2-1 それぞれの朝と災害モード
大災害から9日目。
前日の酔いも醒め、早朝から田村さんと俺は、火山灰の詰まったフレコンバッグを海洋投棄しようとしていた。
田村さんは、クレーン付きのトラックから降りると、慣れた動作でヘルメットを被って手袋をはめる。それから、タイヤ止めやアウトリガーで手早くトラックを固定。そのまま流れるように、さっと荷台に登ってラジコンでクレーン操作をして、次々と田村さんお手製の投棄台に重い袋を降ろしていく。降ろし終わったら、その台の端にある突起をクレーンで少し持ち上げると、台が斜めになり、火山灰が詰まったバッグが海へと落ちていく。その間、15分。俺なら1時間くらいかかりそうだ。
田村さんは34歳、175cmほど。短髪で日焼けした男らしい容貌で、筋肉質なごつい体格だ。普段は作業着姿が多いが、迷彩服を着ていても全く違和感がない。ワークブーツが似合っていてかっこいい。
「田村さん、その台、シンプルですごく効率的ですね」
「ああ、フォークリフトは傾斜地じゃ危険だからな。こういう単純な台が実用的でいいんだよ」
アウトリガーを畳んで、撤収作業をしていた時に、スマホが震えた。
「神崎さん、大変なんだよー! すぐに戻ってきて」
「どうした?」
田村さんが作業の手を止める。スマホをスピーカーにして、二人で聞く。
「ステラネットが繋がらなくなっちゃった! 今、アリスに調べさせてるけど、衛星の故障だと修理は難しいかも」
「え? 昨日の夜は繋がってたよね?」
「うん、朝起きたらいきなり! 掲示板への書き込みが途絶えてたの」
俺と田村さんは顔を見合わせた。これは、俺たちはともかく、掲示板利用者には深刻な問題だろう。
事務棟2階の大会議室に着くと、レオさんと陽菜乃ちゃんがやり取りをしていた。
28歳のレオさんは180cm超えの長身で、色素の薄い髪と目の色で、とても整った顔立ちをしている。小顔で少し癖がある髪を後ろで結んでいることが多く、スタイルがいい。今日もシンプルな白い開襟シャツとベージュのカーゴパンツだが、眼鏡をかけてPCに向かう姿は、映画の中のイケメン俳優のようだ。
「原因が分かりましたよ」
レオさんが振り返る。俺と田村さんは、一瞬、息をのんで緊張するが、レオさんがニッコリ笑って答えた。
「月額使用料の未払いです」
「はぁ?」
田村さんが呆れ顔になる。
「銀行引き落としができずに、システムが未払いと判断して使えなくなっているようです。世界中で同じ状態になっているらしいですね」
「俺は、毎月100台分の使用料を払ってますよ?」
俺は思わず声を上げた。
「100台って、神崎君......なんでそんなに!?」
田村さんが驚いている。
「えーっと、島に70台、本土施設に緊急用で20台、予備が10台です。法人契約で毎月80万円くらいだったかな。あ、海外駐在に出してる社員の分も払ってるからプラス10台だ」
「島に70台って......」
みんなが呆れている。
「えーっと、昨日も話したように……知り合い30人くらいとその家族を呼ぶつもりだったので……」
「あぁ、なるほど。それにしても、神崎君の備蓄にかける根性はすごいな、ははは」
田村さんが、明るく笑ってくれる。俺も、一緒になって笑うことができた。
「災害で銀行のシステムが停止、というか、壊れてしまったから、自動引き落としができないんですね。逆に言えば、ステラネットのシステムはどこかで生きているのでしょう」
レオさんが状況を整理してくれる。
「じゃあ、私の出番ね! 腕が鳴るわ~」
陽菜乃ちゃんが嬉々としてPCに向かった。
17歳の陽菜乃ちゃんは150cm台前半と小柄で、髪型や服装はクルクルと変わる。かわいらしいゆるふわ系の女子高生っぽい時もあれば、モノクロコーデでクールな雰囲気の時もある。この前は、莉子ちゃんとお揃いの地雷系っぽい黒とピンクのゆるい恰好をしていた。備蓄にはそういう服は無かったはずだから、どこから手に入れたのかは謎だ。『絶対領域』には、譲れない戦いがあるらしい。
「俺ができることはねぇな。じゃあ、残りのフレコンバッグを片付けてくるわ」
