1-4 死に戻りと資金調達
死に戻りを果たした俺が最初にしたこと──それは、前世の記憶を全て書き留めることだった。
アパートの部屋で、俺は夜通しパソコンに向かった。時計の針が午前3時を指している。外は静まり返っているが、俺の頭の中では前世の記憶が鮮明に蘇っていた。
『大災害記録』
そんなベタなタイトルを付けたファイルに、覚えている限りの情報を時系列順に入力していく。
一番詳細に記録したのは、大災害までの株式と仮想通貨の値動きだった。前世では大学で投資の授業があったおかげで、主要な銘柄の動きはかなり覚えていた。
「これを使わない手はないな」
俺は立ち上がって、部屋の中を見回した。7.5畳一間の大学に程近い自室。冷蔵庫にはコンビニで買った弁当が1個、洗濯機の上には洗剤のボトルが置かれている。壁にはクリーニングの袋に包まれたままの就活スーツが掛けられていて、来春、地元企業への就職も決まっている。普通の大学生の典型的な生活空間だ。
この平凡な暮らしが、今日も明日もこれから先もずっと続くと思っていた。平凡な生活の幸せさなんて考えたこともなかった。
俺は机の引き出しから通帳を取り出し、残高を改めて確認した。俺自身の貯金残高は147,832円。両親の生命保険の残りである、生活費と学費用の口座には3,041,081円。これが俺の手元にある全財産だ。この金額では生き残る準備には全然足りない。でも、今の俺には未来の記憶がある。
まずは軍資金の確保だ。
翌朝、俺は銀行へ向かった。平日の午前中、銀行の中は年配の客で賑わっている。俺のような若者は明らかに浮いていた。
「創業融資の相談をお願いしたいのですが」
窓口の中年女性職員が少し驚いた表情を見せてから、小部屋に通してくれる。
「学生さんですよね? 資料はお持ちになっていますか?」
「政策金融公庫との連携プログラムで、学生の起業支援をしているとお聞きしました。資料はここに用意しています」
俺は準備していた説明を始めた。両親を事故で亡くしたこと、遺産で起業を考えていること、当面の運転資金が必要なこと。すべて事実だが、起業の内容については授業で作った事業計画書で、A++をもらったグループレポートを提出した。利子は低いが、半年ごとの経過報告など細かい条件があるらしい。資金を増やせたら早めに返済しよう。
「最短でも審査に2週間かかります」
「承知しました。満額800万でお願いします」
次はサラ金を通り越して闇金だ。サラ金だとかき集めても50万くらいにしかならないらしい。最後の手段として闇金の場所を、ギャンブル好きの大学の先輩から1万円で教えてもらった。
飲み屋街の薄暗いビルで臓器を担保にお金を借りれるらしい。「兄ちゃん、返済が1秒でも遅れたら、すぐに内定先に連絡するからな?」 と脅されるが、就職はしないから関係ない。でも、ここも早めに返済しよう。そうやって闇金を2か所を回り、合計1,700万を1ヶ月後に借りる約束をした。
さらに、両親が残してくれた不動産の売却も進めた。
不動産会社のオフィスで、俺は営業担当者と向き合っていた。
「神崎さん、こちらの空き地ですが、立地が良いので相場よりも高く売れると思います。ただし、急いで売却されるなら多少の値下げは覚悟していただく必要がありますが」
「構いません。1ヶ月以内に現金化してください」
営業担当者が驚いた表情を見せるが、詳しい事情は聞かれなかった。
幹線道路沿いの賃貸駐車場にしている広めの空き地、築10年の戸建て1軒、俺は一度も行ったことがない先祖代々の山林。相場より安めでも4,200万円で売却が決まった。急いでいることを理由に、買い手との交渉もスムーズに進んだ。
最後に、死んだ両親が残した定期預金や、使ってなかった俺の学資保険が合わせて3,000万円ほどあった。親が死んだときは未成年だったので、放っておいた遺産だ。これらも全てを解約することにした。
保険会社の窓口で手続きをしていると、担当者が心配そうに 「勿体ないですよ」 と声をかけてきたが、事情があってと濁して手続きを進めた。
