2-4 5日間の戦闘訓練
魔物対策会議から6日が経った。
あれから、毎日、戦闘訓練が続いている。
前世の記憶通りなら、いよいよ明日、魔物が現れるはずだ。
朝9時、事務棟1階のロビーに全員が集合した。
広いロビーの一角に、この5日間ですっかり定位置となった装備置き場がある。各自の防具が整然と並べられていた。桐島博士は、実際の戦闘には参加しないことになっているが、訓練はみんなと同じように受けている。
「装備チェックから始めるぜ」
田村さんが防刃ベストを手に取る。
「まず、ベスト内のポケット確認だ。左胸内側」
全員が自分のベストの左胸内側ポケットを開ける。
「予備マガジン2本」
カチャリと金属音を立てながら、9mmの予備マガジンを確認。15発入りが2本で、計30発の予備弾。
「右胸内側、予備バッテリー! 左脇腹、止血帯と圧迫ガーゼ! 右脇腹、マルチツールとLEDライト」
「背面下部、塩水スプレー! 左腰背面寄り、サバイバルナイフ!」
「ポケット内の小物入れ、耳栓、予備の手袋、靴下!」
「ベルト左、発煙手榴弾! ベルト右、マガジン1本!」
さらに15発。合計すると、弾丸は60発携帯することになる。これが多いのか少ないのかわからないが、各山小屋に十分な替えの拳銃や弾丸、食料や水が備蓄されていて、最低限だけを身に付ければいい状況は、かなり恵まれているのは間違いない。
「腿部ホルスター、グロック19、薬室に弾薬装填済み、セーフティ確認」
全員が拳銃を一度抜いて、薬室を確認。弾が入っていることを視認してから、セーフティをかけ直してホルスターに戻す。
「全員、確認完了か?」
田村さんが見回す。
「はい!」
全員が返事をする。
訓練初日は、この確認だけで10分以上かかった。どこに何が入っているか覚えられず、いちいちポケットを全部開けて確認していた。今では、暗闇でも手探りで、必要な物をすぐに取り出せる自信がある。
「よし、じゃあ装備装着タイムトライアル始めるぜ」
田村さんがストップウォッチを構える。
「よーい、始め!」
一斉に動き出す。まず防刃ベスト。重さ約3キロのベストを持ち上げ、頭から被るように装着する。
初日は、この重さに驚いた。
『なにこれ、重っ! 着たまま動けるの?』
陽菜乃ちゃんの悲鳴が今でも耳に残っている。
サイドのベルクロを留め、ウエストベルトを締める。きつすぎず、でも体にフィットするように。
次はヘルメット。レールマウント式のヘッドセットが既に取り付けられている。顎紐を調整し、頭を振ってもずれないことを確認。
ガスマスクは最も神経を使う。顔に密着させ、隙間がないことを確認。深呼吸して、フィルターが正常に機能することをチェック。
『魔物の体液が顔にかかったら終わりだ。必ず隙間なく装着しろ』
初日の田村さんの真剣な表情が忘れられない。あの時、これが命に関わる装備だと実感した。
ゴーグルをマスクの上から装着。これは陽菜乃ちゃんが改良したHUD表示機能が組み込まれている。側面をタップすると、視界の端にミニマップが表示され、仲間や魔物の位置がわかる仕組みだ。
『スマホなんていちいち確認してられないじゃん! 無理!!』
と顔をしかめていた陽菜乃ちゃんが面白かった。
最後にグローブ。指の一本一本を確実に入れ、手首のベルクロで固定。拳銃のグリップを握る動作を確認する。
「タイム!」
「神崎君、4分12秒」
田村さんが時間を読み上げる。初日は15分以上かかっていたことを考えると、大きな進歩だ。
「レオ君、3分45秒。相変わらず無駄がねぇな」
レオさんの動きは本当に効率的だ。というか、何でも卒なくこなすマルチな人なのだと、この訓練期間で何度も思い知った。
「陽菜乃ちゃん、4分58秒」
「やった! 5分切った~!」
陽菜乃ちゃんが防刃ベストを着たまま飛び跳ねる。陽菜乃ちゃんもかなりの時間短縮だ。
「桐島博士、3分28秒。さすがですね」
桐島博士は黙々と装備を整えていたが、実は誰よりも真面目に自主練習をしていたのを知っている。子供たちが寝た後に、装着訓練や体力作りに務めていたのだ。
「私は、事務棟待機です。出動する時は、本当の緊急事態になるでしょう?」
穏やかな微笑みと、確実な手さばきが頼もしい。
みんなの胸には、発信機がついたプレート型のペンダントが光っている。
同士討ち防止のためだが、引きちぎるとSOSの救難信号を発信するようにもなっている。
陽菜乃ちゃんから田村さんに渡された小さなLEDライトも、しっかりと拳銃の先に固定され、ペンダントを付けた仲間が射線に入った時は赤く光るようになっている。
装備の改良のアイデアは、陽菜乃ちゃんだけではなかった。
訓練3日目に、桐島博士から提案があったのだ。
『バイタルセンサーを追加してはどうでしょうか。体力の残量が分かれば、無理な行動を避けられます』