田村さんは、さっさと会議室を出て行った。
ネットが繋がらなくなったら、この島から世界へ向かってできることは限られてしまう。アマチュア無線の復習でもしておくかと、俺もPCでテキストを開いて調べ始めた。
しばらくして、レオさんが陽菜乃ちゃんにホットサンドと飲み物を持ってきた。
「陽菜乃ちゃん、朝ご飯まだでしょ? 陽菜乃ちゃんが好きなハムチーズだよ」
「あ、ありがとうレオさん! 食べやすくて助かるぅ~」
陽菜乃ちゃんが片手で紙にくるまれたホットサンドをかじりながら、もう片方の手でキーボードを叩き続ける。
「神崎さんもコーヒーをどうぞ」
「ありがとうございます、レオさん」
俺はコーヒーを受け取り、アマチュア無線の確認をしながら陽菜乃ちゃんの作業を見守った。
それにしても、想像の上をいく技術を持つ陽菜乃ちゃんはもちろんだが、状況判断が早くて自分の行動の最適解をすぐに出す田村さんも、周りの観察をよくして気が利いた行動をさりげなくできるレオさんもすごい。陽菜乃ちゃんの好みまで既に把握しているとは。
「やっとできたー! ステラネットを災害モードに切り替えたから、世界中の端末が復活したはずだよ~」
1時間後に、陽菜乃ちゃんが満足そうな笑顔で顔を上げる。
「すーーっごく大変だったんだよ! 災害時モードの起動キーが、めっちゃ複雑で見つかりにくい場所に隠されててさー。でも、ヨーロッパのお兄さんたちと、赤い共産国の軍事システムに侵入した時のやり方が役に立ったんだ~」
「えっと、赤い話は置いといて、災害時モードって?」
「んとね、本来は政府機関や緊急時対応専用の機能なんだけど、データ容量の上限がなくなって、無料で衛星通信を利用できるんだよ。今回はハッキングして全開放しちゃった~あはは」
陽菜乃ちゃんは、いつものようにあっけらかんと笑っているが、かなりすごいことではないだろうか。それを1時間で……。
その時、掲示板サイトに世界中からの報告が一気に溢れ始めた。
『繋がった!』
『みんな無事で良かった』
『ここに繋がらない間は、絶望感がすごかった』
『このサイトは俺たちの希望の光なんだ』
『早急に原因を究明してほしい』
「ほんの数日で、このサイトがみんなの希望になっていますね」
レオさんが感慨深そうに画面を見つめている。
「あのさ、田村さんの軍事板みたいに、私も電子関係の技術者板を立ち上げようと思うの。通信衛星の保守について話し合いたいんだ。さすがに私とアリスだけじゃ経験が足りないし、衛星を失ったら終わりだから慎重に対応したいんだよね」
「いいアイデアじゃねーか」
「確かに、地上から衛星の姿勢制御をしないと、次第にズレて通信に影響が出る可能性が高いですね」
戻ってきてアイスコーヒーを飲んでいた田村さんと、レオさんがすぐに賛成する。
「専門家が見つかるといいな~」
陽菜乃ちゃんは、すぐに掲示板に書き込み始めた。
今回の騒動で、いいことが一つあった。今までは大災害前にステラネットと契約している端末しかネットに接続できなかったが、災害時モードに切り替えたことで、アンテナと専用端末さえあれば、誰でもネットに繋がるようになったのだ。
「サーバーに、世界各地のステラネットの支店や倉庫の情報があるよ。これからは、これがお宝になるかもね」
陽菜乃ちゃんの言うとおりだ。アンテナや通信端末の在庫がある場所の情報は、今後は貴重な情報資産になるだろう。
「それでね、ちょっと提案があるんだけど」
騒動もひと段落して落ちついた時に、陽菜乃ちゃんが、ディスプレイに画面を映しながら話し始めた。
「掲示板サイトのアクセスがめっちゃ増えてきたから、今後はアリスにサイト管理を任せようと思うんだ~」
「AIで管理するの?」
俺が聞くと、陽菜乃ちゃんが嬉しそうに説明し始める。
「この島の環境が良すぎて、アリスがめっちゃ成長したの! でー、いくつか機能を追加したらどうかなって」
陽菜乃ちゃんが新しい掲示板の説明を始める。
「まず、プライバシー保護機能! 具体的な住所なんかの個人情報の書き込みは、アリスが判断して即自動削除しちゃう!」
