2-9 モノリスの謎と可能性
午前6時。目覚まし時計が鳴る前に目が覚めた。魔物討伐が始まってから、少し眠りが浅くなった気がする。それとも、早起きの生活に身体が慣れてきたのだろうか。
俺は静かにベッドから起き上がり、洗面所で顔を洗った。鏡に映る自分の顔は、少し疲れて見える。シャッターを閉め切った部屋は外の様子が分からないが、今日もきっと火山灰で霞んだ朝焼けだろう。
キッチンカウンターに向かい、浄水器から水を注ぐ。ゆっくりと水を飲みながらコーヒーメーカーのスイッチを入れる。レオさんがくれたオリジナルブレンドの豆だ。「神崎さんには、少し深煎りの方が似合いそうですね」と言って、わざわざ俺用にブレンドしてくれた。いい香りが部屋に広がっていく。
コーヒーが出来上がると、俺は隣の部屋に足を向けた。12畳の個人空間。厚い防音壁に囲まれた、俺だけの贅沢なシアタールームだ。
リクライニングソファに深く腰を沈め、タブレットで映像システムを起動する。今朝は世界の景観映像vol.21を選んだ。頭を空っぽにして、美しい世界に浸りたい気分だった。やはり、疲れているのかもしれない。
大画面のディスプレイに、パリのエッフェル塔が夕日に染まって映し出される。観光客たちの笑い声が聞こえてきそうな、平和な光景だ。次に映ったのは、アフリカのサバンナ。大きな夕日がゆっくりと地平線に沈んでいく中を、キリンの親子がのんびりと歩いている。子供のキリンが母親の後を追いかける姿に、少し胸が温かくなった。
シーンが切り替わり、アマゾンの熱帯雨林が空撮で映される。どこまでも続く緑の絨毯。生命力に満ち溢れた大自然だ。そしてヒマラヤ山脈の荘厳な峰々。雪に覆われた山頂が朝日に輝いている。跪いて祈る人々の姿が美しい。
最後に映ったのは、中国の伝統工芸を刺繍するおばあさんの手元だった。皺の刻まれた手が、丁寧に一針一針、美しい模様を紡いでいく。何十年もかけて培われた技術と、作品への愛情が伝わってくる。いつまでも見ていたいような光景だった。
15分後、映像と音楽が止まり、照明が徐々に明るくなった。ちょうどコーヒーも飲み終わった。コーヒーカップを置いていたサイドテーブルを見て、この部屋を作った時のことを思い出した。
「監督、俺の部屋に個人用のシアタールームも欲しいんですが……」
最初、現場監督は首を振った。
「神崎さん、娯楽棟に立派なシアターがあります。社長なんだから、そこを好きなだけ使えばいいじゃないですか」
でも、俺一人じゃ魔物の駆逐にどれだけかかるかわからないし、その間は気楽に娯楽棟に行けなくなるんだよなと、監督には言えないことを考えて肩を落とした。
すると、俺の落ち込みを見た副監督や周りの職人たちが俺の味方になってくれた。
「いいじゃないですか監督、最高の個人用シアタールームを作りましょうよ」
「社長がリラックスできる場所は大切ですよ」
監督はしょんぼりしている俺の顔を見て、少し考え込んでから意見を変えた。
「しょうがねぇな、よし、やるか! 本社の設備設計室にすぐ連絡を取って、最高の映像システムと音響システムを組んでもらえ。ああ、防音も必要だな。すぐに内装材のカタログも取り寄せろ」
隣にいたうちの社員が、少し心配そうな顔で俺を見てから、笑顔で言った。
「社長、大丈夫ですよ。すごくリラックスできる、人をダメにするシアタールームを作りますからね! ゆっくりできるソファといい感じのサイドテーブルも置きましょう」
そうだった。色々と手を広げすぎて仕事が忙しかった俺を、社員たちはいつも心配してくれていた。大切な思い出だ。
俺は頭を振って立ち上がり、リビングのPCに向かった。
掲示板の書き込み数は相変わらず膨大で、全てに目を通すのは不可能だ。新しい情報はアリスが解析して、陽菜乃ちゃんがミーティングで教えてくれるだろう。
俺は世界の空気を感じるために、いくつかのスレッドを覗いてみた。
『うちのコミュニティ、内部分裂しそう。リーダーが老害すぎる』
『武器の工夫情報のおかげで魔物討伐が楽になったよ。ありがとう!』
『手が足りなくて年寄りの面倒がみられない。申し訳ない気持ちでいっぱいだ』
そしてすごい勢いで書き込みが増え続けている、一つのスレッドに目が留まった。