娯楽棟のジムでみんなの基礎体力を測った。センサーでモニタリングした心拍数や発汗量、筋電位などと各自の基礎体力をもとに、体力が50%、30%、10%に落ちると、ヘッドセットから警告音が鳴るシステムが導入された。
『これで自分の限界が分かるな。50%になったら、必ず申告してくれ。早めに山小屋へ戻るようにする。無理は禁物だからな』
田村さんも満足そうだった。
田村さんと言えば、コンバットブーツの話も忘れられない。火山噴火と地形崩壊が起こった日の夜、田村さんが突然ブーツを配ったのだ。
『今後のために、これだけは今から履き慣らしてほしい』
最初は重くて歩きにくかった。でも毎日2時間ずつ履いていると、次第に足に馴染んできた。あの時から、田村さんは対魔物の戦術を考え続けてくれていたのだろう。
『靴下は絶対に綿100%禁止だ。『Cotton Kills』って言葉があってな』
田村さんの説明は、素人の俺には衝撃的だった。綿は汗を吸うと乾きにくく、足の皮をふやかして靴擦れの原因になる。最悪の場合、凍傷で指を失うこともあるらしい。
『ウールか化繊の靴下を使え。俺のおすすめはメリノウールだ』
その日のうちに、全員分のメリノウール靴下が用意された。
何度かタイムアタックをした後、10時になった。
「よし、次はVR訓練だ。ゴルフシミュレーター室に移動だ」
全員で娯楽棟へ向かう。廊下を歩きながら、みんな自然と戦術的な動きになっている。壁際を歩き、曲がり角では一度立ち止まる。これも訓練の成果だが、ちょっと笑える。
ゴルフシミュレーター室。部屋の中央には5台のVRヘッドセットが並んでいる。最新型のワイヤレスタイプで、動きを制限されない。
「今日はレベル7の集団戦をやるぜ」
田村さんがタブレットで設定を始める。
訓練初日のことを思い出すと、今でも苦笑いしてしまう。
俺が前世の記憶を基に作ったプログラムは、リアルさを追求しすぎて、初心者には難易度が異常に高かったようだ。魔物のスピード、攻撃パターン、すべてが実戦レベルすぎた。
ヘッドセットを装着した瞬間、目の前に黒い影が飛びかかってきて、開始5秒で死亡判定。噛みつかれたのか、尻尾で攻撃されたのかすら分からない状態だった。田村さんでさえ、5分もたなかった。
『小型魔物でこれじゃ、俺はともかく、みんなの訓練にならねぇな』
田村さんが苦笑いしていた。だが、目を慣らすために続けることになった。
2日目の朝、陽菜乃ちゃんが改良したプログラムを披露してくれた。
『改良版、作ったよ~! 小型も中型もレベル1から10まで設定可能なの。1は超スロー、10は昨日の1.5倍の速さ。小型と中型が混ざった集団モードも作った! それから、アリスがみんなの動きを分析して、各自の苦手パターンを重点的に練習できる補習モードもできるようになったよ~』
陽菜乃ちゃんは、いつものように「おにぎり作ったよ~」みたいな気軽さで、プログラムの改良を一晩でしてくれた。実際にレベル1を試すと、魔物がかなりゆっくりと動く。攻撃の軌道も分かりやすく、初心者でも対処できる。
『これなら段階的に上達できますね、素晴らしいです』
レオさんも感心していた。
レベルを上げていくと、魔物の動きが速くなり、攻撃パターンも複雑になる。レベル5で、ようやく実戦に近い速度。レベル7以上は、実戦より少し難しい設定。
『訓練は実戦より厳しくしないと意味がねぇ』
田村さんの言葉通り、レベル7をクリアできれば、実戦でも対応できるはずだ。
そういえば、訓練3日目の昼過ぎ、予想外の出来事が起きた。
VR訓練の真っ最中、ドアが勢いよく開いた。
『何してるの~?』
『ゲームだ! 僕たちもやりたい!』
図書室で勉強していたはずの莉子ちゃんと悠真君が飛び込んできた。
『大人の邪魔をしてはいけないと約束したでしょ。図書室に戻りなさい』
桐島博士が厳しい声で言う。
『えー、ずるい! ずるい! お仕事じゃなくてゲームじゃない!!』
『会議室はダメって約束したけど、ここは会議室じゃないもん!!』
子供たちが駄々をこねる。普段は聞き分けの良い二人だが、VRは魅力的に見えたらしい。
その時、田村さんが顎を撫でながら意外な提案をした。
『一回やらせてみるか』
『田村さん!?』
桐島博士が驚く。
『子供たちも魔物の存在を知っとく必要があるでしょう。見た目に慣れとくだけでも、いざって時に違うと思いますよ』
『でも、まだ6歳ですよ』
『今の世の中は、年齢なんて関係ありません。いつ、何が起こってもおかしくありませんから』
桐島博士は渋い顔をしていたが、最終的に折れた。
『超簡単モードで、ケンカしないように小型魔物2体のプログラムにするねー!』
