2-2 島内見学ツアー再び
「では、魔物対策会議の中で、陽菜乃ちゃんに地図アプリの説明もしてもらいましょうか」
俺が切り出すと、田村さんが手を挙げた。
「その前に、提案がある。先に、現地を全員で確認しておきたい。森林部にある山小屋を実際に見ておかないと、戦術にも影響が出るからな」
「確かにそうですね。森林部の施設はまだ案内してませんでしたね」
田村さんの意見ももっともだ。田村さんは森林外周路のランニングで山小屋を目にしているだろうが、他のみんなは見たことがないはずだ。
「山小屋は、たくさんあるのでしょうか?」
桐島博士が質問する。
「えーっと、全部で60棟ですね。小規模が50棟、中規模が8棟、そして……ちょっと特殊な大規模が2棟」
俺が説明すると、みんなが怪訝な顔をした。
「特殊?」
「まぁ、見てもらった方が早いですね。子供たちも呼んできてください。みんなで車で行きましょう」
車は舗装された道路を快適に進む。10分ほどで、森の中に佇む小さな山小屋に到着した。
「これが小規模山小屋です。島内に50棟あります」
木造のログハウス風の小屋は、まるで絵本から飛び出してきたような可愛らしさだった。
「わぁ、魔法使いのお家みたい!」
莉子ちゃんが目を輝かせる。
俺は中を案内した。4m×5m、12畳ほどの空間には、テーブルセットと物入れだけでガランとしている。
「基本設備として、電気は引かれていますが、水道は通っていません。外の雨水タンクとペットボトルの水だけです。そこの物置にはアウトドア用品が一式とエアマットなどの寝具、そして──」
俺は床の一部を持ち上げた。
「床下収納に非常用の食料と水が、10人で3日分入っています」
「えっ、全部の小屋に?」
陽菜乃ちゃんが驚く。
「はい。あと、キッチンはありませんが、屋外のベンチは災害時にかまどに転用できるタイプです。薪置き場もあります」
みんなで、一度、外に出る。
田村さんがベンチを確認しながら感心する。
「最近、防災公園なんかでよく見るやつだな。これなら緊急避難場所としても使える」
「実は、窓にも細工があります」
俺はロフト部分の窓を指さした。外からはわかりにくいように偽装されている。
もう一度、中に入ってみんなで梯子を使ってロフトへ上がる。子供たちも問題なくスイスイと上がれた。幅60cm、高さ15cm程度の横長の窓を見せる。
「バードウォッチング用として、木枠のガラス越しに、森を眺めるための窓を作ってもらいました。でも、この板を外して、双眼鏡台を少し押し下げれば、銃口を安定させるための架台になります。いざという時は、射撃用の窓として使える設計です」
田村さんが、窓から外を覗く。
「確かに、射界が広い。しかも架台があるならライフルでも安定して狙えるな」
「50棟全部にこの装備が……」
桐島博士が呆れたような、感心したような複雑な表情を浮かべた。
次に向かったのは、外周道路沿いにある中規模山小屋だ。
「これが8棟ある中規模タイプです」
2階建ての立派な建物を見て、田村さん以外のみんなの表情が変わる。
「山小屋じゃなくて、普通に立派な建物じゃない?」
陽菜乃ちゃんの言葉に、俺は苦笑いを浮かべた。
ここは、さっきの小規模な山小屋と違って、周りの木を伐採した開けた場所に作られていて、木製の柵で回りも囲まれている。
「ここは基本設備として、水道、電気は引いています。下水道は引いてないので、トイレはさっきと同じ自動パック式の非常用トイレです。1階はホールと3つの小部屋、キッチン、シャワー室、2階は3部屋で、どれも二段ベッドが2つ並ぶ宿泊室です。屋上に野鳥観察デッキがあって──」
「野鳥観察ってことは、それも?」
田村さんがすぐに気づいた。
全員で急な階段を上って屋上デッキに出る。7人でも余裕の広さだ。
「これ、完全に防衛陣地じゃないか。360度の視界、胸壁の高さ、床の補強……」
「バードウォッチングには最高の環境ですよね」
「嘘つけ!」
田村さんが呆れながらも、しっかりと確認していく。
「でも、よくできてる。ここなら魔物が押し寄せても防げそうだ」
「地下には10人が1ヶ月生活できる備蓄もあります」