『皆さんのおかげで、無事に妻が出産しました。元気な女の子です。ありがとうございました』
このスレ主さんの名前は見覚えがある。数日前から、掲示板でお産介助の方法を聞いていた人だ。助産師の簡易マニュアルと動画を桐島博士が貼ったら、すごく感謝されたのだ。次々と温かい祝福が書き込まれ続けていた。
世界のあちこちで、色々な人の人生が続いている。俺も頑張らないといけないと、気持ちを新たにした。
時計を見ると、6時40分になっていた。俺は歯を磨き、着替えを済ませた。
陽菜乃ちゃんは、ちゃんと睡眠をとっただろうか。
レオさんは、今日のお昼は何を作るんだろう。
田村さんは、屋上100周ランニングもう終えただろうか。
桐島博士に早くサンプルを渡さないと、研究したくてウズウズしてそうだ。
いつもお留守番させてる子供たちに、気晴らしのイベントも考えないと。
玄関に向かいながら、俺は小さく微笑んだ。今日も忙しい一日が待っている。
朝のミーティングで、俺たちは昨夜から監視カメラで撮影していた衝撃的な映像を確認していた。
「うわぁ……これ、マジで湧いてる」
陽菜乃ちゃんが呆然とした声を出す。
画面には、早朝6時頃に撮影された映像が映し出されている。薄青色に微かに光るモノリスの手前の地面が、ボコッと盛り上がったかと思うと、そこから黒い塊が這い出してきた。まるで土の中から生まれるように。そしてその塊はみるみるうちに大きくなって変形し、見慣れた小型魔物の姿になって、森の奥へと歩き去っていった。
「完全に発生源ですね。これで、この石がモノリスであることは確定でしょう」
レオさんが静かに発言する。
「しかも、昨日俺たちがモノリスを迂回して電気柵を張り直してからは、電気柵内に魔物は一匹も湧いてねぇんだ。昨日の大型倉庫周りの5体は、このモノリスから湧いたんだろう」
田村さんが満足そうに頷く。
モノリスは電気柵の外側、森林側に取り残される形になったが、これで電気柵内に新しく魔物が湧くことはなくなったはずだ。昨日の午後の肉体労働が報われるだろう。
「じゃあ、モノリスを倒すことにしようぜ。魔物の湧きスポットを潰せば、もっと安全になるだろう」
「中型魔物が出てくる前に、少しでもモノリスの数を減らしたいですね」
「だねー、森林部で魔物が少しずつ増え続けてるもん。モノリス100個くらいありそうかも~」
「一つ一つ、確実に壊していきましょう」
田村さんの提案に、全員が同意した。
昨日モノリスを発見した時に思った通り、これを壊せば魔物が出なくなるなら、世界中の人にとって朗報になるはずだ。
「とりあえず、ロープを引っかけて4WD車で引っ張ってみるか。シンプルな方法が一番だし、掲示板で公表しやすいだろう」
田村さんは、いつものように実用的な提案をした。
地中に1mも埋まっているなら、周りを掘るより引き抜く方が早いだろう。幸い、俊足の小型魔物でも時速20~30km程度だから、車なら簡単に逃げられる。
30分後、モノリス近くの電気柵の電気を止めて、俺たちは慎重にモノリス周辺の魔物を広範囲に倒した。そして、田村さんがそっとロープをモノリスに引っかけた。万が一、ウイルス感染したり、爆発したりしたら危険なので、本体に触れないよう気を付ける事になっていた。モノリスの途中の少し幅が狭くなっている場所なので、ロープが抜けることはなさそうだ。
4WD車に戻り、田村さんが車を前進させてロープを張る。
「よし、いくぞ!」
慎重に前進させ、ロープが突っ張る。モノリスにわずかに力が加わった瞬間だった。
突然、モノリスの周りの地面が5ヶ所で盛り上がり、そこからポンポンと魔物が湧いてきた。
「うわっ、いきなり5体も!」
陽菜乃ちゃんが声を上げる。
田村さんが素早く車を停める。後部座席のレオさんと陽菜乃ちゃんが窓を開けて、車内から射撃態勢を取った。もちろん、全員が拳銃を携帯している。
パンパンパンパンパン。
車内からの射撃で、湧いた魔物を素早く処理する。塩水弾は相変わらず効果抜群で、当たった魔物は霧のように消えていった。
「よし、もう一回引っ張ってみよう。もしまた魔物が湧いたら、すぐに倒してくれ」
田村さんが再び車を前進させる。同じようにモノリスにほんの少し力が加わった瞬間、また地面が盛り上がる。今度も5体だった。