陽菜乃ちゃんは、元々想定していたらしく、子供たち用に、魔物の見た目は少しマイルドに、動きも遅く、攻撃も優しくしたプログラムを作っていた。子供用のヘッドセットもある。
『わぁ、すごい! 本物みたい~!』
莉子ちゃんがはしゃぐ。
『黒いワンちゃんがきたー!』
悠真君は魔物を怖がるどころか、興味深そうに観察している。
そして、大人達は目を見張ることになった。
『えい!』
莉子ちゃんが魔物の攻撃を紙一重でかわす。
『やー!』
悠真君が横から攻撃を加える。
二人の動きは、計算されたものではない。でも、自然に連携が取れている。莉子ちゃんが右に避ければ、悠真君は左から攻撃。一人が魔物の気をひけば、もう一人が背後に回る。
『すげぇ……』
俺たちが苦戦していた2体同時攻撃を、子供たちは二人でだが、あっさりとクリアした。
最終的に、30分足らずで、大人用のレベル3で小型魔物3体同時攻撃まで進んだ。
後で録画を分析して、いくつかの発見があった。
『子供たちは考えずに動いてますね』
レオさんの指摘が的確だった。
『大人はどうしてもいつ攻撃するべきか、どうやって避けようかと考えてしまいます。でも子供たちは直感で動いてるみたいです』
『それに、お互いを完全に信頼してるな』
田村さんも感心している。
『莉子ちゃんが「今!」って言った瞬間、悠真君は何も考えずに動いてる。大人だと一瞬「え?」って確認しちゃうよね~』
陽菜乃ちゃんも、二人の動きに見入っていた。
この発見から、複数対複数の訓練が追加された。2人組、3人組での連携訓練。最初は上手くいかなかったが、「考えるな、感じろ」を合言葉に、少しずつ上達していった。
反射神経は抜群だが判断に迷う癖がある陽菜乃ちゃん、チームワークがやや苦手なレオさん、中型魔物が相手だと動きが硬くなる桐島博士、複数相手だと焦りがちな俺、それぞれの苦手分野をカバーし合いながら、少しずつ連携がとれるようになっていった。
これは、子供たちに教えられた、印象的な出来事だった。
「今日の目標は、全員が中型魔物1体と小型魔物2体相手にレベル7をクリアだ。中型魔物が出るのは1週間後からの可能性が高いが、明日からはVRで練習する時間はないだろう。一人で3体倒すように!」
田村さんの声にハッとする。
前世では、最初は小型魔物だけだった。そして、その一週間後から中型魔物が出るようになった。記憶通りならそうなるが、絶対ではないので中型魔物相手の訓練も行っていたのだ。
触覚フィードバック用の振動パッドを体の各所に装着する。これで、魔物の攻撃を受けた場所が振動で分かる。
『痛くはないけど、ビクッとするらしいですから、覚悟してくださいね』
訓練初日は、自分で説明しておきながら、最初は振動に驚いて、反射的に身を引いてしまった。でも今では、振動を感じても冷静に対処できる。
ヘッドセットを装着。視界が切り替わり、薄暗い森が広がる。
木々の間から低い唸り声。前方に小型魔物2体、左側に中型魔物1体を確認。レベル7では、魔物の連携も高度になっている。
深呼吸して、拳銃を構える。
まず左の中型魔物に牽制射撃。魔物が一瞬ひるんだ隙に、前方の小型魔物2体に集中する。
1体目の尻尾攻撃を横にステップして回避。即座に3発撃ち込む。魔物が霧のように消える。
2体目が飛びかかってくる。しゃがんで回避し、下から撃ち上げる。命中。
左の中型魔物が再び接近し、長い腕を振り上げる。バックステップしながら頭部をめがけて連射。だが、命中判定が出ない。
「援護します!」
レオさんの声と共に、横から援護射撃が入る。魔物が怯んだ隙に、もう一度、しっかりと頭部を狙って命中させる。
トータル15分の戦闘を終え、クリアだ。
「よし、これで全員合格だな」
ヘッドセットを外すと、汗が噴き出ていた。VRとはいえ、実際の装備を身に付けて体を動かすから相当な運動量になる。
「神崎君も大分マシになったな」
田村さんの評価が嬉しい。
「最初の頃は、棒立ちで撃ってただけだったもんな」
確かに、初日は足が動かなかった。恐怖で固まり、ただ銃を乱射するだけ。今では、遮蔽物を使い、移動しながら戦えるようになった。
5日間でここまで成長できたのは、仲間のおかげだ。
「神崎さん、アリスがバックステップしながらの射撃が苦手だって言ってるよ~。補習モード10回やっといてね!」
「神崎君は、尻尾に対する反応は早いけど、飛び掛かられると少しだけ反応が遅れるように見えます。性格が優しすぎるのかもしれませんね」
うん、厳しい仲間のおかげだ。
時計を見ると12時だ。
「午後は実弾射撃と座学だ。14時にロビーに集合。それまでは自由時間。よし、解散!」
訓練は続く。でも、確実に強くなっている実感がある。
明日、本物の魔物が現れても、きっと大丈夫。
そう信じられるようになった自分に、少し驚いている。