「確かに、今後は必要ですね。物資が豊富なコミュニティの住所なんかが広まると、周辺から人が殺到しかねない」
レオさんがすぐに賛成する。
「武装グループに襲われる可能性もあるしな」
田村さんも、顔を顰めながら同意した。
「それから、アリスが、アクセスルートの癖とか、活動タイムスロット、文体パターン、IPアドレスのドリフトなんかを総合的に判断して、掲示板の書込み端末の識別ができるようになったの」
「え? 1台1台の端末を判別できるってこと?」
ユニークアクセス数は5万を超したと言っていたが、その1つ1つの発信元を区別できるってことなのか。
「それはすごいですね。アリスもですが、陽菜乃ちゃんの情報技術のおかげですね」
レオさんの言葉に、陽菜乃ちゃんが嬉しそうにしている。
「でねでね、端末の識別ができるなら、通報機能も追加したらいいかなと思って! 暴言とか故意の虚偽情報とかの通報が一定数を超えると1週間は閲覧のみとかにしたらよくない?」
「そいつはいいな。匿名掲示板は荒れやすいもんな」
今は暴言を見かけると管理者権限で削除していたけど、全部を監視はできない。通報システムは、いい抑止力にもなってくれるだろう。
「最後に、スターマーク機能! 役立つ情報やアドバイスが多い人とか、冷静で公平な意見が多い人に注目が集まりやすくしたら便利だと思うんだ~。いいね機能は荒れやすいから、純粋に情報の質や賛同する書き込みなんかをアリスが解析して判断するシステムにしたらいいと思うんだけど」
「よく考えられてますね。承認欲求は悪いわけではないけど、注目を集めるために大袈裟に盛りがちになりますから。定期的に入れ替える仕組みにしたら、もっといいと思います」
レオさんなら、今すぐスターマークを付けられるだろう。
そして、俺は陽菜乃ちゃんの技術力とシステム設計能力に改めて驚かされた。
「レオさんいいね、そうする! でね、これ全部、仮想掲示板でテストしたらバッチリだったから、本番環境に導入したいの。どうかな?」
「ぜひお願いします。みんなも賛成ですよね?」
俺がみんなを見回すと、全員が賛成の意思を示した。
ちょうどその時、桐島博士が双子を連れて会議室にやってきた。
42歳の桐島博士は160cm程度で、ショートボブの髪型が知的な印象を与える独特な美しさを持つ女性だ。いつも落ち着いた色の服装か白衣を着ている。研究者なのに、今は臨床の勉強もし直してくれていて、何事にも冷静で理系学者らしい探求心を持っている。
「おはようございます。今日の物質化は何時から始めますか?」
「あ、おはようございます。10時からにしましょうか」
6歳の双子、莉子ちゃんと悠真君も入ってくる。
莉子ちゃんは、いつも本人拘りのツインテールで、ちょっと猫っぽい釣り目がチャーミングな、元気いっぱいの女の子だ。悠真くんは、少しく癖っ毛がふわふわしていて、垂れ目で優しい顔立ちのマイペースな男の子だ。二人とも小学校1年生になったばかりだが、かなり聞き分けがいい子たちだ。桐島博士は普段はすごく優しいママだが、怒るとすっごく怖いと、二人が「絶対に内緒よ」と念を押しながら教えてくれた。
「やったー! 今日も頑張るね~」
莉子ちゃんが手をパチパチ叩いている。
「今日は何を出そうかな~。お塩は、もっといるよね?」
悠真くんもウキウキしている。物質化は魔法のようなもんだし、面白いのだろう。
「では、物質化をしてから、魔物対策会議を始めましょう」
俺はみんなを見回した。通信システムの整備が完了し、世界中の情報が集まり始めた今、次はいよいよ魔物との戦いに備える時が来たのだ。
「あ、待って! もう一つ! 地図アプリが完成したから、確認して欲しいの」
陽菜乃ちゃんが、新しい画面をディスプレイに映し始める。
この子は、ちゃんと寝ているのだろうか……大人4人は、呆れが混じった心配顔で陽菜乃ちゃんを見る。視線を感じた陽菜乃ちゃんが、笑顔で答えた。
「大丈夫! 私も災害時モードだから!!」
第二章、始まります。
スターリンクと違って、ステラネットは専用スマホのみ接続できるという設定です。(どうでもいい情報)