4月生まれで成人していたので助かった。成人年齢は18歳になったはずなのに、金融機関では未だに20歳を超しているかどうかで扱いが全く違うのだ。
1か月後、合計で約1億円の軍資金が集まった。
「この財産を2,000倍にする」
俺は一人呟いた。
身寄りがないことで孤独感はあったが、今となっては両親がいない身軽さはありがたかった。誰にも相談する必要がない。誰からも反対されない。大災害後の避難計画も、俺一人のことだけを考えればいいのだ。
次は、仮想通貨取引所での口座開設だ。
前世の記憶によれば、ある草コイン──今はほとんど価値のない仮想通貨が、3日後に大暴騰する。AIブームとある企業の提携発表が重なって、2,000倍以上に跳ね上がったのだ。
「シンギュラリティαコイン」
そんな名前の怪しげな仮想通貨だった。現在の価格は1コイン0.01円。詐欺の匂いしかしない典型的な草コインだ。
俺は1億円全額をこのコインに投資した。
取引所の画面を見ながら、マウスを持つ手が震える。もし記憶が間違っていたら、大災害が起こらなければ、草コインが暴騰しなければ、俺は借金まみれの人間になってしまう。
しかし、後には引けない。
クリックする瞬間、俺の脳裏に前世の最期の光景が蘇った。血生臭い校舎、絶望した仲間たち、暴力とカーストに支配された世界。
「今度は違う。必ず生き延びるんだ」
俺は迷いを振り切って、注文ボタンをクリックした。
3日後の朝、スマホの通知音で目が覚めた。心臓が激しく鼓動している。恐る恐る取引アプリを開くと、信じられない数字が表示されていた。
シンギュラリティコインの価格:1.2円
120倍。
記憶では2,000倍だったのに、120倍で止まっていた。そして、その理由は……俺だった。
急に1億円もの買いが入ったことで、警戒した企業が提携の開始時期を少し先送りにしたらしい。俺の介入で未来が変わったことに驚き、かなりのショックを受けた。教訓にしよう。
「でも、とにかく借金生活は脱出だ!」
すぐに仮想通貨を売却する。手数料を引いても、118億円の現金が手に入った。
確定申告のことは考える必要はない。どうせもうすぐ世界が終わるのだから。
最初はかなり落ち込んだが、よく考えると、118億円でも十分すぎる軍資金だ。これで計画を進められる。
まずは会社の設立だ。
両親の遺産相続の時にお世話になった弁護士さんに連絡を取り、会社設立のコンサルを紹介してもらう。
「神崎総合企画株式会社を設立したいと思います」
司法書士の事務所で、俺は真面目な顔で多角的に展開予定だと事業内容を説明した。表向きは普通の投資会社だが、実際の目的は大災害に備えた拠点建設と物資調達だった。
人材雇用は、後々のことを考えて、海外経験を重視した。彼らには避難施設となる拠点建設のことを通常のリゾート開発事業として説明し、日本の事業が軌道に乗ったら海外展開する予定だと話した。
「私は大学生ですが、両親を早くに亡くしました。FIREを達成できたので、生前の両親の夢だったリゾート開発を実現したいんです」
俺は涙ながらに語った。前世を思い出せば、いくらでも涙は出てくる。
並行して、株式投資も継続していた。
前世の記憶にある株式銘柄への投資だ。AI関連、バイオテクノロジー、新エネルギー。大災害前に急騰する銘柄を覚えている限り買い漁った。もちろん、影響が出過ぎない範囲で。ちゃんと学習したのだ。
118億円のうち80億円を運用して、1ヶ月後には200億円まで増やすことができた。
俺は自分の会社の社長室で、壁一面に貼った日本地図を見つめていた。赤いマーカーで印を付けた場所が、俺の避難先候補地だ。
離島、高台、内陸部──様々な選択肢を検討した結果、俺は離島に決めた。海に囲まれていれば、人や魔物の侵入を防げる可能性が高い。
条件は厳しく設定した。津波に対する安全性、地下水源の確保、本土からのアクセス、できればほぼ断崖に囲まれた守りやすい地形。そして現実的に最も重要なのは、早期の建設許可だ。
大災害まで、時間は限られている。