あちこちを撮影していたレオさんが、面白そうな表情で聞いてくる。
「これ、建設業者さんには何て説明したんですか?」
「森林でキャンプ体験と、エコツーリズムの拠点にするって」
「……それで通ったんですか? 8か所も?」
「企業研修とか教育旅行にも使えるって言ったら、『素晴らしいコンセプトですね』って褒められました」
みんなが顔を見合わせて、ため息をついたように見えた。
魔物対策拠点として、この程度の施設では、まだ不十分だっただろうか。
「あ、そうだ! 周りを囲んでいる木製に見える柵、実は電気柵になってます!」
「え?」
「スイッチ入れると電流が流れます。花壇のスプリンクラーも、実は塩水を噴霧できるようになっていて──」
「なるほど。後で山小屋の特記仕様書を全て見せてくれ。これで、ここまでやってんなら、特殊山小屋ってどうなってんだよ……」
田村さんが、頭を振りながら言った。
「特殊な山小屋は、島の北側に2か所あります。いざという時の防衛拠点として想定していますが、アクセスはちょっと非常識かもしれません」
雲行きが怪しいので、あらかじめ予防線を張る作戦に出てみた。助手席の田村さんが、大きな声で笑う。
「まだあんのかよ。もう十分すぎるほど非常識だったぜ? ははは」
「私たち、ちょっとくらい非常識でも、もう驚かないよ~」
陽菜乃ちゃんも明るい声を上げる。レオさんも苦笑いを浮かべていた。
俺は外周路沿いの、ごく普通の休憩スペースに車を停めた。小さな東屋があり、ベンチが置かれている。目の前には苔むした岩壁がそびえ、午後の光が木漏れ日となって降り注いでいる。どこにでもある、ありふれた景観ポイントだ。
「え? ここ、ただの休憩所じゃん」
陽菜乃ちゃんが首を傾げる。
「あのですね……」
俺はポケットから、車のスマートキーのようなリモコンを取り出した。黒いボディに、赤いボタンが一つだけ付いている。
「神崎君、それは?」
田村さんが眉をひそめた瞬間、俺はボタンを押した。
ゴゴゴゴ……
低い振動音とともに、目の前の岩壁が動き始めた。
「うそ……」
陽菜乃ちゃんが息を呑む。
苔むした岩肌だと思っていた壁の一部が、横にスライドしていく。その奥から、薄暗いトンネルが姿を現した。コンクリートの壁面にLEDライトが等間隔で並び、奥へと続いている。
「すごーーーい! 岩が動いたよ!!」
悠真君が歓声を上げた。
「ママ、見て見て! 壁が道になったよ!」
莉子ちゃんも興奮して、後ろから桐島博士をゆさぶっている。
「車を進めますね。ちょっと狭いですけど」
俺は車を発進させ、ゆっくりとトンネルに入った。トンネルは緩やかにカーブしていて、150メートルほど進むと、突然視界が開けた。
「おおっ……」
固まっていた田村さんが、感嘆の声を漏らす。
そこは直径50メートルほどの円形の空間だった。周囲は深い森に囲まれた、天然の要塞のような場所。中央には、今まで見てきたものとは明らかに違う建物が建っている。
コンクリートと木材を組み合わせた重厚な造り。窓は少なく、あってもスリット状。屋根には巧妙に偽装されたソーラーパネルと、小型の風力発電機。そして建物の周囲には、さりげなく配置された監視カメラ。
「これは、完全に要塞じゃねぇか」
田村さんが呟く。
「施工業者には、超VIP用の完全プライベート施設だと説明しました。海外の要人とか、芸能界のトップクラスとか、完全に身を隠したい人向けの」
「なるほどー、それなら納得するかも。神崎さんの偽装の言い訳って、バリエーションがすごいよね」
陽菜乃ちゃんが感心したように頷く。感心してほしいのはそこではないのだが。
車から降りると、子供たちは嬉しそうに走り回り始めた。田村さんが建物の壁を触る。
「コンクリートの厚さ、50センチはあるぜ。これなら相当な衝撃にも耐えられる」
「魔物の体当たりくらいなら、びくともしないはずです」
「魔物……本当に来るんですね」
桐島博士の表情が引き締まる。
「そうだな、俺も正直……ここまでやるかって思うけど」
田村さんが頭を掻きながら言う。
「でも、神崎君の言う通りになってきてるからな。津波も火山も物質化も。なら、これくらい準備しといて正解かもしれねぇ」
俺は、笑いながら見回した。