パンパンパンパンパン。
車から降りて、構えていた三人で、同じように撃退する。
「なるほど、モノリスに物理的な力を加えると、魔物が大量に湧いて阻止しようとするんですね」
レオさんが興味深そうに呟く。
「まぁ、俺たちにとっては、この程度なら問題ねぇけど、モノリスを倒すにはちゃんと作戦を考えた方がよさそうだな」
田村さんが車からロープを外しながら言う。
その作業を見ながら、考え込んでいたレオさんが、田村さんの手を止めた。
「待ってください! 田村さん、これはポイントコントロールに使えるんじゃないでしょうか?」
「ポイントコントロール?」
「はい。わざとモノリスを引っ張って魔物を湧かせ、倒してポイントを稼ぐのです。5体ずつ湧くなら、1回で15ポイント。待ち構えて撃てますし、効率がいいですよ」
田村さんの目が輝いた。
「おお、ナイス! 1000ポイントまで、それなら確実に稼げるな」
俺も賛成だった。電気柵を出て、魔物を探し回るより、確実に出現する場所があるなら効率的だ。
「じゃあ、やってみるか。ひたすら車を前進後退させるだけの簡単なお仕事だしな」
田村さんがニヤッと笑いながら言った。
前進してモノリスを引っ張る→魔物が5体湧く→射撃で倒す→後退してロープを緩める→また前進。
このサイクルを繰り返す。
3回目、4回目と続けていくうちに、コツを掴んできた。ロープにテンションがかかった状態で、ブレーキから足を離し、クリープ現象で前へ進もうとさせる。そしてすぐにブレーキを踏めば、常に5体ずつ湧いてくれる。
さらに繰り返すうちに、田村さんがモノリスを撃つだけでいいことに気付いた。グロックで1発撃つと、5体の魔物が湧く。流れ作業のように田村さんがマガジンを交換する。田村さんのベストにマガジンを差し入れる係は俺がやった。
それから、1時間ほど続けた結果──
「やったー! 田村さん、570ポイント稼いだよ~!」
陽菜乃ちゃんが嬉しそうに報告する。
570ポイントということは、魔物を190体倒したことになる。つまり、38回もモノリスから湧かせたのだ。1時間で190体なら、かなりの効率だ。田村さんの集中力があっての話だが。
「これで俺のポイントは1000を超えたな。今晩の0時には、物質化が10種まで選べるはずだ」
田村さんも満足そうだ。
午後は陽菜乃ちゃんが1000ポイントまで稼ぐことになった。
「こんな便利システム、やるっきゃないっしょ~!」
陽菜乃ちゃんが終わったら、桐島博士を呼んで来て1000ポイント貯めてもらう事に決めた。なんなら、投光器でナイターにして、全員の1000ポイントを稼ごうかとまで盛り上がっていた。
ところが、8回目にモノリスを撃った時、予想外のことが起こった。
ドサッ。
モノリスが地面から完全に抜けて、後ろに倒れてしまったのだ。
「え……あ、あれ? 抜けちゃった……」
陽菜乃ちゃんが困惑した声を上げる。
確かに後方に傾いてはいたが、急に抜けるとは思わなかった。抜けたモノリスは全長150cmほど。そして、薄青色の微かな発光が消えていた。まるで電源が切れたように。
しばらく待ってみたが、もう魔物は発生しなかった。
「どうやら、モノリスは機能を停止したようですね」
レオさんが抜けたモノリスを観察しながら言う。
「陽菜乃ちゃん、8回じゃ足りないよね……」
「400は越したから、8種目は行けそうだけど。ガッカリだよ」
モノリスはダメージが蓄積されると、機能停止する仕組みのようだ。
観察していたレオさんによると、先に発光が消えてから抜けたとのことだ。
「とりあえず、抜けたモノリスはその場に置いて、監視カメラで経過観察を続けましょう。持って帰るのも危ないですしね。また、夜中に光り出しでもしたら」
「そんなのホラーじゃん!」
俺の提案で、抜けたモノリスを地面に横たえて、経過を見ることにした。もしかしたら、時間が経てば再び機能するかもしれない。
会議室に戻り、今後の方針を検討した。
「モノリスでポイントコントロールできるのはいいが、あの周囲に溶け込む色彩だと、目視で見つけるのは難しいな」
「陽菜乃ちゃん、アリスに魔物の動線を解析してもらって、またモノリスの場所を特定してもらうことはできませんか?」
