知ることになるだろうな」
「きっと、港も魔物だらけだよね。地元の港も壊れてるだろうし上陸できるのかな……」
陽菜乃ちゃんが小さな声で言う。
莉子ちゃんの声が無線から聞こえる。
「ねぇねぇママ、あの人たちは大丈夫?」
「……ママにも分からないわ。でも、あの人たちも物質化能力で食べ物も出せるみたいだから、きっと何とかなるんじゃないかしら」
「ふ~ん。マグロ食べたいなぁ」
15分後、船は次第に小さくなり、やがて水平線の向こうに消えていった。
田村さんが最終確認をする。
「陽菜乃、船舶の完全離脱を確認」
「はい。距離20キロ以上離れました。進路も島と無関係です」
「警戒レベル解除。通常運用に復帰する」
陽菜乃ちゃんがタブレットを操作する。
「アリス、警戒解除。段階的にインフラを通常運用に復帰させて」
静かになった島に、再び空調の音が戻り、平和な午後の空気が戻った。
しかし、俺たちの心には、あの漁師たちへの同情と、改めて現実の厳しさを感じる複雑な気持ちが残っていた。
「俺たちも昼飯にするか」
田村さんが提案する。車から降り、ロビーで装備を解除して、俺たちは食堂に向かった。
レオさんが、階段を上りながらみんなに話しかける。
「あの漁師さんたちのような人たちに、私たちはどうすべきなんでしょうかね」
桐島博士が子供たちの手を引きながら言う。
「救助が必要なら、医師として手を差し伸べるべきだと思います」
田村さんも頷く。
「困ってる人を見捨てるのは俺の性に合わない。俺たちには力があるんだ」
しかし、俺と陽菜乃ちゃんは違う意見だった。
「でも、島の位置がバレたら、今度は俺たちが危険になりますよ。ここは宝の山なんです」
「一度関わったら、次々と人が来る可能性が高いよ。情報は必ず漏れるんだから」
レオさんが仲裁するように言う。
「どちらの言い分もわかりますね。慎重さと人道性、両方とも大切です」
田村さんが腕を組む。
「だが、今のままでいいのか? 俺たちだけが安全な場所にいて、困っている人たちを見殺しにするのか?」
「私たちの安全があるから、掲示板サイトを通して世界中の人を助けられるんだよ? ここがバレないように、めっちゃフェイクかましてサイト運営してるんだからね!」
陽菜乃ちゃんが、珍しくちょっと声を荒げている。
俺は不安になった。初めて仲間の間で意見が大きく分かれた。
「とりあえず、お昼ご飯を食べて、午後から予定通りに本土遠征の計画について話します。その中で、今後の方針も決めましょう」
とりあえず、話題を変えた。
この議論は、もう少し時間をかけて考える必要がありそうだった。これから、本土へ遠征するならば、救助の線引きもしっかりと考えておかなければならないだろう。俺たちの中で意見を統一しておく必要がある。
だが、俺は正直、対人の覚悟はできていない。
目の前で死にそうな人を見殺しにできるのか。島に上陸してきた人間を撃つことができるのか。
さっきの漁師たちが島に上陸してきたら?
今のところは、戦わずに避難するという方針は、全員一致で決まっているが、それで見逃して貰えるほど甘い世界ではないことは、前世を知る俺にはわかっている。対人の覚悟。対魔物とは違うメンタルが必要な時が来たのかもしれない。
これから 週2回更新に戻したいと思いますので、よろしくお願いします!
誤字脱字報告も本当に感謝しています。ありがとうございます。