「実を言うと、もっとやりたかったんです。山小屋60棟全部と事務棟を地下の避難通路で繋いで、島全体を要塞化したかったけど、さすがに……」
「さすがに言い訳が思いつかなかったんだ~あはは」
陽菜乃ちゃんが笑う。
「でも、これはこれですごいよ。ワクワクする~。本当に秘密基地みたい」
「攻撃と防御、隠蔽と機能性。相反する要素を見事に両立させている。これを考えた人物の思考パターンは、実に興味深い」
レオさんが相変わらずの調子で、写真を撮りながら呟く。
ふと、走り回っていた莉子ちゃんが戻ってきて言った。
「神崎おじちゃんって、本当に魔王様なの?」
「え?」
「だって、秘密の扉があって、暗い道があって、すごく強そうなお城があって……」
子供の純粋な瞳が俺を見上げている。
「優しい魔王様、かもしれないね~」
俺が何と言えば言いか戸惑っていると、すかさず陽菜乃ちゃんが言った。
困っている俺を見て、みんなが笑い出した。田村さんも、桐島博士も、陽菜乃ちゃんも。レオさんまでが、声を上げて笑っている。
「じゃあ、俺たちは魔王軍ってわけか……悪くねぇな」
田村さんが笑いながら肩をすくめた。
中に入って、一通りの説明をする。さっきの中規模山小屋と、基本はあまり変わらないが、全てが一回り広く、より便利になっている感じだ。
「完全独立型のインフラで、深井戸、浄水設備、ソーラーと風力のハイブリッド発電、小型ディーゼル発電機のバックアップ、衛星通信設備も完備です」
子供たちが屋上へ上がったのを確認して、俺はみんなに真剣な顔で告げた。
「ここは対人防衛も想定した最終拠点です」
田村さんが鋭い目で俺を見る。
「対人?」
「えぇ、もし島に武装集団が侵入してきた場合、事務棟はすぐに目を付けられるでしょう。だから、南側の港から一番遠い北側の奥に、完全に独立した拠点を2か所作りました。車だと、さっきのトンネルを通らないとアクセスできません。歩きだと崖裏をグルッと回る獣道のような道しかなくて、そこの入り口も偽装されています」
「だが、ここが見つかったら、袋のネズミになるぞ?」
考え込んだ田村さんが、深刻な声で聞いてくる。
俺は地下室への階段を案内した。厚い鋼鉄製の扉を開けると、コンクリートで固められた通路が続いている。
「地下通路です。ここから100メートルほど進むと、山道に出られる脱出口があります。1.2kmほど離れたもう一棟の方にも同じような出口があります」
「でも神崎君、地下通路は諦めたって言ってましたよね?」
「ここは、『VIP対応専用の従業員用の通路』と説明しました」
「さすが魔王様、徹底してる~。地図アプリに追加しとくから、後で入口の場所とルートを全部、教えてね~」
興味津々のレオさんや、陽菜乃ちゃんと違って、田村さんはまだ深刻な顔をしている。
「でも、確かに必要かもしれない。人間が一番怖いってのは、真理だからな」
「ですね。この2か所でやり過ごすか、迎撃することができなければ詰みになります」
「こっちから、海には出れねぇのか?」
「海に降りる非常階段は作ってますが、本土のようにクレーンやクルーザーは用意できていないんです。一応、特殊部隊仕様のエンジン付きゴムボートは用意していますが、すぐに敵に見つかるでしょうね」
「ふむ。魔物がどうにかなったら、そっちも考えねぇとな」
リモコンのボタンを押すと、岩壁の扉がゆっくりと閉じていく。外から見れば、また元通りの苔むした崖に戻る。誰も、この奥に要塞があるとは思わないだろう。
「さて、山小屋の見学はこれで終わりです。武器や医薬品、電子機器など、拠点に備蓄した方がいい物資をそれぞれでリストアップしてくださいね」
「最終拠点には、簡易手術セットを置いておきましょう。山小屋の規模に合わせて、薬の配分を考えますね」
「早く種類を増やして、アサルトライフルが欲しいな。武器や火薬を置いておくなら、コンテナを改良して簡易武器庫でも作るか」
「食料なら、莉子がいっぱい出してあげるからね!」
「僕だって、美味しいお米を、いーっぱい出すよー!」
賑やかなおしゃべりが続く車を運転しながら、俺は密かに思った。
たとえ俺が、『魔王様』になったとしても、みんなを守り抜きたいと。