田村さんとレオさんは、俺と同じことを考えていたようだ。モノリスが、今後の物質化の種類を増やす鍵を握るかもしれない。できたら、近くにまた見つかると助かるのだが。
その時、陽菜乃ちゃんが簡単なことのように言った。
「モノリス探知機、作れるかもしれないよ~」
「え?」
みんながビックリして陽菜乃ちゃんを見る。
「昨日、モノリスの近くでゴーグルのHUD表示の地図がチラついてたでしょ? あれが気になって、さっき電磁波を測ってアリスにデータ解析してもらったの。モノリスから13.56MHzの強めの電磁波が出てるみたいだよ? これなら、半径200m以内にあるモノリスを探知できる装置が作れると思うんだ~」
陽菜乃ちゃんの爆弾発言に、会議室が静まり返った。
「13.56MHz……NFCと同じ周波数ですね。それで電子機器に干渉したわけですか」
レオさんが納得したように呟く。
「いいアイデアだが、探知機なんてそう簡単に作れねぇだろ」
田村さんが、少し顔をしかめる。
「スマホのNFCチップを改造して、感度を上げるの。外付けアンテナも作って、検出範囲を広げれば、200m以内くらいのモノリスの位置がわかるはず~! 先に、アリスに全部の魔物の動線を分析させて大体の位置を出してから、その探知機を使えばモノリスの位置をすぐに特定できちゃうよ~」
陽菜乃ちゃんの技術力には、毎回驚かされる。NFCチップが何かすら、俺にはわからない。ゴーグルに映っている地図がチラついたのは気づいていたが、何かの接触不良ぐらいに考えていた。そこですぐに電磁波って思う陽菜乃ちゃんはすごい。
俺も、俺にできることをやろう。
「じゃあ、掲示板に情報を出すのは俺がやるよ。モノリスの情報と、力を加えないように注意喚起する。あと、ポイントコントロールも、注意事項と一緒に載せるよ」
俺は掲示板の更新作業に取り掛かった。
「魔物の情報」の特別ページに、モノリスの画像と、モノリスから魔物が湧く動画を追加した。画像は、レオさんがあらゆる情報を消した状態で提供してくれた。そして、重要な警告文も付け加える。
『【重要】モノリスに衝撃を与える場合は、十分に注意してください。物理的な力を加えると、大量の魔物が湧いて阻止しようとします。直接触れることは非常に危険です』
『【アドバイス】十分な武器がある場合は、ポイントコントロールに使用可能です。ただし、遠距離からモノリスに衝撃を与えるよう工夫することを強く推奨します。遮蔽物からの射撃、ロープでの牽引など、安全な方法を選択してください』
投稿してから30分もしないうちに、世界中からレスポンスが殺到した。
『これでモノリスさえ倒せれば安全な土地にできるじゃないか!』(ドイツ)
『1000ポイントいけるかも。情報ありがとう』(ブラジル)
『モノリスの画像、確かに見覚えがある。森の奥で見かけた透明な柱がそれだったのか。触れないでよかった』(カナダ)
『ポイント稼ぎできるなら最高だ。重機を探してくる』(オーストラリア)
一方で、否定的な意見も少なくなかった。
『こんなもの見たことない。俺は騙されないぞ』(アメリカ)
『作り話じゃないのか? 都合が良すぎる』(イギリス)
『写真は加工できる。動画も偽造可能だ』(フランス)
否定派の意見を見た時、俺は意外にも気にならなくなっている自分に気付いた。
以前なら、批判や否定的なコメントを見ると、落ち込んだり反論したくなったりしていた。でも今は違う。否定的な意見があるということは、その人たちが元気に暮らしているという証拠でもある。
魔物に襲われて生死の境をさまよっている人なら、藁にもすがる思いでどんな情報でも試すはずだ。否定できる余裕があるということは、まだ安全な場所にいるということ。
それは、悪いことではない。
俺が大切に思っている人たちも、もしかしたらまだ安全な場所で、俺の書き込みを「怪しい情報だ」と思っているかもしれない。でも、それでいい。
元気でいてくれるなら、批判されても構わない。
俺は、そんな自分の変化を不思議に思いながら、掲示板を眺めていた。
誤字報告、いつもありがとうございます。
「やらかした~」と見悶えながら感謝しています。
明日から、不定期更新になります。
完結まで頑張りますので、お時間がある時に覗きにきてください!